INDEX NOVEL

秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 19 〉

 しばらくして譲たちが戻り、マキは午後五時の高速バスで東京方面へ向かった事が分かった。
「今時間残ってる駅員さんに、マキちゃんの写メを見せて確認をとったんですが、誰も覚えがないそうで諦めてたんですけど、そのあとバスの案内所で聞いたら、新宿西口行きの高速バスの料金を尋ねたマキちゃんを、窓口の人が覚えてたんですよ! 岩井珈琲店によく行ってる人で、前にバイトしてた子だなって思ったそうですから、間違いないと思います」
 普段は無口な譲が興奮して捲し立てるのを聞きながら、東京へ向かったのは予想通りだと、少しだけほっとした。マキは元々東京に住んでいたから、やはり土地勘のある場所を選んだのだろう。近県で身を潜めて仕事が探せそうな場所と言えば、名古屋の可能性もあったから、はっきり場所の特定が出来たのは有り難かった。
 ここから東京まで高速バスなら四時間ちょっとだ。もうすぐ午後十時になるから、新宿駅からもうどこかへ移動してしまったあとだろう。すぐに警察へ連絡すれば…と思わなくもないが、クロさんたちは動かなかった。譲たちも怪訝そうな顔をしていたが、口には出さなかった。
 クロさんたちにしてみれば、捜索願を出したくても出せないのだ。なにせ “ 宮地マキ ” はこの世に存在しないのだから。それに、今すぐ届けを出したとしても、夏休み中は家出人が山のように出るって話だから、すぐに動いてくれる可能性は低い。田島対策を講じてからでも遅くはないだろう。
 食いっぱぐれていた夕飯は、クロさんが急ごしらえでサンドイッチを作ってくれて、俺たちがそれにかぶりついている間に、ばっちり化粧直しをして、勝負服らしい薄いピンクのワンピースに着替えた女帝が現れた。
 彼女は譲たちの労をねぎらい、マキの家出について、「泰治くんと恋仲になったのに、お金持ちの田島さんから愛人になれって迫られて、パニックを起こしちゃったみたいなの」と説明した。
「マキが通信制高校を順調に卒業出来れば、大学から東京に戻るつもりでいたのね。でも、あの子の実家は妹が私立に進学したお陰で、お金の遣繰りに苦労してて、マキは進学も出来ないかもしれないし、こそへ持って来て田島さんにお金を積まれて『面倒を見たい』なんて言われたりしたら、一も二もなく引き渡されちゃうと思ったみたいなの……」
「愛人になれだなんて、ヒドイわ! 何よ、あの成金ヤローッ!!」
 加奈子が興奮してキィキィ声で怒鳴った。譲もムッとした顔をしていたが、俺とマキが恋仲になったとの女帝の台詞を聞いたとき、俺だけに分かるよう小さく親指を立てて見せた。
「私たちも、もちろん頭に来たわ。それでこれから、その事をきっぱりお断りしようと、田島さんをお呼びしてあるの。泰治くんのご家族も。本当は一刻も早くマキを見つけなきゃならないけど、その前にあの子の抱えた問題を解決して、帰って来やすい状態にしておきたいの。それには、みんなの協力が必要なのよ。譲くんと加奈子さんは、マキと泰治くんの味方になってくれるかしら?」
「もちろんです!」
 二人が心強く頷いたところへ田島が到着し、そのあと五分と経たず親父と兄貴も到着した。
 田島は自分だけが呼ばれたものと思い込んでいたらしく、俺や譲たちだけじゃなく親父たちまで来た事に、あからさまに不快な表情をして見せたが、不服を申し立てる事はしなかった。すぐにいつもの薄ら笑いを浮かべ、「マキちゃんがいませんけど…」と訊いて来た。それに加奈子がすぐさま反応し、敵意むき出しに睨みつけたので、田島は面食らって顔色を変え「何か、あったんですか?」と窺うように訊いた。
「あとで、詳しくご説明します」
