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 夢の中 [7]

 その夜から、隆と落合は落合の部屋で一緒に休むようになった。
 好き合った者同士が床を共にするのだから、当然ただ寝るわけがない。落合は何も知らない隆に、身体で愛を交わす方法を教え込んだ。
 とは言え、落合は急いで繋がろうとしなかった。異物を受け入れた事のない隆の鉄壁な窄まりを、夜ごと年齢に見合わない忍耐力で時間をかけて慣らしていき、清志郎に交際を宣言した日から七日目の夜、ようやく一つに結ばれた。それ以後、多少の違和感はあるものの、大した苦痛もなく受け入れる事を覚えてしまった隆は、ますます落合に夢中になった。
 二人は恋人の関係を通り越して、夫婦のように濃密な生活を送っていたが、清志郎には同房(どうぼう)していると伝えていないから、昼間はなるべく平静に過ごそうと落合には言われていた。
 しかし、まだ十五歳の隆には気持ちの切り替えが容易にできなかった。昼間、清志郎に勉強を見てもらっていても、落合の事が気にかかって仕方がない。いつもなら楽しい筈の古美術の話にも身が入らず、早く終わらないかとそわそわする始末だった。
 当然、清志郎は面白くない様子だった。最初のうちなど不機嫌が態度に表れていて、食事の時間など三人でいると、むっつりと黙りこくって感じ悪い事この上なかった。それでも、あからさまに避けられたり、嫌悪するような態度に出る事はなかったし、面と向かって意見する事もなかった。
 もともと、落合が同性愛者だと知っていても、平気で下宿させているのだから偏見はないようだったが、二人の仲を認めるのは簡単ではないらしかった。
 そんな状態なのに、隆は年末年始を清志郎と二人きりで過ごさなければいけなくなった。落合が急遽(きゅうきょ)京都へ帰省してしまったからだ。
 落合は来月の十六日に戦地へ立つ事になっていて、本人は直前に帰省してそのまま神戸から船に乗るつもりだったが、姉が出征する兵隊と祝言を挙げる事になり、どうせなら一緒に祝いをしようと呼び戻されたのだ。
 すぐに戻ると言い置いて出かけて行ったが、清志郎は仏頂面のままだったし、ひとり残される寂しさと心もとなさで、隆は意気消沈してしまった。
 それを見た清志郎は、さすがに大人気ないと思ったのか、態度が急に軟化(なんか)して蔵の掃除や書斎の整理を手伝えと、自分から歩み寄って来た。
 隆は蔵の掃除と聞いてその気になったが、実際は家の大掃除を手伝わされて、平成の自分の家ではやった事もない、畳上げから障子紙の張り替えまでさせられた。
 障子紙をいい気になって穴を開けたはいいが、奇麗に取る方法が分からずもたもたしていると、「お前は、本当に何も知らないんだな…」といつもの調子で呆れられ、「した事ないもの」と呟くと更に呆れられた。
 そんな二人の様子を横から見ていた梅子が、「清志郎さんも初めてですよね、張り替え」と暴露したので、清志郎が真っ赤になって慌てるのを見て隆は大笑いし、お陰で元の打ち解けた関係へ戻る事が出来た。
 隅から隅まで雑巾で磨き上げる大掃除は、普段使わない筋肉を酷使する羽目になって疲れ果てたものの、清志郎と仲直り出来た上に、自ら奇麗にした家への愛着はひとしおで、隆にとって忘れられない年末になった。
 新年を迎えると、梅子が手に入る限りの食材を使って、腕に縒(よ)りをかけておせち料理を用意してくれた。
 数の子はさすがに手に入らなかったと徳一は嘆いていたが、田作りも黒豆もかまぼこもあったし、昆布巻きや伊達巻きが手作りなのに隆は目を丸くした。
 家ではデパートの取り寄せしか食べた事がない上、甘い味付けのものが多く、美味しいと思った事がなかった。それでも梅子がせっかく作ってくれたのだからと箸をつけると、伊達巻きは甘すぎず昆布巻きは味が染みていて、どれもとても美味しかった。
 感動して、こんな美味しいおせちは初めて食べたと言うと、清志郎は驚いた顔をして、お母さんは料理が下手なのかと聞いた。
