INDEX NOVEL

秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 2 〉

「こんにちは〜」
 パンのリースが飾られた扉を開けると、座間ベーカリーの店内は大勢のお客さんがひしめき合っていて大盛況。二人がかりでもレジは長蛇の列だった。レジで忙しく袋詰めをしていたおじちゃんが僕に気づいて顎をしゃくった。『裏へ回れ』との合図だ。
 僕は『分かった』とおじちゃんに手を振って、戸口から出て裏のパン工房へ回った。自転車を裏口に止めたから、そのまま入っちゃえばよかったな。座間ベーカリーに来るのは久し振りだったから、わざわざ表に回ったんだけど。
 前から座間のパンは評判だったけど、一年くらい前にテレビで紹介されてから観光客が押し寄せて大変だって話は本当だったんだ。テレビの力ってすごいものだね。うちのペンションも紹介されたらお客さん増えるのに…とは思うけど、客室八部屋しかないからあんまり増えても仕様がないか。
「こんにちは〜。宮地ですけど…」と言いながら裏口の扉を開けると、鉄板からクーラーの上にパンを移していた長男坊の恭平さんが驚いたような顔をした。
「よう、マキちゃん久し振り〜。どうした?」
「フランスパンを買いに来たの。注文し忘れてたんだって。ある?」
「あるよ。でも、夕飯に出すんだろう? だったらこっちのアニスのバケットにしてみてよ」
「どうしようかなぁ…」
 うちの料理長である美代子叔母さんにはこだわりがあるようで、本日のメニューにはフランスパンと決めてしまっているみたいだから、勝手に変えていいかわからない。
「新作だから試してほしいんだよね〜。あっ、でも味は保証するよ」
「わかった。フランスパン売り切れだった事にする」
 いつも配達の時にいろいろおまけしてくれる恭平さんの頼みだから、聞いてあげる事にした。きっと怒られやしないだろうし。
 恭平さんは「ありがとう」と笑いながら焼き上がったばかりのパンを紙の袋へ詰めた。
 工房の中は新しく雇い入れたらしい僕の知らない職人さんが手際よくパンの成形をしていて、二人のパートのおばさんがサンドイッチなどの調理パンを作っていた。みんなすごく忙しそう。
「すごい盛況ぶりだね。こんな忙しいのに、明日から泰ちゃんに手伝いに来てもらっていいの?」
「ああ、いいの、いいの。あいつ、うちの仕事手伝った事ないからさ、何にも出来ないのにウロウロされる方が迷惑だから」
 泰治が家業を手伝った事がないと言うのは意外だった。うちのペンションでは掃除洗濯以外にも、調理の手伝いまで喜んでしてくれるので、家業だって手伝っていたのだろうと思っていた。
「泰ちゃんはパンきらいなの?」
「パンがきらいってわけじゃないけど、好きな事しか気が向かないし、やろうとしないんだよ。好みがはっきりしているというか、何て言うか…」
 恭平さんは僕の顔を見て、困ったように苦笑した。
「パンっていったらブリオッシュとかバター系のパンしか食わないし、スポーツったらバスケットボールだけ。中学生になった時、バスケ部がないから野球部に入るってんで、俺が大事にしてたグローブを譲ってやったのにうっちゃらかしやがって、結局自分でバスケット部立ち上げたしなぁ…。好きになったら一途で、馬鹿の一つ覚えみたいにそればっかり。感心するのはさ、一回好きになったら変わらないってとこだよなぁ…」
 うんうん頷きながら弟自慢をする恭平さんに僕は「そうだね」と話を合わせたが、何で今更泰治の性格を熱心に聞かされなきゃならないんだろうと不思議に思った。
「恭平さんと泰ちゃんは仲が良いんだね」
 だって普通、弟の話をこんなに熱心にしないよね…と思いながら聞くと、恭平さんは僕にパンの袋を渡しながら、いやいや〜と顔の前で大袈裟に片手を振った。