 女帝は誰にともなくと穏やかに告げたが、田島はすっかり薄ら笑いを引っ込め警戒態勢に入った。親父たちも『一体何事だ』と、いの一番に訊きたかったんだろうが、年の割に空気の読める親父は、一連の遣り取りを見て静観する事にしたらしく何も言わなかった。
 女帝は一同を喫茶『エーデルワイス』に案内した。
 最初からこっちへ連れて来るつもりだったらしく、室内は程よく冷えていた。一同は店の中央の楕円形の大テーブルに腰を据えた。大テーブルはいつもなら中央に大きな生花が生けてあって、対面のお客の顔が見えないよう配慮されているが、カウンターの端に移動してあった。
 どこにどう座れと指示された訳じゃないが、十席あるテーブルの楕円の突端に女帝が、その隣りにクロさん、俺、親父、兄貴、譲、加奈子、一つ飛んで田島が座り、また一つ飛んで女帝という、奇麗に敵と味方に別れた状態になった。
 クロさんは飲み物を用意しにカウンターへ行き、その間に女帝が招集をかけた理由を説明しはじめた。
「田島さん、座間さん、遅い時間にお呼び立てして申し訳ありません。マキの事で、早急にお話ししなければならない事がございまして、ご足労願いましたの。実は、マキが……」
 女帝はそこで喉を詰まらせて涙ぐみ、ハンカチを口元にあてた。
「宮地さん、一体どうしたね? 大丈夫かい? おい、クロさん! 飲み物なんかいいから、ほらほら、こっち来て!」
 女の涙に弱い親父は慌ててクロさんを手招きし、代わりに加奈子がカウンターへ行き、用意されたアイスコーヒーのグラスを配って歩いた。
 俺は内心演技じゃないかと疑ったが、マキの家出を知った直後も、らしくなく取り乱していたから、演技じゃないのかもしれない。どっちにしろ、加奈子と譲は益々同情的な表情を浮かべているし、親父もすっかりおせっかいモードに入ったようだ。
 側に来たクロさんに肩を擦られると、女帝は「大丈夫よ」と言って顔を上げ、親父に向かって「すみません、取り乱しまして…」と会釈してから話を続けた。
「今日の夕方、マキが置き手紙を残して…家出をしまして……」
「なんだって!?」
「ええ〜〜っ?」
「そりゃ、大変だっ!!」
 田島と親父と兄貴が同時に驚きの声を上げ身を乗り出した。
「そりゃまた一体、どうしてだい?」
 親父の質問を受けて、女帝はチラリと顔色を変えている田島を見たあと口を開いた。
「座間さんはご存知ないかもしれませんが、マキは泰治くんと交際しているんです。ですが、そこへ田島さんからも交際の申し込みがありましたの。私どもとしては、マキはまだ十八歳ですし、ある事情から結婚を前提としてのお付き合いは出来ないと、お断りさせて頂いたんです。すると、その事情を逆手にとって田島さんから愛人になれと迫られたらしく、泰治くんと田島さんとの間で板挟みになったマキは、どうしていいか分からなくなって、家出をしてしまったんです」
 女帝が話している途中から、田島に非難の眼差しが注がれた。はなから悪者になった田島は、怯んだように上体を反らして背もたれにぶつかったが、すぐにぐっと顎を引き女帝を睨み据えた。その不敵な態度に、親父が怒りをあらわにして怒鳴りつけた。
「愛人って、アンタッ、大事な娘を妾に寄こせったあ、何てぇ事を言いやがるんだ!」
「そうよっ、マキちゃん、あなたのせいで家出しちゃったのよ!」
 加奈子も声を上げ、兄貴や譲は鋭く田島を睨みつけた。八方からの非難をまともに浴びながら、田島は身動ぎもせず探るように女帝を見つめていたが、突然フッと笑ったかと思うと肩を竦めて、「だって、仕方ないじゃないですか」と言った。
「マキちゃんは、子どもが産めない身体だそうですから、正妻に迎える訳にはいかないでしょう?」
 田島の台詞にみんなが一斉に息を呑んだ。
