叔母さんと相談し、僕は男に戻る事に決めた。
週末には東京の実家へ戻り、夏休みが終わるまでに手術を終えて、普通高校へ転学する準備をする。そうして、宮地マキから村上真樹へ戻る。
一つ不安なのは、六年も離れて暮していた僕が急に帰ると言っても、妹との二人暮しに慣れてしまった母さんが、嫌がるんじゃないかって事。
そう言うと、美代子叔母さんは「姉さんに文句は言わせないわ」と言った。
「あの人が心配なのはお金の事でしょう? 大丈夫。手術代や学費は私が出すから。もし家に居づらいなら、大学に入ったら家を出なさい。下宿代も学費も面倒見るから、それまでの辛抱よ」
「そこまで迷惑かけられないよ。田島の事もあるのに……」
「いいのよ。東京へ戻っても私たちにとってマキちゃんは、“ 甥っ子 ” じゃなくて、“ 息子 ” だから。男の子だろうと、女の子だろうと、私たちの大事な子どもなの。子どもの面倒を見るのは “ 親 ” の務めですもの。最後まで全部、私たちに任せてちょうだい」
「ありがとう…。でも、僕が東京に戻ったあと、田島の事どうするつもりなの?」
僕が村上真樹に戻るだけでは、田島の思惑を潰せるとは思えない。でも、叔母さんは自信満々に大丈夫だと言った。
「あたなが東京へ戻ったらすぐ、田島に断りに行くわ。『マキは心労が祟って、また身体の具合が悪くなったので、専門の医療施設へ入院させたから、そっとしておいてください』ってね」
僕は内心ため息を吐いた。そんな見え見えの嘘が通じる相手とは思えない。
「その場はそれで退くかも知れないけど、もし興信所とか使って僕の行方を探されて、マキがどこにもいないって騒がれたりしたら、どうするの?」
あいつは絶対そうするだろう。騒がれて、もし警察が動くとか大事(おおごと)になったら、こんな田舎じゃ噂の的になってしまう。心配する僕に、叔母さんは意地悪い笑みを浮かべて言った。
「騒がれたら騒ぎ返すまでよ。田島の二号さん発言やら何やらぜーんぶ、噂好きのマダムたちに言いふらして、田島の親の耳に届くようにしてやるわ。こっちから直接言ってやってもいいわ、『おたくのドラ息子がうちの娘にちょっかいを出すので迷惑してる。このままならストーカーとして訴える』って。あっちは正式な嫁をもらう前だし、ああいう成金は外聞を気にするから、息子の動きを封じられる筈よ」
「…でも、こっちのマキと東京の真樹が同じ人間だって、感付かれたらどうするの?」
と言うか、もうバレているし……。
「否定すれば済む事よ。田島が『マキちゃんは男だ』なんて言っても、こっちの人は誰も信じやしないし、確かめたくても、もう女のマキちゃんはいない訳だし。それに、その事を騒いだ所で、恥の上塗りになるのは向こうの方よ。何にせよ、通報騒ぎになる前に田島の親にチクってやれば、息子は黙らせられると思うわ」
僕は納得した。この世に存在しないはずの “ おっぱい ” のあるマキさえ居なくなれば、叔母さんの事だから、何とでも言い逃れが出来るだろう。
男に戻った僕の身は決して安泰ではないけど、叔母さんや叔父さんに迷惑をかける事はなさそうだ。だったら、これが最善の策だろう。あとの事は自分で何とかするしかない。自分の身は、自分で守るんだ。
叔父さんには叔母さんから伝えて貰う事にして、僕は疲れたので夕飯は部屋でひとりで取りたいと我が儘を言った。
食堂でみんなと食べれば、今日の事を加奈子さんたちが聞きたがるだろう。泰治がいれば助けて貰えるけど、今日はいないから僕一人でかわすのは億劫だった。叔母さんも口添えしてくれるだろうけど、疲れているのも事実だし、泰治が来るまでに心の準備をしたかった。
叔母さんは了承してくれて、「じゃあ、お夕飯は早めにこっちに運ぶわね」と言って母屋へ引き取って行った。
僕はベッドにひっくり返って、泰治の事を考えた。
泰治の大学は東京だから、会えなくなる事はない。男に戻っても良いと言ってくれたから、内緒で付き合う事は出来るだろう。だけど、きっと二人の関係は内緒のままだ。泰治は、この先もずっと、そんな秘密の関係を続けてくれるだろうか。
頭の中で男に戻った自分の姿を想像した。
ただ単に胸がぺったんこになるだけだけど、ちっとも男らしい姿に思い描けなかった。仕方なく中学に入学したばかりの頃の、短髪に学ランの姿を想像してみた。僕はその頃から成長が止まっていて、今とちっとも変わらない。
その隣りに泰治を置いて見る。
やっぱり学ラン姿の僕とじゃ、とても恋人同士とは思えない。友だちと言うのも違和感がある。親戚のお兄ちゃんと従兄弟って感じだろうか。まあ、そんなのはどうでもいい。
僕は、泰治とどこかへ出かける。
デートだ。映画館とか、ゲーセンとか、サッカー観戦に行く…。こっちにいるよりも、気兼ねなく二人で遊びに興じられる。きっと楽しいだろう。だけど、やっぱり違和感を感じる。まるっきり、ただの男友だち。
じゃあ、恋人と友だちの境目はなんだろう?