「下手ではないけど得意でもないから、おせちは自分じゃ作らないよ」と言うと、清志郎は「情けない」と渋い顔をした。隆は大好きな母の名誉のために弁解した。
「お母さんは仕事を持ってて忙しいんだ。そりゃ、梅子さんの手作りのおせちは美味しいけど、俺の時代ではわざわざ作らなくても、出来合いのおせちがどこでも売ってるし、あとは、お正月から開いてるお店や、料理屋さんも多いから、外で食べたりも出来るし」
「正月から開いてるって…、休まないのか?」
「お休みのお店も、もちろんあるけど、みんな一緒には休まないんだよ。交代でお休みを取る仕組みになってて、年中無休で二十四時間営業のお店も多いよ」
「年中無休で、丸一日開いてるのか?」
 清志郎は驚きを通り越して、怪訝そうに訊いた。
「うん。働く人は大変だと思うけど、お客の立場としては、便利ですごく助かってるよ」
 それを聞くと清志郎は考え込むように腕を組んで、少し間を置いてから言った。
「そんなに便利な世の中で暮していたのなら、こちらの生活は不便だろう? 帰りたくはないのか?」
「そりゃ…。でも、帰り方が分からないもの。石もないし……」
 石があっても、落合と二人で生きて行こうと約束したから帰らない。
 そう思いながら下を向くと、「諦めるのは早いだろう? 私も、他の方法を探してやろう」と励ますように肩を叩かれた。
 隆はもうこの話を打ち切りたくて、「もう、いいんだ」と顔を上げて微笑んだ。
「俺、ずっとこっちにいても大丈夫だよ。洋さんがいるし、清志郎さんもいるんだもの。だから、気にしないで」
 清志郎は複雑な顔をして聞いていたが、もう何も言わなかった。

 落合は予定よりも遅く、七草が終わってから持てる限りの食料品を土産に抱えて戻って来た。
 清志郎から土産の礼を言われ、ごく普通に出迎えられた事に、落合は拍子抜けしたような顔をしたが、隆の笑顔を見て「一体、どんな魔法を使ったんだい?」と感心したように微笑んだ。
 そうして平穏な日々に戻り、いつものように清志郎に宿題の答え合わせをして貰っていると、不意に「落合の絵は、進んでいるのか?」と訊かれた。
「もう下絵は完成して、着彩に入ってるよ」
「そんなんで、間に合うのか?」
 出発まで僅かしかないのに仕上がるのかと心配されたが、隆は首を振り、落合は無理に仕上げるつもりはないようだと伝えた。
「時間がないからと慌てて仕上げるのは嫌なんだって。納得したものを残したいって言ってた」
「そうか……」
 清志郎は納得したように頷いたが、遅れている理由は他にもあった。それは、とてもじゃないが清志郎には聞かせられない。
 モデルと画家として向き合っても、じっと見つめ合ううちに身体が熱くなってしまい、休憩中に求め合ってしまうから進まないのだ。
 睦(むつみ)合うだけならまだしも、落合は陽の光の下でしどけない隆の姿を目の当たりにすると、描きたくて堪らなくなるらしく、肝心の絵よりも人様に見せられない素描ばかり増えていった。
 さすがに呆れて、「こんなのばかりどうするの?」と文句を言うと、「戦地に持って行って、寂しい時に眺めるよ」と真顔で答えるものだから、駄目とは言えなくなってしまった。
 そんな遣り取りを思い出すと顔が赤くなってしまい、隆は慌てて本で顔を隠した。
 自分たちがこれほど深い関係になっていると知らない清志郎の前で、こんな事を考えてしまうのは羞恥よりも後ろめたい気持ちが勝った。
 すると清志郎が突然、「お前、落合が好きか?」と訊いた。
 不意打ちに慌ててしまい、一拍間を置いてから「好きだよ」とはっきり答えたが、清志郎の顔は直視できなかった。
 心を読まれそうな気がして目を伏せ、清志郎の使い古しの教科書を眺めていると、頭上で急に息を呑むような音が聞こえ、釣られて顔を上げると清志郎がじっと隆の方を見ていた。
 その強い眼差しに気圧されて、「何?」と慌てて尋ねると、清志郎の手が伸びて来て隆の襟元をぐっと引っ張った。
「えっ、なにっ…」