 親父や加奈子はショックを受けて青ざめ、兄貴は気遣わしげに俺の顔を見た。田島と同じ事を言われていた俺は、取りあえず顔を顰めて田島を見つめた。俺の視線を受けた田島は、意味ありげな笑みを浮かべると話を続けた。
「…ですが、それでも僕はマキちゃんが好きなんです。彼女が欲しい。だから、立場的には愛人扱いになりますが、正妻と変わらぬ待遇で迎え入れるつもりでした。その旨を、マキちゃんからご家族に伝えて欲しいと言ったんですが、どうやら言葉が足りなくて、マキちゃんにも、みなさんにも誤解を与えてしまったようで、申し訳ありませんでした」
 言い終わると田島は殊勝な顔で女帝たちに頭を下げたが、女帝が『ある事情』と誤摩化した、娘を持つ親なら誰もが隠しておきたい内容を、公衆の面前でバラした上での言い逃れは、火に油を注いだだけだった。
 辛そうに顔を伏せた女帝とクロさんを見て、うちの親父が怒りにブルブル震えながら叫んだ。
「アンタッ、よくもまあ、いけしゃあしゃあと、そんな馬鹿な事が言えるもんだな? 戦前じゃあ、ないんだよ? どんな事情があろうと、愛人だなんて失礼だよ!」
「じゃあ、伺いますがね。座間さんは、子どもの産めない女性を、息子さんの嫁として認められるんですか?」
「そ、そりゃ……」
 親父は口籠り、俺を見て一瞬躊躇したが、「…だからって、話が乱暴すぎるだろっ!!」と言い返した。俺は内心穏やかじゃなかったが、親父の戸惑いはもっともだと思ったから、何も言わなかった。田島はそら見ろと言った顔をしながら「そうですね」と頷いた。
 田島の態度が慇懃無礼なのは、マキが男だと知っているからだろう。そこだけ見れば、俺からしても茶番劇に思える。だが、マキが田島のせいで家出したのは事実だし、婉曲しているとは言え秘密を暴かれる側の苦痛を思えば、田島の根性の悪さは相当なもんだ。
「確かに、宮地さんからしてみたら、失礼な申し入れだと思います。それに、大事な娘さんを貰い受けるのですから、礼を尽くして許しを請うべきでした。こうなったのは僕の不徳のいたすところですから、死力を尽くしてマキちゃんを捜し出します。その上で、改めて話し合いの場を設けて頂きたいと思いますが、如何でしょう? 今こうして角突き合わせていても、マキちゃんが帰って来る訳じゃありませんし、明日また――」
「いいえ、田島さん。田島さんのお力添えを頂くつもりはありません。マキを、差し上げる事はできませんから」
 これまで黙って聞いていた女帝が、田島の話を遮ってきっぱりと告げた。田島はムッとして「なぜです?!」と怒鳴った。
「僕としても、愛人としてしか迎えられないのは、心苦しい限りです。ですが、よく考えてください。あんな身体の子を受け入れられるのは、僕しかいませんよ!?」
 あんな身体と強調して言った田島の台詞に反応して、加奈子が「ヒドイ!」と金切り声を上げ、兄貴が席から立ち上がったが、女帝が手を挙げてそれを制した。
「マキを受け入れられるのは、あなただけじゃありません。だけど、マキが受け入れられるのは、あなたではありません」
 女帝はそう言うと、今度はうちの親父に向き直り深々と頭を下げて言った。
「申し訳ありません。座間さんに、いえ、町の方たちに、ずっと隠し事をしておりました」
「いやいやいや、付き合ってる事なら、私らも薄々知ってたから、そんな謝らんでも……」
 親父は慌てふためいて言ったが、女帝は「その事だけではないんです」と首を振り、田島の方を振り向いて「もっと、大きな隠し事です」と言った。
 俺は固唾を呑んだ。女帝はこれから賭けに出ようとしているのだ。
「ちょっと、何を言うつもりです……」
 途端に田島が蒼白になって呟いた。
 マキには町の連中に男だとバラすと脅した田島だが、親父や加奈子たちに事実を知られてしまえば、もう表立ってはマキに手を出せなくなる。それは阻止したいのだ。だけど、女帝の口は止まらなかった。
