INDEX NOVEL

秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 6 〉

 泰治は日曜日にこちらに戻って来て、月曜日からうちで働いている。そして今日は木曜日。デートの日は早々とやって来たのだった。
 夏休みは書き入れ時だから僕らに決まった休みはないんだけど、泰治はアルバイトだから好きな曜日を決めて休んでもらう事になっている。今期、泰治が決めたお休みは木曜日だった。
 僕は金曜日に休みを入れたから駄目って断ろうと思ったんだけど、叔母さんがあっさりオーケーを出してしまった。だから今、僕は泰治のためにオシャレをしている真っ最中だ。
 本当はいつもと同じ短パンにタンクトップで出かけるつもりだったけど、美代子叔母さんに駄目出しされてしまった。チェックアウトのお客さんを見送った後、僕は叔母さんの部屋へ引っ張って行かれ着替えさせられたんだけど…。
「これ…前が開き過ぎじゃないかな?」
「だから、上にこのボレロを着て〜♪」
 叔母さんは嬉しそうに薄いピンク色の上着を広げ、僕は仕方なくそれに腕を通した。姿見に映った僕は、細かいフリルが付いた白のチューブトップにピンクのボレロ、下はベージュ色の短パン姿。どっからどう見ても女の子だ。
 短パンは僕のだけど、チューブトップは叔母さんが買って来たものだ。ブラと一体になっていて、一応ずり落ちないように首から紐をかけるタイプのものだけど、胸の谷間がくっきりと見える…。これって、泰治を煽る事にならないだろうか?
 でも叔母さんは、「だって、デートだもの! それに、東京の子なんてもっとすごいの着てるんじゃないの? 全然大丈夫よ」と事も無げに言う。
「でも、念のため、これに履き替えて」
 そう言って出されたのは女物のパンツ。チューブトップとお揃いみたいにヒラヒラのフリルが付いてて、何となく昔のテニスプレーヤーが履いてたのみたいだ。
「念のためって、どういう事?」
 焦って訊くと、叔母さんは大真面目に説明した。
「川原ですっ転んで短パンがずり落ちたりとか、川にハマってずぶ濡れになるとかで脱がなきゃいけない…。なんて不測の事態に備えて。だって、マキちゃんが持ってるの、全部男物のトランクスでしょう? ちょっとそれは無いよね」
 僕が思っていたような、泰治に何かされるって話ではないらしい。しかも、確かに僕ならやりそうな事でもある。でもこのパンツ、男が履くと変態っぽくないか?
「大丈夫よ。前が目立たないようにフリルでモコモコしたのを選んだし、万一の時は大事なところを股の間にきゅっと隠しちゃえば分かんないでしょう?」
「それ、小学生なら有効な手だと思うけど……」
「あら、そうお? ムリ?」
「…………」
 無理ではない。悔しいけれど、僕のは小さいから勃起してない限り出来なくはない。僕はため息を吐いてパンツを受け取り、トイレでフリフリパンツに履き替えた。
 ホルモン異常があると言われていたから覚悟はしていたけど、思った以上に身体が大きくならない事を、僕はとても気に病んでいる。身長も体重も標準以下だし、ここもさすがに小学生とは言わないけれど、十八歳にしては小さいと思う。
 あんまり気になって調べたら、大きさで言えば勃起した時に親指大あれば、性交も妊娠も可能らしい。もちろん僕のは親指よりは大きいからほっとしたけれど、叔父さんのと比べるとため息しか出ない。
 叔父さんは「ものにはバランスがあるんだよ。マキちゃんの体つきでそこだけ大きいのも変だと思うよ」と言ってたけど、じゃあ、胸の方はアンバランスに大きいのは何故なのか? まあ、そんな事、考えても仕方ないけど。
 トイレから出ると、丁度泰治が叔母さんに挨拶しているところに出会(でくわ)した。僕の姿を見た泰治は目を見張り、「可愛いじゃん」と言った。
「あ、りがと…」
 恥ずかしさに顔が熱くなったが何とかそう答えると、泰治は嬉しそうに「じゃあ、行くか」と叔母さんが手渡したお弁当を持って車へ向かった。
「じゃ、いってきます…」
 乗り気じゃない僕はぼそりと挨拶した。叔母さんは僕の頭に帽子を被せながら、「まあ、ただのピクニックだと思って、楽しんでらっしゃい」と笑いながら送り出した。

 ドライブと言っても近場に目新しいコースなどないから、湖の周りを一周した後すぐに目的地の七滝の方へ向かった。
