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 夢の中 [4]

 隆がこの時代に来てすぐ、清志郎は住み込みの奉公人と隣近所に『病気治療のため親戚から預かった子ども』と紹介した。それからずっと家に籠ったまま過ごている。その間、夢が覚める兆しは一向に訪れなかった。
 落合は元に戻れるか分からないなら、そんな嘘など吐かないで、普通の子どもとしてきちんと学校へ通った方が良いと勧めたが、身元を証明する書類を用意できない以上、それは難しい話だった。
 かと言って、十五歳にもなる少年が、毎日フラフラしている訳にはいかない。近年の隣組(となりぐみ)制度もあり、何をしているのか分からない人間を住まわせるのは、下手をすると反政府主義者を匿(かくま)っているなど、あらぬ疑いをかけられる恐れがあった。
 では、働くかという話になったが、未来人と言いながらこの時代の知識を持たない隆は、ただの世間知らずのお坊ちゃんだった。それは幼い頃からお付きの “ ねえや ” のいる暮らしをしていた清志郎にすら、「お前は華族のご令息か?」と呆れられる程だったから、外へ出すなど以ての外と “ 病人 ” に仕立てられてしまったのだ。
「喘息の持病があるし、おまけに心臓も弱い」
 清志郎がそう説明すると、隆の母親と同年代の、と言ってもずっと老けて見える梅子と、やはり下働きをしているその夫の徳一は、隆と同じ年頃の子どもを亡くしているためか、清志郎の言葉を鵜呑(うの)みにして甲斐甲斐しく世話を焼いた。
 実際、隆は体調をくずしやすかった。文明の利器に囲まれた世界から来たひ弱な現代人に、昭和の、特に戦前の生活はカルチャーショックが大きく、精神的にも厳しいものだった。
 まず、服装だ。裸でこの世界に来た隆に、清志郎がわざわざ国民服(※ 軍服によく似た国防色五つボタンの上下)を仕立ててくれたが、毎日の普段着には、梅子夫妻の息子の着物を譲ってもらった。
 五年もの間郡(こおり)に仕舞われた着物は、はじめは樟脳(しょうのう)臭くて堪らなかった。しかも一人では着られず、梅子か落合に着せて貰うしかないのも面倒だったが、さすがに半月もすれば一人で着られるようになった。
 着物は慣れたが、下着のふんどしには閉口した。履き心地が悪くどうしても馴染めず、仕方ないので身につけなかった。そういう意味では洋服より着物と袴(はかま)で過ごす方が都合が良かった。
 一番困ったのは風呂だ。清志郎の家は当時では珍しく内風呂があったが、毎日は入らない。多くて三日に一遍。当然頭も洗わない。毎日入浴し洗髪するのが当たり前だった隆には、不潔極まりなくて堪らなかった。
 冬だから良いようなものの、三日もすると自分自身の体臭を感じて気が滅入った。不思議と落合も清志郎も、あまり体臭はキツくなかった。だから余計に自分の匂いが気になった。
 だからと言って、誰も入らないのに風呂を炊いてくれとは言えず、最初は我慢していたがどうにも耐えられず、身体が拭きたいと梅子に泣きつくと、それから毎日タライ一杯の湯を用意してくれるようになった。
 こうして多めに湯があると、したくなるのは洗髪だ。この時代にもちゃんと粉状の「髪洗い粉」と呼ばれるものはあったが、落とすのに大量の湯が必要で、毎日洗うのには向いていなかった。文句を言うと梅子が海藻の布海苔(ふのり)をお湯で溶かした、どろっとした物を作ってくれた。どろどろとして洗濯糊のようだったが、こちらの方が使い勝手は良かった。
 気を好くしてそれから毎日洗髪していたが、この時代の一般家庭にドライヤーなどある訳がなく、手ぬぐいで拭うだけで碌(ろく)に乾かさないで寝たものだから、見事に風邪を引いて何日も寝込んでしまった。
