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 夢の中 [10]

 明け方近くまで、何度も互いを求め合った。
 やはり、最後の方は意識がなくてよく覚えていないが、落合に起こされて目が覚めた。怠くて起きられず、落合が隆を客間へ抱いて運んでくれた。
 こんな事は初めてで、清志郎に何を言われるかと居たたまれない気持ちになったが、落合は悪びれた様子もなく「“ したり顔なる朝寝かな ※ ”って? 祖父(じい)さんの言いそうな事は気にするな」と全く動じた様子もなかった。
 梅子が食事を運んでくれたので清志郎の様子を聞くと、普通だと答えた。少し安心して、あとで神社へお参りに行きたいから案内してと頼むと、「そんな身体でお出かけはいけません」と叱られた。
 どうしてもお守りを買いに行きたいからと言うと、代わりに買って来ると言って譲らないので、直接お参りするのは諦めて “ 厄よけ ” のお守りを四つ買って来てくれるよう頼んだ。
 そのあとも、最後の一日だというのに、隆は昼過ぎまで布団の中で過ごした。具合はだいぶ良くなったが、起きて居間へ行く気になれなかった。
 昼頃、清志郎の差し金で画廊から落合に電話がかかって来る予定になっていたから、その場にいたくなかったのもあるし、ひとりでやりたい事もあった。
 梅子が昼食を運んで来てくれた時に、頼んだお守りを渡してくれた。四つのうち二つを梅子に渡すと、最初は恐縮して受け取ろうとしなかったが、今まで世話になったお礼だと言うと、やっと受け取ってくれた。
「美味しいご飯をありがとうございました。着物とかも、いろいろ…。二人とも、身体に気をつけて。これから何があっても、負けないで……」
 生きていてねと心から伝えると、「坊ちゃんも…」と言ったまま暫く静かに泣いて、申し訳ありませんと謝りながら出て行った。
 落合にはお守りと一緒に手紙を残そうと思っていた。
 けれど、いざ書こうとすると、伝えたい事は沢山あるのに、詫びの言葉しか出て来ない。それでも、今の気持ちを何とか言葉にした。

 洋さんへ
 約束を守れなくて、ごめんなさい。
 ずっと、こっちにいたかったけど、
 俺の體(からだ)が消えてしまうかもしれないから、
 清志郎さんが取ってきてくれた石で、向こうへもどります。
 洋さんにだまって歸(かえ)るのは辛いです。
 本當にごめんなさい。
 でも、俺、待っています。
 この時代ではないけど、もう少し先になるけど、
 さびしくても、ちゃんと待っているから
 絶對に、絶對に、無事に歸って來て、俺に會(あ)いに來てください。
 もちろん俺も、向こうで洋さんを探します。
 老人になっていてもいい。俺は洋さんが好きです。
 だから、洋さんも、俺に會いに來てください。
 待ってます。ずっと待っています。
 また會えるって、信じています。
 隆