「マキの身体には、秘密があるんです。とても人様には知られたくない秘密です。ですが、もうこうなった以上、隠し続けている事は出来ません。あの子の身体は……」
「ちょっ、ちょっと待てっ!!」
「男でも女でもあるんですっ!!」
 田島の声に消されないよう女帝は声を張り上げた。その場にいた全員の耳に届いたはずだが、一拍置いて発せられたのは「はぁっ?」という疑問詞だった。
「あっ、えっ? 男でも女でもって、えっ? つ、つまり……」
 皆を代表するように、兄貴が恐る恐る口に出した。女帝は兄貴に頷いて「両方、ついてるんです」と言った。
「えっ、ええええ〜〜〜〜!?」
「嘘だっ!!」
 異口同音に驚きの声が上がる中、一際大きく叫ぶ声があった。俺は、それが自分の声だと思ったが、実際は声を上げる直前に隣りのクロさんに肩をがしっと掴まれて、ぐうっ、と喉の奥で声が詰まっただけだった。
 叫んだのは田島だった。
 皆の視線が一斉に田島に注がれたが、俺は女帝の目がキラッと光るのを見逃さなかった。
「なぜ、嘘だとおっしゃるの? 田島さんは、あの子の身体の事はご存知ないですよね? それとも、先日あなたの別荘に遊びに行ったときに、何か…秘密を知るような事でもあったんですか? だって、あの時ですよね? 田島さんがあの子を愛人に欲しいとおっしゃったのは…。でもそれだと、変ですわね? ご存知なら、愛人になんておっしゃいませんものね、普通」
 女帝は田島を見据えて、どうなんだと畳み掛けた。田島があそこまではっきり嘘だと言い切ったのだから、マキの身体を触ったときに女性器がついてないのを確認しているのだろうが、女帝は敢えてそこを突いたのだ。
 田島は慌てて目を泳がせ、それから開き直ったように「知りませんよっ!」と怒鳴った。
「…ただ、驚いただけです。みんなだって、信じられないでしょう? そんな、両方ついてるなんて。だから、嘘だと思ったんです!」と同意を求めるように円卓を見回した。
「私もビックリしたけど…そういう人がいるって、ドラマとドキュメンタリーで見た事あります」
 加奈子が怖ず怖ず発言すると、「あっ、それ、俺も見たわ」と兄貴が手を挙げ、譲もソロリと手を挙げた。親父は黙っていたが、否定も肯定もせず腕を組んで何事か考え込んでいた。
 俺も見た事があった。ドラマは、男の子として育った主人公が思春期に初潮を迎え、初めて自分が二つの性を持つ事を知る。そして、心とは裏腹に女としての人生を歩む事になる、その戸惑いと葛藤を描いた話だった。ドラマはフィクションだが、本当に両方の性を持つ人のドキュメンタリーも合わせて放送されていて、すごく驚いたのを覚えている。
「マキちゃん、ずっと隠して生活してたんだね…。だから通信制の高校選んだり、あんまり友だちも作らないで…辛かったよね」
 加奈子が涙ぐみ、譲がその肩を擦って慰めた。辺りはしんみりした空気に包まれたが、田島は同情ムードの連中を見回して胡散臭げに口元を歪めて言った。
「僕はそんな人を見た事ないんで、とても信じられませんね。大体テレビなんて、嘘でも本物のようにでっち上げるものなんですよ!」
「確かに、俄には信じがたい話ですけど、私はこんな時に、嘘や冗談なんか言いませんわ。それに、証人がいますのよ。ねぇ、泰治くん?」
「え゛っ?」
 唖然とした俺に、女帝は微笑んで頼んだわよと言うように頷いて見せた。
 ウソだろ! ここでいきなり俺に振るのかよ!?
 ドッと冷や汗が背筋を伝ったが、親父の驚愕している顔を見て腹を括った。女帝が親父の前でも誓えと言ったのは、俺たちが口先だけの付き合いじゃなく、そういう事を確かめ合える関係になっていると、言わねばならないからだったのだ。
 俺は頭をフル回転させた。迂闊には答えられない。女帝は両方ついてるとは言ったが、男性器と女性器とは明言していない。何て答えればいい!?