 国道を高原へ向かって小一時間走ると別荘地があって、そこを縦断するように細いけど割と水量のある川が流れているんだ。別荘地を抜けた辺りに七本に枝分かれしている滝があって、その付近を七滝って呼んでいる。
 滝と言ってもそんな立派なものじゃなくて、ちょっとした高低差があるだけなんだけど、滝壺でまた一本になるその付近が一番広くて流れも穏やかで、水も澄んでいて魚もいる。水遊びをするには最適なんだ。なのに観光客は殆ど来ない。別荘の人は敷地の中の沢で遊ぶし、地元の人も遠いから休日以外は殆ど来ない穴場なんだ。
 泰治は滝から三分くらい離れた道の端に車を止めた。本当はいけないんだけど、まだお盆前だから山道を通る車は少ないだろうと、このまま露中する。観光場所じゃないから駐車場がないんだ。
 僕らは荷物を持って林の中を突っ切り、七滝の川原に出た。そうしてようやく叔母さんの用意してくれたお弁当を広げた。ペンションを出てからもう二時間。午後一時近くって、僕らは夢中でおむすびと唐揚げをほおばった。
 二人とも無言。今日の僕らは殆どおしゃべりをしていなかった。泰治が時々大学の話をしてくれたけど、僕の方は話す事が何もない。学校には殆ど通ってないし、ちょっと変わったお客さんがいたよ…って話題しか出て来ない。
 まあそんなの、泰治も僕も元々おしゃべりな方じゃないから、いつもと同じと言えば同じなんだけど、僕は少し緊張していた。だって、デートなんて初めてなんだもの。こんなんでいいのかなって、心配になる。恋人同士って、みんなどんな話をするんだろう…。恋人…じゃないか、僕たちは。
「マキ、水着もって来たか?」
「ぐっ、ゲホッ…」
 僕は食べていたおむすびを喉に詰まらせた。
 人がどんな話題を振ろうかと悩んでいた時に、いきなり水着かよ〜と咽せながら泰治を睨むと、泰治が「大丈夫か?」と言いながらペットボトルの蓋を開けて渡してくれた。僕はそれをひったくって飲むと、お茶でおにぎりを流し込んだ。
「…もって来てないよ。泳げないもん」
「やっぱり…。でもまあ、そうだよな…」
 あからさまにガッカリした声音に、叔父さんの「エッチしたいとか言われたら、どうするんだ?」との台詞が重なった。僕はドキドキしながら「泰ちゃんだけ、泳げばいいじゃない」とそっぽを向いた。
「俺だけ?」
 不満そうな声に「デートって、二人で同じ事しなくちゃいけないの?」と早口で聞くと、「まあ、そんな事もないけどな…」と諦めたような声が聞こえた。
 泰治はすっぱり気持ちを切り替えたようで食べるだけ食べて満足すると、さっさとTシャツを脱いで一人でザバザバと滝壺の方へ泳ぎに行ってしまった。気持ち良さそうに泳ぐ泰治の様子を遠目に眺めて、おっぱいさえなかったら、僕も冷たい水の中へ入って行けるのに…と恨めしくなった。
 木陰にいるし川面を渡る風は涼しいけど、真夏の一番暑い時間帯だもの、ただじっとしてるのは暑くて堪らない。そりゃあ、本当は僕だって泳ぎたい。誰のせいでこんな暑い中を、こんな所に来てんだよと思ったら、悔しいのと腹立たしいのとで、無意識に泰治の傍を離れたくなった。
 僕は帽子を被って木陰を出ると、滝から少し離れた浅瀬の中へサンダルのまま入って行った。
「冷たくて、気持ちいい…」
 川の水は流れがあるから浅くても冷たくて気持ちがいい。足だけでもひんやりして、たちまち鬱々した気分が良くなった。よく見ると、足元近くに小さな魚が泳いでいて、すぐに捕まえられそうだった。僕はそのまま魚を追って浅瀬の中枢までどんどん入って行った。
「マキ! そっちは駄目だ!」
 滝壺の方から泰治の焦った声が聞こえた時だった。僕はズブっと川の深みに嵌っていた。
 夢中で魚の群れを追っていたから、深みになっていたのに気づかなかった。あっ、と思った次の瞬間、頭まですっぽり水の中だった。
 本当は泳げない訳ではないけど、突然水に落ちた驚きで鼻から口から思いっきり水を飲んでしまった。息が出来ない苦しさに冷静さを失って、完全な金づち状態だった。川底は思ったより深くて、足が着かない恐怖にジタバタもがけばもがくほど、どんどん身体は沈んで行った。
 肺の中の酸素を全て吐ききって、頭の中がぼうっとし始めた。ああ、僕はこのまま男に戻れずに死んじゃうんだ…と思った。
