INDEX NOVEL

金 魚

 狭い参道は行き交う人々で埋め尽くされていた。歩みを合わせればそれほどストレスは感じないが、人を追って歩くには、漫ろ歩く人の群れは障害物以外の何物でもない。人にぶつかる度に謝りながら、公平は優一を見失わないよう必死にそのうしろ姿を目で追っていた。もうすぐ追いつくと思った時、膝に衝撃を感じてつんのめりそうになった。辛うじて転ばないですんだが、悲鳴に近い泣き声が上がり驚いて下を見ると、小さな男の子が尻餅をついて泣いていた。
「御免! 大丈夫か?」
 慌てて子どもを抱え起こし、尻についた泥を手で払ってやっていると、その子の両親と思しき大人が近づいて来た。謝る公平に母親は大丈夫だと笑いながら、まだ半泣きの子どもの手を引いて去って行った。ほっとしたのも束の間、急いで辺りを見回せば、優一の姿は何処にも見当たらなかった。
 一週間前、根岸神社の縁日に優一を誘ったが「御免ね」と言って断られた。しつこく理由を問えば、「お義父さんと一緒に行くから…」と申し訳なさそうな口調ではあったが、その口元が嬉しそうに上がっていたのを公平は見逃さなかった。
 優一は義理の父親と二人きりで暮らしていた。母親が事故で亡くなった後も生さぬ仲の義父とは良好な関係らしく、優一はいつも「お義父さんはとても素敵な人なんだ」と尊敬と憧憬の入り交じった目をして義父を語った。
 公平はそんな優一を見る度に、何故だか面白くないものを感じていたが、誘いを断られた時感じた苛立ちは、それだけが理由ではなかった。
 最近の優一は悉(ことごと)く公平の誘いを断っていた。朝のラジオ体操も、プールも図書館での勉強会も、一緒に行こうと誘う公平に、優一は眩しいものでも見るように目を細め首を横に振るのだった。
 夏休みに入る前までそんな素振りは見られなかった。優一とは五月の宵、ファミレスで遅くまで互いの境遇を話してから、他の誰より親しくなった。学校にいる間はもちろん、外でも頻繁に会うようになった。それまで一番仲の良かった幼馴染みの亮介に「付き合い悪いよ」と臍を曲げられるほど、いつの間にか優一の存在が最上位になっていた。
 とはいえ、誘っても断られれば仕方がない。休みに入ってから公平はまた亮介と行動を共にしていたが、以前ほど亮介といる事に楽しさを感じなくなっていた。亮介も亮介で自分の存在を蔑ろにされ「面白くない」と腐っていたくせに、図書館での勉強会に優一が参加しないと聞くや、「教える奴がいないんじゃ、意味ないじゃん」と文句を垂れた。気分屋という訳でもないが、その場の感情を口にする亮介を少し疎ましく感じ始めていた。
 公平は優一に会いたかった。だから、意を決して祭りの誘いを口実に優一のマンションまで訪ねて行ったのに、喜んで出迎えてくれるどころか玄関先で一も二もなく断わられた。
「そんなに義父(おやじ)が良いいのかよ! もう勝手にしろ!」
 悔しさと哀しさと苛立たしさと、いろんなものが一度に押し寄せて、捨て台詞を吐いて帰って来てしまった。すぐに後悔して謝ろうと思ったが、優一に避けられる理由が思い当たらず、ぐずぐず思い悩んでいるうちに祭りの日になってしまった。

 根岸神社の縁日は、この付近の住民にとって夏の一番の楽しみだった。盆踊りこそないが能舞台で神楽や舞の他に、カラオケ大会のゲスト歌手によるミニコンサートもあって、遠方からの人出も多く屋台の数も多かった。
 小学生の時と違い保護者の同伴がいらなくなった中学生は、女子は皆競って浴衣を身に着け、男子はそんな女子をからかいながら旺盛な食欲を満たしに参道を闊歩した。すれ違う人々も笑顔を浮かべ、誰もが祭りの宵を楽しんでいるように見えた。
 公平は亮介やサッカー部の連中に連れられて祭りには来たものの、クサクサして面白くないのはこの世で自分一人だけのような気がして余計に落ち込んだ。いつもなら浮き立つような祭り囃子も煩いだけで、何を見ても何をしても気分は高揚しなかった。
