INDEX NOVEL

いとしい人  〜 My Fair Darling 〜 〈 3 〉

 人は、会おうとしなければ、喩え同じ会社にいても会えないのだと、感心するほど鬼塚に会えなかった。
 まあ、そりゃそうか、と正樹も思う。会社は仕事をするところ。そんなのは百も承知でいたのに、こうも会えないと苛々してタバコの本数が増えた。いっそのこと、喫煙室より経理部へ行った方が、仕事もスムーズに進むのではないかと自嘲してしまう。仕事が疎かになりそうなほど気になる相手が出来るなんて、自分でも驚きだった。
 正樹の仕事は、個人宅向けのガレージ用シャッターの営業だ。
 防火扉や大型店舗のシャッターなどを扱う営業よりは、一件ずつの売り上げは大した額にならないが、今はそう言った大型を扱う建築事業に携わるのが難しくなっているので、短いスパンで売り上げが立つ分、会社から期待されている。正樹も自分の仕事にやりがいを感じているが、重圧もそれなりにある。
 毎月売り上げ報告と、来月の販売目標の提示を義務づけられている。別に目標に届かなくても構わないが、昇級やボーナスの査定には響く。正樹は売り上げ上位で若手のホープと見なされている分、このまま営業成績を右肩上がりでキープするには、常に新しい施工主やリフォーム物件の情報を求めて建築会社や施行会社に顔を出し、製品を売り込まなければならない。
 それには、イマドキのオシャレな建築家は別として、施行関係者の営業に接待は欠かせないから、不景気で接待交際費が削られていても、夜の接待も付き合いゴルフも健在だ。最先端のIT関連と違って、古くさい体質の業界なのだ。
 どんなに残業してもフレックスではないから、朝は時間通りに出社する。午前中はメールのチェックと営業先へアポイントを取り、持参する書類の用意をするので終わってしまう。懐が寂しければ極力社食で昼食を済ませて外回りに行き、定時退社時間に戻ってから書類整理に追われる。
 まあ、平常なら一時間くらいの残業で帰れるが、個人発注者の仕事を受けていると、相手の帰宅時間に合わせて帰りがけに出向いたりもするし、接待があれば大抵終電コースだ。
 そして、月末は提出書類の作成に追われて更に終電の回数が増える。領収書と経費精算書を上手く出さなければ、持ち出しになってしまうから必死にならざるを得ない。
 これでは、社内にしかいない鬼塚と、社内にいる時間がない、或はいても暇がない正樹では、余程の偶然か、努力がなければ会えないのも道理だ。
 それでも、前は喫煙室で普通に会えていたのだから、『避けられている』という気がしなくもない。だが逆に、『上等じゃねぇか』と闘志も湧いて来る。そうでなければ、営業なんて勤まらないし、恋なんてしてられない。男たるもの “ 肉食系 ” でなければならないのだ。
 毎年一月は休みが多い分、売り上げにしろ何にしろキツいのだが、いくら何でも月が変われば多少は楽になる。もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせて、胃薬と強壮剤片手に月末を耐え忍んだ。
 そうして二月になるとすぐに、正樹は経理部に鬼塚を訪ねて行った。
 会いに行く対外的な理由は、あの日の別れ際に鬼塚が言った『お礼』を催促するためだが、顔が見られるなら理由なんて何だってよかった。
 昼休み、それこそ十二時を回ってすぐに席を立ち、エレベーターを待つのももどかしく階段を駆け下りたのに、経理部に鬼塚の姿は既になかった。代わりに食堂へ行こうとしていた清水と、お局(つぼね)と目される薹(とう)が立った女子社員と鉢会わせた。
 清水とは顔を合わせた途端、微妙な雰囲気になった。そんな二人にお構いなしに、お局社員は肩で息をしている正樹に驚いて言った。
「どうしたの? 何か急用?」
「あー……、いえ、用って言うか……鬼塚さん、どちらへ行かれたか分かりますか?」
「ああ、コンビニにお弁当買いに行ったわよ?」
「コンビニ? 下の?」
「ええ、多分。今日はお天気が良いから、そのまま公園へ行っちゃうかも……」
 住吉に礼を言ってコンビニに行こうと踵を返したが、清水が呼び止めたので、邪魔するなよと舌打ちしそうになりながら、「なんでしょう?」と努めて穏やかに聞いた。
