INDEX NOVEL

Mr. シンデレラ 〈 1 〉

「五番テーブル、デザート上がりました! ラストです!」
 厨房に繋がるカウンターに綺麗に盛りつけられたデザート皿が二つ滑るように出て来る。伝票にチェックを入れてため息を吐いた。今日、最もサービスしたくないお客への最後の一品。
「五番、行きます!」
 デザートをトレイに載せ、深呼吸をして背筋を伸ばした。
 大丈夫。笑え! 俺、笑え!
 厨房のスウィング扉を背中で開けて心の中で呟いた。
 大して広くはない店内は、一望すれば全ての席が見渡せる。冬に近づくこの時期は人肌恋しくなるのかカップルの数が増えるが、週末の今日は予約席まで全て男女の組み合わせで埋まっていた。その窓際の予約席、キャンドルの温かい光に照らされたカップルの男性客は、俺の高校時代の友人、石川友彰(いしかわ ともあき)で、二人は傍目にも大層似合いに見えた。
呑み込んでも自然と溢れるため息を零して、静かに二人のテーブルへ歩み寄った。
「失礼いたします。本日のデザート、パンプキンパイでございます」
 職業柄染みこんだ微笑みを顔に載せてデザートの皿をテーブルに置くと、彼女の口から感嘆のため息が漏れた。ダークブラウンの皿にはマロングラッセを荒くおろした上に、滑らかな舌触りのかぼちゃのフィリングを、櫛形にカットしたパイ皮を重ねて提灯のように丸く包んだパンプキンパイが載っている。それは馬車に見立てられていて、飴細工の車輪とパートダマンド(マジパン)で作られた二頭の馬まで添えられている。程良い焼き色の付いた皮はアプリコテされ艶やかに輝いて美しい。
「まあ、綺麗! かぼちゃの馬車なのね」
「はい。シンデレラのかぼちゃの馬車をイメージしています」
「…そう。シンデレラの…」
 短い髪に意志の強そうな瞳をした彼女は、一瞬はっとして目を見張った後、感慨深そうに呟いた。俺は堪らず友彰の方へ視線を向けるとそれに気づいて顔を上げた友彰は、人の気も知らないで無邪気に微笑んで見せた。こんな嬉しそうな笑顔は久し振りに見る。胸に鋭い痛みが走った。
 俺の実家のレストランに、友彰が “ 特等席 ” を予約したいと言って来たのは先週の事だった。夜のディナーをコースで二名、そしてデザートに何か特別な物を作って欲しいと頼まれた。ピンと来た。プロポーズする気なのだと。オーナーシェフである亮介(りょうすけ)兄さんに友彰の意向を伝えると、何とも言えない顔付きで俺を見つめたあと、
「仕方がないよな…、啓介(けいすけ)」とため息を吐いて頷いた。
『仕方がない』
 もう、何千、何万と繰り返し呟いて来た、友彰を諦める為の呪文。俺は心の中で繰り返しながら、友彰の笑顔に「ごゆっくり」と微笑み返してテーブルを離れた。厨房の前でサービスに出ようとしている林くんに「悪い、十分休憩取ります」と早口に伝えると、気遣わしげな顔を見せながら頷いた。
 そのまま厨房へ入り、忙しく立ち働くスタッフの横を走り抜けて裏口から外へ出た。野菜の泥を落とす為の石の流しの前に、古くなって交換した店の椅子が三脚並んでいる。その一つに腰を下ろして夜空を仰ぎ見た。数える程しか見えない星が滲んで大きく見える。上を向けば止められると思った涙は、後から後から零れ落ちた。
 高校で同じクラスになった友彰と俺は、石川、一見(いちみ)と出席番号が並んでいた。「珍しい名字だね」と人懐こく笑った顔に一目惚れして以来十年、付かず離れず “ 親友 ” を続けている。
 俺は早いうちからゲイの自覚をもつスレたガキだった。身体も丈夫な方じゃなかったから、心とは裏腹に世の中を斜(はす)に見た生意気な口ばかりきいて、なかなか友だちができなかった。そんな俺に友彰は、「一見は面白い物の見方をする」と言って呆れもせず、ずっと付き合ってくれた。
 優しい面立ちに見合った穏やかな性格の友彰は誰からも好かれたが、あまり成績は良い方じゃなかった。代わりに背が高くてガッチリした身体が示す通り、スポーツは何でも得意だった。だからと言って頭が筋肉って訳じゃなく、くそ真面目で要領が悪いだけなのだが、そんな不器用な所も好きだった。本当に優しくて、良い奴で…。俺の両親が事故で他界した時も、友彰は俺を支えてくれた。
 親の死は突然過ぎて、いつもなら世をはかなんでイジケていたであろう俺すらも、一足飛びに大人にならざるを得なかった。悲しいのは無論だったけど、葬式から始まり遺品の整理やら相続やら、人間の営みに付きまとう雑事の多さに忙殺されて、感情のまま哀惜に浸る暇なんかこれっぽっちも無かった。
 両親は自宅でレストランを経営していたが、自営業者の常として少なからず借金があったから、事故の保険金はその返済と相続税の支払いで全てが消えて無くなった。自宅兼用の店は手放さずに済んだものの、明日からどうやって食べていこうかと途方に暮れた。
