INDEX NOVEL

秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 7 〉

 うちのペンションは宿泊施設自体は小さいのだけど、所有地が割と広い。二面しかないけどテニスコートもあるし、子供しか入れないけど噴水付きの小さなプールもあったりする。バブルが弾けて値が下がった時に、元々あった祖父の土地の地続きで隣りの土地を買ったのだそうだ。
 最初、小さなログハウスをいくつか建てて、キャンプ場にしようと計画していたそうだけど、「思ったより管理が大変で、嫌になっちゃった」と美代子叔母さんはそうそうに諦めた。その計画の名残が、僕の部屋になっている離れのログハウスと、喫茶『エーデルワイス』の建物だった。
 ログハウスに『エーデルワイス』ってネーミングからして分かるように、叔母さんは映画『サウンド・オブ・ミュージック』が大好きなのだ。当然、母屋もオーストリアの民家を模して窓辺にお花が咲き乱れる洋館作り。そして、お客さんの八割が若い女性と、叔母と同じく『サウンド・オブ・ミュージック』が大好きな中年の夫婦や家族連れ、残りの二割がテニスをしに来るお客さんだった。
 テニスコートは過去の遺物だけれど、意外にこれで客足が伸びたものだから、きちんと整備したら泊まり客以外にも貸して欲しいとの要望があり、着替え場所と休憩場所が必要になった。そこで、物置になっていたキャンプ場の管理用に建てた事務所を改築し、どうせならと喫茶店も営業することにしたら、これがまた割合と人気が出た。
 飲み物とサンドイッチとケーキが二種類しかないけど、この近隣で休める所が少ないせいか、地元の人も利用してくれる。叔父さん曰く「マキちゃん目当て」だと言うが、僕にはあまりピンと来こない。だって、お客さんの多くは泊まり客の女性と、近所の中年おじさんばっかりだからだ。
 そう、僕はこの喫茶店の看板娘なのだ。ペンションの掃除と夕食の配膳も僕の仕事だけど、それ以外の主な仕事は、この喫茶店で珈琲を入れる事だ。
 僕が手伝う前は叔父さんが全て一人でこなしていたけど、休日や夏休みの時は手が回らなくなっていた。そこで、僕は高校生になると『エーデルワイス』を手伝いながら、同時に駅前の知り合いの喫茶店でも働かせてもらい、豆の選び方や珈琲の入れ方を教わった。
 叔父さんの珈琲は不味くはないけど普通レベルだったから、どうせならきちんと美味しい珈琲を入れられるようになりたかった。
 本当は焙煎から本格的に習いたかったけど、基本的に未成年を雇う事は出来ないし、僕は身体が弱い事になってたから、午前中の比較的暇な時間だけ “ お手伝い ” の名目で働かせてもらってた。それに、その時間なら中学の同級生に会う事もないと思っていたし。
 …なのに、そこにも泰治は現れたっけ。マスターにも「学校どうした?」って怒られてたけど、「自習だよ」とか、「朝飯食いに来たんだよ」とか、すっとぼけた事を言っていた。
 たった一年間の修行だったけど、僕の努力の甲斐あってか、泊まり客はもちろんの事、常連さんたちもメニューが少ない割に、「美味しい珈琲が飲めるから」と言って寄ってくれる。なのに、叔父さんも泰治も、珈琲の味じゃなくて、「お前目当てだ」と言い切るから、僕は内心面白くなかった。
 でも、今年は確かに、僕目当てだとはっきり分かる客がいた。つい先日、河原で覗き見された、あの田島雅之だ。
 田島は河原で会った翌日から『エーデルワイス』に現れた。
「いらっしゃい…」硝子戸につけたカウベルに反応して言いかけたものの、僕は驚きで最後まで言葉が出なかった。彼は瞠目している僕に手を挙げて僕のいるカウンターまで来るとさっさと腰を下ろし、「珈琲ちょうだい」とにこやかに微笑んだ。それから一週間、田島は通い詰めている。
 河原で言っていたように、あそこの別荘地にいるのだとしたら、ここまで来るのに車で一時間半はかかる。テニスをするのでもなく、軽食を摘んでからどこか行楽へ行く途中でもない。ただ、珈琲を一杯頼んで、僕にひたすら話しかけてくるのだから、ニブい僕にだって何が目当てか察しはつく。
 泰治の予感、大当たり。そして、当然おかんむりだ。