 あまりひどいので医者に往診してもらったが、漢方薬系の薬しか調合して貰えず、熱が引いてもなかなか咳が治まらなかったから、梅子に労咳(ろうがい ※ 結核のこと)ではないかと心配された。
 清志郎にひどく叱られ、バリカンを持ち出され短くしろと迫られたが、梅子と落合が回数を減らして日中に洗えばいいと取りなしてくれた。
「落合も梅子も、隆に甘過ぎる」と、清志郎は苦虫を噛み潰したような顔で小言を言った。
 確かに、清志郎には内緒で恋人として付き合っている落合はもとりより、梅子も隆の我が儘を何でも聞いて甘やかしてくれるから、自然と叱ったり注意したりするのは清志郎の役目だった。
「まあ、お前は “ お祖父さん ” なんだから、教育するのはお前の役目だな」
 落合にそう揶揄(やゆ)されると、清志郎は何とも言えない複雑な顔でため息を吐いたが、否定したり嫌がる素振りは見せなかった。清志郎のお小言は正直煙たかったが、遠慮なくものを言われると隆も遠慮を感じずにいられたので、有り難くもあった。
 戦時中とはいえ、日々の生活は穏やかだった。隆が世間から隔離されている状態だったせいもあるが、戦争の影を感じる事は殆どなかった。
 食料は配給制なので食事の内容は質素だったが、三度三度きちんと出て来たし、灯火管制も強制ではなく、防空壕もまだ作られてはいなかった。
 戦争を身近に感じたのは、梅子が寅年生まれだからと千人針を頼まれて、年の数だけ針を刺しているのを見た時だ。ああ、本当に出征する人がいるのだなと、赤い結び目を感傷的な気分で眺めた。
 ふと、落合にも持たせた方が良いのではと梅子に聞くと、「千人分ですから、街頭に立たないと集まりませんし、兵隊で行く訳じゃないですから、きっとお守りだけでも大丈夫ですよ」と笑われた。
 戦争に取られると気が気でないのは自分だけかと拍子抜けするくらい、清志郎も落合もごく普通の生活を送っていた。
 二人の一日の生活パターンは大体決まっていて、朝七時には起きて居間で梅子が用意した朝食をとると、庭へ出て植物の写生をする。ここまでは同じで、一時間程ひたすら写生に没頭し、終わるとそれぞれ自室へ引き上げて各自の仕事に取りかかった。
 落合は昼食までの時間を挿絵の仕事をし、清志郎は自身の絵の制作に当てていた。昼食を挟んで、落合は出版社へ絵を届けに行ったり、絵の具の調達や出発の準備などで外出したりしたが、出かけない時は続けて絵を描いたり、本を読んだりしていた。一方、清志郎は父親から受け継いだ骨董品の売買や、目録作りの仕事をしていた。
 画学生なのに登校もせず仕事をしているのが不思議だったが、落合が言っていた通り、昭和十六年十月から、学徒出陣のため修業年を三ヶ月短縮され、この年末で卒業になるのだと言う。卒業制作に当たる自画像の提出も、二人は既に終えていた。
 清志郎は新文展に入選してから、骨董品の商いで知り合った富有者に、掛け軸用に絵の注文を受けるようになった。落合には羨ましい話だが、清志郎にしてみれば、それだけでは到底屋敷を維持し、使用人を雇ってなどしていけなかった。
 画家を志した清志郎は、父親が亡くなった時に家業の材木屋を廃業し、大勢いた使用人も他に寄方(よるべ)のない梅子夫婦を残してみな暇を出した。それからは無駄に多い部屋を貸して生計を立てていたが、蔵の骨董を下宿人に盗まれたのが発覚した時点で、友人の落合以外は全て追い出してしまった。今は先祖代々のお宝を放出して食い繋いでいる状態で、端から見るより経済状態は逼迫(ひっぱく)していた。
「人は、霞を食って生きられないからな。私も落合の事は言えないんだ」と清志郎は自嘲したが、隆たちの時代でも芸術で身を立てるのは難しい。副収入を得るのは悪い事ではないと思えたが、本音は『霞を食って絵だけ描いていたい』と願っている芸術家に、隆は何も言う事ができなかった。