 余所のフランス料理店で修行していた兄が戻って店を再開したものの、まだまだ駆け出しだった兄の腕では客足が落ちて経営が難しくなった。古参の料理人だけ残ってもらって人手を減らしたから、俺は卒業目前だった高校を辞めて店を手伝うつもりでいた。それを「一緒に卒業しよう」と言って、友彰は無償で店を手伝ってくれたのだ。ラグビーのスポーツ推薦で大学は決まっているし、これくらいしか役に立てないからと笑って、いくら兄が給金を出すと言っても受け取ってくれなかった。
 大学生になってからはラグビーで忙しくなった自分の代わりにと、同じ学部の学生だった林裕隆(はやし ゆたか)くんをアルバイトに紹介してくれた。林くんは友彰に負けず劣らず真面目で素直な人だ。大学の四年間きっちり働いてくれた上に、何を気に入ったのかご両親の反対を押し切ってうちの店に就職してくれた。経営手腕に長けた彼のプランで店を改装し、料理の内容や方向性を見直したお陰で客足も伸び、町の大衆レストランから脱却する事ができた。今では兄の良き相談相手であり、無くてはならない存在になっている。
 俺も高校を卒業すると同時にうちの店に就職した。本当は厨房に立ちたかったけど、給仕兼ソムリエの仕事をしている。身体がついていかないからだ。料理を作るのは血筋なのか好きだったが、休憩を挟んでも八時間以上立ちっぱなしで銅製の鍋なんか持てる体力はなかったし、給仕の仕事も一時間に一度休憩を取らないと朝から晩まで勤まらなかった。だから少しでも役に立ちたいと、三年前にソムリエの資格を取り、月に三回、店の定休日の夜にワインの講習会を開いている。ついでに言うなら野菜ソムリエの資格とコーヒーマイスターの資格も持っている。
 友彰は大学を卒業すると実業団ラグビー部を持つ自動車会社に就職した。有名な企業だったがマラソンや柔道なんかと違って、チーム自体はあまり世間に知られていなかった。それでも毎年そこそこの成績を収め、〈守り〉の友彰はチームの要として活躍していた。それが二年前、三度目の靱帯断裂を起こし再起を危ぶまれた。手術を受けたものの思うような回復は得られず、一年もの懸命なリハビリも敵わず、戦力外通告を受け引退を余儀なくされた。
 ラグビーを辞めたからと言って、普段からきちんと業務をこなしていたのだから、気兼ねする事も恥じる事もない筈だけど、“ ラグビー選手 ” という肩書きのない一社員として生きて行くには、友彰の会社は一流過ぎた。同年代の同僚の中には既に主任やら係長などの肩書きが付き始め、企業人としての前途輝かしい者と、そうでない者の差は厳しいらしかった。
 表面上の付き合いや仕事の上で差し障る事柄はないようだったが、友彰は目に見えて活力を失っていた。選手の時は勤務後三時間以上も練習を続ける毎日だったから、初めて経験する “ 何もする事がない時間 ” と、ラグビーができないという辛さや寂しさを埋めるみたいに、うちの店に通って来た。
 そう、いつもあの席で友彰は食事をし、酒を飲みながら俺の働く姿を眺めていた。うちが一番苦しい時を支えてくれた恩人の辛い現状に、兄も心を痛めていたから、少しでも慰めになればと、一番好きな肉料理と極上のワインを用意して、店で一番居心地の良い “ 特等席 ” を友彰の為に空けておいた。
 店の角席で二面に出窓があり、昼は明るく温かく、夜はライトアップした噴水のある小さい庭を眺められる。弾力の効いたL字型のソファ席は、適度に親密な距離を取れるからカップルにとても人気があったが、夜は “ 友彰だけの席 ” だった。
 会社の帰り、来る時はいつも誰かしらお供を連れていた友彰が、今は独りでフラリと店に入って来る。アルバイトの子にも既に顔馴染みだから、何も言わなくてもまっすぐいつもの席に通される。最初のうちこそ遠慮していたけれど、今は自然にソファへ座り目で俺の姿を探すのだ。目が合えば手を上げて挨拶を寄こし、この半年ですっかり長くなった前髪を掻き上げて、はにかむような笑顔を見せる。俺の大好きな笑顔を。
 何をするでもない、客として食事をし、ほんの少し会話を交わして帰って行くだけだ。だけど、俺にとっては掛け替えのない時間だった。多分、知り合ってから十年の中で高校時代を除けば、毎日のように顔を会わせていたこの半年間は、俺にとって一番幸せな時間だった。友彰にとっては一番不幸な時間。それを喜ぶ自分に罪悪感を覚えながらも、こんな日々がずっと続いてくれたらいいのにと、勝手な望みを抱いていた。だから、罰が当たったんだ。
