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 夢の中 [6]

※ 性描写があります。18歳未満の方はお読みにならないでください。

 翌朝、隆は飛び起きると慌てて辺りを見回した。隣りで寝たはずの落合の姿はなかった。部屋もすっきりと整っていて、障子の飾り彫りは萩ではなく睡蓮。自分が使っている客間だった。
 今って…どっち!?
 頭が混乱した。起きた場所が違うと言うことは、もしかして夢が覚めて平成の時代へ戻ったのだろうか? もう、落合にも清志郎にも会えないのだろうか?
 隆はここへ来た時と同じように、浴衣のまま居間へと走って行った。戻りたい気持ちがない訳ではない。けれども今は、落合との関係がこのまま中途半端で終わる方が怖かった。
 勢い良く居間の襖を開くと、清志郎と落合が驚いた顔で振り向いた。ほっとしたのも束の間、「お前はまたそんな格好で! 風邪をひく!」と清志郎に一喝され、「着替えて来ます!」と大急ぎで客間へ取って返した。
 身支度を整えて居間へ戻ると、朝食の準備は既に整っていて、早く座れと急かされ席に着いた。清志郎は明らかに不機嫌で、気まずい空気の中、三人はただ黙々と箸を動かした。
 また自分が怒らせてしまったのかと身が縮んだが、様子を見ていると、どうもそうではないらしい。清志郎は険しい顔をしてずっと落合の方ばかり気にしていた。そして時折隆を見ては、何か言いたそうにしながら諦めたようにため息を吐く。その繰り返しだった。対して落合は、普段通り何事もなく食事を続けていた。
 二人の様子を見比べながら、これからどうしようと、隆も小さなため息を吐いた。
 昨日、強引に迫って落合を怒らせてしまったから、二人でベタベタ過ごすどころか、絵を描いて貰う約束も果たして貰えないかもしれない。一人で過ごすのは寂しいが、かと言って、不機嫌な清志郎に勉強を見てもらうのも気が滅入る。
 切なくなって落合の横顔を見つめていたら、突然、清志郎が怒鳴り散らした。
「隆、お前、何て顔で落合を見ているんだ!」
 いきなり怒鳴られた上に、言われた意味が分からず「何のこと?」と聞き返すと、清志郎は忌々しそうに言い放った。
「まるで…恋でもしてるみたいな顔だ!」
 言われた瞬間、顔が熱くなった。首まで赤くなっただろう事が自分でも分かって、咄嗟に下を向いて顔を隠した。清志郎には秘密にしようと言われているのにどうしようと、俯いたまま横目で落合を窺うが、落合は微笑を浮かべたまま何も言わなかった。
「もういい! 分かった!!」
 清志郎はいきなりそう怒鳴ると、乱暴に箸を置いてそのまま部屋を出て行ってしまった。
「何なんだ…?」
 嵐のような激しさに呆気にとられて呟くと、落合が苦笑しながら言った。
「……まあ、機嫌も悪くなるだろうよ。しばらくああだと思うから、そっとしとくしかない。それより、今日からお前の絵を描くよ」
 落合の言葉に隆は目を見張って落合を見つめた。落合は笑顔で「準備があるから、先に俺の部屋で待っててくれないか」と言った。
 嬉しくて「うん!」と大きく頷くと、不可解な清志郎の事など一瞬で忘れ、落合の部屋へと小走りで向かった。
 落合は暫く経ってから紙袋を抱えて入って来た。すぐに火鉢の火を起こすと、その傍に隆を座らせいろいろポーズをつけたが、結局うつ伏せに寝転がって本を読む姿勢をとらせた。
 スケッチを取り始めてから、隆がじっとしていられたいたのは僅か三十分で、一時間を越えるともう飽きてしまった。楽な格好ではあるが同じ姿勢でいると眠くなる。
「何で、この姿勢なの? もっと格好よく描いてほしいのに」
 眠気覚ましに話しかけると、「こら。まじめにやれ」と注意されたが、あくびをすると仕方なく話をするのを許してくれた。
「何かを表現したくて描くのじゃなくて、お前自身をモチーフとして描き残したいから、自然な姿がいいなと思ってね……」
「自然って、いつもはこんな格好してないよ」
 だらしなくしていると、すぐに清志郎に怒られるからだ。平成の自分の家では叱る人はいないから、確かにベッドの上やソファの上で、ゴロゴロしながらテレビを見たり漫画を読んでいたけれど。
 それを見透かしたように「嘘つけ」と言われ、赤くなって舌を出した。
「何で分かるの?」