 身体を持っていかれそうなほど強い力で引っ張られたので、着物の合わせが伸びてしまう。驚いてその手を掴むと、顔を近づけた清志郎が低い声音で「…赤くなってる」と囁いた。咄嗟に落合の付けた印だと気がついて、隆は清志郎を振り払うように襟元を掻き合わせた。
「虫に、刺されたんだよ! そう言えば、痛いなと思った……」
 苦し紛れにそう言ったが、怖くて背中を向けてしまったから、上手く誤摩化せたか分からなかった。清志郎はそれ以上何も言わなかった。
 隆は居たたまれずに、「もう行くね」と告げて部屋を出て行こうとした。清志郎は黙ったままだったが、扉が閉まる瞬間「月読みの石…」と呟くのが聞こえた。隆は胸騒ぎを覚えて、逃げるように自分の部屋へ戻った。
 その日の夜から清志郎は食事の時間に現れなくなった。一日中部屋と蔵に籠って殆ど出て来ない。勉強も『保留』と梅子を通じて伝えられた。
 梅子に理由を訊くと、「調べものがあるから暫く部屋でとる」との事だった。怒っていたかと様子を聞くと、梅子は首を振り「普通でしたよ」と答えた。
 不安になって落合にキスマークを見られた一件を話すと、落合はあまり気に留める様子もなく、「そのうちきちんと話すから」と言っただけだった。
 そのまま一週間が過ぎ、梅子が「何だか旦那様のご様子が変なんです」と伝えてきたので、「具合が悪いの?」と訊くと、そうではないと首を振り、「何かお悩みの様です」と心配げに答えた。隆は気になったが、落合に放っておいた方がいいと言われ、訪ねては行かなかった。
 その二日後、清志郎は久し振りに食卓へ姿を見せたが、確かに少しやつれたように見えた。それでも特に変わった様子もなく、ごく普通に食事を済ますと、落合が外出したのを見計らうように隆を自室へと呼んだ。
 梅子に伝言を訊いた隆は、何故だかとても緊張して清志郎の部屋を訪ねた。部屋へ入ると、清志郎は窓際の猫足の肘掛けイスに座ってじっと隆の方を見ていた。彼の前にはマホガニー製のトランプテーブルがあったが、その卓上に見覚えのある物体を見つけ、隆は息を飲んだ。
“ 月読みの石 ” だった。
 隆は本物だろうかと小さな三角錐の石を凝視した。
「これがあれば、帰れるだろう?」
 清志郎は、感情の籠らない声でそう言ったが、隆は小さく首を振った。
「大きさが…違う」
 この石の大きさは、隆が京都で初めて見た時と同じ掌に収まるサイズだった。だけど隆がこちらへ飛ばされた時、石は両手じゃないと持てないくらい大きくて、重くなっていた。似ているが、きっと違う石だ。
「そうか……」
 清志郎は気のない返事をすると、立ち上がって隆の前を通り過ぎ、部屋の反対側にあるサイドボードの前へ行った。そして、その甲板(こうはん)の上に置かれた洗面器を持って戻って来ると、石の載っているトランプテーブルの上に置いた。洗面器は陶器製で中には水が張られていた。骨董品のようで、外にも内にも外側に西洋風の青い小花の絵付けがあった。
 ぼうっと洗面器に見入っていると、清志郎が隆の腕をとってテーブルの前に引っ張って行った。
「じゃあ、この水に顔をつけてご覧」
「なんで…?」
 ひどく警戒心が湧いた。その洗面器からは何か普通ではない感じを受けた。隆の身体は自然と後退(あとずさ)ろうとしたが、清志郎に腕と取られて動けなかった。
「石が駄目だと言うなら、これで元の時代に帰れるかもしれない」
「これ…何なの?」
「“ カピタンの桶(おけ) ” と言って、南蛮渡来の魔具(まぐ)だ。水を満たして顔をつけると、見たい場所が見られる」
「見て、どうするの?」
 月読みの石と同じくらい眉唾な話だが、清志郎が言うと真実味があった。けれど、見られた所で帰れない。何故そんな事を言うのだろうと怪訝に思い、「無理だよ…」と首を振って清志郎を見た。
 すると清志郎は、くっと口の端を持ち上げ、「大丈夫だ。それを使って、その石を取って来たんだから」と笑った。

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