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秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 1 〉

 「マキちゃん、お掃除ありがとう。ごめんね〜、続けて悪いんだけど、座間(くらま)ベーカリーまで行って、フランスパン買って来てくれる? 注文するの忘れちゃってたの。今の時間ならまだ間に合うはずだから」
「はーい」と返事をしながらため息を吐いた。
 四箇所あるトイレの掃除を終えても休む暇もない。でも仕様がない。だって、夏場のペンションは一年で一番の書き入れ時なのだ。
 僕は洗面所で顔を洗うとタオルで全身の汗を拭い、母方の叔母でペンションの経営者である美代子叔母から財布を受け取り、お勝手口の脇に置いた自転車を押して通りへ出た。
「暑いから帽子被って行きなさい!」
 叔母が後から追い掛けて来て、ピンクのリボンが付いた麦わら帽子を被せた。
「これ、嫌だ。叔父さんのは?」
 ムッとする僕に、「叔父さんが被って行っちゃったわよ。我慢して」と叔母が苦笑いした。
 叔父は今、送迎バスで駅までお客を迎えに行っている。続けて思い出したように、
「そうそう。泰治(たいじ)くんが、一日早いけど明日から来てくれるって。だから、明日から少し楽になると思うよ」と笑った。
 僕は益々ムッとして「そう…」と呟いたが、僕の機嫌が急降下したのにも気づかない叔母は
「行ってらっしゃ〜い」と脳天気に手を振った。
 僕は嫌な気分を忘れようと、かんかん照りの一本道を、吹き出す汗を拭いもせずにひたすら自転車を走らせた。あと五分くらいすると湖へと続く坂道があって、風を切りながらそこを一気に下ると汗も飛ぶようにひいて気持ちが良いのだ。
 坂の下のには湖畔に沿うようにこの村唯一の商店街がある。駅からの巡回バスも出ていて旅館やホテルもある。これから向う座間ベーカリーも商店街の中にある。美味しいと評判のパン屋だ。
 無口で頑固なおじちゃんとその長男である恭平(きょうへい)さんが店を切り盛りしていて、先ほど叔母が言っていた泰治はそこの次男坊だ。
 普段は東京の大学へ通っている。休みの度に帰って来るが、家業はそっちのけで叔母のペンションでアルバイトをする変わり者だ。
 何でうちを手伝ってくれるのかなと僕も思っていたけれど、その理由は去年分かった。

「なあ、マキ、俺と付き合わねぇか?」

 毎年常連さんを迎えてのバーベキュー大会をしている最中、泰治と並んでうんこ座りをしながら線香花火をしていた僕に、まるで「銭湯に行かねぇか?」という気楽さでコクられた。僕は最初意味が分からなくて、気づいた時には危うく足の上に火玉を落とす所だった。
 えっ、答えたのかどうかって? 
 答えは保留中。
 だって、嫌いってズバッと言っちゃったら、もうペンションを手伝ってくれなくなるかも知れない。
 それは困るんだ。特に夏場の男手は必要で、気心の知れた泰治の働きはなくてはならないものになっていて、叔父さんと叔母さんの事を思うとそんな簡単には行かないんだ。

「付き合うって、好きな人同士がお付き合いする事だよね? 泰ちゃんの事、わたし、そんな風に考えた事ないから、わかんない!」

 僕は必死であやふやに誤魔化そうとしたんだけど、泰治のヤツ、しれっとした顔で、
「だったら、待ってるから。考えてみてよ」と言ったんだ。
 あれから一年。そろそろ…そろそろ、ヤバイと思うんだ。
 今年の春休みまでは、泰治は何も言って来なかったけど、ヤツは今年で二十才になる。そうして僕は十八才になるんだ。二人ともお年頃な訳で…しかも、夏休みな訳で…。絶対、答えを求められると思うんだ。
 でも、僕は泰治の気持ちには応えられない。嫌いじゃないけど、受け入れられない。
 坂道に差し掛かり、僕は「うわ〜〜〜」と叫び声を上げながらペダルを固定して、ブレーキを引かずに滑り下りた。加速するスピードに汗とモヤモヤした気持ちが後へ後へ飛び去るようだった。
 景色も、ムッとする草いきれも飛んで無くなる。このまま身体も無くなってしまえばいいのに。
 こんな身体! こんな身体なんか!
 こんな事になったのは、泰治が悪いんじゃないんだ。たぶん、悪いのは僕の方。

 僕には秘密がある。

 それは僕がそもそも叔母の家に世話になっている理由でもあるし、知られたらきっと大変な事になる。だって、町の人全員を騙しているのだもの。
 だから、来年の春に僕が東京に戻るまでは、どんな事があっても知られちゃいけないんだ。

 女の子の恰好をしている僕が、本当は “ 男 ” なんだって事は…

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