 射的で景品を倒す度に亮介たちが上げる雄叫びを、どこか遠くに聞きながらぼんやりと人の通りを眺めていた時、見慣れた黒髪の少年が目の端を通り過ぎて行った。はっとしてよくよく見れば、それは確かに優一だった。
 優一は一人きりだった。紺色の織絣の浴衣を着て人目を避けるように参道の隅を足早に歩いていた。公平は俯いて歩くその寂しげなうしろ姿を追わずにはいられなかった。
「悪い、俺、用事思い出したから帰る!」と声をかけると、驚いて呼び止める亮介たちを尻目に急いで優一の跡を追いかけたのだった。
 見失ってしまった優一の向かっていた先は、本殿と逆方向の駐車場へ通じる道だった。この日は駐車場の使用は禁止され、テーブルや椅子が出されている筈だ。屋台で買ったものをゆっくり座って食べられるが、祭りの喧噪が僅かしか届かない寂しい場所なので、屋台の数も少なくお年寄りしか利用しない。
 優一は食べ物など持っていなかった。だったら帰るところだったのかもしれない。公平はとにかく駐車場まで行ってみて、いなければ優一のマンションまで訪ねて行こうと思った。
 駐車場へ行く道は参道の石畳みが終わって土の道になる。提灯の数も減って道幅も狭くなった。道の両側にはキョウチクトウが植えられていて、合間合間にぽつぽつと屋台が出ているが人の数は圧倒的に少ない。その代わり人にぶつかる事も押される事もないから、小さな子どもを連れた人や喧噪を避けたいお年寄りは、皆ゆっくりと投げ縄やボンボン釣りに興じたり、風鈴や朝顔の鉢を求めたりしていた。
 まだいるかもしれない優一の姿を求めて、公平はゆっくり屋台を見回しながら進んた。暫く行くと、果たして右手の金魚すくいに優一の姿を見つけたが、慌てて近くのキョウチクトウの陰に身体を隠した。別に隠れる必要はなかったが、咄嗟に身体が動いてしまった。何故なら優一は金魚すくいをしているのではなくて、屋台の親父の横にしゃがんで何やら親しげに話し込んでいたのだ。
 そろりと首を出して様子を窺う。金魚すくいの客は一人もおらず、親父の方が熱心に優一に話しかけていた。優一は小さく縮こまるように膝を抱え、金魚の泳ぐ平たい水槽を眺めていた。
 知り合いなのだろうか。それとも親戚か…否、そんな筈はない。優一には離れて暮らすお祖父さんがいるが、それ以外親戚はいないと聞いていた。では単なる知り合いか? あまり気質(かたぎ)に見えない的屋の親父と優一の接点は考えにくかった。それに義父は? どうして優一は一人で祭りに来ているのか?
 どうしたものかと眺めていると、金魚すくいのうしろにテーブルと椅子が出ているのに気がついた。すぐ裏側が駐車場だったのだ。テーブルは酒と焼き鳥を売っている隣の屋台のものらしく、家族らしい三人連れの客が座っていた。あそこなら何を話しているか聞こえるかもしれない。公平はそっとキョウチクトウから離れると、優一たちに背を向けながら隣の屋台で焼き鳥を買い、裏側に回り込んで金魚すくいに一番近い丸椅子に腰かけた。
 最初はよく聞き取れなかった。優一は背中を向けてしゃがんでいるから思いきって丸椅子を近づけると、親父の濁声が聞こえてきた。
「そんじゃあ、親父さん、接待ゴルフに行っちまったのか…。でもまぁ、仕様がないわな。サラリーマンの世界はおっちゃんも分かんねぇけどよ、付き合いはどこの世界でも大事なもんだからな。その辺がおんな子どもには分からねぇのよ。お前さんも大人になったら分かるからよ。許してやんな」
「うん…分かってるよ。ちょっとがっかりしただけだし。お土産に金魚鉢買って来てくれるって言ってたし…」
「そんでお前さんは、中に入れる金魚をすくいに来たってぇのに、途中で金落っことしてくりゃ世話ねぇよなぁ。お前さん、ボケボケしてっと仕舞に命も落っこどしちまうから気をつけなぁ」