「いいか、アイツが何を言って来ても、絶対、無視しろよ!」
 泰治は仕事を終えた帰り際、わざわざ僕の部屋へ寄ってそう言うけれど、そんな事できる訳がない。僕はあまり愛想がいい訳じゃいけど、さすがに客商売だってのは心得ているから、いくら得体が知れない相手でも無視はできない。
「叔父さんがいるから、大丈夫だよ」
 僕は毎度同じ台詞を繰り返しながら、仕方なく泰治を部屋に上げアイスコーヒーを出してやる。ついでに叔母さんが作ってくれたスコーンも出すと、泰治は当たり前のようにたちまち平らげてしまう。ペンションの仕事は意外に重労働だから、二十歳過ぎの男には賄いの夕飯くらいじゃ足りないのだ。 
 同じ男でも僕はこんなに食べられないから大きくなれないのかしらと、思わず泰治の厚い胸板を眺めていると、「興味あるのか?」と泰治がニヤニヤしながら自分の胸を片手で撫で下しながら言った。僕は瞬間的に赤くなった顔を誤摩化すようにそっぽを向いて、「よく食べるなと思っただけ!」と怒鳴ってアイスコーヒーのおかわりを入れに立った。
 何だかドキドキして、顔が火照って仕方なかった。
 前からこうして、泰治は時々部屋に遊びに来ていたけれど、その時は交際を申し込まれていなかったし、僕は男だから泰治をそういう対象として意識する事もなかった。なのに、何でかこの頃、変に意識してしまう自分がいる。
 だから、毎晩こんな風に「お前が心配だから」と部屋に押しかけられ、プチデートを余儀なくされている僕からすれば、田島なんかより泰治の方がよっぽど危険人物なのだけど、まあ、今のところは二十分も喋ってあっさり帰って行くから、別にいいんだけどさ…。
 河原の一件は叔母さんたちには話していないけど、最近足繁く喫茶店に通って来る田島と、それ故に僕の部屋に通って来る泰治の事を聞いた叔母さんから、いざと言う時の為に防犯ブザーを渡されている。一度試したらすごい音だったので、泊まり客の迷惑を考えると実際に使うのは無理だと思う。
 だいたい、万一泰治に押し倒されたとしても、悪夢を見るのは泰治の方だと思う。事実を知って飛んで逃げるか、逆上してボコられる危険もあるけど…。
 どちらにしろ、そうなる前に秘密を死守しなさいって事だ。肝に銘じてはいるけれど、田島の出現は、僕にとってまたしても頭の痛い問題だった。
「二人きりになる事は絶対にないから、そんなに心配しなくても大丈夫」
 だから泰治も、もう毎晩来ないでね。とまで言いたいのだけど、それは言えずにアイスコーヒーのおかわりを手渡すと、「そうだけどよ…」と泰治は不満そうに冷たいコーヒーをがぶ飲みした。
 僕の部屋に来る口実もあるんだろうけど、どんなに僕が「あの人に興味はないし、大丈夫だから」と説明しても、泰治は納得できないみたいで、「俺が茶店の方を手伝えるようにしてくんないかな…」とぼやいている。
 たぶん、それは無理だ。僕も最近まで気がつかなかったけど、叔母さんと叔父さんは、絶対に泰治と僕を二人きりになる仕事はさせなかった。それは初めて泰治がアルバイトに来てくれた時からそうだったから、泰治の交際宣言を受けた今は尚の事、絶対にそれはない。
 泰治には叔父さんの代わりにお客さんの送迎や、叔母さんの調理の補助をして貰っている。他のアルバイトさんと近隣のパートのおばさんもペンションの仕事だけで、喫茶店とテニスコートの管理は僕と叔父さんの二人でやっている。
 それは叔父さんのこだわりらしく、叔母さんもこちらは手伝わない。叔父さんがお客さんの送迎に行く時や、所用でどうしても出かけなければならない時は、決まってアルバイトの加奈子(かなこ)さんに入ってもらっている。
 加奈子さんは、泰治と同じ大学の学生でバスケットサークルのマネージャーさんだ。夏休みはどうしても人手不足なので、泊まりで来てくれる学生のアルバイトを募集したら、泰治が加奈子さんと譲(ゆずる)さんカップルを連れて来た。
 それ以来、二人は泰治同様、毎年手伝いに来てくれている。何故かと言うと、僕の部屋と母屋の中間にある、もう一つのログハウスに二人きりで泊まれる、という特典があるからだ。