 二人が自室に籠っている午前中に、隆は清志郎が出した宿題をして過ごした。
 小学生じゃあるまいし、漢字の書き取りや算数の計算をさせられているが、文句は言えなかった。勉強を見てやろうと清志郎が用意した教科書が、旧字ばかりでまともに読めなかったからだ。
「未来は馬鹿ばかりなのか?」と清志郎に呆れられたのが悔しくて、「こんな画数の多い字体なんか習わないもん」と新字体や新かなづかいの説明をすると、落合は「へぇ、そりゃスゴい進歩だ」と感心してくれたが、清志郎は「悪い方へ、だな」と取り合わなかった。
 文字が読めておつりを間違わなければ、とりあえず何処でも生きて行けるからと、小学生の問題を出されて腹が立ったが、新聞も読めないくせにと言われれば、大人しく従わざるを得なかった。
 本当は思う存分骨董を眺めて過ごしたかったが、蔵の中で意識をなくし倒れている所を梅子に発見されてから、一人では入らせて貰えなくなった。
 清志郎が言うには、何か良くない邪気に当てられたらしい。風邪を引く前は平気だったので自分でも驚いたが、身体が弱っているから影響を受けたのだろうと言われた。
「今は祟(たた)られるような骨董は置いてない筈だから、お前は邪気に弱いと見える。もしくはまだ残っているのかな?」
 大した事もなかったのに、清志郎が余計な事を言ったので、梅子が恐れ戦(おのの)いて「ただでさえ身体が弱いのに、魂を取られるような場所へ入ってはいけません!」と禁止されてしまった。
 どうしてそんな妖しい骨董が蔵にあるのかと聞くと、二代前の先祖に妖かし封じが出来る人がいて、引き取って欲しいと懇願されて自然と集まったのだそうだ。
「その骨董、どうしたの?」
 興味津々で聞くと、清志郎は平然とした顔で「知らない」と答えた。
「知らないって…もうないんでしょう? まさか、その辺に捨てちゃったとか言わないよね」
 恐ろしくなってそう聞くと、清志郎は肩を竦めて「ある日突然なくなった」と言った。
 清志郎が幼い頃、行儀見習いに来ていた親類の女性が病で突然亡くなった。そのすぐ後に清志郎の父親が “ ハク ” に供え物をして『蔵を片付けて欲しい』と頼むと、数日経った真夜中に大八車を引いた人夫が訪ねて来て、骨董を運び出してどこへともなく持ち去ったという。
 隆は話を聞きながら、京都で入った不思議な梟(ふくろう)親父の骨董屋を思い浮かべた。あれは、そういう品物を扱う店だったのでは…と背筋が寒くなった。
「朝、蔵を覗いたら、封じの護符を貼った品物だけが無くなっていた。それから、人に『異形が見える』と言わないよう口止めされた。父はその後も骨董を扱ったが、出所の妖しいものには手を出さなかった。父には妖かし封じの力はなかったし、私にもないからな。代を重ねて血が薄れて行くのに、得体の知れないモノが増えるのが怖くなったんだろう」
「血が薄れる?」
 霊能力が無くなると言うなら分かるが、血が薄れるとはどういう意味なのかと首を傾げると、「本当か嘘かは知らないが…」と前置きして祖先の謂(い)われを話してくれた。
 昔、野狐(やこ ※狐の妖かし)が山から里に下りて庄屋の娘と契りを結び、二匹の狐と人間の男の子が産まれた。その人間の子どもがこの血の基(もとい)になった人だとされている。
 兄弟狐のうち片方は山へ帰ったが片方は里に残り、人間の兄弟が家を継いで天寿を全うした後も、家に居着いて守り神になった。それが “ハク ” であり、一族の中で “ 見える者 ” が現れるのは、物怪である野狐の血を引いているからだそうだ。
「祖父さんにそう教えられたが、見えるのなんて怖いだけで、有り難くも何とも思わなかった」
