INDEX NOVEL

蝉 〈 後 編 〉

※ 性描写があります。18歳未満の方はお読みにならないでください。

 龍彦に促され辿り着いた石段の入り口は人っ子ひとりいなかった。下から怖々眺めると、ほんの十段目から先は闇へ消え失せ、両端に灯された蝋燭の明かりだけが、転々と遙か天空へ向かって続いていた。

「ねっ、綺麗だろう?」

 確かに綺麗だった。それでも闇への恐怖が先に立つ。うしろから祭囃子も人の笑い声もする。何より龍彦がしっかりと手を握っているにも拘わらず、足が竦んで動けない。龍彦は呆然とする深雪の手を一旦離し、背後から深雪の腰を抱えるように腕を回した。
 背中に伝わる温もりに、深雪の鼓動は別な意味で速まったが、さっきまでの怖さが少しだけ薄らいだ気がした。龍彦はもう片方の手に持った懐中電灯で足元を照らすと、行くよと深雪の耳元に囁いて石段を登りはじめた。
 高下駄は危ないからと雪駄を履いて来たが、履き慣れないもので歩く斜面は登りにくい。昼間に一度登ったとはいえ暗闇では勝手が違う。殆ど龍彦に抱えられて登っている状態だった。蝋燭の火が風に揺らぐ度、深雪の肝が冷える。そのせいだろうか、背中にくっついた龍彦の身体がやけに熱く感じた。
 転ばないように足元に集中していると徐々に恐怖心が和らいだが、こんなときに考えなくてもいい事を考えるのが深雪だった。怪談が怖いくせに推理小説は大好きで、不意に先日読んだ横溝正史の『獄門島』が頭を過ぎった。
 そう言えば金田一耕助が、提灯を片手に本堂の石段を登って行く和尚さんを目撃するんだっけ。あのとき、和尚さんは……。
 ぞわっと総毛立った深雪は、自分の腰を支える龍彦の手を上から握りしめた。その震えが伝わったのか、龍彦は、大丈夫、大丈夫と囁いて深雪のこめかみに唇を寄せた。怖い妄想で頭が一杯の深雪は龍彦の与える熱に全く気がつかなかった。
 やっとの思いで石段を登りきった深雪は、漸く自分たちの恰好に気がついたが、既に疲れ果ててしまって、しっかりと抱き込まれた腕を振り解く気にはならなかった。何より龍彦の腕は温かかったし、何時までもそうしていたいと思ったからだ。
 龍彦は何食わぬ顔でそのまま深雪を左手の崖へ導いた。

「もう、九時過ぎたろう? その下の、田んぼの畦道をよく見てて」

 言われてみれば祭囃子は消えていた。代わりに煩いくらいの虫の声。
 龍彦は、ほら、と言って、明かりを消した懐中電灯をすっと前方に差し出した。その指し示す先に目を向けると、田んぼの畦道にゆらゆらと光の玉が連なって一連の筋になるのが見えた。

「何、あれ。人?」

 目を凝らしていると徐々に慣れてきたのか、月の光に白く照らされた地上は冴え冴えと浮かび上がって、それほど視力のよくない深雪にも、手に手に提灯を提げた人の姿であるのが分かった。祭りの後、氏子は公民館へ座を移すと祖母が言っていたから、移動する人の列なのだろう。それにしては進む方角が違う。

「どうして向こうへ行くんだろう……」

「豊作祈願とか、邪気を払うためだとか言われているけど、よく知らない。
 とにかく、田んぼをつっきって、遠回りして村へ帰るんだよ」

 神事というのは不思議なものだと深雪は思った。それでも百年以上続く風習なのだから、何か大切な意味があるのだろう。秋の匂いのする涼やかな風に煽られて稲穂が大きく波を打つ。その海原を静かに静かに進む光の列は、どこか厳かで寂しい気分にさせられた。

「狐火みたいだよね…まあ、稲荷神社だからそのまんまなんだけど」

 怪談めいた言葉に驚いて深雪は龍彦を仰ぎ見た。真後ろに立つ龍彦はごめんと小さく笑いながら言った。

「こんなこと言うと怖がらせちゃうかも知れないけど、亡くなった人を送るときも、
 ああして提灯を下げて田んぼの中を通るんだ。
 慣れ親しんだ土地とお別れをするんだって。何だか似ているよね。
 毎年、上から見ていて思うんだ。祭りって言うけど、夏を送る葬列みたいだなって」

「毎年ここに来ているの?」

「うん、十三の年から毎年。いつもひとりで見に来ていた」

「何で?」

 深雪は吃驚してまじまじと龍彦の顔を見詰めた。毎年毎年、何が楽しくてこんな怖い場所で、あんな寂しい行列を眺めているのだろうか。

「色々、考え事をするため……。誰も来ないしね」

 龍彦は懐中電灯を点けると深雪の肩を抱いて石の台座へ向かって歩き出した。石段から台座までずっと蝋燭の灯りは続いているが、一本、二本と燃え尽きはじめていた。台座の上の灯明も既に消されていたが、そこだけぽっかり月明かりが差して、まるで芝居の舞台のようだった。空を見上げると、下にいたときよりも星が瞬いて見えた。
 龍彦は台座を回り込んで杉の切り株まで来ると、深雪を促してそこへ並んで腰かけた。