 その離れは、昔、画家のお爺さんに借していたのだけど、ここで亡くなってしまい、お客さんを泊められなくてずっと空いていたのだった。その部屋の鍵を二人に渡したのは叔母さんだ。二人が初めてここへ来た時、みんなまだ未成年だったし、僕も叔父さんも、もちろん泰治も吃驚した。
 叔母さんはみんなの前で鍵を二人に渡しながら
「私は、あなたたちを信用して鍵を渡します。もし、この夏が終わって “ 妊娠 ” なんて事になったら、あなたたちは私たちの信用を踏みにじり、泰治くんの顔に泥を塗る事になるわ。そうなるなぁと思うなら、母屋に加奈子さんの部屋を用意するけど、どうする?」と聞いた。
 二人は鍵を受け取り、何事もなく三年目を迎えている。成人した二人は、もはや恋人同士と言うより夫婦と言った雰囲気だ。そんな二人だからか、叔父さんの信頼も厚い。そして、泰治が僕の部屋に通っていると密告したのは、恐らく加奈子さんだ。彼女は僕を妹のように思っている。それ故か、泰治は目に見えて加奈子さんに冷たい。
 昨日も、家族用の食堂でみんなで夕食をとっていた時、メンクイを自認している加奈子さんが、田島をカッコイイと言ったものだから、泰治が露骨に嫌な顔をして加奈子さんを睨んだ。大学の講義も一緒だというから見慣れてる筈の加奈子さんも「鬼のようね」と怖々呟いていたが、僕もはっきり言って怖かった。
 泰治は普段はそれなりにカッコいいと男の僕でも思うけど、スゴんだらヤクザみたいな人相になる。これじゃあ、叔父さんじゃなくても、喫茶店を手伝ってなんて言えやしない。
「あの人、社会人だから休みも短いだろうし、きっともうすぐいなくなるよ」
 僕は田島の話していた事を思い出しながら、慰めるように言った。
 お店の営業時間は基本的にテニスコートを開いている時間だけだから、午前九時から午後六時までと短いし、田島はいつも午後二時頃来て精々一時間くらいしかいない。それに、本当に今のところ、それほど変な事は聞かれていない。
「高校はどこなの?」とか、「仕事が終わったら何してるの?」とか、僕に質問する以外は、ひたすら自分の話をしている。とりあえず、「そうなんですか…」とか相づちは打ってるけど、僕の耳は聞きたい事以外は入ってこない便利な耳なので、話の半分は忘れている。
 覚えているのは、実家がすごくお金持ちな事、親の会社に入社して三年目だそうだけど、もう役職がついてるから忙しいとか何とか…。自慢かよって思ったけど、本人はとても嫌そうな顔をして話していたのが印象的で覚えていた。
「お前…やっぱアイツと、話してんじゃん」
「そりゃ、お客さんなんだから、無視なんて出来る訳ないでしょう? でも、ほんのちょっとしか話してないよ」
「くっそ〜〜」
 泰治は不貞腐れたように呻くと、両手を前についてそのままテーブルに突っ伏した。僕は呆れて、聞こえないくらい小さなため息を吐いた。
 こっちが大丈夫って言ってるのに、何がそんなに気になるのかと不思議に思うのと同時に、そんなに僕が好きなのかしらと面映ゆい。『ホントに、大丈夫なのに…』と泰治の短い髪の毛を眺めて、少しだけその頭を撫でてみたい気になった。
 でも、いつまでも不毛な遣り取りを繰り返して、このまま居続けるつもりならさすがに困る。今日の泰治は、いつもよりイジケたような感じがして一向に腰を上げようとしないし、時間はもう十一時を回っていて、僕は眠たくなっていた。
 仕方ない、奥の手を出すか。叔母さん伝授の必殺技を。
「ねっ、本当に大丈夫だから」
 僕は泰治の手の上に自分の手を重ねて言った。泰治は驚いて起き上がり僕の顔を見た。すかさずニッコリ微笑んでから、上目遣いに「また、明日ね」と言うと、泰治は無言でコクリと頷き、まるで呪文にかかったようにそのまま大人しく帰って行った。
 すごい効き目に自分でも吃驚したが、この手でしばらく誤摩化せると、その時の僕は高を括っていた。僕も、叔母さんも、完全に泰治を見くびっていた。そして、僕のもう一つの予想も大いに外れ、田島はその後もずっとお店に現れて、思ってもない事態へとなだれ込んだのだった。

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