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 夢の中 [2]

 なんで、昭和なんだ?
 清志郎の言葉を聞いた途端、隆は咄嗟に自分の頬をつねっていた。思いっきり爪も立ててみたが、鈍い痛みが続くだけだった。
「なんで、目が覚めないんだろう……」
 隆の突飛な行動を、落合も清志郎も呆気に取られたような顔で眺めていたが、隆がはらりと涙をこぼすと、落合が慌てて「どうした? 大丈夫か?」と隆の身体を抱き寄せた。
 いつもの夢の中のように、隆も反射的に落合の胸に縋り付くと、ダンッ、と大きな音をさせて清志郎が座卓を拳で打ち付けた。
「離れろ!」
 冷静沈着だった清志郎が、いきなり激高して怒鳴ったものだから、隆は落合に抱きついたまま震え上がった。落合の方は慣れているのか「怒鳴るなよ。震えてるだろうが」と、どこ吹く風で隆の身体を更に強く抱きしめた。
「落合、離れろ! お前の男色嗜好を今更うんぬん言う気はないが、その子は駄目だ! 絶対駄目だ!!」
「うるせぇなっ! 人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られろ、朴念仁(ぼくねんじん)! この子を助けたのは俺だぞ!? 俺の部屋に寝かせるのは駄目だの、すぐに起こして家を聞き出せだの、昨日から散々横槍(よこやり)入れてきやがって! “ 人魚姫 ” の横取り女みたいな真似すんじゃねぇよ!」
「はぁ? なに訳の分からない事をほざいてるんだっ! お前が助けようが、懸想(けそう)してようが、駄目なものは駄目なんだっ!!」
 いきなり目の前で喧嘩を始めた二人を隆は唖然として眺めた。
 喧嘩の原因が自分だというのは分かるが、聞き慣れない単語ばかりで意味が分からず、事の成り行きを窺っているしかなかった。
「訳が分からないのは清志郎の方だろう!? お前何様のつもりだ? お前に駄目だと言われる筋合いが何処にある!!」
 落合が気色ばんで畳み掛けると、清志郎は一瞬ためらったあと、意を決したように叫んだ。
「筋ならあるさ! その子は私の身内だ! しかも十五やそこいらで、みすみす衆道(しゅどう※注:男色のこと)に走らせる訳にいかないだろうが!!」
「身内!?」
 清志郎の言葉に、隆と落合が同時に驚きの声を上げた。
 隆から何も聞いていないのに、清志郎は身内だと言い切ったのだ。この人やっぱり “ 見えてる ” と、背筋に震えが走った。この人は祖父だ。絶対そうに違いないと、妄想だと半信半疑だった気持ちが、一気に確信へと転がった。
 隆は落合の腕を振りほどき、膝行(いざ)りながら清志郎の方へ詰め寄ると、胸に渦巻く思いを吐き出した。
「せっ、清志郎さんって、会ったことないけど、俺の “ お祖父さん ” だよね!?」
「はあぁ〜〜?」
 今度は清志郎と落合が素っ頓狂な声を上げた。
「身内で、お祖父さんって、何なの?! 清志郎、お前二十一歳で、どうやって十五歳の孫を拵(こさ)えたんだよ!!」
「馬鹿者! 私に孫なんぞいるものか!」
 二人は顔を見合わせて一頻(ひとしき)り言い合うと、今度はどういう意味かと興奮した面持ちで隆に迫って来たものだから、隆の方も『どうして? 分かってるんじゃないの?』と必死で清志郎を見つめたが、得体の知れない者を見るような目で見られ、自分の早とちりに気がついた。
 何か見えたり感じたりして血縁者だと分かっても、隆が孫だとまでは分からないのだ。祖父は確かに妖怪や幽霊が見えたと聞いているが、透視能力があったなんて話は……聞いていない。
 言うに事欠いて直球過ぎたのだ。二人には話が飛躍し過ぎて通じる訳がない。だけど、もう何と取り繕(つくろ)えばいいか分からない。
 隆は落胆と後悔で、瞳を潤ませ唇を噛んだ。それを見た落合が、「ああ〜〜っ」と言いながらガシガシ頭を掻いて、「分かった! 俺が整理する!」と清志郎に向き直った。
「まず、清志郎に訊く。この子…隆くんがお前の身内だって、どうして知ったんだ。昨日は知らないと言ってたじゃないか!」
「知らなかったさ。初めて会う子だ。もちろん、名前も知らなかった。でも…昨日、彼が来てから、
“ ハク ” が彼に纏(まと)わり付いているのは見えていた」
「お前、何でそれを言わなかった!?」
「言ったら…お前が嫌がるだろと思った」
 清志郎が遠慮がちにそう言うと、落合は押し黙った。
 隆はぎょっとした。もしかして、京都へ行ってからずっと何かが憑いているのだろうか。
