INDEX NOVEL

秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 17 〉

 俺は、座間泰治。実家は中部地方の観光地にあるパン屋で、親父と兄貴の二人で切り盛りしている。次男の俺は地元の湖が好きで、将来は湖沼のプランクトンを研究したいと思って、東京で一人暮らしをしながら生物学を学ぶ二十歳の大学生だ。
 今は夏休み中なんで、地元に戻って八月いっぱいを山の上のペンションでアルバイトをしている。ここでのバイトは夏冬合わせて今夏で三回目になる。ペンションでの俺の仕事は、主には料理の下ごしらえと、買い出しの荷物持ちと、掃除と洗濯。たまに駅までの送迎バスの運転もする。要は裏方の雑用だ。
「本当は泰治くんに、送迎バスの仕事を全面的にお願いしたいんだよね。そうすれば、テニスコートと喫茶店の仕事に専念できるんだけど…」
 人が良くて押しの弱いペンションの主人のクロさんは(婿養子で中学の数学教師だった黒田貫一さんは、町の人からクロさんと呼ばれてる)、可愛い姪っ子のマキと二人でまったり仕事がしたくてそう言うが、実質的経営者である妻は(俺らバイトは “ 女帝 ” と呼んでいる。町の人が宮地さんと呼ぶのはこの人の事だ)、「駄目よ〜。泰治くん、顔が恐いんですもの」とにべもない。
 一体いくつなんだか年齢不詳の可愛らしい見かけと違って、心ない事を本人の前で平気で言える女帝に、『怖くて悪かったな』と心の中で悪態を吐きながらも、『恨むぜ、親父…』と自分でもこぼしてしまうのは、それが、女帝だけが言ってる事じゃないからだ。
 俺は身長186センチ、体重78キロとガタイもいいし、父親譲りのエラの張ったゴツい顎と、乱視のために目を細めるクセが、どうにもワルに見せてしまうらしい。中学生の頃から既に、顔が「恐い」「ヤクザみたい」と陰で言われ続けて来た。
 町ですれ違う幼稚園児の二人に一人が俺を見て泣きそうになるから、ついたあだ名は『なまはげ』。命名したのは隣町の不良で、俺にタイマン張りたがる五月蝿いヤツだったんで、ちょっとボコッてやったら表立って呼ばれなくなったが、余計な箔がついてしまった。
 だが、外見と違って性格はいたって真面目で、思い込んだら一途だ。そう、俺の長所は昔から、一度好きになったら変わらない事。
 スポーツならバスケット、食い物ならブリオッシュ(本当は卵かけごはんの方が好きだが、家がパン屋だからな)、音楽なら浜〇省〇、好きな人は宮地マキ…。
 マキは、俺のバイト先のペンションオーナー宮地夫妻の姪で、身体が弱くて静養のために引き取られて来た子だ。俺が大学の長期休暇に帰省しても、実家のパン屋を手伝いもせず、山のペンションでアルバイトをしているのは、このマキ目当てだから。
 マキの事は、初めて会った中坊の頃から好きだった。
 ひと目惚れで、校内で会う度に声をかけたけれど、マキは道端でばったり出くわした猫のように、警戒心丸出しであいさつするのが関の山。それはひとえに、俺の顔が恐いせいだと思っていた。
 だから、少しでも恐いと思われないように、コンタクトを入れて目を細めない(睨まない)ように気をつけて、髪型だって本当は坊主の方が好きなのだが、「トップは伸ばした方がいいよ」という美容院のオバちゃんの忠告に従うなど、それなりの努力をしても一向に打ち解ける様子がないまま、二歳違いの俺が高校へ上がると、全く会えなくなってしまった。
 宮地さんがうちのパンを仕入れてくれてる関係で、親父や兄貴を通してマキの情報を手に入れていたけれど、身体の弱いマキは外出などしないから町で会う可能性は低いし、こっちからは用もないのにペンションになんか行けないしで、クサクサ過ごすこと二年。途中で、言い寄って来る女をつまみ食いしたりしたが、マキへの気持ちを再確認するだけだった。
 俺はうかうか高校三年になり、中学を卒業して通信制高校に進学したマキが、町の喫茶店で午前中だけバイトをしていると、パンを買いに来た美容院のオバちゃんのお喋りを耳にして矢も楯もたまらず、すっ飛んで会いに行った。