 小学生の作文のような恋文だったが、たったこれだけの事を書き上げるのに、うんうん唸りながら何度も何度も書き直したから、出来上がる頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
 落合の部屋を訪ねると、清志郎の謀(はかりごと)と知らず、老舗の画廊から「仕事が来るかもしれない」と、浮き浮きした様子で出かける支度をしていた。
 落合が哀れだった。心の中でごめんなさいと繰り返しながらも、隆は落合の背広姿に見惚れた。髪をポマードで撫で付け、濃紺のウールの背広に同じ色の中折れ帽を被った落合は、まるで映画俳優のような男振りだった。涙が滲みそうになるのを堪えて、その姿を目に焼き付けた。
「格好良いよ」と誉めると、照れたような顔で「ありがとう」と笑った。胸が詰まって抱きつきたい衝動に駆られたが、玄関先から微笑んで、落合の姿が見えなくなるまで見送った。
 夕食の時間に、清志郎とその日初めて顔を合わせ、二人きりで最後の食事をとった。
 清志郎は、給仕をしてくれた梅子に徳一を呼んでもらうように告げ、二人が揃うと隆が実家へ帰る事になったと伝えた。昼間お守りを渡した時に、別れの言葉を伝えてあったので、二人とも少し涙ぐんだだけで、どうかお元気でと言って下がって行った。
 隆は手紙とお守りを、落合に渡して欲しいと頼んだ。そして、清志郎にもお守りを渡すと、清志郎は鼻を鳴らし、「こんなもの貰わんでも、私は生きて帰ってくるのだろう?」と憎まれ口をきいた。
 最後まで変わらないなと苦笑すると、「私は、もうお前とは会えないのだな……」と寂しそうに呟いた。
「初めてお前と話した時、お前は私に “ 会うのは初めて ” だと言った。私はお前が生まれる前に、死ぬのだろう?」
「うん……」
 清志郎が自分から未来の事を聞いたのは初めてだった。目を伏せると、「半世紀以上先じゃ、無理ないな」とため息を吐くのが聞こえたが、すぐにブツブツと、まるでいつもは落合が言うような文句を呟いた。
「だが、落合は会えるかも知れんし、お前の後ろでウロウロしている “ ハク ” だって、あっちでまた会えるだろうに、私だけ会えないなんて、不公平だな……」
 そんな事を言われると思っていなかったので、急に胸が苦しくなって涙があふれた。俯いて着物の袖で涙を止めようとすると、手ぬぐいで顔を拭かれた。
「子どもみたいに泣くな。…私も、精々長生きしてみよう。せめて、お前が生まれるまではな」
 清志郎はそう言って、隆が泣き止むまで頭を撫で続けた。
 食後に、隆は寝所に使っていた客間を整理して、寝る支度を整えた。清志郎は見守るつもりでいたようだが、ずっと傍にいられたら、また泣いてしまいそうで寝られそうにない。
「誰かいたら眠れない」
「……落合は良くて、私は駄目なのか」
 清志郎はまた小さな声で文句を言っていたが、続きの間にいると言って出て行ってくれた。
 隆は睡蓮の飾り彫りのある障子を開けて、敷居の上に石を置いた。
 三分の一ほど欠けて銀杏のような形をした月が、睦月の寒空に冴え冴えと白く輝いていた。石は月の光を浴びて、蛍のように黄緑色に瞬き始めた。
 石を喜んで使っていた頃は、毎晩どんな夢が見られるのかとわくわくしたが、今は無事に自分の時代に戻れるか不安で仕方がない。こんなんじゃ眠れないと思ったが、電気を消して横になると、すぐに嗅ぎ慣れた麝香(じゃこう)の香りがした。意識が徐々に薄れて行く。
 ああ、これで本当に、お別れなんだと思った。
 初めて夢を見た時は秋の虫の音が聞こえた。今度は誰か人の声が聞こえた。
「……隆!」
 遠くで、自分の名前が呼ばれている。微かに聞こえるだけなのに、とても悲痛な呼び声だった。誰だろう、そう思っていると、はっきりと叫ぶ声が聞こえた。
「隆、どこだ! 清志郎! どういうつもりだ!?」
 落合の声だった。
 気づいた途端、隆の意識は覚醒した。なのに、目が開かない。身体が重くて動かない。意識して何とか身体を動かそうと努めると、辛うじて腕が上がった。けれど、まるで服を着たまま泳いでるみたいに、身体が重くて思うに任せない。否、違う。身体に力が入らないのだ。
 襖の外で二人が激しく言い争っている。
「落合、落ち着け!」
「落ち着け? はっ! お前が俺を追い出すような真似をしたんだろうが! 隆はどこだ!?」
「向こうで寝ている!」
「寝ている? 隆、どうした? 大丈夫か!?」
「待て、入るな! 起こしてはいけない!」
「起こすなって、お前、何企んでいやがる!?」
 どうやら騙していたのがバレてしまったようだ。落合の怒りは分かるが喧嘩を止めて欲しくて、やっとの思いで目を開けた。天井と電気の傘が見えた。目の端に窓に半分切られた月が映った。
 どうにか起き上がると、襖が荒々しく開かれ落合が中へ踏み込んで来た。
「隆!」
 二人が同時に息を飲む音が聞こえた。驚愕に見開かれた瞳と目が会う。この光景は前に見た事があると思った。……ああ、初めて二人と会った時と同じだ。
 どうしてだろうと見つめ返すと、落合が「身体が…」と言って絶句した。
 言われて自分の身体を見ると、半分透けていた。力の入らない手を持ち上げると、掌の向こうに恐怖に凍り付いた落合の顔が見えた。
 戻りかけているのだと思うけれど、自分でもこのまま消えてしまいそうな恐怖に襲われた。
「洋さん……」
 思わず落合に手を伸ばすと、我に返った落合が隆に向かって駆け出そうとしたが、後ろから清志郎に羽交い締めにされた。
「離せっ!」
「大丈夫だ! 隆は向こうへ戻るだけだ。だから、堪えてくれ! でないと、そのうち、本当に消えてしまうぞ!!」
「嘘だ! 嫌だ! どっちにしたって、消えてしまうじゃなかっ!!」
 落合は泣いていた。目を見開き、だらだら涙をこぼしながら、隆の方へ必死で手を伸ばしていた。落合が泣くのを見たのは、これが初めてだった。
 大切な、大好きな人を、こんなに悲しませている。そう思ったら、胸に鋭い痛みが走った。隆は痛むそこを手で押さえたが、確かに押さえているのに感触がなかった。
 ここから消える。そう実感したら、緩みっぱなしの涙腺から涙が滝のように流れ出した。
「洋さん…ごめんね……」
 嗚咽で喉が塞がれる前に、何とかそれだけ口にすると、落合が唸り声を上げて清志郎の腕を振り切った。
「隆、隆、隆……」
 うわ言のように名前を呼びながら隆の身体を抱こうとするが、落合の手は隆の身体をすり抜け、空を切るだけだった。身体が重なる位置にいるのに、互いの身体を抱きしめられない。隆はどんどん薄くなって行く。落合は悔しそうに「何でだよっ!!」と喚いた。
 その声が自分を責めるように聞こえて、隆はもう落合を見ていられなかった。両手で顔を覆うが、透けてしまって隠せない。泣きながら目閉じて、ただ「ごめんなさい」と何度も何度も謝った。
「会いに、行くから……」
 頭上で、落合の声が聞こえた。震えてはいたが激した様子は無くなっていた。恐る恐る顔を上げると、落合は泣き笑いの顔で隆を見つめていた。
「お前が未来にいるのなら、絶対に生きて、お前に会いに行くから、待っててくれ! もし…今生が駄目なら、来世だっていい! 必ず迎えに行くから、だから、待ってろよ!!」
「待ってる! 絶対、会いに来て!」
 嬉しくて、頷きながら答えた。落合に触れたくて、見る間に透けて力の入らない手を伸ばすと、落合も重なる場所で手を握るようにしてくれた。感触はないが、確かに握られている温もりを感じた。思わず微笑むと、落合も微笑んでいた。
「約束だ」
 それが、最後に聞いた言葉だった。

※ 源氏物語 第三十三帖 藤裏葉 第六段:光源氏の息子、夕霧と内大臣の娘、雲井の雁が結ばれて、夜の明けるのも気がつかない長寝をしていた夕霧に、内大臣が「いい気になって朝寝しているものだ」と咎めた言葉。夕霧はなんとか明けきらないうちに帰って行った。

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