「ハクって何ですか?」と怖々尋ねると、清志郎が「狐だ。うちの守り神だから、怖がる事はない」と説明した。
 “ ハク ” とは、代々片桐の家を守る白狐(びゃっこ)の屋敷神で、簡単に言うとお稲荷さんの事だ。滅多に姿を見せないが、気に入った者がいると白銀の美しい狐の姿で現れ付いて回る。
 但し、自分の護る家の者にしか懐かないから、清志郎は隆に添い寝している “ ハク ” を見て、隆が自分の血縁者らしいと推測した。
 黙っていたのは、落合がそうした妖怪の類いを信じないからだった。それに、隆が本当に親戚かどうか、本人に身元を訊いて連絡を取れば、すぐに分かる事だと思っていたせいもある。
「清志郎さんは、妖怪が見えるんですか?」
 確認するように聞くと、「ああ」と頷いたが、「証明する事はできないし、見えるだけで、何の役にも立たないがね」と投げ遣りに言った。それを聞いた落合は、「別に、信じてない訳じゃない」と憮然とした調子で呟いた。
 隆は再び興奮して汗ばむ掌を握りしめた。やっぱり清志郎は祖父だ。間違いない。
 言われて思い出したが、確かに片桐の庭にはお稲荷さんの祠がある。家を継いだ叔父はこの祠を大事に奉っているが、叔父から “ 見える ” という話は聞いた事がなかった。
 本当は叔父にも “ ハク ” が見えているのかもしれない。昨晩、月読みの石を手にしていた時の、いつもと違う叔父の厳しい表情(かお)が脳裏に浮かんだ。
 では、その叔父によく似た清志郎が本当に祖父だとして、これが夢じゃないのなら、自分は過去へタイムスリップした…という事だろうか。
 隆はSF小説を読まないから、こうした状況を何というのか分からない。月読みの石は、過去が見えるだけだと思っていたが、時間を操る魔法もかかっていたのだろうか。
「じゃあ、今度は隆くんに訊くけど、どうして清志郎が、君のお祖父さんになるの?」
 落合に訊かれ、隆は躊躇(ちゅうちょ)した。怪談とSFなら、どちらの方が信憑性があるだろう?
 たぶんどっちも、落合には信じてもらえそうにない。それでも、本当の事を話すしか説明の仕様がない。信じてもらえないかもしれないですけど…と前置きし、隆は慎重に言葉を選びながら、自分の素性を明らかにした。
 自分は清志郎の長女の息子であると。そして、今から七十一年後の未来で、この家の中で、ある特別な石を使って夢を見ていたら、いつの間にか昭和十六年へ来てしまっていた、と。
 隆の話を聞いて二人は呆気に取られた顔をした。暫くすると、落合は膝を打って笑い出した。
「それは傑作だ。まるでジュールヴェルヌの物語みたいだ」
 清志郎の方は自分の口から血縁者だと言った手前か、憮然とした表情で黙り込んだ。
 荒唐無稽な作り話。そう思われても仕方ないけれど、二人の反応に隆は言葉を失ってしまった。
「……で、本当の住所はどこなの?」
 楽しそうに笑っていた落合も痺れを切らしたように訊いて来た。
 信じてもらえない状況がこれほど辛いものなのかと、隆は身の潔白を晴らせない容疑者のような心持ちで、緩みっぱなしの目元に再び涙が滲んで来たが、ぐっと堪えて鼻をすすった。
 泣いても何も始まらない。このままでは、頭のおかしい身元不明者になってしまう。
 どうにかしなければと考えを廻らせた。歴史は得意じゃないから自信はなかったが、作り話ではない証拠に、二〇一二年までの日本の歩みを説明しようかと口を開きかけ、急に躊躇(ためら)いを感じて口を噤んだ。
 この二人が本当に “ 実在する人物 ” ならば、未来の話を聞かせていいのだろうか。
 迂闊に喋ると未来が変わってしまう…なんて話を、漫画で読んだ事があるけれど、既に清志郎をお祖父さんだと言ってしまったし、未来であるべきモノがなくなった…なんて事にならないだろうか。
 そんな事を考えていたら、鼓動が激しくなって冷や汗が出た。
「……そう言えば、君は梅子に会ったのかい?」
 ずっと黙って考え事をしていた清志郎が、唐突にそう訊いて来た。
「梅子?」
 誰の事かと首を傾げると、「この家の女中さんで、今台所で朝食を用意してくれてるよ」と落合が説明してくれた。
 誰にも会っていない。首を振って真っすぐここへ来たと告げると、「では、どうして私たちがここにいると分かったんだい?」と訝しげに尋ねられた。
「早朝なら、一緒に住んでる叔父と祐輔…従兄弟が、いつもここで朝食をとるから……」
「訊かなくても、家の間取りが分かってたって事だね?」