「だって、浴衣なんか着るの初めてなんだもの。財布、確かに袂に入れたつもりだったのにな…。本当は浴衣を着て来るの迷ったんだ。でもお義父さんがわざわざ用意してくれたものだし、身長が伸びれば来年は着られるか分からないから…。いいよ。仕方ない、諦める。お金だって、ちょっとしか入ってなかったし…」
「かぁ〜馬鹿ったれぇ! 一円を笑う者は一円に泣くんだぞぉ。近頃のガキは…全く! ちっとでも金は大事にしな! 後でちゃんと交番に届けるんだぞ? けどよぉ、どうすんだ金魚。お前さんの友だちも祭りに来てるんだろう? 貸してもらうとかすりゃいいじゃねぇか。大体、親父さんがこれねぇ時点で友だち誘うとかすりゃ良かっただろう?」
「…怒らせちゃったから」
「ああ?」
「せっかく誘ってくれたのをお義父さんと行くからって断って、怒らせちゃったんだ。だから後から一緒に行くなんて言えなかったし、僕は新参者だから…」
「なんだ新参者ってなぁ? お前さん、引っ越しでもして来たばっかりなのか?」
「違うよ。友だちになって日が浅いって事。おじさんも付き合いが大切だって言っただろ? 誘ってくれた子には幼馴染みの仲の良い子が別にいてね、僕が一緒にいるとその幼馴染みの子の機嫌が悪くなるんだ。だからどうしたら上手く行くだろうと思って、少し距離を置いてみようと思ったんだけど…」
 公平はぎくりとして口にしていた焼き鳥を落としそうになった。いきなり優一の疎遠な態度の理由が判明するとは思わなかったし、まさかそんな理由だったとは。亮介は優一に何か言ったのだろうかと、かっと腹の中が熱くなった。
「なんだぁ、ケツの穴が小せぇ奴ばっかだなぁ。別に誰と誰が仲良くしたっていいじゃねぇか…。もしかしてお前さん、その機嫌が悪くなるって奴に虐められたりしてんのか?」
 公平は身を乗り出して聞き耳を立てた。優一は小さく笑い声を立てた。
「まさか。そんな事されないよ。別に何を言われる訳でもないし…。ただ、凄く分かり易い子だから。それに、彼の気持ちも分かるしね。自分が一番の友だちだと思っていた相手が、別の友だちを大事にしてるのって、やっぱり気分の良いものじゃないでしょう?」
「まあなぁ…ジェラシーだな。男のジェラシーも怖えぇからなぁ」
「僕は…人のものが欲しくなるクセがあるんだ。浅ましいよね。だから罰が当たったのかも…。どっちみち怒らせちゃったし、もういいんだ。これからは一人でいる。なまじ人と付き合おうとするからいけなんだから。一人の方が気が楽でいい。僕は慣れてるから…」
「おいおい、そんな寂しい事言うなよ…」
 優一の言葉を聞きながら、公平は自分の馬鹿さ加減を呪いたくなった。優一の寂しい気持ちは自分が一番良く分かると思っていた。なのに一時の激情で酷い事を言って優一の孤独を深めてしまった。亮介の事は言えないな…と深いため息をついて項垂れた。
「金魚見てると楽しいね…。気持ち良さそうに泳いでて悩みなんてなさそうで、羨ましいな。金魚に生まれてくれば良かった…」
 優一が急に明るい声で言った。自分を奮い立たせるようでありながらその正反対の内容に公平は胸が痛くなった。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。人間が一番良いに決まってんだろうが。今この水槽の中なんぞ、ぎっちぎちのきっつきつでよ、こいつらストレス溜まりまくってんだぞ。祭りのために買われてって、人間にポイで追っかけ回されてよぉ…。いい人に飼われりゃいいけども、す〜ぐ死んじまうんだ、これが。だいたい、売れ残ったらどうなると思うよ。転売されちまうのよ。お前さん、エサ金って知ってるか?」
「エサって…金魚が餌になるの?」
「ああ、ペットショップで肉食のペットのエサに売られるんだよ」
「ええっ?」
 優一が非難の隠った悲鳴を上げた。公平も金魚の末路に驚いて目を剥いた。
「まあ、俺はそんな事しねぇけどよ」
 商売なんてそんなもんだと的屋の親父は乾いた笑い声を立てた。