 久し振りに会ったマキは、相変わらず俺を見ると毛を逆立てた猫みたいな顔をしてたけど、それから暫くの間一、二時間目の授業をサボっては、ちょくちょく茶店に顔を出したお陰か、世間話に付き合ってくれるようになった。
 話しかけるのはいつも俺からだったけど、通信制高校の事や、身体の調子が良くなったから登校日も楽だとか、普段はペンションの仕事もしているのだとか、ぽつりぽつりと教えてくれた。
 そんな話を聞いているうちに、ひらめいたんだ。用もなくペンションへ行けないなら、その用を自分で作ればいいって事に。アルバイトすればいいのだ、マキんちのペンションで。テニスコートを増設してから利用客が増えて、万年人手不足だと言っていたから断られる事はないだろう。
 俺はさっそく親父に、宮地さんちで夏休みにアルバイトしたいと伝えてくれるよう頼んだ。
 親父は俺の顔をジロリと睨むと、俺の邪(よこしま)な気持ちはお見通しだとばかりに、「駄目だ」とスッパリはね除けた。
「どうしてだよ。うちの学校バイト禁止じゃねぇし、家事は得意だから役に立つぜ」
「お前の目的は、マキちゃんだろう? 知ってるぞ。お前、授業サボって、岩井珈琲店に行ってただろ。心配した岩井さんから、何度か連絡もらった。お前、マキちゃんに会いに行ってたんだろう?」
「分かってんのに、何で『駄目』なんだよ?」
「あの娘は…その、何だ、身体が弱いだろうが。普通の生活もなかなか難儀だって言ってたし…。まあ、だいぶ良くなったとは聞くけども…」
 だから何だよ、と睨み据えた俺の視線に、親父はばつの悪い顔をして咳払いすると、「あー……それによ、おメエみてぇな、ばかデカイの相手じゃ、いろいろ不都合もあるだろうし、好きってだけじゃ、どうにもなんねぇ事もあるんだよ!」と早口で言った。
 諦めろと言う親父の話を、俺の傍で新聞を読むフリしながら聞いていた兄貴は、気の毒そうな顔をしてため息を吐いた。
 親父は物わかりの悪い方じゃないが、どっちかっつうと保守的な考えの持ち主で、男はか弱い女を守ってやれる逞しい存在でなければならない、という古い持論を押し付けようとする。
 それで言うなら、俺にとってのマキは、まさに守るべきか弱い存在なのだが、『か弱い』とは、単なるおおざっぱな例えであって、言い換えれば『やまとなでしこ』だろう。そんなのイマドキどこにいるんだと思うが。
 男親という立場で言えば、嫁にするなら十人くらいボロボロ子どもが産める健康な女じゃなけりぁ、と言いたいのだろう。まさに本音と建前だ。そんな差別的な理由で、諦めるなんて気にはならない。
「なにスケベ親父みたいな事言ってんだよ。俺は子どもを産んでもらいたいから、マキを好きになった訳じゃない」
 軽蔑したように言うと、親父は隣りで吹き出した兄貴の背中を叩きながら「身体の大きさの話だ、馬鹿モンが!」と怒鳴ったけど、「思春期のガキが惚れる理由なんぞ、顔か、胸か、尻の大きさだろうが!」と馬鹿にしたように言った。
「ああ! マキちゃんって、身体の割に胸デカイもんなあ〜〜」
 兄貴が鼻の下を伸ばして、何かを想像するように空中を見上げながら言ったので、今度は俺が兄貴の背中を叩いた。
「カラダじゃねぇよ!」
「じゃあ、どんな理由なんだ?」
 親父が腕を組んで偉そうに聞くので、「…アイツが笑うと、嬉しいんだよ」と言うと、親父も兄貴もキョトンとした顔をした。
「アイツ、いっつも、つまんなそうにしてたんだよ。植え込みの陰に隠れるようにして、みんなが校庭で走り回って遊んでるのを眺めてた。アイツが笑うと、すげー可愛い顔してんの、俺は初めて会った時に見て知ってたけど、学校にいる時のアイツはいっつも仏頂面で、傍に近づけば臆病な猫みたいに逃げるし、誰にも打ち解けないし。そんなんだからイジメにも遭ってたみたいだし。全部、身体の事が原因らしいから、最初は好きって言うより、可哀想で守ってやりたいと思った…」
