INDEX NOVEL

Bitter & Sweet Chocolate
3月14日 〜 White day 〜 (3)

「タクちゃんの好きな子って、田中穂波?」

 思いも掛けない名前を出されて、拓朗は目を見開いて国領を見た。

「違うよ。何で田中が出てくるの?」

 どうして田中の名前が出るのか不思議だった。田中が好きなのは慎吾だ。拓朗にチョコレートを渡して欲しいと一番最初に頼んできたのも田中だった。それを受けてしまったから、他の女子の頼みも断れなくなってしまったのだ。
 一年のとき同じクラスだったし、女子の中ではよく口をきく方だった。話しやすくて気さくな子だが、少し強引なところがあった。自分に自信のある人間に共通の図々しさだと拓朗は思った。

「だって昨日、タクちゃん何か渡してなかった?」

「えっ? 見てたの?」

 拓朗が驚いて身を乗り出すと、国領は慌てて両手を振って否定した。

「ずっとじゃないよ! 通りかかっただけだし、内容なんて聞いてないよ。
 ただ、紙切れみたいの渡してたから、何かな〜と思ってさ」

 どうしてこんなに目敏いのだろうと非難の籠もった目で国領を見ると、「だって知りたいんだも〜ん」と唇を尖らせた。
 咄嗟にピンとひらめいた。国領は田中が好きなのだ。だったら悪いことをしたかもしれない。田中の頼みを引き受けてチョコレートを慎吾に渡してやり、そして昨日は国領が見た通り、自分の分の映画のチケットをくれてやったのだ。どうしても慎吾と二人きりで話がしたいと涙を流す田中のために。

「私、岩澤くんが好きなの」

 昨日の昼休み、拓朗は呼び出された屋上で田中の告白を聞いた。言った途端、黒くて勝ち気な瞳から涙が一筋流れ落ちるのを、拓朗は口を開けたまま呆然と眺めていた。
 田中に呼び出された時から嫌な予感はしていた。ホワイトデーの前日に呼び出されたのだから、内容は慎吾の事に決まっている。それでもまさか、泣きながら告白されるとは思わなかったし、それも本人ではなくて、なぜ関係のない自分に言うのか訳が分からない。
 拓朗の戸惑いを感じたのか、田中は目尻を拭うとごめんねと小さく謝った。

「バレンタインの日から、岩澤くんに何度も告白しようと思って、
 頑張って声をかけているんだけど、ちっとも振り向いてくれないの。
 わざと避けられている気がして…。でも、どうしても気持ちを伝えたいの。
 だから彼と二人っきりになる時間が欲しいの。
 お願い。久住くん、協力して?
 岩澤くんが言うことをきくの、久住くんだけだもの」

 慎吾と密会できるように取り計らってくれと、田中は深々と拓朗に頭を下げた。真っ直ぐで長い、彼女の自慢の黒髪が、サラサラと音を立てて前方へ流れ落ちた。拓朗は田中の旋毛を見ながら居たたまれない気持ちになった。
 慎吾が告白する隙を与えないのは、たぶん自分のせいだろう。学校で一番綺麗と誉めそやされる子が泣くほど好きな相手は、何の取り柄もない自分のことが好きで、何にも知らない田中は、その恋敵に頭を下げているのだ。
 嫌な気分だった。この子を泣かせているのは間接的に自分なのだと思うと、胸に刺さった罪悪感がチクチクと痛み出した。田中のように泣くほど慎吾を想う気持ちが自分の中にあるだろうか。正直、もう分からない。けれど、この子の想いを邪魔しているは間違いなく自分だろう事は分かる。
 ふと、あの日――バレンタインの日に、慎吾の告白を断っていたらどうなっていたのだろうという考えが過ぎった。慎吾は自分を諦めて、他に目を向けたのかもしれない。
 思えば、“ 人でなし ” になりたくないと言いながら、自分は随分と簡単に慎吾を受け入れてしまった気がする。『異性を好きにならない』と決めたけれど、“ 同性 ” なら好きになっても良い訳じゃない。もともと同性など対象外で、相手が慎吾でなかったら有り得ない話だ。そう、『男と恋愛する』など有り得ないのだ。
 拓朗は制服のポケットから財布を取り出すと、二つ折りにして入れてあった映画のチケットを取り出した。

「これ、あげる。池袋の東口の電気屋の前の映画館、分かる?
 七時の回、慎吾と待ち合わせしているから、僕の代わりに行くといいよ。
 でも、これが最後。もう協力しないし、後は自分で何とかして」

 自分が慎吾の想いを拒絶したところで、田中の想いを慎吾が受け入れるとは限らない。けれど、慎吾に対する自分の気持ちの意志表示にはなるだろうと思った。田中だって気が済むだろうし、もうこれ以上協力させられるのは御免だった。
 慎吾には秘密だからねと念押しして差し出したチケットに、田中は目を輝かせて飛びつくと、
「今度、お礼するね」と嬉しそうに礼を言った。
 嘘泣きだったのかと思うほど、涙の跡も残らない晴れやかな笑顔を残して去って行く田中の後姿を眺めながら、慎吾の烈火のごとく怒る顔が思い浮かんで拓朗は少しだけ震えた。

