INDEX NOVEL

秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 13 〉

 いろいろと、興奮し過ぎて意識を飛ばしていた僕を、泰治は自分のTシャツで奇麗にしてくれて、すっかり身形(みなり)を整えてからペンションの入り口まで送ってくれた。
「マキ、着いたぞ」
「ん……」
 泰治に起こされて、長過ぎる昼寝の後のようにぼうっとしたまま車を降りたけど、「今晩、十時に行く」との泰治の台詞が聞こえて、一瞬で頭がクリアになった。
「あっ、うん。待ってるね」
 ついさっき、あんなエッチな事したばかりなのにな…と、羞恥と焦りの冷や汗をかきながら返事をして、ふと泰治を見ると上半身裸なので吃驚してしまった。
「泰ちゃん、Tシャツは?」
「ああ…タオル代わりにしちまった」
 僕は慌てて叔父さんのシャツか、譲さんのを借りに母屋へ寄るように言ったけど、「叔母さんと叔父さんに顔を会わせづらいから、いいよ」との答えに、そう言えばそうだなと困ってしまった。
「家に入る時にはシャツ着るから、心配すんな」
「でも……」
 辺りはまだ暗くなりきってないし、いくら夏でも上半身裸で運転してて変に思われないだろうか。
「大丈夫だよ」
 何が大丈夫なんだろうと思っていると、泰治はダッシュボードからサングラスを取り出してかけた。ごく普通のタイプだけど、ゴツい泰治がかけるとやっぱりヤッちゃんみたいで怖い。でも、少し前に再放送で見た映画のドルフ・ラングレンみたいに見えなくもない。ちょっとカッコいいなと思ってしまった。
「多少変に思われても、そっち系だと思われて終わりだろ」
「あはは……」
 自覚があるんだ…と苦笑いしてしまった。でも、ヤンキーやそっち系の怖い人は、こんなオンボロ軽自動車に乗ってないと思うけど、という台詞は飲み込んで、「おまわりさんに、職質されないように祈ってるね」と手を振って、泰治の小さな車を見送った。
 ところが……。
 僕は泰治の事を心配している場合じゃなかった。家に帰った途端、僕の方が叔母さんの質問攻めに合ってしまったのだ。
 泰治と別れて疲れたなぁと思いながら、とことこ母屋への砂利道を歩いていると、母屋から飛び出して来た美代子叔母さんが、すごい勢いで僕の所まで駆けて来て、「ちょっと来なさい!」と言うと腕を掴んで僕の部屋の離れへと引っ張って行った。
 僕の部屋へ入った途端、叔母さんは僕の頭からつま先まで眺めて、その後ぱたぱたあちこち触ったり、くんくん匂いを嗅いだりした。
 これは一体なんのおまじないだろうと、「ちょっと、叔母さん? どうしたの?」と訊くと、僕の質問は無視して、すごい剣幕で「何もされなかったわよね?」と訊いた。
「えっ、と……」
 どっちにも、いろいろされてしまった僕は、答えに窮して口籠ってしまった。
「されたのっ?」
 僕の戸惑いを勘違いした叔母さんは目の色変えて訊いてきたけど、慌てて「されてないっ!」と首を振った僕を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
「でも、あなた、待てど暮せど帰って来ないし、何か男臭いし……」
「おっ、男臭い!?」
 まさか、アレの匂い?