「ああ、そう言やぁ、あったあった、イジメ。お前が中三の時だったな、ありゃ。ツッパリねーちゃんたちに呼び出されて、虐められてたマキちゃんをお前が助けたんだよなあ。お前は何にも言わねぇから、こっちは全く事情を知らなくてよぉ。宮地さんが菓子折りもって礼に来たもんで、ビックリしたんだよなぁ…」
 親父はしみじみした口調で言ったが、言える訳がない。どうやら俺が、そんときのイジメの原因だったらしいなんて。
『あなたが私につきまとうから、変な誤解をされたんです! だから、金輪際、私の周りをウロウロしないで!』
 助けた後でマキは俺を睨みつけ、そう捲(まく)し立てた。
 その言い草はないだろうと思ったが、マキにイチャモンつけて来たヤツらの中に、俺に告って来た女子がいたんだ。このときはまだ、マキを好きだとはっきり自覚していなかったが、「好きなヤツがいる」って理由で断った。
 相手が誰かなんて言っちゃいないが、自分では意識しなくても、俺の恋心ってヤツは周囲にダダ漏れだったらしい。その八つ当たりを受けたのならば、確かに原因は俺なんだろう。
 とは言え、拒絶されたショックで、俺は暫く絶句したままマキを見つめていた。木偶の坊みたいに突っ立ったままの俺を、マキはチラチラ見ながらすごく困った顔をして、やがてモジモジしながら『…でも、助けてくれて、ありがとう』と小さな声で礼を言った。
 このときのマキが、本当に本当に可愛く思えて、やっぱり好きだと思ったし、簡単には諦めねぇと決意したんだ。その後も控えめに追っかけ回して、マキの笑った顔を見られた日にゃ、訳もなく嬉しくて一日中気分良く過ごせた。
「俺はアイツが可愛い。顔だけじゃなく、身体の事も含めて、全部が好きだ。…つってもマキは、ちっとも振り向いちゃくれないけどな。アイツの事を考えると、イライラと腹の立つ時もある。…けど、いつだって俺は、どうしたらアイツが笑顔になるかって、そればかり考えちまうんだよ……」
 笑われるかと思ったが、親父も兄貴も笑わなかった。それでも、アルバイトは許してもらえなかった。
「どっちにしてもな、お前は自分が高校三年生だっちゅうのを思い出せ! 夏休みは予備校の講習会があるだろうがっ!!」
 そう言われてしまえば、引き下がるしかなかったが、反抗心はなくならない。だけど、兄貴がこっそり耳打ちしたんだ。大学生になったら、親父も許してくれるんじゃないかって。
「高校生のうちは五月蝿く言われたって仕方ないさ。でも、さすがに大学生にもなりゃ、親父だって子どもの恋路に首突っ込んだりしないだろうよ。それに、最近のマキちゃんは本当に具合が良くなったみたいで、宮地さんも、軽い運動ならしても大丈夫だとかって話してたしな。マキちゃんがもう少し健康になれば、親父も文句はないだろう? けど、一朝一夕で良くなるって話でもないから、今は待つしかないんだよ。そんで、お前はまず、大学に受かるこった。話はそれからだろ」
 確かに俺が大学へ入る頃には、マキはすっかり身体の具合が良くなって、岩井珈琲店へ自転車を飛ばして通って来る…なんて、中学の頃じゃ考えられないような元気な姿を見かけるようになった。
 それは喜ばしい事だったが、俺が行きたい学部がある大学は東京だけだったから、元気になったマキが俺の手の届かない所へ行ってしまいそうな不安を抱えたまま、傍を離れる事になってしまった。
 けれど、待てば海路の日和ありで、その年の夏に、晴れてアルバイトとして宮地家へ潜り込む事が出来た。親父も、もう何も言わなかったし、応援してくれてるような気さえした。
 そうして、マキの警戒心を解くように少しずつ少しずつ距離を詰めること一年。ようやく「泰ちゃんって、お兄ちゃんみたい」と言わせるくらい親しくなって、交際を申し込んだのが一年前。
 喜んだのも束の間、待つとは言ったが一年近くスルーされて業を煮やし、多少強引だったがデートまで漕ぎ着けたところに、田島が、あのハイエナみたいにいけすかねぇ野郎が現れたんだ。俺が焦るのもムリないだろうがっ?!