 走馬灯のように色んな事がグルグル頭を巡るって言うけど、本当に長い事会っていない両親や妹の顔から、叔母さん叔父さん、座間のおじちゃんや恭平さんの顔まで次々思い浮かんだ。最後に泰治の泣きそうに歪んだ顔が瞼に浮かんだ時、泰治に腕を掴まれ引き上げられた。
「ゲホッ、ゴホッ!」
「マキ! 大丈夫か?!」
 浅瀬に引き上げられて、僕はその場で盛大に咽せながら水を吐き出した。思いっきり息を吸い込んではまた咽せて、水を吐き切るまでゼーゼーと荒い呼吸を繰り返した。
 僕の背中を摩りながら泰治が大丈夫かと何度も声をかけるから、苦しいながらも何とかコクコク頷いた。鼻水は出て来るし涙も止まらないし、すごい状態だったけど、こんな時はもうそんな事を気にしていられなかった。
 泰治はひたすら僕を心配して、呼吸が落ち着いて来ると僕の腕を取って身体を支えながら、お弁当を広げた場所まで連れて行ってくれた。
「着替えないと、身体が冷えるから」
 泰治はぐったり座り込んでいる僕に、自分の荷物の中からバスタオルと自分が着ていたTシャツと替えの短パンを差し出した。『着替え』の言葉に動かなかった頭がようやく回り始めて、落ち着いて自分の姿を眺めて見ると結構大変な姿になっていた。
 水で濡れた服は透けて身体に張り付いているし、水の重みで下に下がってしまって、首の紐と胸の出っ張りに引っかかって何とか保っている状態だった。って言うか、先が少し見えてる!!
「きゃっ!」
 ばっと慌てて両手で胸を隠すと、泰治はクルッと背中を向けて「見てないから!」と早口で言った。絶対見たな…と思った。頭から火が出そうだったけど、助けてくれた人を怒れない。不可抗力だし仕方ないと黙っていた。
「後ろ向いてるから、早く着替えろ!」
 そう言われても、こんな所で着替えるなんてと固まっている僕に、泰治は怒った声で「早く!」と促した。
 僕は念のため泰治に背中を向けて、プールで着替える時みたいに肩からバスタオルを羽織って着替え始めた。でも、濡れた服を脱ぐのは簡単じゃなかった。
 冷静に考えれば先にボレロを脱いで、チューブトップを脱ぐ時だけバスタオルを羽織れば良かったのに、とにかく身体を隠したまま張り付いたボレロを脱ぐのに必死だったから、もがいているうちにチューブトップがずり上がってしまった。
 これって、下から脱いだ方が簡単なんだよね。それをそのまま上にまくって頭から脱いだもんだから、バスタオルが肩から落っこちてしまったんだ。
「あっ!」
 慌てて後ろに落ちたタオルを拾おうと振り向いたら、何故か泰治も一緒に振り返った。
「きゃっ!」
「うわぁっ!」
 しっかりばっちりセミヌードを見られてしまい、悲鳴を上げてしゃがみ込んだ。
「悪い!! でも、今のはお前が『あっ』とかって、変な声上げたから…」
 泰治は言い訳しながら急いで落ちたバスタオルを拾って背中からかけてくれたけど、僕は恥ずかしさでうずくまったまま動く事が出来なかった。
「ほら、もう振り向かないから、早く着替えろよ…」
 そう言って泰治は着替えを促したけど、ダンゴムシみたいに丸まったまま動かない僕に、ちょっと呆れたようにため息を吐いて、僕の頭にTシャツを被せた。
「俺たち付き合ってんだから、そんなに恥ずかしがる事ないだろう? 自分で早く着替えないなら、俺が無理矢理着替えさせるぞ!」
 頭の上でそんな風に脅されたから、僕は慌ててTシャツに腕を通した。だって、泰治ならやりかねない。またちょっと見えちゃったかも知れないけど、ちょっと位ならもういいやと開き直った。
「ほら、また後ろ向いててやるから、早く下も着替えちゃいな」
 泰治は笑いながら本当に後ろを向いた。僕はバスタオルを腰に巻くと、今度は用心して地面に座ってパンツを脱いだ。すごく着替えにくいけど、またタオルが取れたりしたら今度こそ大変な事になるし、取れなかったにしても僕の事だから途中でコケたらマズいと思ったからだ。すごい時間がかかったけど、泰治は一度も振り向かずにいてくれた。
 パンツの替えはないから直に短パンを履いた。スースーするけど仕方ない。濡れたままでいるのは、いくら夏でも風邪を引きそうだし気持ち悪かったから、泰治の服を取っちゃって悪かったけど、着替えられたのは嬉しかった。

 無事に着替え終えてほっとしたんだけど、全然無事じゃなかったんだ。
 はーっとため息を吐きながら顔を上げると、林の陰からこちらを覗いている男の姿が目に入った。