それはやっぱり、セックスしてるか、してないかだよね。同性の友だちとセックスしてる人は、全くいない訳じゃないだろうけど、限りなく少ないだろう。
胸がぺったんこになった裸の自分を想像した。
昨日みたいに泰治とキスして、触り合ってる僕。泰治が僕のぺったんこの胸に触れる……。
「ムリだよ……」
鳥肌が立った。何だか気持ち悪かった。
やっぱり僕は男だから、滅多にしない自慰だって女の裸を想像してする。主に足からお尻にかけてのラインだとか、ネットで見たAVの濡れ場を思い描く。もちろん自分が抱く方だ。でも、泰治とエッチしてしまった僕は、当然抱かれる方な訳で、今も、昨日からの自分の姿を想像したのだけれど、そこに胸のない自分の姿を当てはめて……気持ちが悪くなってしまった。
別に泰治の男らしい身体に嫌悪したんじゃない。“ おっぱい ” のない自分の姿に萎えちゃったんだ。あんなに嫌悪していたのに、泰治と抱き合っている自分に、胸がないなんて考えられなかった。
夢から覚めた気がした。
だって僕は、泰治が好きなだけで、男が好きな訳じゃないんだ。自分が女に近い姿だから、それほど変に思わなかっただけだ。
じゃあ、泰治は?
女の子とエッチした事がない僕だって、男になった自分の姿に萎えてしまうのに、僕と同じに男が好きな訳じゃない、むしろ巨乳好きな泰治が、ぺったんこの僕の身体を、本当に抱けるんだろうか?
泰治は平気だと言った。
そう、最初はいいかも知れない。お尻を使うなんてアブノーマル系だけど、男女間でもしなくはないし。だけど、だんだん満足出来なくなるのじゃないだろうか。なのに、何年も何年もそれで我慢してくれるだろうか。
肉体的にも満足できないし、精神的にだって、誰にも言えない秘密を抱えたまま付き合うのは、ストレスになるだけだろう。そんな危うい関係を、一生続けて行けるのだろうか。
「ムリだよ……」
胸が痛くて涙がこぼれた。
ムリなのは、泰治じゃない。僕の方だ。泰治が僕から離れて行っちゃうかも知れない。色んな障害でダメになっちゃうかも知れない。そんな想像をするだけで、胸が潰れるほど悲しくて、あんなに嫌だったのに、おっぱいを取るのが怖いと思った。
男に戻らなきゃいけないのに、それが叔母さんたちを守る最善策だと思うのに、泰治が僕を好きでいてくれる重要な要素を、無くしてしまうのが怖かった。
もしそれで、僕の前から泰治がいなくなってしまうのなら、いっそ最初から全部なかった事にしたい。出来るなら、去年の夏まで時間を巻き戻したい。
「ふふ……」
泣いてる自分がおかしかった。こんなに、泰治の事を好きになってるなんて思わなかった。
これから泰治と会うのに、どうしたらいいんだろう。
最後までちゃんとセックスする約束をしたけど、僕は男に戻るのだ。だったら最初の希望通り、きちんとした男として生きるために、これ以上先に進まない方がいいと思う。だけど……。
頭とは裏腹に、心の中はどうしても泰治と “ したい ” という思いで溢れていた。
だって、好きなんだ。この先、こんなに好きになれる人が出来るかなんて分からない。もう会わないつもりなら尚の事、最後まで泰治と愛し合いたい。
だけど、だけど、だけど――。
いくら考えたって答えなんて出る訳なくて、いつのまにか随分な時間が経っていた。誰かが戸口を叩く音に気がついて、慌てて時計を見るともう七時半を過ぎていた。たぶん夕飯だろう。
扉を開けると、叔父さんが夕飯を載せたお盆を持って立っていた。
「忙しいのに、運んでもらってごめんなさい」
僕が謝ると、叔父さんは首を振って労るように言った。
「電気点いてないから、寝てるのかと思ったよ。疲れたんだろう?」
「ううん。大丈夫。ありがとう」
礼を言ってお盆を受け取ると、叔父さんは何も言わずに僕の頭をくしゃしゃくしゃと撫でて、母屋へ帰って行った。その後ろ姿を見送りながら、あと三日もしたらここを出るのだと思うと、やっぱり悲しくて涙がこぼれてしまった。
泣きながら食べたから、せっかくお客さんと同じ豪華な食事も、よく味が分からないまま食べ終えた。流しで食器を洗うとまだ八時で、僕は携帯電話を手にして、泰治に「今日は止めよう」とかけるべきかどうか迷った。
いや、今日は…じゃない。本当の意味で男に戻るから、付き合うのをもう止めようと言うべきなのだ。三十分もの間、僕は泰治の番号を眺め続けて、結局かけられずにベッドに突っ伏した。
「言えないよ……」
僕だって好きなんだから。でも、このままじゃ、もうすぐ泰治がやる気で満々で来てしまう。
