INDEX NOVEL

Mr. シンデレラ 〈 2 〉

 トイレの前で一旦立ち止まり、いろんな想いの渦巻いた煩い胸の鼓動を抑えようと、深呼吸をしてから扉を押した。
 店を改装する時にホテルのような高級感を出したいと、男女共に乳白色の大理石を使用し、広めに設えたトイレには二つの個室があるが、その左奥が使用中だった。恐らく友彰だと思うけど、違った場合を考えて、
「失礼いたします。石川様はいらっしゃいますか?」と控えめに声を掛けると、「…ハイ、ここで、す…」と掠れた返事があった。その声の弱さが酷く心配を煽って、個室の前に駈け寄って扉をノックしようとしたが、焦らせる方が良くないと思い止まり声を掛けるだけにした。
「友彰? 大丈夫か? 出られそう?」
 俺の矢継ぎ早の質問に、全部まとめて「う、ん…」と答えたものの、扉が開くまでにたっぷり二分はかかった。カタッと音をさせてのろのろと扉を開けた友彰は、真っ青な顔をしていたが、俺を見ると弱々しく笑った。
「また、やっちゃったよ…。ごめん。折角亮介さんが――」
「いいよ、そんな事」
 友彰の台詞を皆まで言わせず腕を取ってゆっくり外に導いた。出入り口のすぐ脇にある二人掛けのカウチに座らせると、俺も隣に腰を下ろして背中を摩った。暫くの間、友彰は前屈みで両膝に肘を付いて顔を覆いじっとしていたが、手の平で顔をごしごし擦るとこちらに顔を向けた。
「アリガト。もう大丈夫だから…」
 そう言って、無理に笑って見せる友彰が可哀相で、抱きしめたくなるのを必死で抑えた。自分の気持ちを誤魔化すように友彰の背中から慌てて手を離すと、友彰は上体を起こし壁に凭れて「はぁっ」と大きく息を吐いた。
 何となく気まずい空気が流れた。俺は友彰の身体が変調を来す理由を知っている。でも、本当の所梨花さんと何があったのかは分からない。真実を聞きたかった。聞いて安心したかったが、そんな自分がとても嫌らしく思えて、口に出すのが憚られた。
「フラれた…」
 俺の考えを見透したように友彰がポツリと呟いた。ぎょっとして友彰を窺い見ると、顔には何の感情も浮かんでいなかったが、それほど辛そうには見えなかった。ほっとすると同時に、痛くて嬉しくて苦しい想いが胸に迫り上がった。辛うじて「そう…」と答えた時、トイレの扉が開いてお客が一人入って来た。壮年の背広姿の男性は俺たちを一瞥すると怪訝そうな顔をしたが、すぐに個室へ入って行った。俺は友彰の腕を取ると「こっちで休んで…」とスタッフの控え室へ案内した。
 トイレを出てすぐ横の突き当たりの部屋は、両親が健在だった頃は事務室として使用していた。今は事務室兼控え室になっている。友彰に肩を貸しながら扉を開けて電気を点けた。すぐ脇の三人掛けのソファへ座らせると、友彰はゆっくり部屋の中を見回して懐かしそうに「変わってないな…」と呟いた。
「うん。でも、少し狭くなっただろ。壁紙もさすがに汚くて取り替えたし」
 改装時にトイレを広くした分少し狭くなったが、壁紙を張り替えただけで他は手を入れなかったから、傷だらけの木の床も、母の希望で取り付けた二階へ繋がる上りにくい螺旋階段も昔のままだ。
「そうか。でも、壁紙も昔のと似てる。この部屋に合ってる…。おじさん、よくここで寝てたよな。俺、時々おじさんのハヤシライスが無性に食べたくなるよ…」
 友彰は眼を細めて自分の座っている擦り切れた別珍(べっちん)のソファの座面を手の平で何度も撫でていた。
 高校生の頃、友彰はよく家へ遊びに来た。お目当ては親父が出してくれるハヤシライスだが、俺は文字通り友彰の数少ない好物を餌に誘った。裏口の外階段から母屋の二階へ行けるのに、友彰は必ず両親に挨拶すると言って、この事務室を通って家へ上がった。
 部活のない日は帰ると店の昼休憩の時間で、窓際の事務机で帳簿をつけている母さんと、この壁際のソファで寝ている親父が目を覚まし、俺たちを向かえてくれたのを思い出す。今も時々、扉を開けると二人がこちらを向いて「おかえり」と笑っていそうで切なくなる。目の奥が熱くなった俺は、慌てて「水を貰って来るから」と言い置いて厨房へ向かった。

