INDEX NOVEL

Bitter & Sweet Chocolate
3月14日 〜 White day 〜 (2)

 バレンタインを境に、拓朗の生活は大きく変わってしまった。
 自分だけでなく、父にも大きな変化があった。母に捨てられてからずっと独り身を通してきた父が、慎吾の母親、桐子と結婚することになったのだ。いつそうなってもおかしくない付き合いを続けてきたにも拘わらず、拓朗にとっては晴天の霹靂だった。
 15日の夜、珍しく早く帰宅した父が神妙な顔をして、慎吾一家を誘ったから外で食事をしようと言い出した。
 ファミレスで四人でテーブルを囲み、食べきれないくらい料理を注文したくせにちっとも手をつけようとしない父に、何かあるなとは思ったけれど、「桐子さんと結婚する」と言われた時、拓朗はハンバーグを刺したままのフォークを皿の上に取り落とし、たっぷり一分間は固まった。我に返って向かい側に座る慎吾を見ると、全く驚いた様子がなく涼しい顔でステーキをほおばっていた。
 桐子のことは大好きだから、反対する理由は何もなかったが、動揺しているのが自分だけなのが面白くなかった。昨日今日、二人がそういう気持ちになった筈がない。なのに自分はちっとも気がついていなかった。
 もっと早くに教えてくれるなり、相談してくれても良かったのにと、癪に障って父の足をテーブルの下で思いっきり蹴ってやった。
 出て行った母に「お父ちゃんの事、よろしく頼むね」と言われた言葉がずっと胸の中に生きていた。言われるまでもなく、父とは二人三脚で支え合ってきたつもりだったから、何も言ってくれなかったことに少なからずショックがあった。
 文句は山ほどあったが、慎吾親子の手前「もっと早く言ってよ…」とひと言だけに止めた。

「話そう話そうって思ってたんだけど、照れくさくて…」

 真面目で不器用な、拓朗によく似た性格の父親は、真っ赤になって下を向いた。桐子は二人の遣り取りをニコニコしながら見ていたが、
「もう一人子どもが出来て嬉しいわ」と言って拓朗の顔を愛おしげに眺めた。

「出来ちゃった婚なの?!」

 『子ども』と言う台詞に、拓朗は目を剥いて隣の父のネクタイを掴んで締め上げた。父は赤い顔のままブルブルと首を振って否定し、桐子も赤くなって「タクちゃんの事よ」とつけ足した。今度は拓朗が赤くなる番だった。
 赤い顔をして並ぶ親子に「今更だろ」と慎吾が笑うと、「そうね」と桐子も笑ったが、拓朗は複雑な思いで笑い合う目の前の母と子を眺めた。
 確かに二人は疾うに自分の中では家族のようなものだった。でもそれは親しい親戚のような感覚で、まさか自分の“ 母親 ” と“ 兄 ” ――慎吾の方が八ヶ月早く生まれている――になるとは夢にも思っていなかった。しかもその“ 兄 ” と自分は……。

「タクちゃんが結婚したら孫が見られるのね…」

 嬉しいわと、桐子が感慨深く呟いた。
 自分の物思いを見透かされたようでドキッとした拓朗は、慌てて目の前の慎吾を見た。
 慎吾の方が自分の子どもなのに、どうして拓朗の子どもが見たいと思うのだろうと、驚くと同時に腑に落ちないものを感じて胸がざわついた。
 慎吾も一瞬怯んだように目を瞬かせたが、フッと笑って目を細めると、何気ない口調で別の話題を切り出した。

「俺、提案があるんだけど。アパートの部屋チェンジしようよ。
 新婚さんは俺らの方の202に移ってさ、タクと俺は203の方へ移るってのはどう?
 俺ら今年、受験を控えてるでしょ。あんま環境変えたくないんだよね。
 進路が決まるまで部屋のチェンジくらいが丁度いいと思うんだけど。
 食事はそっちの部屋で取ればいい訳だし、その方がお袋も仕事しやすいだろ?」

 拓朗は驚いて慎吾を見つめた。どうみても親に気を使って出た言葉とは思えない。慎吾の思惑を察して顔が熱くなったが、そんなの却下されるに決まってると高を括っていた。
 桐子も一瞬顔を赤らめた後、複雑な表情で自分の息子と拓朗の顔を交互に見て「それはちょっと…」と言い淀んだ。
 ところが父は喜々として「うん、そうしよう! ありがとう、慎吾くん」と大きく頷いた。即決である。父の勢いに押された桐子が戸惑いながらも同意して、慎吾はニヤリと笑った。
 拓朗は呆気にとれて嬉しそうな父の横顔を眺めていたが、お父ちゃんもやっぱり “ 男 ” なんだと、何だか厭な気分になって目を伏せた。
 翌週の月曜日、父と桐子は役所に婚姻届けを提出し、その週の週末に机や本棚と衣類を移動しただけの簡単な引越を終えて、拓朗の部屋で慎吾との同居、否、同棲生活が始まった。
 隣に親がいるというのに慎吾の行動は大胆で、拓朗を一足飛びに大人の世界に引きずり込んだ。
 一緒に食事をし、一緒に風呂に入り、一緒の布団で寝る。今までと少しも変わらない日常に、“ キス ” と“ 愛撫 ” が加わると非日常へと転換する。
 朝の起き抜けや学校へ行く玄関先でキスされる。台所に立っている時やテレビを見ている時、背中から抱き込まれ首筋にキスされる。でも、そんなのは序の口で、夜、布団を二組敷いても慎吾は自分の布団に入らない。折角着込んだスウェットはすぐに剥ぎ取られ、体中にキスされて弄られて――。
 自慰すら数えるほどしかしたことのない拓朗は、強すぎる刺激に耐えられず何度かトイレに逃げ込んだ。