「あれさぁ、何渡したの?」

「…内緒」

「えええ〜。ケチー。教えてよ」

 国領は答えられない事ばかり訊く。田中を好きな国領に、田中に告白するチャンスを作ってあげたのだなどと、言える筈がないじゃないかと少し腹立たしくなった。口を尖らせてブツブツ文句を呟く国領を見ながら、一体、国領は田中のどこが好きなのだろうかと気になった。
 田中は綺麗な子だ。二年の殆どの男子が田中狙いなのだから、国領が好きでもおかしくない。でも、何となく田中と国領では合わない気がした。
 田中は日本人形のようにお淑やかに見えるが、本当は気が強くて感情の浮き沈みが激しい。国領にはもっと優しくて可愛い感じの子が似合うと思った。

「ねぇ、僕の事よりさ、国領は誰が好きなの?」

 訊いた途端、国領の顔が真っ赤になった。先程までの滑らかな軽口が嘘のようにぴたりと止まり、口をぱくぱくさせた後、ようやく「…内緒」と呟いた。
 こんなに狼狽えるほど好きなのかと拓朗は妙に感心してしまった。田中といい、国領といい、好きな人を想うと人が変わるようだ。

『…心底人を好きになったら、きっと分かってくれると思うんだ』

 母はそう言って、自分と父を捨てて出て行った。慎吾と付き合い出した今も、拓朗には母の気持ちは分からない。でも、田中と国領なら分かるのかも知れない。

「ねぇ、人を好きになるって、どういう事? どうして人は、人を好きになったりするの?」

 拓朗が尋ねると、宙を泳いでいた国領の目がピタリと拓朗の顔に定まった。暫くじっと見つめた後、背の高い国領は前屈みになって拓朗の目線に合わせるとゆっくり口を開いた。

「はっきりとは分からないけど…。たぶん、幸せになるためじゃない?」

「幸せ?」

「うん。人間は一人じゃ寂しくて生きていけないからさ、
 支え合って幸せになるために、誰かを好きになるんだよ」

「そのために…自分が幸せになるために、他の人を不幸にしてもいいの?」

 自分と父がいても、母は寂しかったのだろうか。だから別の人を好きになって、幸せになるために出て行ったのだろうか。その後、自分や父がどんなに惨めで寂しかったか。母は、残される者の気持ちを少しも考えなかったのだろうか。
 国領は片眉をつり上げてう〜んと唸っていたが、すぐにぽつりと呟いた。

「良いか悪いかで訊かれたら、そりゃ、悪い事だけど…。でも、そういう事もあるかも。
 気持ちの問題だからさ、理屈じゃ割り切れないんじゃない?」

 そう言って、国領は自分の胸を拳でとんとん叩いて見せた。

「だってさ、後から後から溢れてくるんだもん。その人が好きだな〜って気持ちが。
 周りの事とかどうでも良くなっちゃうんだよ。俺だってそうだもん」

 どこかで似たような台詞を聞いたような気がした。それもつい最近。拓朗が首を傾げると、国領の頬は上気して、瞳が熱を孕んだように潤んできた。

「初めは…可愛いなって思っただけだった。それがだんだん気になって目が離せなくってさ、
 気がついたらすぐに姿を探してる。目が合って、笑った顔なんか見たら、もうドキドキして
 胸が苦しくなる。でも、同時にすごく嬉しくて、その日一日、幸せな気分でいられるんだ。
 自分でも普通じゃないって分かってる。何で好きなのか、理由なんて分かんない。
 でも自然と心の底から湧き出てくるから止めらんない」

 真剣な顔をして国領は囁いた。拓朗はドキッとして目を見張った。笑っていない国領の顔は、男の自分の目から見ても格好良くて女子が騒ぐのが分かる。
 でも、慎吾の恰好良さには及ばない――そう無意識に比べている自分に内心苦笑いしながらも、国領のこんな顔を滅多に見た事がないだけに、田中に対する想いの深さを見せつけられたようで、拓朗は居心地の悪い思いでもぞもぞと尻を動かした。

「それだけじゃないよ。見ているだけじゃ満足できない。
 自分と同じようにその人にも感じて欲しい。好きになって欲しい。
 好き合って、想い合って幸せになりたい。だから――」