「あっ…ああ。そうです」
 俺は虚空に目をやりながら、ただ、肯定した。
 オッパイとアレが確かに両方付いてるんだから、嘘は吐いてねぇ。まあ、アレの後ろは尻の穴までツルツルだったけどな、と要らぬ事まで考えてたら、後ろから思いっきり親父に頭を叩かれた。
「ってぇ!」
「馬鹿野郎っ! お前ってヤツは、もう手を出してやがったのか〜〜っ!」
 更に殴り掛かって来ようとするのを、「ここでは止めろって!」と兄貴が止めに入った。
「座間さん、本当に申し訳ありません。こんな秘密があるのに、交際を許してしまったので…」
 女帝とクロさんが頭を下げるのを見て、親父は慌てて兄貴の手を振りほどくと「ああ、いや、こちらこそ申し訳ない事を…」と尻つぼみになりながら自分もペコペコと頭を下げた。
「いいえ、どちらかと言えば、私どもは嬉しかったですよ。真実を知っても変わらずに、泰治くんはマキと一緒にいたいと言ってくれました。だから、マキも泰治くんの事を好きになったんだと思います。あの子の置き手紙に、そう書かれてましたから……」
「えっ、そうなの?」
 親父が驚いて目を剥いたので、女帝が俺に向かって「見せて差し上げたら?」と言った。
 俺は躊躇ったが、俺宛の手紙には女帝たちに不利になるような事柄は書かれていない。だから見せろと言ったのだろう。自分たちに宛てた手紙の事は伏せて、これしかなかったように見せかけたいのかもしれない。加奈子と譲も手紙が二通あった事は知らないはずだから。
「そんな…嘘、じゃないのか? 本当に?」
 田島が俺たちの遣り取りを見て、愕然とした顔で呟いた。
 俺の事が出て来るまで、コイツは俺たちがグルになって芝居をしているとでも思ってやがったんだろうか? 残念ながらところどころ本当だよ。
 俺は黙って尻ポケットから手紙を出すと親父に渡した。親父と兄貴は顔を寄せ合って手紙を読んでいたが、途中から涙もろい兄貴は鼻を啜り出し、親父は目を閉じると深いため息を吐いた。そこへ田島が近寄って来て、「見せてください!」と必死の形相で手を出した。
 親父は俺の顔をチラリと窺い「いいのか?」と聞いた。頷くと手紙を田島に差し出し、田島は引ったくるようにして手紙を読んだ。
 忙しなく瞳を動かして文字を追っていた田島は、突然手紙を指先で弾くと勝ち誇ったようにゲラゲラと笑い出した。
「…男……男って書いてあるじゃないかっ!!」
 田島はまんまと女帝の策略に引っ掛かった。
「ええ、そうです。田島さん、マキは戸籍の上では元々男ですし、こちらに来るまでは本人も男だと思って育ちました。あの子の家族も同様に、今でも男だと思っています。ですから、田島さんのもとへは、例え愛人としても、男の子を差し上げる訳にはいきませんので、お断りしたんです。子どもが産めないと申し上げたのも本当の事です。出来ればこの事は秘密のままにしたかったのですが……」
 田島ははっとしたように笑いを引っ込め、しまったという顔をしたが万事休すだ。
 女が前提のマキだから、田島はここでも「嘘だ」と否定しなければならなかった。でなけりゃ正攻法でマキを手に入れられない。自分でも分かっていたはずだろうが、真実心では “ 男 ” を欲しているもんだから、マキの男だと言う告白を目の当たりにして、つい歓喜してしまったんだろう。
「あっ、でも、マキちゃんは、その…女の子でもあるんだよね? その、本当に子どもは……」
 親父が申し訳なさそうに訊くと、女帝は悲しそうに首を振った。
「女性の機能の方は未発達で、生理がありせんから子どもは望めないと思います。なのに、外見だけがどんどん女性の身体になってしまい、どうにも誤摩化しようがなかったので、女の子としてこちらで生活する事になったんです。成長が確実に止まるのを待って、高校を卒業したら完全な男性体になる手術をするつもりでした。ところが、泰治くんと田島さんから想われて、しかも、泰治くんと恋仲になるなて、想定外の事が起きてしまって……」
「悩んだんだねぇ、可哀想に……」
 親父は首を振りながら、大きなため息とも深呼吸ともつかぬ息を吐き出して言った。