「この間の、懇親会の事なんですけど……」
「えっ? あっ、ああ…はい、懇親会!」
 すっかり頭から抜け落ちていた自分のでまかせを思い出し、さすがに慌てて相づちを打つと、清水は隣りの大柄な女を見ながら言った。
「こちらの住吉さんが、幹事を引き受けてくださるそうです」
 嘘から出た実(まこと)とはこの事かと、目が丸くなった。そのまま視線を住吉に向けると、
「うん。引き受けた。みんな楽しみにしてるからね!」と頷くので、正樹は帳尻合わせのために鬼塚を追うのを諦めた。

 清水に出端(でばな)を挫(くじ)かれた形になったが、悪い事の後には良い事があるもので、お陰で正樹は堂々と経理部を訪ねる理由が出来た。
 営業部に戻って事の次第を伝えると、肝心の前田が「清水さんじゃないなら、幹事なんかやらないよ。大体、堤が言い出した事だし」と調整役を蹴ったので、自動的に正樹がやる事になったからだ。正直、正樹も面倒だと思ったが、住吉に鬼塚の事を訊けるなら儲け物と思い直した。
 早速、住吉と社食で食事をしながら打ち合わせをしようと約束し、正樹は経理部まで住吉を迎えに行った。そして幸運にも、丁度コンビニに行こうとしていた鬼塚とフロアの出入り口ですれ違がった。鬼塚は正樹の出現に驚いたらしく、わざわざ振り向いて二度見してくれたから、夢にまで見た男の顔を漸く拝む事が出来た。
 鬼塚に会ったら、言いたい事は色々あった筈なのに、いざとなったら何も出て来なかった。鼓動が激しくなるのを押さえながら、「…お疲れ様です。その眼鏡、とても似合ってますよ」と、どうにか微笑むと、鬼塚は真っ赤になって「あっ、ああ……」と返事になり損ねた呻きを残して、逃げるように去って行ってしまった。
 正樹は惚けたまま、その後ろ姿を見送った。すると横から突然、「ほおぉ〜〜」と唸るような感嘆の声が聞こえて飛び上がった。
「うわっ! 住吉さん?」
 いつの間に隣りに居たのか、住吉は腕を組んで正樹と同じように鬼塚の背中を見送りながら、いたく感心したように唸っていた。何をそんなに感心したのか気になったが、「さあ、行こうか」とさっさと歩き出されてしまったので、聞く機会を逃してしまった。
 食堂へ着くと、住吉はその大柄な身体が物語るように、ビュッフェ式のインドカレーとグリーンサラダを大皿に盛り合わせたので、正樹も久し振りにステーキと、サラダとライスを大盛りにした。
 住吉と話すのは初めてだが、営業の男性並みにわしわし食べながら、正樹が取りまとめた営業部の希望を聞いて、てきぱきと采配をとってくれたので楽だった。きっと仕事も出来るだろう。営業事務の使えない新人と交換したいくらいだと思った。年齢とひっつめ髪から来るイメージでお局と決めつけていたが、女を全面に出している清水より、個人的に好感が持てた。
 相談の結果、親睦会は二月十四日のバレンタインデーに、近所の居酒屋で行う事に決まった。
 本当は二週目の木曜か金曜日が良いのだが、男所帯で出会いの少ない営業の男どもとしては、やはり義理であってもチョコレートが欲しいものなのである。
 女性に興味のない正樹はホワイトデーのお返しが面倒だと、営業の総意を無視して最初の木曜日でいいと言ったが、住吉はカラカラと笑いながら、「毎年恒例にしろとか言われたら困るけど、たまにはいいんじゃないの」と快諾した。
「互助会費が使えるからチョコは用意するわね。あと、出欠は自由参加にしてね。きっと、部長と課長は来ないし、彼氏のいる子も来ないと思う」
 それは営業も同様なので了承した。山崎は参加すると思うが、呑兵衛(のんべえ)以外の所帯持ちは参加しないだろう。清水の話を聞いていたから、鬼塚も来ないだろうと踏んでいた。
「住吉さんは、参加ですよね」
 何気なく訊いただけだったが、住吉は苦笑しながら「うん。旦那いるけど、参加する。幹事だからね!」と言ったので驚いた。指輪をしていないから、てっきり独身だと思っていた。
「結婚してるんですか?」
 思わず言ってしまい慌てて口を押さえたが、すぐに「うん。籍は入れてないけどね〜」と予想外の答えが返って来て、またしても「えっ?」と聞き返してしまった。
 住吉は気にした風も無く「お互い一人っ子同士だから、名前変えられなかったんだわ」と答えた。
