INDEX NOVEL

Bitter & Sweet Chocolate
3月14日 〜 White day 〜 (1)

「窓の外に好きな奴でもいるのか? ん? 久住」

 丸めたプリントで頭をぽんぽん叩かれた拓朗が慌てて前を向くと、担任の萩原(はぎわら)が顔を覗き込んでいた。真っ赤になりながら勢い良く頭をぶんぶん振ったけれど、お構いなしに萩原は声を張り上げた。

「バレンタインでモテたらしいが、新学期から受験生なんだから浮かれるなよ」

 あちらこちらから忍び笑いが聞こえる。ぼうっと外ばかり見ていた自分を棚に上げて、余計な事をいう担任が憎らしかった。何でそんな事を知っているのかと、ムッとして「モテテマセン」と抗議すると、隠すな隠すな、と萩原は笑いながら窓の外に顔を出した。

「コラ〜ッ B組〜!! 来栖(くるす)先生がお休みだからって、
 いつまでも遊んでるんじゃな〜い! 解散〜!」

 間延びした怒声に、わぁっと校庭から笑い声が上がった。担任が不在の慎吾のクラスの連中が、六時間目の体育が終わっても、そのままサッカーの試合に興じていたのだ。足の速い慎吾がボールに絡むたび、女子の黄色い歓声が上がる。
 冬の間、お金が勿体ないからと伸ばしっぱなしにしている黒髪を、ライオンの鬣みたいになびかせて、怒声を張り上げながら真剣にボールを追いかける姿に、女子同様に目を奪われていた拓朗には、ホームルームにやってきた担任の姿など全く目に入らなかった。
 萩原の背中ごしにしつこく慎吾の姿を目で追うと、サッカーを止めて教室に戻り始めたところへ、去年の文化祭でミス・ミスターコンテストの女子の部の優勝者、田中穂波(たなか ほなみ)が話しかけていた。その周りを慎吾とよく一緒にいる男子連中が取り囲んでいる。
 男女揃って学校一の美男美女を輩出したB組の連中は鼻高々で、この二人を中心にいつも賑やかな人だかりができていた。
 慎吾は相変わらず無表情だけれど、田中はそれこそ花が咲いたような満面の笑みを浮かべていた。何も知らない慎吾の顔を見ていると、拓朗は罪悪感に胸がチリチリと痛くなって、ぎゅっと瞼を閉じて俯いた。
 終業のチャイムが鳴り、萩原がクラス替えのアンケートのプリントを、来週提出するように念押しして出て行くと、クラスの連中も待ちかねたように、部活や週末の街へと繰り出して行った。
 拓朗はそんな生徒を横目にイスに座り直し、両腕を前に伸ばして机の上に突っ伏した。同時に肺に残っていた空気を全部吐き出して力を抜く。
 ああ、疲れた。何でこんな事になったんだろう…。
 この一ヵ月、ずっと空回りする思考に拓朗の頭は疲れきっていて、このままクラゲのようにとろけてしまいそうだった。
 何人かが拓朗の頭を叩きながら、じゃあなとか、帰らないのかと声をかけて来たが、無精に右手を立ててヒラヒラと振っただけで、顔を上げようとしなかった。誰とも口をききたくなかったし、早く独りになりたかった。
 バレンタインの時よりも疲れて不機嫌な拓朗に、クラスメートたちは気を使って、あまり構わずにいてくれたのが、救いと言えば救いだった。
 今日はホワイトデーで、バレンタインの日と同様、拓朗は一日中女子に呼び出しを受けていた。バレンタインのお返しに女子が求めていたのは、キャンディーでもマシュマロでもなく、自分たちがあげたチョコレートの空き箱だった。
 拓朗はチョコを受け取る時に、ホワイトデーのお返しは期待しないでと断りを入れていたのだが、それならばと女子が要求したのは、空き箱という “ 証拠 ” だった。
 中身だけ捨てられる可能性があるから、そんなものが証拠になる筈はないのだが、拓朗の律儀な性格を知った上での作戦で、それは概ね成功だった。食べたのは殆ど慎吾の母親の桐子だったが、慎吾もほんの少量だが口にしたからだ。
 チョコレートの空き箱を返さなければならないと拓朗が涙目で説明すると、桐子は喜んで協力してくれたが、さすがに全部は無理だった。拓朗も協力し、嫌がる慎吾の口にも無理矢理突っ込んで食べさせた。
 その都度、バレンタインの時のような濃厚な口づけの仕返しをされるのには閉口したが、それでも何とか協力させて、全てを空にしたのが一昨日の夜で、チョコレートは暫く見たくもなかった。
 机に突っ伏してじっとしていると、やがて周りからすべての音が途絶えて静かになった。やっと独りになれたなと漸く顔を上げたその目の前に、ニヤニヤ笑う国領太一(こくりょう たいち)の顔があって、拓朗は吃驚してイスごと後へずり下がった。
 息を殺して拓朗が気づくの待っていたのだろう、無理に引き結んだ唇の端が笑いを堪えて震えている。

