INDEX NOVEL

秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 3 〉

 座間ベーカリーを出ると、僕は国道の道を戻ろうとしてげんなりした。西日はまだ強くて、昼間の熱気を溜めた地面から翳ろうが立っているのが見えたからだ。ため息を吐いて自転車の向きを変えると、斜面を迂回する山道へ向かった。
 この道は木が生い茂っていて暗いからあまり使うなと注意されているけれど、涼しいし、まだ明るいし、第一、僕は本当は男なんだし…。
 そう思いながら自転車を走らせていたら、後からクラクションと一緒に「マキ!!」ってでっかい声に呼び止められた。驚いて自転車を止めて振り返ると、軽自動車の窓から顔を出した泰治が手を振っていた。
「もうすぐ暗くなるぞ! 送って行くから乗って行け!」
 怒鳴られて、僕は首を竦めた。暗くなったらこの道を使うなと五月蝿いのは他でもない、この泰治なんだ。僕は仕方なく自転車を降りて泰治の車に近づいた。
 泰治は車を降りて後部座席のドアを開け、シートを倒すと僕のママチャリを軽々と積み込んだ。僕が助手席に乗り込み、泰治も運転席に戻ると早速、「こっちの道は使うなって言ってあっただろう」と言った。
「ねぇ、この車どうしたの?」
 僕はお小言には答えずに興味津々で訊いた。泰治は高校を卒業するとすぐに免許を取ったが、自分の車は持っていなかったはず。しかも、これはお店の車じゃない。
「大学の友だちのお兄さんから安く譲ってもらって、東京から乗って帰って来た」
「ふ〜ん」
「ふ〜ん、じゃないだろ。家に着いたら、丁度お前が帰った所だって言うから追っかけりゃ、国道に姿はないし。だとしたら、こっちだろうと思って来てみれば、案の定そんな恰好でのたのた漕いでやがるし…あぶないだろうが!」
 そんな恰好って、別に普通の短パンとタンクトップだ。今の僕は出来るだけユニセックスなデザインを選んで着ているから、遠目に見たらちょっと髪の長い男の子に見えるはず。そんな変な恰好をしているつもりはないのに、泰治は「あぶない」と連発する。
「そんなに怒られるような事してないよ」と僕が口を尖らして言うと、「どっちも短か過ぎるだろ丈が…」と苦々しげに言った。
 これ以上口答えするといつまでも五月蝿いから、「は〜い」と返事をすると、泰治はため息を吐いて車を発進させた。冷房はついていなかったから、窓を全開にしてドアに凭れるようにしていると、強く吹き込む風が頬を冷やして気持ち良かった。
「疲れたのか?」
 心配そうに訊く泰治に首を振って「こうしていると涼しくて気持ちいいから」と答えた。泰治は前を向いたままほっとしたような顔をして「そうか」とだけ言った。
 こんな風に僕の身体を気遣う泰治を見ると、すごく後ろめたい気持ちになる。泰治と中学の植え込みの中で出会ってから六年、僕はずっと泰治を騙しているのだ。
「車、こっちに置いておくの?」
 余計な事を考えたくなくて、何となく聞いただけだった。
「ああ。東京じゃ、高くて駐車場なんか借りれないし。けど、こっちにいる間は、やっぱり自分の車あった方がいいからな」
「そうだね…」
「今年は…お前連れて、色んなとこ行きたいし」
「そうだね……」
「来週最初の休みに、七滝の方までドライブに行こうぜ」
「そうだね………って、えっ? ドライブ?」
「ああ、デートしようぜ」
「デート……」
 呟いて絶句してしまった。泰治はちらりと僕を横目で見ると、ウインカーを出して車を路肩へ止めた。
 ペンションまで目と鼻の先だと言うのに、泰治のヤツこんな所に止めやがって。『やっぱり来たか!』と身構えた。暑さのせいか緊張のためか分からない汗が、背中にどっと流れた。
「なんだよ、その気のない返事は。一年前、俺言ったよな。ずっと待ってたんだぜ。ちゃんと考えてくれたのか?」
 泰治はサイドシートの僕に向き直り、ちょっと怒ったような顔で言った。僕は顔を見られないように下を向いたまま頷いて答えた。
「考えた…ケド、やっぱりまだ…」
「分かんないって言うんだろう? そう思って、この車手に入れたんだよ」
「えっ?」
 意味が分からなくて泰治を見ると、ニヤニヤしながら僕を見ていた。
「だから、分かんないなら、分かるように付き合おうっての。バイトしてる間は、一緒にいたってそれらしい雰囲気になる事ないし、おじさんもおばさんもいるしな。このままじゃ、いくら待っても状況は変わらないだろう? だから、二人っきりになれる空間を手に入れたんだよ」
「先に、試しで付き合うって言うの?! そんなのズルイ!」
 何言ってんだとムカついて抗議すると、手を取られてぐっと引き寄せられた。泰治の顔がどアップになってドキッとして息を飲んだ。
「マキ、狡いのはどっちだ? お前、俺の事、全然真剣に考えてなかっただろ?」
 怖い顔だけど怒っているのとは違う、すごい真剣な表情(かお)で見つめられた。泰治の本気が伝わって、僕は思わず目を伏せた。
「ごめん、なさい…」
 付き合えないのは、僕が本当は男だからだ。でも、それを伝えないのは全部僕の都合であって、決して泰治の気持ちを考えた訳じゃない。その上、ペンションの手伝いを辞めて欲しくないから、適当に流してしまおうと考えていた。人の良い泰治を、ずっと利用しようと思っていたんだ。
 最低だと思った。恥ずかしくて顔が熱くなった。何も知らない筈の泰治に狡いと指摘されて、胸が痛くなって泣きそうになった。
「別に責めてる訳じゃない…。お前は昔っからトロいから、何でも時間がかかるってのは覚悟してたんだけど、流石にちょっと焦れた…泣くなよ」と、泰治は僕の頭を撫でながら謝った。
 僕は首を振って「泰ちゃんは…私のどこが好きなの」と、それまっでずっと不思議に思っていた事を聞いた。
 泰治は昔からすごくモテたから、僕じゃなくても良いはずなんだ。ぶっきらぼうで口も悪いし、見た目も怖いけど、中身は男らしくて懐が広くて、それでいて優しいから、男からも女からもモテるんだ。ヤンキーっぽい女子からは特に。
 対して僕は、確かに見た目は女っぽいけど、やっぱり本当は男だから、決して美人の部類には入らないと思うし、人見知りも強いし、泰治の言う通りにトロい。なのに、初めて会った時から泰治は僕に興味を示していた。
「そんなの、全部だよ。そういうニブくてトロい所も好きだし…。まあ何だ、中学校の植え込みでお前のデカパン見た時から、惚れちまったんだよ!」
 泰治は照れたように早口で言うと、僕の頭からは手を離したが、握った手は離さなかった。
「マキは…俺の事、嫌いか?」
 僕は首を振った。嫌いじゃない。頼もしいお兄ちゃんのようで慕っている。
「だったら、付き合おうよ…。世の中のカップルなんてな、最初っから好き同士で付き合うなんて奴ら、ほとんどいないんだぜ」
 強く握った泰治の手が、汗ばんで震えていた。僕は顔を伏せたまま頷いて、ちゃんと本当の事を話そうと決心した。

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