 吐き捨てるように言う清志郎を見ながら「俺も祐輔も、全然見えないよ…」と残念そうに呟くと、清志郎はふっと表情を和ませて「馬鹿だな。その方がいいんだ」と言った。
「ときに、どうしてお前は骨董が好きなんだ? お前の年齢で骨董好きなんて珍しいだろう?」
 急に聞かれて、咄嗟に『楽しいから』と答えようとしたが、清志郎の事だから、その “ 何が ” 楽しいかを説明しろと言うに決まっている。隆は少し考えて、「持ち主がどんな人だったか、想像すると楽しいから」と答えた。
 予想外の答えだったのか、清志郎はきょとんとした顔をして隆を見つめた。隆は呆れられたのだと思い、慌てて言葉を付け足した。
「何百年も前の古い物がずっと残っているなんて、それ自体が奇跡みたいな事だよね。だって、千利休(せんのりきゅう)が使ってた茶器とかって、秀吉も触れたかもしれないじゃない。そういうの想像するのも楽しいし、それを見られる奇跡をくれたのは、所有していた人が大事に守ってきたからだと思うんだ。今もそうだけど、人の歴史って戦いの連続で……。それに、戦争で死ななくても、人はいずれ必ず死んじゃう訳だし、死んだらその人の持ち物なんか、どうなっちゃうか分からないのに、人から人に大切に受け継がれたからこそ起こせた奇跡だと思うんだ。俺は、骨董に価値があるのは、そんな代々の持ち主の想いも含まれるからだ、と思うんだ。だから、それを大切にしてた人がどんな人で、何を想っていたか、想像すると気持ちが温かくなるんだよ」
「じゃあ、憑きものがついた骨董はどうなんだ? そうなった謂われや、持ち主を想像すると楽しいか?」
 そう来るか、と清志郎の意地の悪さを感じたが、隆は真面目に答えた。
「楽しくはないよ。そりゃ怖いし、気味が悪い…。でも、憑いてしまうって事は、それだけ何か強い想いがあったって事でしょう? 恨みかもしれないし、憎しみかもしれない。良い感情ではないけど、でも、どうしてそうなってしまったのか、思い遣る事は出来るよ?」
 ただの物品に価値を与えるのは、良くも悪くも、人の想いではないだろうか。
 例えば、骨董品の条件はあくまで『古いこと』と『希少価値』だ。茶器として一度も使用されなくても、年代や希少性、作者に対する価値があると判断されれば高値が付く。人々がその骨董に抱いた欲望の価値だ。人の欲は雑多で限りが無い。わざわざ好き好んで、怨霊が憑いているとされる骨董を求める人だっている。
 隆も心の片隅で、月読みの石が良くないモノじゃないかと思いながら、夢の男に逢いたい欲求を止められなかった。想いが高じた結果、何の罰かは分からないが、過去へと飛ばされた。だから、執着した結果を嗤(わら)う事は出来ないのだ。
「随分なロマンチストだな。そんなお人好しな事を言ってると、そのうち本当に取り憑かれる」
 清志郎は馬鹿にしたように鼻をフンと鳴らした。
 叔父にも「隆はロマンチストだから、そろばん勘定で動く骨董屋には向かないね。美術史家にでもなった方がいい」と言われたが、まさか同じ事を言われるとは思わなかった。やっぱり親子だからだろうか。それにしても、馬鹿にされたのは面白くない。
「どうせね……」
 むくれてそっぽを向むくと、清志郎は楽しそうに笑って言った。
「人の想いの価値か…。そんな風に考えた事はなかったよ。お前は変わっている。これからは私が、お前に正しい骨董の見立てを教えてやろう」
 その言葉通り、清志郎は宿題を見る傍ら古美術の講義や、骨董品の見極め方を教えてくれるようになった。こうして清志郎とは親しくなる一方、肝心の落合との関係はなかなか進んで行かなかった。

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