INDEX NOVEL

梅雨の晴れ間

 いつものように、始発電車に乗る。今日も彼は乗っていない。
 発車時刻ぎりぎりでも余裕で座れるので時間丁度に来て乗り込むから、彼が自分と同じ駅を利用するのだとばかり思っていたのが失敗だった。 彼の姿を最後に見たのは半月前。それ以来会っていない。いつも同じ始発に乗り合わせる高校生の彼は、思いっきり睨んだ顔を俺の脳裏に刻んだまま、姿を消してしまった。
 俺はこの路線一本でいける大学に通っている。二年になって朝一番の講義は週に二回しかない。なのに何故毎日この始発電車に乗っているかと言えば、件の高校生の彼に一目惚れしたからだ。
 俺はゲイだ。早くから自覚して、開き直ったのが高校二年の時だ。男子校に通っていて、クラブの先輩に告白されたのをきっかけに自分の道を決めてしまった。その先輩を好きだったわけではないが、嫌いではなかったから、ものは試しと彼にはいろいろと経験をさせて貰った。
 勿論、自分の性指向をあっさり受け入れられた訳ではない。幾度か普通に暮らせないものかと試してみたが、いざ女性を前にすると嘘のように体が利かなかった。相手から罵倒されることもあったし、逆に同情されることもあった。そんな時は惨めになるより先に恐怖を感じた。自分がゲイなのだという動かし難い事実と、その先にある世間の目に怯えて生きて行くことよりも、もっと直接的に不能になってしまう怖さの方が、若い自分には耐えられないことだった。
 大学生になった今は、普通の性を装っている後ろめさはあるものの、抜け目のなさには人一倍自信があったから、それなりの場所で、それなりのつき合いをしながら結構楽しく暮らしていた。だから、まさか自分が一目惚れなどするとは、夢にも思っていなかった。
 四月に朝一番の講義に出るため、最寄り駅から出る始発電車で彼を見た。深い緑色のブレザーに緑と黒のストライプのネクタイ。同じ緑系のチェックのズボンを、崩すことなくきちっと着こなしていて好感が持てた。黒く細い真っ直ぐな髪が少し長めで、最近人気のアイドルと同じにしているのが、彼の白くほっそりとした顔によく似合っていた。
 俺の視線を感じて見返した目を、すぐに伏せてしまったのが妙に可愛らしくて、たぶんこの時には、彼を好きになってしまっていたのだろう。それから毎日、彼会いたさに用もないのに始発電車に乗り続けた。
 座ってすぐに彼を見る。彼もいつの間にかすぐに俺を見るようになった。でも、いつも彼から先に視線を外してしまう。とても恥ずかしそうに。それが嬉しくて、毎日毎日飽きもせず彼を見続けた。彼の視線からは、自分に対する好意を感じていた。まあ、少なくとも嫌われてはいない筈だ。これだけ視線を合わせてくれるのだから。
 だからと言って、彼をどうしようと思っていたわけではない。自分と同じ性指向の人間は決して少なくはないが、そういう相手に石を投げてぶつかる確率は圧倒的に少ないのだから、当然彼もノーマルだと思っていた。見ているだけで満足。そんな相手だと思い込もうとした。
 そんなある梅雨の晴れ間。まだ梅雨に入っていたわけではないが、春の長雨からそのまま梅雨入りしてしまった様な鬱陶しい天気の束の間に、俺は彼に睨まれた。
 その日、家から数歩も離れていないアパートから見慣れた女性が出てきた。バイト先の女性で俺より三つ年上だが、就職はしたことがなく、家事手伝いに飽きたから働いてみたというお気楽なお嬢さんだった。彼女の家はここら辺ではなかった筈だから訝しく思って見ていると、向こうが俺に気づいて声をかけてきた。彼氏のアパートに泊まって、これからバイトに出るという。昨日と同じ服だが、大手の本屋だから制服があるし、と彼女は屈託なく笑った。