「お前が甘ったれだから。きっとずっと平和で、幸せで、満たされていたんだろうなって、分かるからさ……」
 落合の声音に、手の届かないあこがれの話をするような響きがあって胸が痛くなった。
 最初の日以来、二人から未来の話を聞かれる事はなかった。二人にとって、自分はパンドラの箱と一緒なのだと思った。
 ギリシャ神話では、パンドラが箱を開いたために、世界にはあらゆる災厄が飛び出したとされる。慌てて蓋を閉めて何とか閉じ込めたのは『予兆』だけだった。
 もしも予兆が世に放たれていたら、人間は未来を予知する能力を手に入れる代わりに、その行く末に絶望し、するべき努力を諦めてしまっただろうと言われている。
 落合も清志郎も、未来は平穏で明るいものだと結論づけ、それ以上のことは知らなくていいと決めたようだった。
 隆も、日本の敗戦を話さなくて良かったと、心の底から思った。あのとき口を滑らせていたら、遠からず戦争に行く二人に、絶望を与えてしまった事だろう。
 人は弱い生き物だ。この先、もしも戦場で負傷したり捕虜になったりして、生死の狭間に立たされたとき、負けると分かっていたら、生きる事を簡単に諦めてしまうかもしれない。そう思うと今でも震えが走る。
 清志郎は未来の事を、「お前みたいのがのほほんと暮して行けるほどの、ゆるい時代なんだろう」と言っていたが、概ね合っている。
 不平や不満が沢山あった生活も、この時代から比べたら夢のように豊かで満たされていて、軟弱で考え無しの自分でも、何の不自由もなく生きて行けた。それはもちろん、両親や叔父の庇護があればこその話で、慈しんでくれた家族の事を思い浮かべると、帰れるものなら帰りたいと思う。けれど、その術が分からない。
 そんな考え事をしていて黙っていたら、落合が「寝るなよ?」と笑いながら話しかけた。
「俺はさ、ありのままに描きたいんだよ……」
「ありのまま?」
「うん…。見たまま描くって事じゃないよ。描く対象の全てを、絵を見た人に、ありのまま感じられる絵が描きたいんだ……」
「ふ〜ん……」
 モデルである自分の全て…性格とかも含めて、見た人に感じられるように描く…と言う事だろうか。ちゃんと理解できたか分からなくて曖昧に返事をすると、クスッと笑われた。
「目指している…って訳じゃないんだけど、ムリリョって尊敬するスペインの画家がいてね、すごく写実的で写真なんじゃないかと思うくらい、卓越した技術の持ち主なんだ。宗教画で有名な人なんだけど、風俗画も沢山描いてて、それがすごく良いんだ。乞食の少年を描いた絵があってね、絵自体は蚤(のみ)を取っている、有り体に言えば不潔な少年の絵なんだけど、見ていて不快じゃないんだ。どちらかと言えば愛しさを感じる。きっと、ムリリョが慈愛をもって描いたからだと思うんだよ。要は、そんな風に描きたいって事さ」
 聞きながら、落合が教会の宗教画を見て、洋画家を志したと言っていたのを思い出した。そんな人が、本当に戦場へ行って絵が描けるのかと心配になってしまう。
 落ち着かない気分になったところで「さて、少し休憩にしようか」と、落合がスケッチブックから顔を上げた。
 隆は起き上がって伸びをすると、くしゃみが出た。綿入れを脱いで寝転がっていたから少し冷えたようだ。
「寒かったか?」
 落合が綿入れを肩にかけてくれたが、昨晩、綿入れよりも落合の腕の中の方が、余程温かい事を知ってしまったから、思わずじっと落合を見つめると、落合は仕方ないなと言った風情で、「おいで」と両手を広げた。
 嬉しくて素直にその腕の中に収まると、不意に朝食の時の清志郎の言葉を思い出し、自分はどんな顔をしていたのだろうと赤くなった。落合を好きだと思う気持ちが押さえきれない自覚はあるが、そんなに顔に出ていただろうか。
「清志郎さん、怒ってたね…」
 清志郎が祖父だと思えば、後ろめたいし申し訳ない気持ちにもなる。それを聞いた落合は「仕方ないさ……」と苦笑いした。
「俺、お前が起きて来る前に、隆と恋人として付き合いたいって、正式に申し入れたんだ」
「ええっ? でも、最初は内緒にしようって言ってたのに…。昨日だって、あんな…だったのに、どうして?」
 昨日の及び腰の落合がそんな行動に出たのが信じられなかった。
 落合はばつの悪い顔をして唇を尖らし、「お前が夜這をかけるほど思い詰めてたのかと、ちょっと反省したんだよ」と答えた。