「ぎゃーーー!!!」
 悲鳴を上げながらトロい僕にしては珍しくものすごい早さで泰治の背中へ抱きついた。
「どうしたんだよ!?」
「林に人がいる〜〜! 覗き見してる〜!」
 僕は半泣きしながら訴えた。誰もいないと思っていた所に人がいて、もしかして一部始終を見られたかも知れないと思ったら、怖くて堪らなくなってしまった。
 泰治は反射的に僕を庇うように周り込んで、林の方へ低く唸るように「誰だ! 出て来い!」と怒鳴った。泰治の背中から息を詰めて林の方を窺っていると、ガサガサと草を踏む音がして、木の陰から若い男が出て来た。
「嫌だな…人聞きの悪い。覗き見なんてしてないよ…」
 うすら笑うように男が言った。
「そんな所に隠れて見てんのを、覗き見って言うんだよ!」
 泰治が怒鳴ると、男はクスクス笑いながら「仕方ないだろう?」と言った。
「散歩していて川原に出ようとしたら、いきなり彼女が裸になるからさ、出るに出られなくなっちゃったんだよ」
 やっぱり見られてた! 真っ赤になって息を飲むと、泰治が「テメェ…」と唸りながらスっとしゃがんで手のひらサイズの石を掴んだ。
 投げるつもりだと思った僕は慌ててその腕にしがみついた。ブラジャーをしてないから泰治の二の腕をおっぱいで挟むような格好になってしまい、泰治がぼとっと手にした石を落として硬直した。
「別に出歯亀する気なんてなかったし、全然見えなかったから大丈夫。でも、偶然とは言えご免ね。勘弁してよ」
 謝ってはいるけど、やっぱり顔にはうすら笑いを浮かべていて不遜な感じだった。でも、通りかかっただけなら仕方がないし、散歩の途中だと言うなら早くどこかへ行ってしまって欲しかった。
「もう、いいですから…。早く、行ってください」
 僕が何とかそう言うと、「ねぇ、君って…湖の方のペンションの子…だよね?」と聞かれた。
「えっ? ど…」
 驚いてどうして知ってるのかと言いそうになったが、立ち上がって僕の前に出た泰治に遮られた。
「アンタ、誰だ」
「ん? 俺? そうね、不審者の疑いを晴らすためにも先に自己紹介しとこうか? 俺は田島雅之(たじままさゆき)。東京からその先の別荘に避暑に来てる。ここは犬の散歩コースね。そんで、何で彼女の事を知ってるかって言うと、去年友人に誘われてペンションのバーベキュー大会に参加したからだよ。ねえ、俺の事、覚えてない?」
 そう言われて、僕と泰治は顔を見合わせた。二人して田島と名乗った青年をよくよく凝視した。
 大学生か社会人かは分からないけど、少し長めの髪を真ん中から左右に流していて、ちょっと甘ったるい感じのイケメン。泰治とそう変わらないくらいの身長で、スラリとしてスタイルがいい。服もセンスが良くて育ちが良さそう…なのに、顔に浮かんだ薄ら笑いが軽薄さを物語っていて残念な感じだった。
 何にせよ、僕には全く見覚えがなかった。もともと僕は常連さんの顔しか覚えてないし、そんな行きずりの男の人に興味はないから覚えてる訳がない。
 でも泰治の方は覚えていたのかも知れない。泰治の性格なら知らないなら知らないと言う筈だけど、何も言わなかったから。
「…帰るぞ」
 泰治は彼を無視すると、僕の手を引っ張って荷物を片付け出した。僕も慌てて脱いだ服を丸めると泰治と一緒に荷物をまとめた。
「あらら? 覚えてないの? 俺ってそんな印象薄い人じゃないと思うんだけど? まあ、いいけど。それより、ねぇ、君らって、付き合ってるの?」
 田島はゴチャゴチャしゃべりかけて来たけど、僕らは彼を無視して川原を後にした。
 ついて来られたらどうしようかと、つい一度だけチラリと振り向いたら、彼はその場に佇んで僕らの事を見ていて、何だかちょっと怖かった。
 車に乗り込むと泰治は「マキ、気をつけろよ」と言った。僕はドキッとして「えっ? 何に?」と訊いた。
「アイツに…。さっきの、田島雅之ってヤツに!」
 泰治はイライラしたようにそう言ったけど、僕にはどうしてそんな事を言うのか訳が分からなかった。確かに僕もちょっと怖いと思ったけど、もう会う事はないと思ったから。でも、泰治はすごく怖い顔で「いいな?」って念を押すから、「うん…」と頷いておいた。

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