 俺は性的関係は持てなくても、女性そのものが苦手なわけではない。それでも、彼氏の家に泊まってすることをしました、と暗に告げる慎みの無さにはちょっと怯むものがある。そんな事を言えば「お前はいつの時代の人よ」と悪友に笑われるだろうけれど。
 図らずも彼女と一緒に行くことになって俺は少々戸惑ったが、彼女は道行きができたとばかりに話し続けた。とにかく話の切れ間がない。彼女が穏やかな声の持ち主でなければ、耐えられなかったかもしれない。彼女のおかげで、いつもの始発電車に乗っても、彼の方を見ることが出来なかった。
 なんだかいつもは感じない、ちりちりした視線にふいに顔を向けた時、彼の睨みつける目が飛び込んできて吃驚した。目が合うと彼は急にくしゃりと顔を歪めて泣きそうな顔になったが、それも一瞬で、すぐに俯いて目を閉じてしまった。隣の彼女はずっと話し続けていたが、つけっぱなしのテレビと一緒で、ただ声が聞こえているだけだった。俺は生返事をしながら、既に人の垣根で見えなくなった彼の表情の変化を考え続けていた。

 その日以来、始発電車の時間を境に乗る電車を変えて彼を捜しているが、一向見あたらない。自分と同じ駅だと思っていたのに、待っても待っても彼の姿は見えなかった。始発電車に乗る人は二、三離れた駅から来てわざわざ並ぶ人もいるから、もしかしたら彼もそのうちの一人だったのかもしれない。
 今日から衣替えだ。梅雨が本格的になる。自分の限界を感じて俺は悪友に相談した。
「お前、馬鹿じゃないの? その子の学校と距離を割り出せば、電車の時間なんかすぐ分かるじゃないか。学校、どこか知らないのか?」
 学食の窓際で大好きなラーメンを啜りながら悪友は鼻を鳴らした。彼は鉄道マニアで電車と時刻表を愛していた。大学とバイトと旅行。それが今の生活の全てという奴だから、何か探すヒントを貰えるかと訊いたのだ。事も無げに言われて少々気分を害したが、確かにそうだ。毎日姿を見ることで満足しようと思っていたから、彼の事を深く知る努力はしなかった。結果、この体たらくだ。
「たぶん、あの制服は日大の付属高校だと思う。確かうちの駅から六つ目にあるから。でも降りた所を見たことないし、自信はない」
 つい小さな声になってしまう。あそこはとにかく大きい学校で、中学と高校が同じ敷地にあったから、たとえ校門の前で見張っていたとしても、見つけ出す確率は少なそうだった。私立で偏差値の高い学校だったから、生徒を校門前でジロジロ見ている挙動不審者など通報されかねない。
「名前も、学校も、年も確実なものは何も分からないのか。しかし、あんた何年前の人よ。今どきの中学生でももっと積極的よ。よっぽど美人なのかね」
 俺がゲイだと知らない悪友は可笑しそうに笑った。ああ、美人だよ。俺は心の中で呟いた。
 彼はラーメンを食べ終えると鞄をまさぐっていたが、いろんな紙が挟まって厚みを増した小さな手帳を取り出すと、中から俺の路線の時刻表を取り出した。こいつはこの電車を使わない。どうしてこんなもの持っているのだろう。
「なんで俺の路線の時刻表なんて持ってるの」
「どんな線の時刻表も俺には大事な愛読書なの。時刻表にはロマンが溢れてるんだぜ。緻密に計算されたあのダイアクラムを見たことあるか? 一分の無駄もなく、隙もなく、全ての数字が黄金比のように組み合わされているんだぞ!」
 俺は墓穴を掘ったらしい。彼は鞄から取り出したボロボロのJR時刻表を片手に熱く鉄道のロマンを語りだした。どうして俺はこいつとお友達しているのだろう。まあ、鉄道に関してはとんでもないマニアだが、普段の彼はリベラルで博識で物分かりがよく、何より一緒にいて楽しかった。
「あの〜、お話の途中ですが、人捜しの件は…」