 焦って自分でもくんくん匂いを嗅いでみたけど、別に栗の花の匂いなんてしない。でも、確かに匂う。それは、男臭いとか言う生々しい匂いじゃなくて、男性用化粧品のツンとする香料の匂いだ。何だこれ、と僕は首を傾げた。
 あっ、そうだ。泰治が使ってる汗ふきシートの匂いじゃないかと気がついて、顔が熱くなった。
「えっと、この匂いは……、たぶん…じゃなくて、暑くてさ、泰ちゃんに汗ふくの貰ったから、だと思うけど……」
 身体を拭くのにTシャツだけじゃなく、これも使ったんだ。匂いを誤摩化すためもあったかも知れないし、落ちにくかったからかも知れない。僕は気を失ってたから分からないけど、多分そうだろう。でもどうせなら、普通のウエットテッシュで拭いて欲しかったと思いながら答えると、叔母さんは「そうなの? ならいいけど」と言いつつ、まだ訝しげに続けた。
「マキちゃん、普段そんな匂いしないから、てっきり、匂いが移るような事されたのかと思っちゃったわ。まあ、衣服に乱れはないようだけど…でも、どうしてこんなに遅くなったの? まさか、泰治くんにも何かされた?」
「違うよ! 泰ちゃんは……僕が気落ちしてたから、気を利かせて七滝の方までドライブしてくれたんだ」
「そうなの…。でも、どうして気落ちしたの? 田島さんに何か言われたの?」
 田島に強迫された事を思い出し、僕は少しだけ震えた。叔母さんは目敏くて、僕の怯えに気づいてしまった。
「やっぱり、何か言われたのね?」
 叔母さんが、あまりにも “ やっぱり ” の部分を強調して確信的に言うものだから、僕は叔母さんもあの電話で田島から強迫されたのかと、恐る恐る聞き返した。
「やっぱりって…どういう事?」
 叔母さんは子どものように指を噛みながら、忌々しそうに「田島さん、電話で、嗤ったのよ!」と言った。
「わ、嗤った?」
「そうよ! 『マキちゃんは身体が弱いから子どもが生めない』って言った時、あの人、嗤ったのよ。小馬鹿にしたように『そうですか?』って。普通、そこで嗤う? ショックを受けるのが普通でしょう? あの人、人としてどっかおかしいわ!」
 僕はそうは思わなかった。田島が嗤ったのは、僕が男だと知っていたからだ。
 はっきり言って、そういう嘘を吐いちゃうこっちもどうかと思う。だけど、僕らの遣り取りを知らない叔母さんからしたら、田島の受け答えでは確かにどっかおかしい人だと思っただろう。
「まあ…あの人は、初めて会った時からそんな感じだったけど……」
 初めて河原で会った時も、感じの悪い薄ら笑いを浮かべていた。別に、田島を弁護するつもりはなかったけど、向こうばかりが悪い訳ではない気がした。じゃあ、叔母さんが悪いのかと言えば、そうじゃない。叔母さんは僕を庇って嘘を吐いているのだから。
 悪いのは僕だ。僕が真実を偽っているから、全てがどんどん歪(いびつ)になって、退っ引きならない方向へ転がってしまう気がして怖かった。
「田島さん、マキちゃんと話し合いたいとか言って、電話切っちゃったのよ。だから、何を言われたのかと心配してたの。あの人に、何を言われたの?」
 俯いた僕を窺うように叔母さんが言った。
「それは……」
 叔母さんが血相変えていた理由は分かったけど、僕は何て答えたら良いか分からなかった。
 頭を整理して上手く伝えなくちゃと思うのだけど、トロい僕の頭ではなかなか要領よくまとめられなかった。伝えたい事を箇条書きにするとこんな感じだけど…。
 一つ目、ゲイの田島は真実を知った上で、男の僕を手に入れたいと言っている事。
 二つ目、言う事をきかなければ、叔母さんたちをここには住めなくしてやると脅している事。
 三つ目、だけど、僕は田島のものにはなりたくない事。
 四つ目、その理由は、僕と泰治が男同士だけど好き合っているからで、
 五つ目、でもその理由を、叔母さんたちに打ち明けて良いものか、分からない事。
 田島の別荘を出た時点では、三つ目まで叔母さんたちに相談しなくちゃって考えていた。でも、帰りの車の中で、泰治にプロポーズみたいな事を言われてから、四つ目までがセットだから、迂闊に相談出来ないんだって考え直したんだ。
 泰治の『家族になりたい』って言葉は、すごく嬉しかった。だけど同時に、すごく重くて難しい問題だと思った。
 だって、家族として二人が一緒に暮すには、僕の秘密を打ち明けなきゃならない上に、叔母さんたちだけじゃなく、座間のおじちゃんと恭平さんにも、男同士の恋愛を許して貰わなきゃならないんだよ? 僕にはやっぱり、そんなの……無理、だと思った。