どうしようと思いながら、新しく取り替えたシーツと枕カバーのストライプ模様をぼうっと眺めて、ふと、もしこのまま最後までエッチするんなら、僕も何か準備をしておかないと、いけないんじゃないかと思った。
慌ててベッドから下りるとノートPCを立ち上げて、いつもお世話になっている動画サイトを開き、ゲイモノのお試し映像を見てみたけど、いきなり入っちゃってたりするから、あまり参考にならなかった。
いくつか続けて見ているうちに、生々し過ぎて耐えられなくなってしまい、“ アナルセックス ” で検索をかけたら、お目当てのハウツーが載っいてるサイトがあった。最初の準備なる項目を読んでいくと、なんとなく想像はしていたけど、やっぱり書いてあった。
「アソコ…洗うんだ」
読んでるうちにソワソワしてしまい、僕は何かに突き動かされるようにシャワーを浴びに行った。ホントに最後までするか分からないけど、準備だけはするべきだと思ったんだ。
サイトに書いてあった通りに、シャワーを使ってお尻にお湯を入れて洗浄した。母屋のトイレはウォシュレットだから、感覚的にはそれに近くて、あまり違和感を感じずに処理出来た。サイトには五回くらいとあったから、それだけやるとあとは身体と髪を丁寧に洗った。
ドキドキしちゃって洗浄に時間がかかったから、出て来た時はもう十時五分前だった。早く着替えて髪を乾かさなきゃと思ったけど、暑くて汗が引かないから、裸のままドライヤーをかけてたんだけど、いくらも乾かないうちに戸口を叩く音がした。
慌てたけど泰治だろうと思ったから、バスタオルを巻いた姿のままで扉の前まで行くと、念のために一応相手を確かめた。
「ハ、ハイ、どなた?」
「俺……」
不機嫌そうな泰治の声が聞こえて、そのまま扉を開けると、僕を見た途端「うっ!」って呻いて慌てて中に入ると鍵を閉めた。
泰治は大きめの紙袋を抱えたまま、「バカ! よく確かめずにそんな格好で出るんじゃねえよ!」と怒鳴った。
「確かめたから、開けたんだけど…」
ムッとして言い返すと、ばつの悪い顔をして、ちっ、と舌打ちした。
「今度から、相手がちゃんと名前を言うまで開けるんじゃねえぞ!」
「…うん」
怒られて落ち込みに拍車がかかった僕が項垂れて返事をすると、泰治は取り繕うように「シャワー浴びてたのか?」と言った。
「うん。お尻洗ってた」
僕の返事を聞いた泰治は、なぜか抱えていた紙袋を床に落とした。何か重い物が入っているのか、ドカッとかなり大きな音がしたので、僕は慌てて袋を持ち上げようと前屈みになった。その拍子にするりとバスタオルが外れてしまい、すっぽんぽんになってしまった。
「あっ……」
「わっ!」
同時に叫んで見詰め合った。初デートの時みたいに慌てなかったのは、場数を踏んだからかな?
でも、しっかり股間は手で隠した。胸の方は出しっ放しになっちゃったけど。
泰治は珍しく真っ赤になっていたけど、はぁーっと脱力してため息を吐いたあと、「お前はもう、ホントにドジだな…」と笑って僕を抱きしめた。
「まだ、濡れてるな……」
僕の髪の匂いを嗅いで、それからおでこにキスをした。背中を抱いてる手がちょっといやらしく動き回って、お尻の方へ下りて来た。僕はゾクゾクして泰治に胸にしがみついた。泰治は僕のお尻をやわやわと揉んだあと、割れ目に隠れた小さな窪みを指で撫で回した。
「あっ、ん……」
反射的に身体が震えて、喘ぎがもれてしまった。泰治は僕の耳元で「ここ、自分で洗ったのか?」と聞いた。
「う、ん……」
泰治が何かする度に身体がゾクゾクして、ゾクゾクする度にあそこが膨らんで、僕の頭は空っぽになってしまった。それで悩みが消えた訳じゃないのに、心の中で揺れ動いていた天秤は、『泰治が好き』の方へガクンと傾いたまま動かなくなった。
「俺も…浴びて来た。ちょっとまた汗かいたけど、いいか?」
「…んふ……」
もう、どうなってもいいやと、胸に顔を押し付けたまま返事をした。声がくぐもって分かりにくかったかなと、顔を上げて口を開いた。
「泰ちゃん…」
いいよ、と言おうとしたら、唇を塞がれた。
優しく吸われて、上と下と交互に唇を甘噛みされた。気持ち良くて思わず声を上げると、開いた唇から泰治の舌がするりと入って来て、抱きしめるよう僕の舌に絡み付いた。扱かれて、撫でられて、僕も同じように動かすと泰治の息が荒くなった。
「あっ!」
背中を撫でていた手が急に僕のおっぱいを掴んだから、腰が砕けてしゃがみ込みそうになった。 泰治は僕の身体を抱きとめて横抱きに抱え上げると、ベッドへと歩いて行った。