 涙が乾いて来ると、見上げる星が冴え冴えと白く輝いて見えた。白いワイシャツに黒のベストしか着ていない身体は随分と冷えてしまったが、動く気にはなれなかった。中に戻ればホールに出なければいけない。見つめ合う二人の姿が否応なく目に入ってしまうだろう。友彰は今頃、どんな言葉を彼女に捧げているのだろう。長いため息を吐くと白い息が空へと上った。
 あれは、ちょうど三ヵ月前の事だった。いつもの時間に店に現れた友彰は一人じゃなかった。友彰の後から入って来た女性を見て、俺は「いらっしゃいませ」の言葉が出なかった。そりゃ、女性を連れて来るのは初めての事じゃない。どちらかと言えば女連れの時の方が多かった。俺が驚いたのは、今まで連れて来た中で、彼女が一番見栄えがしない人だったからだ。
 いつもの席に案内してメニューと水を持って行くと、挨拶もそこそこに友彰が切り出した。
「こちら関矢梨花(せきや りか)さん。会社の先輩なんだけど…。今、付き合ってるんだ」
 俺の好きなはにかみ笑顔で彼女を紹介された時、水を零さなかった自分を今でも誉めてやりたいくらいショックだったし、動揺した。
 いつ付き合い出したのかなんて訊けやしないから、二人の仲が浅いのか深いのかは分からないが、毎日店に来ていた筈なのに彼女を作る時間もあったのかと、腹の底が熱くなった。
「お前、ちゃんと仕事をしているんだろうな」と、皮肉の一つも言ってやりたかったが、今までの意気消沈した姿が脳裏に浮かんで言葉を呑み込んだ。
 初対面の梨花さんは、短い… ボブというのだろうか、髪型と少し上を向いた小振りの鼻がツンとして気が強そうな印象を受けた。話してみればその印象と違わず、ハキハキとこれと思った事は遠慮なく口にする人だった。同時に気配りの利いた頭の良い捌けた人で、おまけに意外と女らしかった。名刺は貰わなかったが、三つ年上で総合職の人だと言っていたから、仕事で男性社員と対等に渡り合って行くには、あれくらい気の強さが無いと駄目なのかも知れない。そう、良い人だったんだ。梨花さんは…。
 友彰が彼女を選んだ理由は程なくして聞かされた。いつものように会社帰りに訪れた折り、食事の後、庭の噴水を遠目に眺めながら友彰はぽつりぽつりと話してくれた。
「『仕事、頑張っているね』って、誉められたんだ。普通なら辞めている所を踏み止まって一生懸命頑張っている姿を見て、君を見直したって言ってくれて。嬉しかったんだ…。彼女は “ ラグビー ” のない俺自身をちゃんと見てくれたんだって…」
 照れた声音で話す友彰の顔をまともに見る事ができなかった。恩人である友彰を励まさなきゃいけないのは俺の役目の筈だった。そうできた筈なのに、俺は逆の事を願った。友彰がうちに来て、側にいてくれる時間が惜しくて、不幸である時間が続くように願っていた。だから、罰が当たった。
 彼女を連れて来た日から、遠からず今日の日が来るのは分かっていた。気持ちを告げるつもりは無かったし、いつかは俺の知らない誰かと結婚して手の届かない所へ行ってしまうのは、太陽が昇って沈むのと同じくらい当たり前の事だと思っていた。でも、それはまだ、もう少し先の話だと思っていた。まさか、こんなに早く“ その日 ” が来るなんて…。
 また溢れそうになる涙を今度は指の腹で押さえつけた。自分の指の冷たさに驚いて思わず笑った。不意に裏口の戸が開いて、窺うように林くんが顔を覗かせた。涙を見られないように下を向きながら「ごめん、もう時間過ぎてるよね」と早口で詫びを入れると、林くんはゆっくり扉を開いて外へ出て来た。空気の寒さにふるりと小さく震えると、両手で腕を抱くように擦りながらちょっと困った顔をして首を振った。
「その事じゃなくて…。あのね、石川が席にいないんだ」
「えっ? だって、梨花さんは?」
 俺は吃驚して涙の跡がある顔を思わず林くんに向けていた。俺の顔を見て林くんは少し目を大きくしたけれど、努めて普通に言葉を返した。
「先に独りで帰ったよ。僕が見送った。もう十五分も前の話だよ。石川は多分、トイレにいると思うけど…」
俺は更に吃驚して息を呑んだ。それって、それって…。
「きっと“ いつもの ” 事だよ。後の仕事は気にしなくていいから、啓介くん、石川の所へ行ってやってくれる?」
林くんの台詞を全部聞き終わらないうちに、俺は彼の横をすり抜けて裏口を開けていた。
 “ いつもの ” 事。そう心の中で呟くと、嬉しいような哀しいような、ちくちくとする痛みを覚えた。でも、頭の隅では分かっている。本当は喜んでいる。俺はとても嫌な奴だ。人の不幸を二度までも願った俺は、きっと地獄に堕ちるだろう。
 逸る気持ちを落ち着かせるようにタブリエを外しながら、友彰がいるであろうトイレへ急いだ。

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