「俺が及び腰だったのは認めるよ。会ってすぐに気持ちが通じ合えて嬉しかったけど、心のどこかで思ってた。お前はすぐに元の時間に戻ってしまうんじゃないかって……。清志郎にも言われたんだ。『隆は本来生きている時間に戻るべきなのだから、止めておけ』って。あいつがお前をこの家に閉じ込めて、世間と接触を持たせないはそのためらしい。だから俺も…、あまり深入りしない方がいいって、気持ちを禁(いさ)めてた。でも昨日の夜、思ったんだよ。お前は、もう帰えれないんじゃないかって……」
「うん…たぶん。石がないから……」
 テレビドラマの話だが、階段で転んでタイムスリップした主人公が、同じ階段で転ぶとまた元の世界に戻っていた、なんていうのがある。それで言うなら、隆は月読みの石が光ってここへ来たのだから、石があれば帰れるかもしれない。けれど、石は平成の自分の部屋の中だ。他の方法は考えもつかない。
 ここへ来てから二ヶ月近く経つが、隆は一度も夢を見ていない。きっともう、自分のいた時代へは戻れないだろうと諦めはじめている。
「だったら、お前の事を、きちんと受け止めようと思ったんだ。お前から夜這をかけてくれる程、想ってくれてるのも嬉しかった。だから、お前の身内である清志郎に、正式に申し込まないといけないだろうと思ってさ。そうしたらあいつ、『隆は普通の男子だから、お前の気持ちに応えれないだろう』って言うんだよ。じゃあ、お前から隆に気持ちを聞いてみてくれって言ったら、あの通りだ。清志郎には、お前の反応がショックだったんだろう。少し意地悪が過ぎたかなと思ったけど、はなから俺が振られると思い込んでるのに、ちょっと腹が立ってさ……」
 それであんなに機嫌が悪かったのかと納得がいったが、清志郎とこれからどんな風に接していいのか分からずため息が出た。
「大丈夫だ。お前は心配しなくてもいい。嫌でも分かってもらう。だから、待っててくれるか?」
「えっ?」
「俺は、必ず戻って来るから、それまでここで待っててほしい。絵を仕上げれば美術展にも出せるし、買い上げになればここを出る事もできる。そうしたら、二人だけで暮らそう。戦局がどうなって行くかは分からないけど、お前の事は、俺が必ず守るから……」
「待ってる!」
 嬉しくて落合の首に抱きついて答えると、大きな手が頭を撫でてそのまま上向かされた。落合も嬉しそうな微笑みを浮かべ「約束だ」と囁いた唇で口づけられた。
 迷いを吹っ切った落合は別人のように積極的だった。
 口づけながら隆を押し倒すと着物の合わせを開き、熱い掌で胸を撫でて二つの柔らかい場所を指先で擦った。小さな突起が現れると口に含んで舌先で転がし、隆が身を捩ると逃げられないように股を割って太ももを抱えた。
 褌(ふんどし)をつけていないから、立ち上がりかけた雄蕊がすぐに顔を出し、落合は少し驚いたように動きを止めたが、先端で玉になった先走りの露を、指先で塗り広げるようにして鈴口を撫で回した。
「やっ、うぅ…ん……」
 隆が喘ぎを手の甲で口を押さえると、その手を取られて「お前、どうして褌をつけないの?」と訊かれた。
「履き心地悪いから…やだ」
「嫌でも、俺が向こうへ行ってる間は絶対につけろ。大体、寒いだろうが」
 呆れたように言われ渋々頷くと、「夜はいいけどな」と笑いながら、後ろの窄まりを撫でられた。
「ひゃっ!」
 思わず裏返った悲鳴を上げると、落合は「少しずつ慣らしていこうな」と言って、部屋に来た時抱えていた紙袋を引き寄せ、醤油さしのような小さな瓶を取り出した。栓を開け中の液体を掌に垂らしながら「今朝、自分で作ったよ。梅子さんに頼むのは、さすがに気が引けたから」と苦笑した。
 布海苔の事だと思った時には、ぬるりとした感触と共に指が入れられて、隆はその違和感に身体を震わせた。
「あっ…あぁ……」
 夢の中では男の一物(いちもつ)を何度も受け入れていたけれど、実際に経験するのは初めての事だ。される事の全てに、驚きと怖さと期待が伴う。いちいち大きく反応する隆を、落合は興奮した面持ちで観察するようにじっと眺めていた。
 出し入れする指が一本、二本と増えて行く。多少痛くても初めてとは思えないほど快感の方が強かった。前もすっかり立ち上がって、先走りでへその辺りを濡らしているのが自分でも分かる。