 だって、けっこう柔軟な頭の持ち主の美代子叔母さんだって、男同士なんて認めてくれるか分からないんだ。テレビにニューハーフの人が出てたりすると、口には出さなくても顔を顰(しか)めてる事があったし、僕だって、ほんの一週間くらい前までは、そんなの異常だし受け入れられないと思っていたんだから。
 それを、『男は強く、優しくあらねばならない』という何かの受け売りがモットーの、心も身体もマッチョな座間おじちゃんに、受け入れられる訳がない。
 まあ、座間家の問題は置いとくとして、今は田島を撃退するために、どう話したら一番良い解決策が導き出せるのか…だ。
 僕は懸命に考えたけど、貧弱な僕のCPUはオーバーヒートを起こしそうになって、「…諦めないって、言われた」と、ごく一部分だけ告白するのが精一杯だった。
「ええっ?」
 叔母さんは、それだけでも酷く驚いて叫んだ。
「嘘でしょう!? だってあの人、田島皮革って、一代で浅草にでっかーいビルを建てた、有名な靴と皮革輸入会社の跡取りでしょう? 子どもを生めないマキちゃんをお嫁さんにしたいって、頑張るって言ってるの?」
「いや、お嫁さんじゃなくて、二号さんにって……」
「はあぁっ? なに言ってくれちゃってんの? あのバカボンボンは〜〜!」
 叔母さんが拳を握り締め野太い声で怒鳴ったから、怖くて「ひぃっ」と、その場にへたり込んでしまった。
「うちのマキちゃんが、二号さんですってぇ? ふざけんじゃないわよ!!」
「怒るとこ、そこなんだ……」
 僕も同じとこで怒ったなと、ちょっとおかしくなったけど、「マキちゃん、何て答えたの?」と突っ込まれて、またまた窮地に立った。
「えっと…もちろん、嫌ですって断ったけど……」
「諦めてない訳ね」
「家族で話し合って、来週までに答えを聞かせろって……」
「何て上から目線の横暴な台詞! 何様のつもりかしら? 戦前じゃないんだっつーの! 成金ブルジョアジーめ!」
 叔母さんはドスドス足を踏み鳴らしながら、キーキー怒っていたけど、急に僕の前にしゃがみ込むと真剣な顔で僕に言った。
「今すぐ、男に戻る?」
「ええっ?」
 僕は驚き過ぎて、言葉が続かなかった。ずっと願っていた事だけど、そうしたら、僕はもう、ここにはいられない!
『どうして、こんな急に?』って、目だけで叔母さんに問いかけると、叔母さんは引きつった笑顔を浮かべて、「だって、それしか方法がないでしょう?」と言った。
「私たちも…悪かったのよね。マキちゃんには、少しでも長く私たちの “ 娘 ” のままでいて欲しかったから、高校を卒業するまでなんて言って…先延ばしにしてた。本当は、もう手術をしても大丈夫なのよ。ごめんね…悔しかったの。マキちゃんを、二人も子どもがいるのに、不幸ぶってる姉さんの所になんて、返したくなかったの……」
 叔母さんの目に、涙が滲んでいた。「ごめんね…」と何度も謝る叔母さんに僕は首を振った。
「謝らないで。高校を卒業するまでって決めたのは僕だし、僕もまだ、ここにいたいよ!」
「でも、このまま女の子でいたら、田島はきっとずっとマキちゃんを諦めないわよ? それに、泰治くんの事もあるし……」
 僕は首を振った。女でいるより、男に戻って家に帰った方が余計に狙われる。って言うか、田島の思う壷だ。家に戻ったら僕を守ってくれる人はいない。母さんなんかきっと、田島にお金を積まれて「息子さんを養子にしたい」とか言われたら、簡単に頷いてしまうだろう。でも、男に戻った僕に、ここでの居場所はない。
 男に戻った僕がここに居れば、叔母さんたちの立場はなくなってしまうからだ。田島の強迫は通用しなくなるけど、自ら窮地に立つ事になる。
 抜け穴としては、僕が “ 性同一性障害 ” で性転換した事にすればいいのかも知れないけど、やはりまだまだ一般的な話ではないから、興味本位な噂を立てられたりしたら、ペンションとしては死活問題になりかねない。
 それに、泰治とだって、もう一緒にはいられないだろう。
 泰治は僕が男に戻っても良いと言ってくれたけど、周りは許してくれやしない。だって、女だったら結婚できるのに、男になった元女と付き合うなんて、誰が聞いたっておかしな話だ。きっと、友だちとして僕に会う事さえ反対するかも知れない。僕自身、そんな好奇の目を向けられてまで、ここで暮して行く勇気はない。
 やっぱり、最終的に田島の所へ行く事になってしまうのだろうか。
 そう思ったら悲しくて、情けなくも涙が出て来てしまった。でも、それは僕だけじゃなくて、叔母さんもポロポロ涙をこぼして泣いていた。
「男の子に戻りましょう。悲しいけど、マキちゃんのためなら我慢できるわ……」
 どうにも八方塞がりになってしまった僕は、泣きながら「うん…」と頷く事しか出来なかった。

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