「タク!!」

 突然、扉が乱暴に開いて名前を呼ばれた。その声の強さに、拓朗も国領も悪戯を見つかった子どものように飛び上がって、慌てて声の主に顔を向けた。そこには仏頂面をした慎吾が立っていた。
 呼びかけてきたくせに、慎吾は暫く二人を見つめたまま戸口に突っ立ったていた。ただ、険のある目つきで怒気を帯びているのがありありと分かる。
 拓朗は自分の悪巧みがもうバレてしまったのかと緊張したが、それでも平静を装って「何?」と穏やかに問いかけた。
 慎吾は目だけ動かしてジロッと国領を睨んだ後、徐に口を開いた。

「委員会が流れると思ってたんだけど、やるんだってさ。だから少し遅れる。
 でも時間には必ず間に合うようにするから、さき入ってて」

「わかった」

 拓朗がほっとしたように頷くと慎吾はさっさと居なくなったが、立ち去り際、何故か扉を全開にして去って行った。締め切っていた教室の中に新鮮な空気が入ってきたが、その冷たさに拓朗はふるっと身体を震わせた。

「おっかねー。すっごい目つきで睨まれちゃった。ゴッツイ男前が睨んでくると怖いよな〜。
 いっつも無愛想でさ、何であんなヤツがモテるのかホント分かんねー。
 でも、ある意味分かりやすいヤツだよね。だからさー、タクちゃんのさ――」

 国領はブツブツと喋り続けていたが、拓朗の耳には一つも入っていなかった。疾っくに慎吾の姿が消えた戸口を眺めながら、映画のチケットを渡した時の事を思い出していた。
 あの時、滅多に感情を面に出さない慎吾が、バレンタインのお返しだと言って差し出したチケットを見た瞬間、パァと鮮やかに笑ったのだ。それは最近では滅多に見せなくなった素直で子どものような笑顔だった。

「初デートじゃん。楽しみにしてる」

 そう言って笑った慎吾。わざわざ遅れる旨を言いにくるほど「楽しみ」にしているのに、待っているのが拓朗じゃないのを知ったら、どんな気分になるだろう。自分はとても酷い事をしている。その自覚は十二分にあった。
 田中にチケットを渡したのも、慎吾と付き合い始めたのも、それほど深く考えた上での行動ではなかった。もともと気が弱い性格だから流され易いのだが、割と意地っ張りで、そのくせ意志を貫き通せない。だから自分の決断の浅はかさを誤魔化す為に、帳尻合わせの理屈をこねくり回す。
 昨日は家に帰ってからずっと、これでいいんだと何度も自分に言い聞かせていた。慎吾を傷つけるには違いないけれど、一時の事だ。これからの長い人生で、慎吾が相手に不自由するとは考えられない。きっといつか、自分なんかより相応しい人が現れるだろう。
 自分は決めた通り『人を好きにならない』。慎吾との関係を元に戻せば、父や桐子に迷惑を掛ける事はなくなり、自分は “ 人でなし ” でなくなる。その考えは理に勝っているし、そう思うと慎吾に対する罪悪感が薄らいだ気がした。

「ねぇ、どっか遊びに行かない?」

 拓朗は国領の顔を見上げ何の気なしに口にした。唐突な拓朗の誘いに、国領は「えっ」と言って目を大きく見開いた。

「あっ、軽音部あるの? 無理なら別に…」

「むっ、無理じゃない! 部活ないっ! 行く! いく、いくっ! どこでも行く!」

 一瞬の間の後に、唾を飛ばして喋べり出したかと思うと、逃がさないとばかりに拓朗の腕を掴んで立ち上がった国領の反応に、自分から言い出しておいて拓朗の方が引いてしまった。

「うわーっ タクちゃんに誘われちゃった! チョーうれしい! 初めてだよね〜遊ぶの」

 呆然と見上げる拓朗にはお構いなしに、どこ行こうか、何がしたいと、矢継ぎ早に嬉しそうに笑いながら問いかけてくる。その興奮ぶりはまるで尻尾を振った大きな犬のようで、拓朗は思わずぷっと吹き出していた。
 本当ならこのまま図書館に行って、独りで時間を潰そうと思っていた。だが、慎吾の顔を見たら、急に独りでいるのが怖くなった。後から後から込み上げるもの思いは止まりそうになくて、夜、自分の謀を知った慎吾の怒りと対峙する前に、気力が萎えてしまいそうだった。

「どこでもいいよ。僕は遊ぶところよく知らないし」

 自分の気紛れに喜んで応じてくれた事に、救われる思いがして微笑み返すと、国領は任せてよと言って胸を張ったが、急にはっとした顔で拓朗の目を覗き込んだ。

「ってか、タクちゃん、岩澤と何か約束があるんじゃないの?」

「あれは夜の…、ゆ、夕飯を一緒に取る約束をしてるだけ!」

 咄嗟に返した嘘の返事に国領は、そう、と安心したように頷くと、
「夕飯までならもう時間ないじゃん!」と、握ったままの拓朗の腕を引っぱった。拓朗は慌てて鞄を掴むと、慎吾の開け放った戸口から夕暮れの街へと飛び出して行った。

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