「まあねぇ…泰治は、昔っからマキちゃん一筋で、ちょっとやそっとの事じゃあ、諦めたりせんでしょうしねぇ。大体、男は、自分の事は自分で決めるもんです。コイツがどうしても、マキちゃんが良いって言うんなら、私は反対しませんよ。マキちゃんは、コイツにはもったいないくらい良い子ですから。私らもよ〜く知ってる。こんなのの将来を気にして、一人で家出するなんてねぇ…涙が出ましたよ。宮地さん、こんなヤツですけど、こちらこそどうか宜しくお願いします。こうなったら、みんなで総力挙げてマキちゃんを捜し出しましょう」
「座間さん…ありがとうございます……」
 女帝はハンカチを目尻に当てて、クロさんと一緒に頭を下げた。
 勝負ありだ。思わず笑みがもれた。
 女帝が一世一代の大勝負に勝ったのだ。マキが男でも女でもあるという驚愕の真実(多少虚偽がある)を、嘘と本当を織り交ぜて親父たちに受け入れさせ、かつ俺たちの仲を認めさせた上に、男だからやれないと田島のヤローに最後通牒を突きつけたのだから。
 すっ、げぇー……。
 女帝のお手並みに舌を巻いた。すげぇ嘘吐きで半分呆れながらも、えらく感動してぼうっとしていると、背後で「ちょっと、待ってください!」と田島の金切り声がした。和やかな雰囲気をぶち壊して物言(ものい)いを入れた田島は、俺を睨み据えていた。
「キミは、マキちゃんと…本当に、やったのか? 手紙には、彼女は男だと書いてあったが?」
 お前は本当にアレが付いてるのを知ってるのかと、半信半疑の視線を向けていた。コイツ、まだ疑ってやがる。
 今更こんな事を訊くって事は、田島は今この時点まで、俺たちに肉体関係がないと思い込んでいたんだろう。マキが男だと言う真実を知ればノーマルの男は諦めると踏んで、俺がずっとマキと一緒にいるのは、秘密がバレるような事をしていないからだと。だから悠長に構えていられたんだ。まあ、そのお陰で俺が先手を打てたのかもしれないが。
 残念だったなと言うように「ああ」と落ち着き払って答えると、呆気に取られた顔をして「君も…」と言いかけた口を慌てて噤み、「まさか、本当に、か、彼女は女でもあるのか?」と恐る恐る訊いた。
 瞬間、『コイツ、何も知らないんだ?!』と、思わず笑ってしまった。アレが付いてるのは知ってても、そのほんのちょっと奥の構造を知らないなら、マキの身体をそれほど広範囲に触らなかったって事だろう?
「変なこと言うなよ。アイツの身体は女だったぜ。たまたま、あっちも付いてるだけだろ」
 俺はクツクツと喉の奥で笑いながら答えた。俺の笑いをどう受け止めたのか、田島は怒りに顔を歪ませ、今度は親父に向かって叫んだ。
「アンタ、本当にいいんですか? 息子さんたちの事を認めるんですか? お、女でもあるかもしれないが、付いてるモンは付いてるんですよ? それを認めるって事は、アンタの息子はホモって事になるんですよ!?」
 それを聞いた親父と兄貴が気色(けしき)ばんで何か言い返そうと口を開いたが、一足先に俺が怒鳴り返した。
「俺がホモになかろうが、アンタにゃ関係ねぇだろうがっ!!」
「くっ!」
 伊達にヤクザと間違われる訳じゃねぇドスの利いた怒声に、田島は怯んで後ずさった。
「俺とマキは、正真正銘愛し合ってるぜ。アンタも手紙を読んだだろう? 男だろうが女だろうが、そんな些細なこったあ、俺たちには関係ねーんだよっ!」
 俺の台詞を聞いて、加奈子がきゃーっと黄色い声を上げた。
「泰治、カッコイイ! 見直したわ〜〜」
「るっせぇよ!」
 振り向いて睨むと、加奈子はペロッと舌を出した。水を差されて調子が狂ったが、ほぼ決着がついているから気を取り直して田島に向き直った。
「田島サンよ、俺も、この際だからアンタに訊きたい事がある。アンタがここまで食い下がるのは、一体何でなんだ? アンタ、まだマキを諦めきれないなんて言わねぇよな? だって自分で言ったんだぜ? 付いてるモンが付いてるマキと付き合うって事は、ホモって事になるんだって。まさか、アンタもそうなのか?」
「それは……」
 全員の視線を一身に浴びて、田島は悔しそうに俺を睨み返した。しばらく互いに睨み合ったが、田島が先に視線を外すと、大げさに肩を竦ませて意味ありげに言った。
「分かりました。諦める事にしますよ。彼女はここに、いないんだしね」
 その不敵な面構えに、まだ何か企んでるだろう事を、その場の全員が感じ取った。全然諦めてねぇよ、コイツ!