「しょうがねぇな…。ええっと。まあ、その高校で間違いないだろ。一年か二年だな。毎日同じ電車だったんだから、選択授業がないんだろう。だとすると始業時間は八時三十分ってとこかな。それに間に合うように電車に乗るとすると…」
 渋々鉄道のロマンを諦めて、彼は時刻表を見ながら開いた手帳に数字を書き写し、口の中でぶつぶつ計算しだした。
「う〜んと、電車に乗ってる時間は約三十分。学校までの徒歩の時間って分かるか? ああ、十分? だと、お前の駅からは、その八時四十分の始発は少し早いけど、座って行くには丁度いいな。まあ、七時五十分の電車には乗ってる筈だけど、会わなかったのか?」
「乗ってなかった」
「車両を移動して見たか?」
 俺は首を振る。他の時間の通勤電車は思った以上に混んでいて、移動するのは根性がいる。人に阻まれて進めなくなると掻き分けて進む勇気がなくて、早々に移動を諦めていた。
「お前、根性ないね〜。本気で会いたいの? 彼女に」
 彼なんですけど、と心で訂正を入れながら考えた。俺は、会ってどうするのだろう。彼に付き合ってくれと言うのか? 恐らくはノンケであろう高校生の彼に。
 俺が黙って考え込んでいると、よしよし、とばかりに悪友は俺の頭を叩いた。
「まあ、何にせよ、自分の気持ちは確かめた方がいいだろう? 会いたいだけで、用もないのに毎日始発に乗ってたくらいだしな。お前、毎日朝から図書館で本読んでるから、すごい勉強家なんだと思ってたけど、すっかり騙されたな」
 悪友は笑ってメモを千切ると、また時刻表の時間を書き出した。
「お前と同じ駅じゃないとしたら、前は二つ目、後ろは三つ目までの駅を探してみたら? 六コしか乗らないのに、いくら座りたいって言ってもあまり遠くからは来ないだろ。どの駅からでも八時半の始業に間に合うだろう電車の時間を書いておいたから、後はしらみ潰しに乗ってみな。一両目から乗って、最後まで移動しろよ。それくらいの努力は惜しむなよ」
 差し出されたメモを見つめながら、俺はもう一度考えた。会いたいと思う気持ちに嘘はない。でも衝動的に彼の姿を探しながらも、心の隅でどこか冷めた部分もあって。いい年をして初めて人を好きになった戸惑いと、最初から叶わないという思いが、気持ちを後ろ向きにさせる。体の経験は豊富でも、人を好きになったフリだけしてきた自分には「想う」気持ちを持て余すばかりだった。
「なあ、北海道にある『幸福駅』って知ってるか?」
 いつまでも考え込む俺に、悪友は何かを思い出したように口を開いた。唐突な質問に我に帰って彼を見る。
「えっ? ああ、確か廃線になった駅だよな。今は観光地になってるって聞いたけど」
「そう。国鉄広尾線の『幸福駅』。もう二十年も前に廃止されて、駅舎とレールと列車が一部残されてるだけだけど。俺、十二歳の夏休みに一人で北海道まで見に行ったんだ」
 いつもの鉄道の話かと思ったが、少し趣が違った語り口に興味を覚えた。悪友はテーブルに頬杖をついて、学食の窓から見える楡の樹を眺めていた。今日は、高校生の彼を最後に見た日と同じ梅雨の晴れ間で、朝から気持ちの良い風が吹いていた。楡の樹の太い幹の根元から細い枝が数本伸びていて、小さな葉がさらさらと風に揺れていた。瞳に空の色を映しながら悪友は滑らかに語り出した。

「親父の本の間から、その『幸福駅』の駅舎前で笑ってる若い男の写真が出てきてさ。母親に見せたら、親父の若い頃の写真だっていうんだ。信じられなかったよ。ビール腹に薄い頭の親父とは、似ても似つかない姿でさ。でも母親に『あんたに似てる』って言われてそう思った。