 住吉も、彼女の夫も古い家系の出身で、家督を継ぐべき直系にも関わらず、好きな相手を選んだために内縁のままなのだと言う。七つになる男の子がいるが、その子は自動的に夫の籍になるので、夫の両親とは良好な関係らしい。それが住吉の父親には面白くなかった。喩え血の繋がった孫でも、住吉の跡取りではないからと、更に頑(かたくな)になっているらしい。
「もう一人子どもを生めれば、将来その子に名前を継がせる事も出来るけど、こればっかりはねぇ…だからって、自分の親を捨てちゃう訳にもいかないし、名前だけ残っても何の意味もないけど、せめて父親の代で潰さないように、籍は入れない事にしたの。母親は、父が亡くなったら籍を入れれば良いと言うけど、死ぬのを待つみたいで嫌だから、諦めてる」
「家族が絡むと、難しいですね……」
 正樹は自分の家族を思い出して、住吉に同情した。
 正樹も一人っ子だが、大学時代にゲイだとバレて絶縁されていた。父親に変態と罵倒された時、はらわたが煮えくり返って憎いとすら思ったから、当時は独りになれて清々したものだ。ただ、孫が抱けないのかと泣いていた母親の事を思い出すと、申し訳なく感じたりもするから、住吉の気持ちも分からなくはない。かと言って、内縁のままでは困るだろうと思った。
 結婚は、たかが紙きれ一枚の契約と言うけれど、法の元に認められているのと、いないのとではかなり違う。概(おおむ)ね夫婦と同等の権利を受けられるが、子どもとの関係は複雑だろう。
 ゲイの正樹には無縁の話だが、年齢的に周りが身を固め始め、早い者では既に別れたりしているから、そんな知識も自然と増えて来る。虚しく思う反面、前より自分が哀れだと思わなくなった。
 他人(ひと)にはそれぞれ、抱えているモノがある。それは、ゲイでも、普通の男女でも同じだ。この世に独りきりでもない限り、自分の意のままに生きて行くのは難しい。改めて思うと、遣り切れないため息がこぼれた。
「あはは〜、最初はちゃんと指輪をしてたんだけど、太って外しちゃったんだよね〜。だから新人の子が入って来ると、独身のお局様に間違えられちゃうんだよね〜」
 しんみりした空気を払拭するように、住吉が戯けて舌を出したので、正樹は「僕も、そう思ってました。すいません」と笑いながら立ち上がり、デザートの棚からケーキを取って戻ると「どうぞ。奢ります」と住吉の前に差し出した。
「あら、奢ってくれるの? まあ、何だか気を遣わせちゃったわね」
 住吉は口では恐縮しながら、ケーキを一口で平らげてしまったので、正樹は苦笑しながら
「それ、賄賂(わいろ)ですから」と言った。
「鬼塚さんの事を訊きたいと思って……」
 わざとらしく声を潜めて言うと、住吉は驚いて目を見開いたが、すぐに身を乗り出して「なに、なに?」と目を輝かせたので、この人、案外下世話な人かも知れないと少しがっかりした。まあ、それならそれで、簡単に情報を引き出せそうだと、気楽に質問を切り出した。
「あの人、何で社食に来ないんですかね。喫煙室にも来ないし。禁煙してるんですか?」
 そう言うと、住吉は目を丸くして「それは、堤くんのせいでしょう?」と大笑いした。
「清水に聞いたよ。眼鏡できる間に散髪に誘っただけなんだって? 鬼塚くん、君についうっかりと乗せられて髪を切ったはいいけど、翌日、ここで想像以上に注目浴びちゃったもんだから、すごく後悔したみたい。だから、最近は自分の席でコンビニ弁当ばっかり食べてるよ。たまに部長に誘われて外にも行くけど、また髪が伸びるまで社食には来ないと思うよ。でも、禁煙はしてないと思うけど? タバコ持って席外すから」
「でも、喫煙室には来てませんよ?」
「ああ…じゃあ、きっと屋上だよ」
「えっ? 屋上に出られるんですか?」
「うん。昔はみんな屋上で吸ってたよ。でも今は喫煙室があるから、もうあそこで吸っちゃ駄目なんだけどね。見つけたら叱っといて」
 そんな穴場があるなんて知らなかったから、道理で会えない訳だと納得した。それにしても、鬼塚と同期とは聞いていたが、本当に親しいのだと分かって、ちょっと嫉妬を覚えてしまった。
「住吉さん、鬼塚さんと親しいんですね」
「うん。同期はもう彼と二人だけだし、昔はあんなに無口じゃなかったもの。私の結婚の事も相談に乗ってくれたし、もっと自分の事に前向きだったよ」