「田島さん…」
「アンタ、諦めついでに、ここで聞いた事は忘れてくんなぁ…」
 女帝が呼びかける声に被せるように、うちの親父がこれまたドスを利かせた声で田島に迫った。
「人として、当然俺たちは、ここでの事は他言無用にする。もし、マキちゃんがどうのこうのってぇ噂が立とうものなら、俺は真っ先にアンタを疑う。まあ、変な噂が立てば、どこぞの成金御曹司が、知らんかったとは言えマキちゃんに迫り倒してたってぇ噂も、尾びれがついて流れるから覚悟しといてくんなぁ…」
 田島がゲイだという真実を知らないくせに、イイとこ突いてる親父の脅しが利いたのか、田島は「心配しなくても、他言はしませんよ」とあっさり答えた。
「何なら、誓約書でも書きましょうか?」
 田島がフンと馬鹿にしたように鼻を鳴らして言うと、「あら、そうですかぁ?」と女帝が喜々として立ち上がった。
「是非、そうして頂けるかしら〜〜?」
 田島はシャレで言ったのかもしれないが、女帝としては願ったり叶ったりだったのだろう。カウンターへいそいそとペンと紙を取りに行きながら、トドメとばかりに「一応ね、録音もさせて貰ってたんですけど、やっぱり口約束では心許ないですもんね」と言った。
 録音と聞いて、さすがに田島もぎょっとした顔をしたが、田島に筆記具を渡した女帝が、ピラピラとレースの付いた胸元から本当にICレコーダーを引っぱり出すのを見て、額に手を当てるとゲラゲラと笑い出した。
「参ったな。あなたには敵わない……」
 そうして、田島は女帝が俺たちには分からないように小声で伝えた通りに書き付けてから、効力がないからいらないと言ったのに、「なんか、決まらないでしょ」と自ら拇印まで押した。
 用件のなくなった田島を女帝が出入り口まで送りながら、マキがああした特殊な身体を持っていた事で、結局は騙すような断り方をして申し訳なかったと詫びた。それに対して田島は「いいえ…」と答えたが、戸口の前で立ち止まると一同を振り返り、爽やかな笑顔で呪いの言葉を吐いた。
「僕はね、遣られたら遣り返すクチなんですよ。親父にそう教育されましてね。特に屈辱は晴らさないと、いつまでも気持ち悪いので…。マキちゃん、早く戻って来るといいですね」
 田島が出て行ったあと、「負け惜しみだわ。嫌なヤツ〜〜」と、加奈子が本気で塩を撒いた。
 俺はあの呪いの言葉に胸騒ぎを覚えて、すぐにでもマキを探しに行きたい衝動に駆られた。俺の傍らに寄って来た親父と兄貴も、同様に感じていたのだろう。
「絶対あの男より先に、マキちゃん見つけ出さなきゃなんねぇぞ。じゃなきゃ危ねぇ、あの男……」
 俺の肩を叩いてから、不安そうな女帝たちにも「一刻も早く見つけ出そう」と言って頷き合った。
 マキ…お前は今、どこにいる?
 百パーセントお前の望み通りにはいってないだろうが、みんなのお陰で、俺たち堂々と一緒にいられるんだぜ。もう、隠す必要なんてないんだから、早く戻って来い、マキ!
 そう、胸の中で一心に祈ったが……
 ガキの頃から神頼みなどした事のない俺が必死に祈ったせいなのか、翌日から俺たち学生組が東京に戻って友人知人を駆出して探しても、マキの行方は杳(よう)として知れなかった。

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