 確認するように訊かれ頷くと、落合が「そんな馬鹿な」と口を挟んだが、清志郎が手を挙げて落合を制し、「この家は、全ての部屋に名前がついている。知っているか?」と重ねて訊いた。
 知っている。頷くと、未来で隆が使っている部屋の場所を訊かれた。寝かされていた客間を奥に進んだ南西の角部屋だと答えると、落合がぎょっとした顔で隆を見た。
「その部屋の名前が分かるか?」
 清志郎の問いかけに、すぐさま「萩(はぎ)の間」と答えた。
 答えを聞いた二人は、瞠目したまま隆を見つめ、そのまま暫く重い沈黙が続いた。
 隆にとっては知っている事を訊かれただけなので、試されているという意識はなかったが、張り詰めた空気に気圧されて、神妙な顔で二人の審判を待った。
 最初に、清志郎がフッと笑って緊張を解いた。
「行く所がないなら、ここにいると良い。君の寝ていた客間をそのまま使いなさい」
 そう言ってくれたが、何とも曖昧な判定だと少しガッカリした。隆の存在を受け入れてはくれたが、信じてくれた訳じゃないのだ。それでも、右も左も分からない過去の時代に、たったひとり押っ放り出されるよりマシだ。
 とりあえずほっとして「ありがとうございます」と頭を下げた。
「……ご免な。萩の間、俺が使ってるんだ」
 隣りで落合が済まなそうに謝るので、首を振って「いいです。そんなの…」と恐縮して答えると、
からかうように「一緒でもいいぞ。俺の部屋で寝るか?」と言われ、夢の中での睦み事を思い出し赤くなって目を伏せた。
 途端にダンッと座卓を叩く音がして、清志郎が「この家で不埒な行為は禁止だ!」と怒鳴った。
「うるっせーなー、そんな事しねぇよ」
 落合は下唇を突き出して不満そうに言ったが、ふと思い出したように隆に向き直り、真剣な面持ちで尋ねた。
「なあ、君が俺を知ってるってのは…、君のいる未来で、俺が生きてるって事だよな?」
「えっ?」
「もし、君が本当に未来から来た人で、その君が俺を知ってるってのは、そういう事だよな?」
 両肩を強く掴まれ、期待するような、それでいてどこか縋るような声で訊かれた。
 隆は何と答えていいか分からなかった。
 元もと片桐の家の知人の名前など詳しくないが、隆の知る限り落合という名前に聞き覚えはない。それに、祖父も隆が産まれる六年も前に、七十一歳で亡くなっている。もし、落合が生きているとすれば、九十歳を優に越えた老人のはずだ。隆にそんな老人の知り合いはいない。隆にとって落合は夢の男で、こうして会うまで実在の人物だと思っていなかった。
 戸惑いながらただ首を横に振ると、落合は失望したようにガックリと項垂れて、喉から絞り出すように呻いた。
「じゃあ、何で、君は俺を知ってるんだよ……」
「俺、月読みの石というのを使って、夢を見てたんです。夢で毎晩、あなたに会っていたんです……」
 言ってしまっていた。話したところで、やはり信じてもらえないかもしれないけれど、言わずにはいられなかった。
 月読みの石とは何か、使うとどうなるのか。そして、この時代に来てしまったのは、きっとその石のせいだ。見たい夢を見られる面白さに、妖しい石を使い続けたからだと、自分の推測を伝えた。
 石を使い続けた理由は、そんな風に誤摩化した。夢の中で逢っていたのも、本当は落合に似た “ 前世の恋人 ” なのに、落合その人だと脚色した。
 夢の中で恋人と逢瀬を重ねるために石を使い続けた…だなんて、祖父かもしれない清志郎の前で、男が好きだと性癖を告白するのは憚(はばか)られた。
 落合も清志郎も、やはり目を丸くして聞いていた。聞き終わると落合は「夢の中の話なんだ…」と脱力し、乾いた笑い声を漏らすと肩を竦めた。
「俺、死ぬのかな……」
 落合の呟きに、隆も清志郎もはっとして落合を見たが、落合は立ち上がると「俺、朝飯、いいわ」と出て行ってしまった。
「俺、何か、いけない事を言ったでしょうか……」
 落合が出て行った襖を見つめながら清志郎に聞くと、「否、ちょっと神経質になっているだけだ」と答えた。
 どういう事かと目だけで問いかけると、暫く逡巡していた清志郎は、小さなため息を吐いて口を開いた。
「来年の二月から、あいつは従軍画家として戦地に行くんだ……」
 戦地に行くと聞いて初めて、隆は昭和十六年という “ 今 ” が、戦時中だと気づいたのだった。

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