 俺たちが “ いつもの ” 事と呼ぶ友彰の症状――失恋など、精神的に酷いショックを受けると食べた物を戻してしまう――のを初めて知ったのは、丁度その頃、高校二年の時だった。
 友彰が初めて付き合った西野弘子(にしの ひろこ)に「私と、ラグビーと、どっちが大事なの!?」との問に即答しなかったからとの理由でフラれた時、西野が作ったというチョコレートブラウニーを食っていた友彰は、盛大に戻したらしい(これも、百年の恋が覚めたと、西野に都合の良い理由になった)。
 この頃の俺は、友彰が女と付き合うという当たり前の出来事が受け入れられなくて、二人の姿を見たくないばっかりに不登校気味で荒れまくっていた。初めて “ 二丁目 ” の公園で男あさりをしたのもこの時期だったし、一度に複数の男と関係をもったり、勢いでウリに近い行為もした。
 今思えば馬鹿な事をしたと思うけど、一番性欲が抑制できない頃で、勝手な片恋だったのに失恋の痛手を持て余していたから、じくじくと身体の奥に燻る微熱を冷ます方法を他に知らなかった。
 その日は、担任から不登校の連絡を受けた親父にど突かれて渋々登校していた。
「おいっ! 石川がぶっ倒れて、お前の事呼んでる!」
 ふて寝していた昼休みの教室にラグビー部の先輩が知らせに来て、慌てて二人で保健室に駆け込むと、今日みたいに土色の顔をした友彰がベッドに寝ていた。
保険医の先生が食中毒の疑いがあるからと病院に搬送すると言うのを、友彰は何故か頑なに拒否していた。俺が宥め賺して理由を聞くと、小さな小さな声で「…たぶん、フラれた、から…」と答えた。先生は「ああ、なるほど…」とため息を吐いたが、俺と先輩は盛大に吹き出したのを覚えている。
 でも、当人にとっては笑い事ではなくて、それ以来、未だに友彰はチョコレートが食べられない。バレンタインデーなんぞ、吐き気と闘う地獄の一日だ。
 もともと偏食気味で野菜類や甘い物が好きではないようだったが、人前で酷く恥をかいたとか、自尊心が傷つくような目に遭うと、一つ、また一つと食べられない物が増えていき、俺と会った頃は殆どの野菜が食べられない状態だった。彼の両親も酷いアレルギーではないかと心配し、食べられない物が出る度に検査を繰り返したが、医者曰く、
「アレルギーの心配はありません。今は栄養補助剤も豊富ですし、精神的なものですから無理強いせず、食べられる物を摂るようにして様子をみましょう」との事で、そのまま現在に至っている。
「それでも、最近は吐いたりしなくなったのに…」
 目を赤く潤ませて悔しそうに唇を噛む友彰の姿に、先輩も俺も笑いを引っ込めた。
「おいっ! 元気出せよ。一回くらいの失恋が何だよ! 偏食でも身体に問題はないんだし、ラグビーやってるお前は、男の俺から見ても文句なくカッコイイぜ。女なんかまたすぐできるって、なっ!?」
 調子のいい先輩は俺の背中を肘でつついて同意を求めたけど、実際その通りで、ラグビーをしている友彰は普段とは別人だった。こんなに精神的に弱い面を持っていると、勝敗のプレッシャーに負けてしまうのではないかと心配になるが、一旦集中すると何の迷いも感じなくなるようで、自分の能力を発揮しようと神経を研ぎ澄ましてボールを追う姿は、見ているこちらが熱くなるほど真摯で感動させられた。本当にラグビーが好きなのだと思った。
 この格好良さは男にしか分かるまい、と思いたかったが、女にも充分通用した。特に大学時代の友彰は、普通の男からみたら人生の春を謳歌しているように見えただろう。何でも、“ 結婚するならバックス(守り)” との謂われがあるんだそうで、あっちの合コンこっちの合コンと引張り凧で、お持ち帰りなんか当たり前。俺が知ってるだけでも両の手じゃ数え切れないほどの女と付き合っていた(が、その割に誰とも長続きはしなかったようだけど)。