 そう寂しそうに呟く住吉に、正樹は思わず「僕は、鬼塚さんの事を知りたいと思ってます」と言ってしまっていた。住吉はぎょっとした後、急に顔を赤くしたので、「変な意味じゃないですよ!」と慌てて否定した。どうも最近の女性は、この手の話に敏感だ。
「年は下ですが、友人になりたいって事ですよ!」
「分かってるわよ!」
 住吉は顔の前で手を振ったが、口元はなぜか笑っていた。
「でも、彼の何が知りたいの?」
 正樹は真相が明るみになる期待に胸を躍らせながらも、気持ちを抑えるように声を潜めて訊いた。
「清水さんから、鬼塚さんが胃潰瘍になった話を聞きました。鬼塚さんが顔を隠すようになったのは、その頃からだと聞いたので、何があったのかなって……」
「それは、教えられない」
 話の途中できっぱりと断られた。正樹は失敗したと内心で舌打ちしたが、どうして鬼塚が住吉と親しくしているのか納得がいったし、更に好感を持った。しかし、これで引き下がる訳にはいかない。どう切り口を変えようか考えていると、住吉がちょっと考え込んだ後、徐に口を開いた。
「私もね、清水からあなたの話を聞いたよ。ごめんね。でも、それで思った事がある。あなた、鬼塚くんが “ 変わりたい ” と思った時期なんじゃないかって言ったそうだけど、私もね、そうかも知れないと思ったの。だけどそれは、きっと “ 君だから ” だと思うのよ。他の人じゃ駄目なんだと思う。だから、私の知ってる事を教えてあげてもいいんだけど……君が、本当に鬼塚くんと親しくなりたいと思うなら、彼に、直接当たってみてくれる?」
「そうしたいのは、やまやまですけど、下で会った時の態度でも分かりますけど、避けられてますよね。明らかに……」
「避けてるのは君の事だけじゃないけどね。確かにあれじゃあ、真正面から行っても無駄だから、特別に鬼塚くんの行きつけのお店、教えてあげるよ」
「それって、日下部部長と行ってるっていう、秘密の飲み屋ですか?」
「そう。殆ど日参してる筈だから、そこに行けば捕まると思うよ? でも、他の人には絶対内緒にしてね」
 後で店の名前と場所をメールしてあげるよと住吉が言うので、正樹は頭の中で小躍りしながら「他言しません」と誓いを立てたが、どうして住吉がこんなに自分に味方してくれるのか不思議だった。
「あの…、自分で訊いておいて何ですが、どうして協力してくれるんですか?」
「昔の鬼塚くんに、戻って欲しいと思ってるから…。さっきも言ったけど、その切り札が君だと踏んだワケ」
「切り札…?」
「うん。君相手だと、彼はいつに無い反応を示すからねぇ。清水が妬く訳だ……」
 住吉の話が本当なら自分としても期待が持てて嬉しいが、真面目な表情を崩さずにもうひと押し攻勢をかけた。
「やっぱり、少しだけ教えてもらえませんか? 差し支えない事だけでいいんです。鬼塚さんは、どうして顔を隠したがるんですか?」
 住吉はまたちょっと考え込んでから、慎重に口を開いた。
「分かると思うけど、すごくモテたのよ、彼は。男性的な逞(たくま)しさはないけど、優しくて、あれだけの美形で、おまけに仕事も出来るのよ? 女がほっとく訳ないと思わない? なのに本人は、一生独りでいたいんですって。その理由は私も知らないけどね。だけど、いくら本人が独りでいたくても、やっぱり周りがほっとかないのよ。それで…色々とあったワケ。だから『目立たぬように、モテないように』ダサイ振りをしてるの」
 住吉はそう言うと、大きなため息を漏らして肩を竦めたが、このとき正樹の頭で、鬼塚のゲイ説が確定した。

 住吉は約束通り、正樹のスマホにメールで飲み屋の情報を送ってくれた。昼は知りたい事の半分も訊けなかったが、これだけでもかなりの収穫と言えた。今日行っても鬼塚がいるとは限らないが、偵察をかねて行ってみるつもりだった。だが、またしても清水に邪魔される形となった。
 帰り際に清水が営業へ現れて、「買い物に付き合ってください」と言ったのだ。
 約束はしたけれど、今日と決めた覚えはない。遠目でも分かる前田の恨めしそうな視線に慌てて「今日は、先約があるから」と断ったが、「では、いつならいいですか?」と食い下がられた。
 バレンタインデーは来週の木曜日だから、今週中に買いに行きたいと言う。正樹は返答に窮した。週末に連休があるのだから、何とかやり過ごせば自分で買いに行くかも知れない。
