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忘れられないクリスマス
100年の塵とダイヤモンド〈 3 〉

 聖夜は毎日大抵5時には仕事が終わる。残業はしてもせいぜい一時間くらいだ。ただ、角田のせいで職場から離れたマンションを借りたので通勤に70分はかかる。それでも7時台には帰り着く。
 仕事の人とは普通に接しているから誘われれば飲みにも行くが、役場の人はみんな自分の余暇を大事にしていて飲む機会はさほど多くない。自分一人では飲みに行かないから自然と自炊をするようになる。何しろ時間は有り余っているのだ。
 角田の事がなければ、家で軽く食べた後シャワーを浴びて、映画館や発展場に行っていたかも知れない。けれど暫くは、どれくらになるか分からないけれど、家で身を潜めているしかない。
 仕方がないので聖夜は繁の部屋で二人分の食事の支度をし、ガラクタを片付けたり、本を読んだりして過ごした。繁の蔵書は面白かった。子どもの頃好きでよく読んでいた本も多く、暇つぶしには丁度良かった。
 繁は朝早くから夜遅くまで帰って来ない。レポートや課題は殆ど大学の図書館でやっていると言うし、大学病院での実習が始まっていて、夜勤がある訳ではないが病院に泊まり込む事も稀にあるのだそうだ。食事も外で取ることが多かったが、早く帰宅した時は繁の作った夕飯を美味そうに平らげていた。
 繁の読みは当たっていて、その後、何度か角田が尋ねて来た気配があった。それは夜の10時から12時までの時間が多く、繁がいる時は怖くも何ともなかったが、居ない時は息の音すら聞き取られるのじゃないかと、ただひたすらじっとして遣り過ごした。
 聖夜は心の中で繁に何度も感謝した。繁が合鍵をくれなかったら、今頃自分はあの男に捕まって好いようにされているか、下手をすれば死んでいるのではないかと思った。同時に自分の性指向と浅はかな行動を恥じて自己嫌悪に陥るのだが、そんな夜は決まって寝ながら魘されてしまい、帰宅した繁に起こされる事も何度かあった。
 ゲイである聖夜が男と同居する事に躊躇しなかった訳ではない。まして人と生活を共にするのは8年振りだ。止むを得ない状況とはいえ上手くいくのか心配だったが、思ったよりも快適に過ごせている。
 相手を好きになってしまうかも、という不安は繁に関しては問題なかった。
 好みのタイプではなかったし、もともとノンケを好きになる事は一生ないと思っていたから、繁がどこで何して来ようと全く感心が湧かなかった。ただ一つ問題があるとしたら、繁といると劣等感を刺激されるのだ。とても。
 繁は変わった趣味と考え方の持ち主だが、至ってポジティブで健全だった。
 聖夜から見たらいつそんな暇があるのかと思うが、勉強だけでなくサークル活動もアルバイトもしていたし、しっかり合コンにも参加しているようだった。何しろあれだけのルックスであるし、話題も豊富で面白いからさぞかし女にモテるのだろう。家にいてもしょっちゅう携帯が鳴っていた。
 聖夜は自分との違いをまざまざと感じた。繁は自分と違って明るく前向きで、頭が良くて夢や希望がたくさんあって、それを叶える環境も実力も揃っているように見えた。
 18歳で全て無くしたと思った時から、聖夜は夢だとか希望だとか愛だとか、およそ人生設計の核となるものを放棄してしまったから、羨む方がおかしいのだと分かってはいたが、胸の奥から迫り上がる強いひがみを感じる度に居たたまれない気持ちになった。
 一緒にいる間、繁の携帯が鳴り出すと何故か顔が強張って、表情がさらに硬くなるのが自分でも分かった。普通にしていようと思っても、こうした負の感情をコントロールするのは難しかった。
 不意にこの劣等感を感じるとどう仕様もなく落ち込んでしまうのだが、繁は場の空気に敏感で、聖夜が黙り込むと放っておいてくれればいいのに、気を遣ってよく話しかけてきた。だから余計に苛々してぞんざいな受け答えになってしまうのだが、それでも繁の態度は初めて会った時から変わる事はなかった。