 正直に白状すれば、合コンうんぬんは、みんな林くんからの情報で、この時期の友彰の事を俺はよく知らない。ラグビーに全ての時間を費やしていた友彰は、月に一度うちの店に様子を見に来てくれるのが精一杯で、碌に話もできなかった。何故って、来る時はいつも誰かしら連れ(女)がいたからだ。
 少しでも売り上げになればとの、友彰の配慮だったのだと今は知っているけれど、店の行く末と目障りな “ 瘤 ” にいちいち嫉妬して消耗した俺は、人生で初めて『恋人』と呼べる人を作った。一回り以上年の離れた大学教授で、店のお客さんだった。奥さんも子どももいる、将来(さき)に何の期待も持てない人だったけど、慰めにはなった。
 自分の気持ちに蓋をして見ない振りをしていただけ…なんだけど、この人のお陰で随分大人になれた気がするし、穏やかに過ごせた気がする。でも、その蓋をこじ開けたのも、やっぱり友彰の “ いつもの ” 事だった。
 友彰が大学三年の冬、シーズン真っ直中だったと思う。林くんから「石川の様子が悪いみたいだよ」と聞いて、もしや…と思った。
「一週間くらい前かな、ラグビーの練習中に具合が悪くなって、学食で食べた麻婆茄子を全部吐いたんだって。救急車で運ばれて、すわっ、食中毒か!? って大騒ぎになったけど、他に具合の悪い人は出なかったみたい。あいつ、お腹弱いのかね。丈夫そうに見えるけど人は見掛けによらないね。今度の試合、出られないみたいだよ」
 林くんは眼鏡の奥の瞳を細めて心配げにため息を吐いた。友彰が最近誰かと付き合っていなかったかと聞くと、
「ああ、去年の学祭で “ ミス西城大 ” になった娘と、噂になってはいたけど、本当に付き合っていたのかなぁ…。だってその娘、合コンの常連で、この間も図書館の脇で白昼堂々、別の男とキスしてたの見たしね…」と言って首を傾げた。
 多分、また手酷くフラれたんだろうと思った。内心、いい気味だと思わない訳じゃなかった。それでも、試合に出られないほど酷いのかと思うと哀れになって、その週の店の定休日に俺は初めて友彰の家へ訪ねて行った。
初めて見る友彰のお母さんは友彰によく似た “ 大きい ” だった。俺より15センチは背が高い。友彰と同じくらいはある。庭で犬と遊んでいた友彰にその驚きを伝えると、
「うちは巨人族なんだよ。父親は188センチあるし、兄貴は195センチあるからね」と豆柴の背中を撫でながら言った。
 俺だけ偏食があるから背が伸びなかった…。そう背中を向けたまま独り言のように呟いたのを、俺は聞き漏らさなかった。178センチあれば十分な気がした俺は、意地悪く「気にしてるのか?」と訊いてやった。振り向いた友彰は自嘲気味に歪んだ笑顔を浮かべていた。
「気にしてない訳ないじゃないか。ラグビーに真剣に取り組めば取り組むほど、身体を作る大切さが身に沁みる。なのに、食べられるのは肉ばかりだ。偏食があるなんて恥ずかしくて言えないから、知らない人の前では小食になるのを、ほっといて欲しいのに食べろ、食べろと無理に勧められるんだ。付き合う女はみんな食べる事に貪欲で、あっちの店が美味しいだの何だのって、当たり前のように連れて行けとせがまれる。
 どこへ行ったって俺が注文できるのは『ステーキ』か『ハンバーク』か『カレーライス』。自分でもお子様かって思うよ。それを、駄目押しするみたいにこう言われるのさ、『どうして、いつも同じものしか頼まないの? 他にも美味しい物はたくさんあるのに』って。それがそのうち、『馬鹿の一つ覚え』、『ラグビーしか頭に無いつまらない男』、『見掛け倒しの種なし野郎』になるのさ。身体の病気なら…まだいいよ。手術とか、薬があれば治せるかも知れない。けど、医者はみんな口を揃えて身体は健康だって言うんだ。何で…どうして食べられないのか、俺が知りたいよっ!」
 初めて触れる友彰の負の感情に呑まれてしまって、俺はただ見つめ返すしかなかった。
『…身体の病気なら…まだいいよ。手術とか、薬があれば治せるかも知れない…』