「ホワイトデーまで取っておくって言ってたくせに!」

 拓朗が真っ赤になって抗議すると、慎吾はしれっとした顔で「最後まではしていない」と嘯いた。奥手の拓朗は目を見張り『最後って何?』と戦いた。
 男女のそれを辛うじて知っている程度の拓朗には、男同士のセックスなんて想像の範疇を越えている。魂を吸い取られそうなキスにだって、やっとやっと応えているのに、これ以上何かされたらどうしようと怖かった。
 調べようにも家にはパソコンはないし、携帯電話だって持っていないのだ。学校のパソコンは解放されているが、アダルト系には繋がらない。ネットカフェという手もあるが、ゲーセンにだって入ったことがない拓朗には敷居が高い気がした。
 こんな時、気のおけない友人でもいれば雑談に紛れて冗談めかして聞くことも出来るのにと、今更ながら自分の歩んできた短い人生(みち)を振り返り心細くなった。
 慎吾のことは好きだと思う。キスだって触られるのだって嫌じゃない。でも自分から触れ合いたいとは、これっぽっちも思わなかった。
 拓朗は性に関してとても臆病だった。中学二年生の時、自然な欲に従って自分で慰めたてみたが、どうしても最後まで達くことが出来なかった。エッチな雑誌なんて家にはないし、買う勇気もない。水泳の時間に見た女子の水着姿を思い出しても少しもエッチな気分にならない。
 うんうん唸りながら、結局頭に浮かんだのは一緒に風呂に入った時の母の背中と尻だった。その記憶だって曖昧で、何故か白い瓜のような尻しか浮かんでこないのだが、何度目かのチャレンジで漸く達くことが出来た。
 そんな苦労の果ての射精には快感の余韻などはなくて、ずっしりと重い倦怠感と “ 母 ” を対象にしてしまった強烈な罪悪感と嫌悪感だけが残った。
 それ以来ふとした拍子に訪れる性欲も、頭の隅にこびりついた罪悪感に、気持ちがすぐに萎えてしまった。自分は男女に限らず、そういう事が出来ないのではないかと漠然とした不安があったが、『恋はしない』と決めていたから、どうでも良いと言い聞かせ避けて通ってきた。
 だから慎吾の手に導かれて、それほど苦もなく達した時は、ほっとすると同時に嬉しかった。けれど、慎吾の身体を見ても欲情することはない。触られるから勃つし、堪らなくなるほど弄られるから達く。ただ、それだけだった。
 当然と言えば当然だと思う。慎吾の身体は胸もお尻も出ていない。羨ましい程に男らしい体つきなのを除けば、見慣れた雄の証が付いているだけだ。それはきっとお互い様な話で、自分の貧弱な身体を触りながら、慎吾が毎度毎度、臨戦態勢になれるのが不思議でならなかった。
 好きなら普通、ああなるものなのだろうか。だったら、どうして自分はそうならないのか。
 これまでとは違った不安が広がって拓朗の心を苛んだが、それに拍車をかけたのが桐子の発した「孫が見られる」発言だった。
 男同士が一緒になっても子どもは出来ない。それ以前に、人としての道に外れている。普通に誰かを好きになる事だって、“ 人でなし ” になると恐れていた。それが、同性で、しかも義理とはいえ兄弟になった二人が乳繰り合っているなんて――『最後まではしていない』けれど――人どころか、畜生以下ではないか。
 『好き』と思う気持ちも揺らいでいた。自分は慎吾に流されているだけで、もともと恋愛感情などなくて、兄弟に対する親愛の情を履き違えたのではないかと。何度考えても答えは出ない。ホワイトデーが近づいて、焦れば焦るほど自分の気持ちが見えなくなった。
 はっきりと気持ちが定まらない焦燥を抱えながら、ほぼ毎晩のように慎吾の熱い手のひらで絶頂の極みを迎える拓朗は、その頂きの向こうから再び押し寄せてくる罪悪感に涙を零した。
 それでも慎吾を拒めないのは、兄弟としての新しい関係にひびを入れたくないという気遣いもあったが、抱きしめてくれるその腕の中ほど、安全で落ち着ける場所を他に知らなかったからだ。父親が一人の男になってしまった今、慎吾の庇護まで失ってしまうのは怖かった。

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