「それにな、どんな世界だっててぇへんなんだよ。金魚すくいに売られなくても、池の中だって縄張り争いもあるしよ、交尾のための戦いだってある。手前の餌だって手前で見つけて食わなきゃなんねぇ。生き物はよ、みんなそうして日々戦ってんだよ。人間だって同じだ。大人には大人の、子どもには子どもの世界があってよ、そりゃ、嫌な事もあらぁな。諂(へつら)わなきゃならん事もあらぁな。だからって逃げててどうするよ。一度や二度、喧嘩したぐらいで独りになってたら、土台どこの世界に行ったって生きて行けねぇわな。お前さん、その怒らせちまったって奴とホントに友だち止めてもいいのかよ? ああ?」
「嫌だけど…」
 優一の頭が徐々に項垂れるのが見えた。公平は堪らなくなって走り出していた。
「おじさん、金魚すくい二人分!」
 突然脇から走り出てきた公平に、親父も優一もぎょっとして公平を凝視したが、親父はすぐに我に返り「ああ、ハイよ。六百円ね」と言って小さなアルミのボールとポイを二人分差し出した。公平は代金と引き替えに受け取ったボールを、驚いて目を見開いたままの優一へ差し出し「やろうぜ」と言ってニヤリと笑った。
 その様子を見た親父は公平と優一を交互に見てから察したようにニヤニヤ笑い、「ホラ、ホラ」と優一の背中を叩いて促した。優一は少し顔を赤くして立ち上がると水槽を回って公平の隣へ移動し、黙ってボールとポイを受け取った。
「何がいい?」
 公平がしゃがんで水槽を泳ぐ金魚の群れを目で追いながら聞くと、「黒の出目金…」と優一もしゃがみながら呟いた。良い所を見せようと水槽を泳ぐ黒い出目金を一心不乱に追いかけ回していた公平の頭上で、「上手いもんだな」という親父の感心した声が聞こえた。顔を上げて隣を見れば、優一はあっと言う間に三匹の金魚をすくい捕っていた。
「お母さんが上手かったんだ。祭りの度にコツを教えてもらってた。でも、死んだお父さんは、もっとずっと上手かったんだって…」
 電球を反射してゆらゆらきらめく水面を眺めながら、優一は懐かしそうな顔をして微笑んだ。公平は泣きそうにも見えるその表情を見ないようにして「コツ、教えろよ」とおどけたように囁いた。優一はチラリと親父の顔を見た。それから自分のポイを親指に挟んで立てるように持つと、その手を公平の右手に添えた。
「少し斜めに…立てるようにして。そう…ボールをもっと引き寄せて」
 優一は公平に身体を密着させて耳元で囁きながら、一匹の大きな出目金に狙いを定め公平の右手を誘導する。
「駄目、もっと水面近くに来たら…」
 右肩に感じる優一の熱と少し高いが耳障りの良い声に耳朶を擽られ、公平はどきどきして金魚どころではなくなっていた。だから「捕るよ!」と言った優一の合図に慌ててしまい、ポイを水中深く突っ込んでしまった。手を添えていた優一のお陰で何とか出目金を引っかける事はできたが、勢いよく暴れる出目金に紙を破られまんまと逃げられた。
「あ〜」と優一の漏らした残念そうなため息が公平の耳朶を熱くして、そこから全身に熱が回るのを感じた。公平が首まで赤くして下を向くと、親父が気の毒そうな忍び笑いを漏らし、「おまけしてやるよ」と捕り逃がした出目金を編みですくって公平のボールの中へ入れた。
 金魚すくいの親父はビニール袋にそれぞれが捕まえた金魚を入れて手渡した。優一に手渡された小さな袋の中で、三匹の赤い金魚は窮屈そうに暴れた。
「できりゃぁ、小さな金魚鉢じゃなくてよ、大きな水槽の中で飼ってくれ。本来なら一匹につき十リットルの水が必要なんだが、そんなにはいらねぇよ。けど、少しでも大きな方がいい。最初はな、汲み置きしてカルキを飛ばした水の中にその袋ごと浮かして環境に慣らしてやるんだ。水槽にはなしてからも二、三日は餌をやるな。やったらすぐに死んじまうから。餌をやり過ぎなきゃあまり大きくなる事はないし、みんな仲良く十年でも二十年でも生きるから、大事に飼っとくれよ」