 その台詞が胸を締め付けた。俺も同じ事を兄に言った覚えがある。男とホテルに入ろうとした所を見咎められて、ゲイである事を白状させられた。道端で言い争いになって、男同士なんて、思春期の性に対する興味から出た熱病みたいなもの――そんな言葉で片付けられそうになったのを、治せるものなら治して欲しいと兄の胸ぐらを掴んだ。その時の兄の複雑に歪んだ表情(かお)を今でも覚えている。
 人には誰だって、隠しておきたい秘密の一つや二つは有る筈で…。俺はそれを抱えきれなくて随分馬鹿な真似をして来たけど、友彰はいつも穏やかに笑って、必死に抱え込んでいたのかと思うと哀しくなった。
「そう、彼女に言われたのか?」
 背を向けてしまった友彰は、俺の言葉に返事をしなかったけれど、多分さっき言っていた通りの言葉を言われたんだろう。そんな女の事を、きっと真剣に好きだったのだ。好きだから格好つけて、言い出せなくて…。馬鹿な友彰、可哀相な友彰、ぶきっちょで、俺の大好きな――。
「お前、西野の時といい、女の趣味悪過ぎ。いくらお前の偏食を知らなくても、そんな事を言う女とは別れて正解だよ。なぁ、偏食は病気じゃないんなら、逆に治す事ができるかも知れないだろ? 悔しかったらさ、治す根性、出してみないか? 俺が手助けするからさ」
「…どうやって?」
 俺の言葉に驚いて振り向いた友彰は、もう普段の友彰だった。
「お前、トマトは嫌いだけど、ハヤシライスは好きだろう? それだよ、それ。食べ方は一つじゃないんだから、お前が食べられる野菜の調理法を見つければいいんだよ」
 簡単じゃん! そう言って、できるだけ明るく微笑んだ。友彰は釣られたように唇を綻ばすと、いつものはにかみ笑顔を浮かべて「うん…」と頷いた。
 それから月に二度、店の定休日に『野菜克服料理教室』を開いた。兄と林くんにも協力して貰って、世界中のレシピを調べあらゆる調理法に挑戦してみた。大変だったけど案外面白くて、そのまま勢い余って野菜ソムリエの資格まで手に入れた。自分にとってもプラスの経験だった。
 実際の目的の方は、敵の “ 偏食 ” はなかなかにしぶとくて、チョコレートを使ったメキシコ料理『ポージョコンモレ』を作った時は大失敗だった。最初は美味しいと食べていたのに、最後の一口って所でトイレへ駆け込まれた。それでも、「ぜったいダメだ…」と涙目で挑戦した『にんじんのスフレ』は大丈夫だったし、茄子も今では『茄子のはさみ揚げ』なら食べられるようになった。
 嫌いな物を食べるのは友彰にとって “ 吐く ” というリスクがあったから、本当は辛かっただろうと思うが、忙しい時間を遣り繰りして店にやって来た。俺は友彰の為に料理を作れるのが嬉しくて、楽しくて、『恋人』とは自然と逢う回数が減った。
 『料理教室』は友彰が就職した一年目まで続いた。二年目からはレギュラー選手として試合に出場する回数が増え、友彰は店に来られなくなった。
 でも、俺はあまり落胆しなかった。友彰がチームの中で頭角を現しレギュラーの座を射止めた事は、俺自身をも動かした。丁度その頃、給仕の仕事が五年目を迎えたのを機に、ソムリエの資格を本気で取ろうと決め、曖昧な『恋人』との関係をきっぱり解消した。
 友彰のように打ち込めるものが、俺も欲しくなったからだ。恋愛感情だとか流されやすい形の見えないモノの上ではなく、仕事のように、やれば結果として目に見える揺るぎないモノの上で、自分の足でしっかりと立ちたかった。そうしてソムリエの資格を取ってから三年、今は少しだけ自分に自信が持てるようになった。
 だからと言って、友彰を諦められた訳じゃないし、想い続ける事に揺れなかった訳でもない。でも、友彰が結婚してしまうまで想い続けるのは自由だと、俺が今まで鷹揚に構えていられたのは、就職してからは一度も “ いつもの ” 事は起こらなかったし、学生時代以上にラグビーに打ち込む友彰に、女の影は見えなかったから…。