「なっ、に?」

 人の悪い国領の顔を軽く睨みつけながら掠れた声で訊くと、国領は悪い悪いと、悪びれもしない顔で言った。

「今日、ホワイトデーじゃん。タクちゃん居残りしてるから、
 これから誰かに告んのかな〜と思ってさ」

 前の席のイスに後ろ向きに跨いで座り顔を突き出している国領に、まだ諦めてなかったのかと、拓朗は呆れてため息をついた。

「まだ言ってんの? チョコなんて貰ってないし、好きな人もいないってば」

「あんなにチョコ貰ってたじゃん。ホントにアレ、全部、岩澤のだったの?」

「うん」

「ホントに一個も貰ってないの?」

「うん」

 ホントに? と繰り返す国領に、ホントに本当と頷いた。
 嘘じゃない。あの中に拓朗宛のチョコレートはなかった。女の子からは貰っていない。なのに国領は「また、また、隠しちゃって〜」と笑って端から信じない。国領が拓朗の言葉を信じないのには訳があった。
 拓朗は慎吾に貰ったチョコのお返しに、ホワイトデーに映画に誘おうと計画したものの、お小遣いが足りなくて困り果てた。
 父親に慎吾と遊びに行くからと言えば、お金を出してくれるだろうけれど、先月も本を買うために前借りしたばかりだ。自立した子どもを自認する拓朗としては、小遣いの管理すらきちんとできないのが恥ずかしくて、とても強請る気になれなかった。
 仕方なく昼を抜いて捻出することにしたのだが、昼休みに不意にいなくなった拓朗に目敏く気づいた国領が、追いかけて来て問い詰められた。嘘の苦手な拓朗は、プレゼントをするためにお金がいるから昼代を充てるのだと、素直に答えてしまったのがいけなかった。
 国領は次の日、弁当を二つ用意して拓朗に手渡した。遠慮して断ると食べなきゃ捨ててとまで言われ、有り難く頂戴することにした。
 お陰で三日間、ひもじい思いをせずにチケットを手に入れられたが、チョコレートを山のように受け取っていた拓朗を目にしている国領は、プレゼント=ホワイトデーのお返しと思い込んでいるようで、昼を抜いてまでプレゼントしたい相手が誰なのかと、しきりに訊きたがって頭を抱えた。
 茶髪に鼻ピアスをし、軽音楽部でバンドを組んでいる国領は、その外見と違って真面目で穏やかな性格をしている。いわゆるビジュアル系の顔立ちをしていて女子に人気があったが、いつもニヤニヤ笑っていて締まりがないのが玉に瑕だ。ミス・ミスターコンテストで優勝を逃したのは、このデレッとした笑顔が原因だと拓朗は思っている。
 国領とは一年の時から同じクラスでよく一緒にいるが、学校以外で遊ぶことはなく、どうしてここまで自分に構ってくるのか分からなかった。
 尤も国領に限らず、素直で人の良い拓朗をからかう人間は多かった。小柄で黒目がちな愛らしい風貌の拓朗をからかうと、まるで “ チワワ ” が震えながら吠えているようで可愛いからとの幼稚な情の表れで、人付き合いが苦手な拓朗には甚だ迷惑な話だった。
 母親が出奔したとき拓朗は七つだったが、母と同じ轍を踏みたくないと、『人を好きにならない』と決めた。幼いなりに、人を『好き』だと想う感情は、性別が違えば恋や愛に、性別が同じなら友情になると知っていたから、『異性を好きにならない』と決めたのだが、たかだか七つの子どもが感情を使い分けるなどできる筈もなく、男女の別なく人と深く関わる事が苦手だった。
 幸いな事に、いつもぽやっとしいる拓朗は、お節介な誰かしらが世話を焼いてくれるので、人の輪から外れる事はなかったし、本人は極力表面的にしか係わろうとしていない事など、気づいている人間はいなかった。
 当然の事ながら、そんな拓朗に “ 親友 ” という存在はいなかったが、寂しさも不自由さも感じずにこられたのは慎吾が側にいたからだ。拓朗にとって慎吾が『好き』という感情の全ての捌け口になっていた。
 十年間、本当の兄弟のように育った。幼馴染みで唯一の親友で、父親すら気づかない拓朗の内面を、知っているのは慎吾だけだ。
 その慎吾と、つい最近 “ 恋人 ” になった。それは自分でも自然な成り行きに思えたが、一つ面倒なおまけがついた。クラスメートには内緒だが、二人は本当の兄弟になってしまったのだ。
 無邪気な知りたがり屋の国領の顔を見ながら、後ろめたさと自分の要領の悪さに拓朗はズキズキとこめかみが痛くなった。
 本当のことなんて言える訳がない。バレンタインに告白されて、慎吾と、義理とはいえ兄弟になった “ 兄 ” と付き合っているなどと。
 人に言えない恋愛を、まさか自分がするとは思もってもみなかった。出奔した母と、父と、そして桐子の顔が順繰りに脳裏に浮かび、拓朗は額を押さえてため息をついた。

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