 親父はその他にも幾つか飼う上での注意事項を列挙した。公平は親父の甚兵衛の袖から覗く青い入れ墨に、すっかり的屋の親父だと思い込んでいたが、本当に金魚屋なのかもしれないと思った。
 礼を言って親父の屋台を離れると、優一は「それじゃ…」と言って一人で駐車場の方へ向かおうとした。公平は優一の腕を掴み、「俺も行く」と言ってそのまま歩き出した。優一は戸惑いながらも公平に手を取られて一緒に歩き出した。互いに無言で駐車場を突っ切り優一のマンションがある左に曲がった。公平の家は反対方向にある。優一が慌てたように口を開きかけると、公平が先に「なぁ、あのおっさんと知り合いなのか?」と尋ねた。
「ううん、知らない人だよ…。最初は別の金魚すくいの屋台に行ったんだ。でも、袂に入れた筈のお財布がなくなってて、慌てて来た道を戻りながら探して歩いたけど結局見つからなくて…。お金がないんじゃ仕方ないし、そのまま帰ろうと歩いてたらあのおじさんの屋台が目に入ったんだ。
 誰もいなかったし、少し金魚を眺めて帰ろうと近寄ったら声をかけられた。暇だったんだろうね。お金落としちゃったらできないんだって説明したら、見てるのはタダだからこっち来なって誘われたんだ…。ねぇ、いつから見てたの?」
 優一は直球で訊いてきた。公平は前を向いたまま正直に答えた。
「駐車場へ歩いてくお前を見かけて追いかけた。話を聞いてたのは義父さんがゴルフに行ったって話してたところからかな…」
 優一は「結構最初の頃からだ…」と呟いて恥ずかしそうに俯いた。
「盗み聞きしてたのは悪かったけど、謝らないよ。謝るとしたら、祭りの誘いを断られた時に『勝手にしろ』って怒った事は悪かった。ごめん。けど…何だよ、さっきのあの『人のもの』って台詞。腹立った。俺は誰のものでもねぇし、付き合う奴は自分で決める。
 亮介はガキだから、それほど深い考えなんて持ってないんだ。思いついた事をすぐ口にしてるだけだから、あいつの言う事なんか一々気にしなくていい。勉強会の事だって、お前がいなくちゃ「意味ないじゃん」って言ってんだぜ。俺もこれからは気をつけるから…一人でいるなんて言うなよ。俺は、お前と一緒にいたいんだ」
 言いながら優一の腕を掴んでいた手を一旦外し、今度は優一の手のひらを握った。優一は黙ったままだったが、握った手をぎゅっと握り返した。
「なぁ。明日、水槽買いに行こうぜ」
 公平は嬉しくなって繋いだ手を大きく振りながらそう誘ったが、優一は「でも…」と言ったあと言いずらそうに口籠もった。
「お義父さんが『金魚鉢』買って来てくれるんだったけか…。でも、金魚屋の親父が言ってただろ? できれば水槽でって」
「そうだけど…。ゴルフ場の側に有名なガラス工房があって、高いけどすごく綺麗だからって…。一緒に行けないお詫びにお土産に買って来るって言ってたから…」
 俯いて歯切れ悪く話す優一の台詞を聞きながら、公平は優一のマンションで見かけた義父の写真を思い出していた。何度も遊びに行ったが、直接会った事は一度もない。家族三人で撮った最後の写真だと大切に額装された写真の中で微笑む義父は、眼鏡をかけたインテリな感じの、公平の父親よりもずっと若く見える男だった。手作りのガラス細工などを如何にも土産に選びそうな男だと思った。
「じゃあさ…。これと交換しよう」そう言って、公平は黒い出目金の入った袋を頭上高く掲げた。
「どれくらいの大きさの金魚鉢か分からないけど、こいつ一匹なら大丈夫だろ。俺はそっちの三匹面倒見るから、水槽を買いに行くのに付き合ってくれよ。それならいいだろう?」
 優一は公平の顔を眩しいものでも見るように目を細めて眺めたあと、「うん」と微笑んで頷いた。
「三匹が仲良く泳げる、でかい水槽にしよう」
 公平がそう言うと優一は静かに頷いて、繋いだ手をぎゅっと握りしめた。

 (了)

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