 未だ戦場のような厨房を申し訳なく横目で見ながら、デキャンタの水とグラスを持って控え室に戻った。友彰は随分顔色が良くなっていて、俺を見て笑うと差し出す水を受け取って旨そうに飲んだ。二杯飲んで人心地ついたのか、深く息を吐くとグラスを手の中で弄びながらクスリと笑った。
「今回は、大丈夫だと思ったんだよ…。でも、甘かったな。ホント、甘かった…」
「えっ? 」
 俺は友彰の隣に腰掛けながら聞き返した。言っている意味が分からなかった。大丈夫とは上手く行く筈だったという事だろうか。
「フラれるって、90%以上分かっていたから、覚悟はできてるつもりだったんだ。だから吐かないだろうと思ってた。でも、本当は残りの10%に縋ってた…」
「フラれるって分かってて、プロポーズしたのか? 」
「…うん、まあ。ダメ元ってやつで…」
「ちょっと待て。お前らどれくらい付き合ってたの? 」
 俺は俄(にわか)に苛つく気持ちを堪え、ずっと疑問に思っていた事を訊いた。
「啓介に紹介したくらいの時からだから、三ヵ月かな…」
「お前、たった三ヵ月でプロポーズしたのかっ!?」
 思った以上にデカイ声が出て自分で吃驚した。俺は梨花さんを紹介された時よりショックを受けていた。そりゃあ、人を好きになるのに時間は関係ないだろうさ。でも、たったの三ヵ月かそこいらで結婚を申し込むほど、彼女が好きだったのか? 断られると分かっていても、申し込まずにはいられないほど、一緒になりたかったのか?
 友彰は俺を見つめた後、言いづらそうに口を開いた。
「俺、海外へ転勤が決まったんだ。中国だよ。十二月から中国の広州工場へ出向する事になった。行ったら五年戻って来られない。そりゃ、休暇はあるけど、長くても一週間かそこいらだろう…。だから一緒に行って欲しかったんだ」
 俺は穴が空くほど友彰を見つめた。友彰はばつの悪い顔をして俺の視線を避けるように下を向いた。
「何で…黙ってた? 何で、俺には黙ってたんだ!」
 呆然とした一瞬の空白の後、全てを理解した俺の頭を支配したのは強烈な怒りだった。梨花さんの事なんか頭から吹っ飛んだ。どうせフラれたんだ。もう彼女は関係ない。ざまあ見ろだ!! そりゃ、俺は恋人じゃない。友彰の一番じゃない。でも、俺はコイツにとって “ 親友 ” ではあった筈だ。その俺に何で今まで黙ってた!? 中国へ、しかも五年も行くなんて。
 答えない友彰に再度きつく詰め寄ると下を向いたまま何事が呟いた。
「聞こえないっ!」
「言えなかったっ!」
「はぁっ? 何で俺に言えないんだよ!!」
 それは…と言い掛けて戸惑う態度に余計苛ついた。睨み付けて更に問い詰めようと身体を近づけると、その分友彰は後へずり下がって叫んだ。
「言えばっ! お前が『一緒に行く』って言うんじゃないかと思って…言い出せなかった…」
 一気に吐き出したものの最後は尻窄みになって消えたが、俺を黙らせるには充分効果があった。俺は冷水を浴びせられた様に急激に熱が冷めた。
 友彰は、友彰は…、俺の気持ちに気づいている?
 友彰は俯いていてその真意を窺い知る事はできなかった。
 シンっと、辺りの音が消滅した。代わりに心臓の音が頭に響いて煩かった。不意に友彰が顔を上げ視線が絡む。どうしていいか分からないと困惑した黒い瞳が不安げに揺れている。その瞳を見返して、俺は腹を据えた。
 気持ちを気づかれていたからって、どうだって言うんだ。こいつは中国へ行くんだと言う。五年も俺の前からいなくなると言う。俺の知らない所へ、手の届かない所へ。だったら、こいつがダメ元で梨花さんへプロポーズしたように、俺が告白して何が悪い…。
「そうだよ。俺は、お前と一緒にいたい…。俺を連れて行けよ。俺を一緒に連れてってくれよ!」
 口から気持ちが溢れ出していた。俺の捨て身の告白を、友彰は息を詰めて聴いていた。

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