 同居が2ヵ月を過ぎた頃、繁は聖夜の名前を知りたがった。
 世話になっているとはいえ、相変わらず自分の事は殆ど教えないようにしていた。寝る相手に隠していたのとは違って、繁にはおよそ普通の男とは違う部分を知られるのが恥ずかしかった。
 自分の名前は、またそれとは違う意味で恥ずかしかった。自分の事と同じくらい嫌いで、出来るなら改名したいくらい。だから教えたくなかった。
 ただの隣人同士なのだから、名字だけでいいじゃないかと聖夜は主張したが、何しろ相手は繁である。余りにもしつこくて、名前で呼ばないならという条件で渋々教えた。
「聖夜だよ」
「えっ? もしかして、空の星に、弓矢の矢?」
「お前、漫画の読み過ぎだ。……きよしこの夜だよ。クリスマス生まれだから聖夜」
「へぇ〜、12月25日生まれ? ジーザスと一緒だ! すごい素敵な名前だね!」
「はっ! どこが?! 別に仏教徒って訳でもないけど、キリスト教徒でもねぇよ。大っ嫌いだ、こんな名前」
「え〜〜? 素敵な名前なのに。俺、名前で呼びたい。聖夜さん…。うん、すごく貴方に似合ってるよ、聖夜さん」
 名前で呼ばないという条件で教えたのに、いけしゃあしゃあと連呼する繁に、酷く馬鹿にされた気がして聖夜はキレた。「やめろ!」と怒鳴った後、恥ずかしくて今まで誰にも話した事がない嫌いな理由を列挙した。
 まず、12月25日に生まれたから聖夜という安易な名前のつけ方。
 次にその誕生日。誕生日だというのにいつもクリスマスプレゼントと兼用で済まされてしまう。
 そしてケーキ。いつも母親が買ってくるのはイブの売れ残りの半額ケーキで、18歳の最後の誕生日も『Merry X'mas』のプレートがのっていた。
 繁は神妙な顔で聞いていたが、聞き終わるや肩をすくめ、「そんなの、まだいい方だよ」とため息をついた。
「そんな事言ったらさぁ、俺なんか、野原繁だよ? のはらが、しげっちゃうんだよ? 小学生の頃はよくからかわれたよ。必ずフルネームで呼ばれるんだから。大人になったら大人になったで、イメージじゃな〜いとか言われちゃうし。
 特に女子! 合コンの時、自己紹介すると上から下まで眺め回した後、絶対笑う奴がいてさ。『らしくな〜い』って、失礼じゃね?」
 だから『聖夜』は自分の『繁』より格好いいのだと、何倍もマシなんだと、自分の名前の逸話をいくつも持ち出して力説する繁に、聖夜はだんだん可笑しくなって笑い出した。
 繁には悪いが確かに『らしくない』のだ。外見はとてもお洒落で遊んでる風に見えるが、名前はもとより、中身の方はとにかく真面目で非常に優しい。その本質は、とても名前と合っている。
 持って生まれた気質に加えて、両親や兄弟、そして友だちからも愛されて、あたかも植物が陽の光を受けるように、真っ直ぐ伸びやかに育ったのだろうと思う。影の部分があるとすれば、聖夜の知る限り、お母さんを亡くした事だろう。医者の道も希望通りではないのだろうけれど、そんな憂い事も彼を曲げさせる事は出来なかったようだ。
 聖夜は笑いを納めるとため息をつくように「いいよ」と言った。
「えっ?」
「名前で呼んでもいいよ」
 自分と彼とを比べて劣等感を持つ事自体おこがましいのだと、諦めた途端に気持ちが軽くなった。思えば、自分が一番隠しておきたいホモだという秘密は、疾うに知られているのだし、もうこの先何を知られても、恥ずかしい事などありはしない。
「野原さんなら、聖夜って呼んでもいいよ」
 そう言って聖夜が微笑むと、繁は首まで真っ赤になって惚けたように聖夜を見詰めていたが、やがて嬉しそうに破顔すると、自分の事も繁と呼んでくださいと言って笑った。

NEXTは成人向ページです。未成年の方と性描写が苦手な方は、上部よりNOVELでお戻りください。

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