「まだ、鳴いているね。蝉」 

 深雪のすぐ耳元で龍彦が言った。耳を澄ませば、コオロギや鈴虫の音に紛れてジーッジーッと蝉の鳴く声が聞こえた。

「俺も昆虫が好きって訳じゃないから、蝉のことなんてよく知らなかった。
 十年近くも幼虫のままじっと地面に潜っているくせに、
 成虫になって生きられるのはたったの一ヵ月。
 繁殖するためだけに懸命に鳴きながら相手を探す哀れな虫。
 知っているのはそれくらいだった」

 龍彦は真っ直ぐ前を向いたまま静かに語った。いつもより声が沈んでいる気がして、深雪はその横顔を見上げた。月明かりに照らされて彫りの深い男らしい顔立ちが、より際だって見えた。

「中一のとき思うところがあって、ここに登って初めて狐火みたいな “ 夏の葬列 ” を見た。
 そのときも、煩いくらいに鳴いていたよ。
 出遅れた蝉が必死になって相手を探しているんだと思った。
 ふと、こんなに懸命に鳴いても、中には相手に出会えずに死ぬ奴もいるんだろうなって、
 そう思ったら怖くなった……。もしかしたら、俺もそうなるかも知れない。
 探しても相手に巡り会えなかったら、ひとり寂しく、
 あの提灯に送られて田んぼの中を渡って行くのかと思って……」

 真っ直ぐ暗い雑木林を見据えて話す龍彦を、深雪は不思議な気持ちで眺めていた。
 運動も勉強もできる優等生。顔も体格も、もちろん性格だってすごぶる付きで良い。クラスの女子の殆どが龍彦に熱い視線を送っているのは言うまでもないが、男子にだって絶大な人気がある。それがどうして『相手に巡り会えない』などと悲観的な事を考えるのだろう。
 もしかしたら、とても理想が高いのかも知れない。ああ、だったら自分など端から範疇にないなと、深雪の胸はちくりと痛んだ。

「それから気になって、少し蝉について調べてみたら、これが案外面白くてさ」

 知ってる? と打って変わって明るい口調で龍彦が振り向いた。はっと目を見開いた深雪の顔を両手に挟んで引き寄せる。

「蝉は樹液しか吸わないんだって……」

 言うが早いか接吻されていた。
 奥手な深雪もキスの仕方は知っている。唇と唇を合わせる。でも、その先は知らない。あっと驚いて開けた唇に舌を入れられて、どうしていいか分からずに唯ただ目を白黒させた。
 深雪がじっと動かないのをいいことに、龍彦は歯列や裏顎を擽り怖じけた舌を絡め取って、好きなだけ初心な口内を貪った。
 この行為にどんな意味があるのか、深雪は頭より先に身体で理解した。龍彦の胸を押し返したのは息苦しさよりも、自分の身体に起きた変化に気づかれたくなかったからだ。
 名残惜しげに唇を離した龍彦は、呆然としている深雪に目を細め、「杏の味…」と囁いた。
 最後に口にした杏飴のことだとすぐに分かった。急激に恥ずかしさが込み上げて深雪はぎゅっと目を瞑った。頬を捉えていた手の温もりが消えたと思ったら、いきなり裾を割られて足の間に龍彦が入って来た。慌てて目を開け咄嗟に膝を閉じようとしたが、跪いた龍彦の身体があって閉じられない。裾は捲り上げられ下着が見えている。自分の白い太股の色に何故だか自分で興奮した。

「地中に潜った幼虫は、じっと一箇所に留まって木の根に口吻を差し込んで樹液を吸うんだ」

 龍彦は下から深雪をじっと見上げて喋り出した。喋りながら深雪の背中に手を回し兵児帯を解く。

「樹液って、流れている場所によって成分が違うんだって。
 蝉の幼虫はじっとしているだけだから、それほど栄養は必要ないらしい。
 道管液って言うんだって」

 帯を緩めた龍彦は衿の合わせを開いて深雪の胸元に唇を寄せた。
 深雪はされるがまま動けなかった。否、動かなかった。既視感――これは何度となく夢に見た光景と一緒だと思った。龍彦を好きだと気づいた頃から見はじめた夢は、雑誌で見た男女のそれを擬えたものだ。実際に男同士がどうするのかは朧気にしか分からない。
 それでもして欲しいと、無意識に願ったほどの行為。嬉しいと思いこそすれ、拒むつもりは毛頭なかった。喩えそれが、龍彦の気紛れだとしても。
 深雪は体中の血が下腹に集中するのを感じて腰を引いた。露骨な変化に龍彦が引いてしまうのを恐れた。龍彦は逃がさないとばかりに深雪の身体を抱きしめて、震える胸の中心に吸い付いた。ちりっとした痛みが走り、深雪が小さく声を上げると満足そうに唇を離した。