 夜這をかけて、無理矢理奪うつもりなんかなかったんだ。でもその結果は、とんでもない事実と一緒に、六年間の片恋が結実するという、大逆転の幸運をもたらした。
 そりゃ、本当は “ 男 ” だと言う真実を知った時は、驚くなんてもんじゃなく、一瞬本当に目の前が暗くなったが、騙されていたなんて腹立ちは、初めて会った時のマキの姿を思い出せば、すぐに霧散してしまった。
 植え込みに隠れて、みんなを羨ましげに眺めていたマキ。あのとき、アイツがどんな思いでいたのか、すぐに想像出来たからだ。
 健康なのに走れない。プールで泳ぐなんてもってのほか。男だとバレないようにいつも気を張って、警戒して……。そんなんじゃ、誰とも親しくなれない訳だよな。
 もしも俺に、あんなでっかいオッパイがついていたら、どうするだろうか?
 俺なら、我慢出来ずに自分で切り取ってしまうだろう。まあ、普通は出来ねぇよな。そうじゃなければ、あの脂肪の塊が筋肉になるまで大胸筋を鍛えまくるだろうが、並の努力じゃ、あれは筋肉にならんだろう。どっちも俺なら出来るかも知れないが、マキには無理だ。それに、とてもじゃないがマッチョなマキの姿なんぞ想像つかない。ではいっそ、相撲取り並に太って胸を目立たなくするか?
 ……考えらんねぇし、冗談じゃねぇっ!
 常にサラシをきつく巻いたって、バレずに過ごすにも限界があっただろう。ならば、あれだけ可愛い顔をしてるんだ(不思議と髭も生えてねぇし)、女のフリは、選択肢の一つとしてアリだったろうと思う。
 好きで偽っていた訳じゃない。それは、マキの本心だろう。事情が分かれば可哀想だと思えこそすれ、嫌になるなんて事はなかった。逆に、必死で秘密を守っていたマキが、健気で可愛いく思えて仕方がなかった。
 オマケに、目にした不思議なその身体は、あそこがあまりに可愛らしくて、不快感など微塵も感じなかった。
 そりゃまあ、あのタッパで俺と同じくらいのがぶら下がってたら引いたかも知らんが、子どものようにつるりとした質感の一物は、成熟した色香を放つ胸との対比が甚だしくて……
(田島のヤローとは異質だと思いたいが)ある種倒錯的な性欲を駆り立てて、かなり……否、激しく興奮した。
 マキは昔のテレビドラマみたいに、「俺は男だ!」と連呼していたが、そんなの見りゃ分かるんだ。充分理解した上で、俺は、同性とのセックスに何の違和感も感じず、いつも以上の満ち足りた快感を得てしまったんだ。それは、マキを好きだと思う気持ちが、そんな性別の問題を超越してしまったって事だろう? もう、理屈じゃねぇんだよ。
 俺は、絶対にマキを離さない。アイツは俺のものだ。俺の想いを受け入れてくれたんだから!
あんな田島のクソ野郎に盗られてなるものか。何かと牽制してくる宮地の叔母さんだって、これ以上邪魔をするなら許さない……。
 だから、マキから田島との遣り取りを聞かされたとき、“ 駆け落ち ” のアイデアは一石二鳥に思えたんだ。
 ひとつは、田島から守るため。そして、本当はこの世に存在しないはずの『宮地マキ(=♀)』を守るために。俺のマキが消されてしまうという危機感が、アイツを奪って逃げろと訴えた。
 もちろん、マキがマキであるならば、女であろうと男であろうと構わない。俺の気持ちは変わらない。だけど、事態が動くのが急過ぎたんだ。六年越しの想いが通じた直後に、『村上真樹(=♂)』に戻ると言われても、すんなり受け入れられる訳がなかった。
 でもそれは、マキにとっては、俺の気持ちの押しつけでしかなかったんだ。後になって冷静に考えれば、叔母さんの意見も俺の意見も、マキの気持ちを少しも酌んでいなかったんだ。
 だからマキは、俺と叔母さんに置き手紙を残し、たったひとりで姿を消してしまった。

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