「悪いけど、今週はちょっと…仕事が詰まってるんです。休み明けでもよければ、付き合えますけど……」
 清水の視線を避けるように壁のカレンダーを見ながら言うと、釣られてカレンダーを眺めた清水は、「…では、火曜日の帰りにお願い出来ますか?」と言った。内心でしつこいなと憤(いきどお)ったが、以前安請け合いした手前「いいですよ」と了承せざるを得なかった。
 火曜日の六時十五分に、経理部のある二階のエレベーターホールで待ち合わせようと決めたが、清水は何か他に言いたい事がある様子で、帰る素振りを見せない。一体何がしたいんだと思って清水を見ていると、暫く逡巡してから口を開いた。
「あの…今日、住吉さんから、何か聞かれましたか?」
 そのひと言で、清水の魂胆が分かってしまった。
 買い物は口実で、正樹が鬼塚の事を何か聞き出せたのか、それが知りたかったのだ。今日、買い物の誘いにすんなり正樹が了承していれば、雑談のついでに聞き出せると思ったのだろうが、来週になってしまったから待ちきれなくて直球で来たのだ。
「何って、何を? 今日は親睦会の打ち合わせをしただけですよ。住吉さん、何か言ってました?」
 自然な笑顔で逆に訊いてやった。だてに海千山千の土建屋相手に営業打ってる訳じゃない。腹を読ませない自信はある。
 清水は少し戸惑った後、「…いいえ、何も」と答えた。
「住吉さんとは今日が初対面ですが、人の事をぺラぺラ喋る人ではないように見えましたよ」
 自分の事を棚に上げてそう言うと、清水は恥じ入るように俯いて「そう、ですね……」と呟いた。正樹は多少罪悪感を覚えたが、何でこんなに焦ってるんだろうと気になった。バレンタインの日は親睦会があるから…と、思った時点で気がついた。鬼塚は親睦会に来ないのだ。
「そう言えば、清水さんは、親睦会は出られますよね?」
 何気に訊いてみると、清水は含みを感じさせる上目遣いで正樹を見ながら「いいえ、私は欠席します」と声を潜めて答えた。
 清水は、誰にも邪魔されないバレンタインの夜に、プレゼントを渡して鬼塚にアタックするつもりなのだ。それには、色々と有利な情報を仕入れておきたいのだろう。特に、鬼塚が行くであろう秘密の飲み屋の場所とか……。
「…そうですか。僕は出席しますよ。一緒に飲めなくて残念ですね。じゃあ、来週までに良い店を探しておきます。お疲れ様です」
 一方的に話を打ち切って正樹は自分の席に戻ったが、清水が帰ったあとも居合わせた社員から「デートか?」と囃されるし、前田に「どういう事だよ?」と根掘り葉掘り訊かれて散々だった。
 成り行きで買い物に付き合う事になっただけだと説明したが、ひがみっぽい前田はなかなか納得しないし、仕舞いには頭に来て「そんなに気になるなら、お前も来い! ついでに山崎も付き合わせてやる!」と怒鳴ってしまったが、清水と二人きりになるなどご免被りたかったから、これは良い考えだと思った。
 恋敵の手助けなんて、誰がすんなりしてやるものか。それより何より、先手を打たなければ。
 翌日、早速ネットで銀座の日本酒専門店を見つけた。店主が全国から集めた選りすぐりの名酒が揃っているらしい。店内で試飲も出来るし、気に入った酒を購入すれば、提携しているレストランに持ち込みも可能だ。正樹はその提携店に勝手に四名で予約も入れた。
 要は、山崎カップルと前田と清水の四人で、ダブルデートをさせようという魂胆だ。最初、山崎には断られたが、「お前だって、前田に清水さんの事を頼まれただろう?」と迫ると、「上手く行かなくても、責任もたないよ」と消極的ながら協力してくれる事になった。
 こうして恋敵への嫌がらせの準備を着々と進めながら、自分の恋の道筋を立てる準備も怠らなかった。金曜日の夜に例の飲み屋へ行くつもりで、住吉に鬼塚の予定を探ってもらったのだ。喫煙室でこっそりメールをチェックし、『金曜日は行くって。部長は行かないみたい』との文面を見た時は、興奮して煙に咽せながら片手でガッツポーズを決めた。
 そして、待ちに待った週末。
 正樹は退社時間ぴったりに、脱兎の如く会社を飛び出して秘密の飲み屋へと向かった。

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