「別に仲が良いわけじゃないけどさ、アイツ見てるとこっちがイライラするというか、ヤキモキするというかさ〜…。とにかくあいつは一途なヤツなんだよ。だからさ、マキちゃん、泰治の事よろしく頼むわ」
 そうして最後にその手を立てて拝むような仕草をした。
 よろしく頼むって、一体何の事だろうと僕が首を傾げていると、お店に続く引き戸が開いてクッタリしたおじちゃんが入って来た。
「お〜う、恭平。悪いがレジ交代してくれ。こう暑いと喉が渇いてかなわんよ」
「仕様がねえなぁ、年寄りは。そんじゃちょっと交代しますか。もうさすがに客足も落ちて来ただろ。じゃあな、マキちゃん」
「うん、頑張ってね」
 僕が手を振ると恭平さんは「おう!」と言って、お店に出て行った。おじちゃんは休憩しに母屋の方へ入って行った。腕時計を見るともうすぐ午後五時になる。まだ陽は高いけど観光客はそろそろ宿に戻る頃だろう。
 僕もそろそろお暇しようと「それじゃあ…」と工房の人に声をかけようとしたら、おじちゃんが麦茶の入ったコップを二つ持って戻って来た。そして僕にコップの片方を渡しながら「国道沿いに自転車かっ飛ばして来たのか?」と聞いた。
「うん」
 内心、帰りそびれた…と思いながら返事をすると、「見通し良いけど、あんまりスピード出すなよ」と小さな子どもにでも注意するように言った。
「それに、最近暑いし、熱中症になるから気をつけるんだぞ…。でも、本当に元気になって本当に良かったよなぁ。マキちゃん、こっちに来てからもう何年になる?」
「十三の時に来たから、六年かな…」
 僕は中学一年の時から叔母の家で世話になっているが、その理由は「学校に通えないほど身体が弱いから、静養のため」という事になっている。
 でもそれは真っ赤な嘘。身体は至って健康だ。なぜそんな嘘を吐いたかと言うと、こちらの中学校へ編入する際、僕の身体の秘密を守るために、体育の授業を免除してもらわなければならなかったからだ。
 中学の三年間は病弱な女の子の振りをしていたけど、今は「自然が豊かなこの地域の環境が幸いして、すっかり健康になりました」って事にして普通に出歩いている。嘘を信じている町の人には心苦しいけど、ここへ来た時は自分を守るので精一杯だった。
「六年かあ…時間が経つのは早いもんだなあ。っていう事は…あ〜、来年は大学受験か?」
「うん…」
 中学もまともに通えなかった僕だから、高校は通信制高校に週に一回だけ通って、あとはペンションの手伝いをしている。そんなんでもきちんと進級出来ているのは、元中学の数学教師だった叔父さんに勉強をみてもらっているお陰だ。
「そうか。じゃあ、東京へ帰るのか?」
「まだ決めてないけど…、そうなるかな」
 そのつもりだ。そうして新しい人生を生き直すって決めてるんだもの。強く頷くと、おじちゃんはちょっとガッカリした顔をしてため息を吐いた。
「そうか。美代子さん寂しがるだろうなぁ。おっちゃんも寂しいなぁ」
「うん…」
 それを言われると辛い。本当に、叔母さんと叔父さんがいなかったら、僕は今頃どうなっていたかわからない。だから、二人に実の子同然に可愛がってもらっておきながら、東京に戻る事は恩を仇で返す事になるのかも知れない。
「親父! そろそろ明日の仕込みに入るから、またレジ頼むわ!」
 恭平さんが顔を出した扉の間からレジに並ぶお客さんの姿を垣間見て、僕は慌てて起ち上がった。
「忙しいのに長々お邪魔してごめんなさい。またね!」
 僕は二人に挨拶すると逃げるように座間ベーカリーを後にした。

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