 ゾッとしたよ。丁度その頃反抗期でさ、滅多に家に居ないし、仕事とゴルフのことしか頭にない低能だと思い込んでいた親父に似ているなんてな。その写真を見るまで親父にも若い頃があったなんて思いもしなかったから。
 俺の十年先の未来の姿を見るような父親の写真を眺めていたら、何だかすごく『幸福駅』に行きたくなってさ。ファミコンのソフトを買う為に溜めてた金を持って、夏休みに一人で行ったんだ。
 その頃はまだ鉄道に興味なかったから、時刻表をやっとやっと調べてさ、普通列車以外乗れないけど、一日中乗り放題の『青春十八きっぷ』があるのもそのときに知って。でも普通列車だけで北海道へ行くのは不可能でさ、夜行列車は指定なんだ。指定券予約するのは大変だし、どんどん金はかかるし。小学生一人だろ、何か言われるんじゃないかとか、切符一枚買うのにすごいどきどきしてさ。
 まあ、この旅が鉄道マニアになった切っ掛けだけど、正直、道中はちっとも楽しくなんてなかったよ。」
「何で? すごく行きたかったんだろう」
 俺は悪友の横顔を眺めながら相槌をうった。行きたい所へ行くのは楽しい事だろうに。
「何もかも初めてづくしで緊張し過ぎたのと、親に黙って出てきた罪悪感かな。言えば反対されるの分かってたから内緒で行ったんだ。駅員が回ってくる度に、ただの車内改札なのに、家出人探ししてるみたいに感じて緊張した。やっぱり十二歳で一人旅をするのは荷が重すぎて、函館に着いたときにはすっかり疲れてしまってた。まだその先、函館から帯広まで鈍行だと半日近くかかる。北海道って本当にでかいよな。まだ半分なんだと思ったらかなり辛かったよ。ただ、それでも諦める気にはならなかったから、ない知恵絞ってヒッチハイクしようと思ってさ、函館のフェリー乗り場に行くことにしたんだ。車できた人に駄目もとで声を掛けようと思って」
 話を聞きながら、大胆な悪友の十二歳の姿を想像してみる。生意気そうで、利発そうな大きな目をした少年が、先の不安に揺れながらフェリー乗り場に歩いて行く。ちょっと胸が熱くなった。
「ところが函館駅からフェリー乗り場が遠くてさ。本当は路面電車やバスがあったんだけど、よく分からなくてな。もう、途方に暮れて。おまけに腹が減って気持ち悪くなっちゃって、堪らず目に入った小さなラーメン屋に飛び込んだのが運命ってやつでさ」
 悪友は笑いながらこちらを向いた。懐かしそうに細めた目が少し潤んでいた。
「夫婦二人でやってる割と清潔そうな店だったな。東京と違って夜の九時だったのに閉店間際で、俺の他には二十代くらいの男の客が一人だけしかいなかった。どう多く見ても中学生にしか見えない子どもの俺が、一人で入ってきたものだから、注文聞きにきたお節介そうなおばちゃんに根掘り葉掘り訊かれてさ。最初は祖父さんちに遊びに来たとかごまかしてたんだけど、疲れてたんだろうな、つい『幸福駅』に行きたくて東京から来たって言っちゃたんだ。
 店の主人もおばちゃんも、客の男まで吃驚して呆れたように俺を見てたけど、その男の客が、丁度、帯広の実家へ帰るところだから乗せてってやるって言ってくれて、嬉しくてさ。思わず神様に感謝したよ。でも、その場で家に電話するように言われて、それが条件だって言うんだ。勿論電話を掛けたけど、怒鳴られた怒鳴られた、すごい心配してたしな。外までまる聞こえで三人とも笑ってたっけ。
 お客の男は、写真に写っていた親父と同じ年頃に見えた。穏やかそうな静かな人だった。東京で働いていたけど戻って来たってだけで、特に話らしい話もしなかった。車に乗ると俺はすぐ眠ってしまって、気付いた時はまだ夜明け前だったけど、空は白くて明るかった。
 俺が起きると路肩に車を止めてあんパンと缶ジュースを渡してくれて、『幸福駅』のことを話してくれた。