 隆は『昼間して』などと強請ったのを後悔した。明るい日差しの下、自分の痴態が包み隠さず晒されているのが、恥ずかしくて堪らない。それに、気持ち良過ぎて声が押さえられないのも気が気でない。
「……声、出ちゃう…どう、し……」
「お前は、感じやすいね……」
 落合が興奮を押さえるように掠(かす)れた声音で囁くと、苦しいかもしれないけどと言いながら隆の口に手ぬぐいを押し込んだ。
「ううっ…ん」
 ぐっと押し込まれ、手ぬぐいが擦れて口の端が痛かったが、我慢してくっと噛み締めた。ふと落合を見ると、ズボンの前を寛(くつろ)げて自身を扱きながら、隆のそこへ見入っている。手に隠れて見えないけれど、自分のものとは別物かと思うほど立派だった。
 脳から何かが流れたように高揚した。触りたくて堪らなくて腕を伸ばすと、「俺のはいいから、見せて。隆…」と両手とも取られて自由を奪われた。
「んんっ、ん……」
 どうせなら前を触ってほしくて、『さわって』と言ったが手ぬぐいが邪魔でうめき声にしかならない。落合は何を思ったのか、後ろ孔に入れていた二本の指をくるりと回転させ、内壁を探るように動かした。長い方の指がへその下辺りを擦った時、電流のような快感が走って反射的に身体が跳ねた。
 今の、なに? そう思う間もなく同じ場所を何度も擦りつけられて、隆はくぐもった悲鳴を上げながら逃れるように腰を振った。けれど、手も足も捉えられて逃げられない。
「んっ、んん〜〜〜っ」
 前には全く触れられていないのに、失禁してしまうような、自分の意志ではどうにもならない強い射精感に襲われて、尻の筋肉が収縮した。当然窄まりで蠢いていた指をぐっと締め付けて、その形を細部まで感じながら放出してしまった。
 雄蕊を扱いていないせいか出し切った解放感はない。それでも仰け反って緊張した身体が弛緩(しかん)すると、後を引くような満足感がさざ波のように幾十(いくそ)にも広がって肌が粟立った。
 落合は緩んだ窄まりから指を引き抜くと、隆の口に押し込んでいた手ぬぐいを取った。手ぬぐいは隆の唾液を吸い込んで糸を引き、隆は震える手の甲で唇を拭うと、深呼吸をしてからまた全身の力を抜いた。
 目を閉じたまま熱を冷ますように浅い呼吸を繰り返した。落合の熱い掌が、同じように熱く上気した頬を愛しそうに撫でて、「隆…」と耳元で名前を呼んだ。
 隆がゆっくり目を開けると、間近にあった落合の目と目が合った。
「そのままでいて」
 落合はそう言うと、いきなりスケッチブックを開いて、すごい勢いで横たわる隆の姿を描き始めた。何て姿を描いているんだと「やだ…」と言って慌てて身じろぐと、「動くな!」と一喝され、仕方なくその場で身体の力を抜いた。
 落合のそこは勃ち上がったままだというのに、一心不乱に隆を描いている。その滑稽な姿に呆れながら、描きたいと思ったら描かずにはいられない、絵描きの性分に恐れ入った。この男なら、戦場画もきっと見事に描き上げるだろうと思った。
 不意に、何の脈絡もなく『やっぱり、この人は死ぬのかもしれない』との思いに捕われて、熱いものが込み上げた。夢の中で、色んな時代の夢の男と出逢って来たけれど、最後はいつも隆を置いてどこかへ行ってしまうのを思い出したのだ。
 一番最初に見た夢の男、彼は防人(さきもり)だった。あれは、辺境の地へ旅立つ前の最後の逢瀬だったのだ。さっきと同じように待っていろと言われ、何と答えたか隆には分からないが『約束だ』と誓わされた。
 梟親父は “ 前世が見られる ” と言っていた。それが本当なら、同じ人間と何度も何度もやり直すように逢瀬を重ねるのは、いつまでも結ばれない未練からなのではないだろうか。
 こめかみに涙が流れると、鉛筆を動かしていた落合の手が止まった。
「何で、泣いてる? 嫌か? ……でも俺、お前の全てを描いておきたい」
 窺うように、それでいて子どもの我が儘のように言い張る落合に、隆は首を振った。
「泣き顔も、覚えてて……」
 無事に帰って来てくれないと、こんな風に泣き暮すよと脅すと、落合は目を見張った後、困ったように微笑んだ。
「忘れないよ…肝に銘ずる。けど、笑顔だけ覚えておきたい。隆は笑ってる顔がいいんだ。泣き顔は似合わないよ」
 そう言うと、落合はまたじっと隆を見つめながらスケッチを取り続けた。

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