「羽化が近づくと地面から這い出した幼虫は、木に登って夜を待つ。
 羽化したばかりの蝉は、深雪の肌みたいに真っ白で柔らかいから、
 朝までかけて翅を伸ばして身体が固くなるのを待つんだって」

 胸から腹部へ、柔肌の感触を楽しむように唇を這わせながら龍彦は喋り続ける。その震動が擽ったくて肌が粟立つ。ぷっくりと立ち上がった胸の突起を龍彦が摘んだ。
 深雪が、んっ、と吐息を漏らすと、龍彦は深雪の臍の辺りでクスリと笑った。

「成虫になっても、やっぱり口吻を差し込んで樹液を吸うんだけど、
 幼虫のとき吸っていたのより栄養がある樹液を吸うんだって。
 こっちは師管液って言うんだ。
 成虫は飛んだり鳴いたりして相手を探さなきゃならないから、
 エネルギー源が必要なんだろうね。一体、どんな味がするんだろう……」

 龍彦はそう言うと、いきなり深雪の下着に手を入れて中から雄蘂を引っ張り出した。既に勃起して先走りに濡れた先端を、上目遣いに深雪の顔を見ながらペロリと舐めた。

「甘い…」

 龍彦はうっとりと目を閉じて呟いた。
 深雪は「ひっ」と声を上げて腰を引いたが、龍彦はそのまま根元まで口に銜え、舌と唇で扱きはじめた。夢でもされたことのない “ 口淫 ” に吃驚して、深雪は、いやっ、と声を上げて龍彦の頭を抱えて外させようとするが、龍彦は更に激しく吸い上げた。その愛撫の激しさに深雪の指は力が入らない。

「あっ、あっ、ん……」

 肩で息をしながら前屈みになる。指で慰めるのと全然違う。目が眩むほど気持ちいい――。
 龍彦の髪をまさぐってひたすら射精感に耐えるが、襟足の短く刈り上げられた髪の感触にさえ感じてしまう。深雪は生まれて初めて経験する、包み込まれるような熱い口腔の感触に追い上げられて、駄目、と思う間もなく放ってしまった。
 龍彦は残さず搾り取るように啜って、深雪の放ったものを全て嚥下してしまった。口元を指先で拭いながら、美味しかったと笑う龍彦を呆然として眺めていた深雪は、徐々に熱を失って冷静になると、羞恥に苛まれて身体が震えた。
 急に泣き出した深雪を龍彦は慌てて抱きしめると、とんとん優しく背中を叩きながら深雪の耳元で囁いた。

「ごめん、泣かないでよ。俺、深雪が好きなんだ。深雪も、俺が好きだろ?」

 少し狼狽えながらも、確信に満ちた声音だった。
 吃驚して涙が止まった。深雪は都合の良い夢の続きを見ているのじゃないかと思ったが、夢なら夢でもいいと思った。龍彦の肩に頭を乗せたまま、「うん」と蚊の鳴くような声で答えた。返事を訊いた龍彦はわざとらしく、「そうだべぇ!」と言って嬉しそうに笑った。

「毎年、ここに登る度に考えた。
 蝉みたいに鳴いて相手を探せない自分はどうしたらいいのかって。
 答えなんか出なかった。このままずっと、ひとりで逝くんだと思ってた。
 でも、入学式のとき深雪を見て、一目で分かったよ。俺の相手はこの子だって。
 夏休みが待ち遠しかったよ。深雪を口説き落とそうと思ってたから。
 なのに……」

 九州に行っちゃうんだもんなと、拗ねた口調で囁きながら深雪の髪を優しく梳いた。
 頭ではひたすら嬉しいと思うのに、今日一日で、一生分のときめきを使い果たしてしまったような深雪の心は、妙に落ち着いた気分で龍彦の言葉に耳を傾けていた。
 耳障りのよい声と髪を梳かれる気持ち良さに深雪の瞼はトロリと重くなる。吐精後の気怠さも手伝ってどんどん意識が薄らいで行く。

「だから今日、絶対に深雪をここに連れて来て、告白しようって決めてたんだ。
 ここまでするつもりじゃなかったんだけど、途中で深雪の気持ちが分かったから、
 嬉しくて止まらなくなった」

 ごめんと謝る龍彦の声はちゃんと耳に届いていたが、眠気が勝って頷くことがきなかった。
 肩に頭を預けたまま動かない深雪を、龍彦が名を呼びながら揺さ振った。うん、うん、と漸く空返事を返すと、仕方がないなぁと盛大なため息が降ってきた。

「今日は諦めて我慢するけど、蛍狩りの頃には、深雪を全部もらうからね」

 覚悟しといてね、と言う龍彦の声をどこか遠くに聞きながら、深雪は本当の夢の中へと落ちて行った。

 (了)


今後の励みになりますので、ご感想を是非。

Powered by FormMailer.

BACK [↑] NEXT

Designed by TENKIYA