 最初アイヌ語で「サチナイ―乾いた川」という名前だったけど、福井県からの入植者が多い地域で、漢字を当てはめて「幸震」と呼んでいたのが、辛い開拓労働の果てに、きっと幸せは訪れるからと願いを込めて「幸福」になったとか、その入植者の開拓労働の生活とかね。ぽつぽつと、本当にぽつぽつ呟くように話す人だった。
 やっとやっと切り拓いて、鉄道を引いて、でも今はその名残りが残るだけで何もない。人間って無駄な事ばかりしているって、独り言のように呟いていた。俺は自分のやっていることも意味が無いと言われているみたいでさ、
「今は必要とされなくて役目を終えたかもしれないけれど、無駄な事じゃ無かったと思う」って言ったんだ。その時は大切だと思う事をしたのだと、むきになってね。彼は笑って「そうだな」って言っただけだった。
 その後は二人とも終止無言で、俺はずっと窓の外を眺めてた。特に何が見える訳じゃない。緑と道があるだけだった。随分車を飛ばしてくれてさ、八時過ぎには『幸福駅』に着いたよ。
 俺は、いろんなメッセージが書かれた紙がベタベタと貼られた駅舎を見て、ホームを見て、レールに触れて。彼はそんな俺を車に凭れて見ていた。
 『幸福駅』は本当に、駅とは呼べない程の待合いしかない小さな木造の駅舎で、俺はどうしてそんなに見たかったのか、本当いうともうよく分からない。でも満足したよ。道中は辛かったけど、行きたい気持ちを止めなくて良かったと、今も思う。
 満足そうな俺を見て、彼は「どうだった?」って聞いたんだ。
「きて良かった」って言ったら、「それは良かった」って腕を組んで笑っていた。まるで、若い頃の親父が笑っているみたいだった」

 悪友はそこで口を噤むと、また窓の外の楡の樹を眺めた。俺も釣られて外を見た。楡の葉が青く輝いていた。
 十二歳の夏の日の出来事。これが悪友にとってどれだけ大切な思い出か、聞かなくてもよく分かる。たった五日間の経験が、恐らくは今の彼の骨組みを作ってきたのだろう。俺は、悪友の心に住み続ける人に好奇心が湧いた。
「その人は、今どうしているの」
 悪友は悲しそうな顔をして目を伏せたまま黙っていたが、やがてぽつりと答えた。
「分からない。帯広駅まで送ってくれて、それっきり。名前を聞いても住所を聞いても「通りすがりだよ」と笑うだけで教えてくれなかったから…」
「そうなんだ…」
 こんなに端切れの悪い彼は珍しい。悪い事を聞いたと狼狽えたが、急に顔を上げた彼は、いつものおどけたような表情を取り戻して笑っていた。
「俺も人の事言えないよな。今もずっと彼を探してる。いつか必ず見つけだすよ。お前も、その娘を探すのは大変かもしれないけど、どんな時も自分の気持ちに正直に従った方がいい。道程は辛くても、その先に必ず何かが待ってる。どんな結果が出ても決して後悔はしないよ。それは俺が請負うから、やってみな」
 そう言って、また俺の頭をぽんぽんと叩いた。
 俺は笑って頷いた。そうだよな。俺が好きならそれでいいのかも知れない。駄目なら駄目でもいい。自分の気持ちを無かったことにするのは、きっと後悔するから。
 悪友は分厚い手帳と時刻表を鞄に放り込むと、立ち去り際「上手くいったら、絶対その娘、紹介しろよ」と片目を瞑った。
 それはできるかどうか…。でも、こいつになら紹介できるかもしれない。夏休みに入る前に彼を探し出さなければ、益々見つけられる確立は減るだろう。俺のカムアウトの日は近いのか、遠いのか。それは明日からの俺の頑張り次第だろうと思いながら窓の外を眺めた。ゆらゆら揺れる楡の葉影に、最後に見た彼の泣きそうな顔が浮かんで消えた。

 (了)


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