INDEX NOVEL

真冬の幽霊 〈 9 〉

※ 性描写があります。未成年の方はお読みにならないでください。

 目を開くと白い穴あきの天井が見えた。天井から吊り下がったカーテンレールと白いカーテン。見慣れた保健室の光景に亨は自分が倒れた事を知った。
 情けない気分になって額に手を当ててため息を吐く。次の瞬間、壇上の武大の姿が脳裏に浮かんではっとした。寝てる場合じゃないと飛び起きたはいいが、途中で目眩がして再び枕に沈んだ。
 ぎゅっと目を閉じて目眩をやり過ごす。気持ち悪さが収まると安堵のため息を吐いて脱力した。そこへガラリと扉の開く音がして野太い男の声がした。
「…すいませんね。今日は保険医の先生がいないもんで、ずっと開けとく訳にいかないもんですから。鍵は帰る前に職員室のロッカーへ戻しておいてください。では、お願いしますね」
「はい」
 野太い声の持ち主は恐らく体育の山田先生だ。相手は誰だか分からない。一体何をお願いしたのだろうと回らない頭で考えていると締め切ったカーテンが細く開いた。隙間から差し込む一条の光が眩しくて、思わず手で遮りながら瞬きすると、その手を掴んで握られた。
 えっ、と驚いて目を見開くと、心配そうな武大の顔が間近にあった。息を呑んだまま声も出ない亨に、武大は困ったように微笑みかけて言った。
「待たせて、ごめんね…」
 亨の両目から涙が溢れ出した。言いたい事も訊きたい事も山ほどあるが、気持ちが混乱していて身体の機能が思い通りに動かない。ただ涙だけが全てを代弁するように滔々(とうとう)と流れ続けた。
 嗚咽を漏らし始めた亨を、武大は覆い被さるようにして抱きしめた。亨もしがみついて武大の肩口に顔を埋め深呼吸した。武大の匂い、重み、温もり…。全てが本物なんだと実感する。
「会いた、かった…」
 しゃくり上げながらやっとやっとそれだけ口にすると、武大は抱きしめる腕に力を込めて「俺もだよ」と囁いた。
 それから暫くの間、温もりを分け合うほど抱き合って、気持ちが落ち着いてくると嗚咽も涙も収まった。亨が落ち着いたところで武大は顔を上げ、「これから家まで送って行くからね」と言って涙の跡を指先で拭った。
 再会の悦びは瞬時に萎んでしまった。送ってくれるのは嬉しいが、それではすぐに別れなければならない。離れがたくて切なげに武大を見つめると、武大は分かっているよと言うように頷いて見せた。
「その前に俺の家に行こう。今までの事、説明しないとね。今日を逃すとまたいつ時間が取れるか分からないから」
 嬉しさに口元が綻ぶと、武大はその唇にちゅっと音を立ててキスをした。赤くなって俯くと、ガラッと勢いよく扉の開く音がして、「失礼します」と聞き慣れた声がした。
 二人は慌てて身体を離し、武大は起ち上がってカーテンの隙間からすり抜けるように出て行った。
「貴方は?」
 カーテン越しに相馬の驚いた声が聞こえた。
「新任の化学教諭です」
「あっ、ああ…確か、嗣永先生…ですよね?」
「そうです。君は?」
「相馬駿です」
「ああ、生徒会長の相馬くんですね。何か用ですか?」
「僕は…貧血で倒れた英くんが心配で、休み時間になったので様子を見に来ました」
「彼はまだ寝ていますから、起こさない方がいい」
 武大の声には有無を言わさぬ強さがあった。相馬は少し間をおいて「分かりました…」と答えたが、明らかに不満そうな声音だった。
 亨は緊張しながら二人の会話を聞いていた。カーテンの向こうで対峙している二人は、亨しか知らないとは言え恋敵なのだ。そう思うせいか二人の会話が険悪な響きを帯びて聞こえる。
「あの! どうして保険医ではない先生が、ここにいるんですか?」
 相馬が切り込むように訊いた。
「今日は村上先生がお休みなので、代わりです。僕はまだ授業はありませんし。ついでに英くんが起きたら、彼を僕の車で送って行くように山田先生に頼まれています」
「英はあとで僕が送って行きます。家の車を用意させますから」
「君はまだ進路カリキュラムのレクチャーが残っているでしょう? 終わるのは午後になるはず。それまで具合が悪い彼を待たせておく気ですか?」
 暫く沈黙が続き、「分かりました…」と悔しそうな相馬の声が聞こえ、リノリウムの床と上履きの擦れる音がして扉が荒々しく開かれた。亨には全ての音がカリカリ尖っているように聞こえた。戸口の前で立ち止まったらしい相馬は押し殺した声で言った。
「嗣永先生、ですよね?」
「そうです」
「覚えておきます」
 そう言って、相馬は扉を閉めて出て行った。あんな険のある声音で話す相馬は初めてだった。相馬の靴音が遠ざかるのを聞きながら亨は漠然とした不安を感じて手足が冷たくなった。

 亨は武大の住むマンションの駐車場で起こされた。
 学校の駐車場から出ていくらもしないうちに車酔いをしていまい、武大に眠るように勧められた。本当はずっと武大を見ていたかったのに、気分の悪さには抵抗できず目を閉じるとすぐに意識がなくなった。
「着いたけど、歩ける?」
 瞬きを繰り返す亨に、武大は気遣うように言った。
「あっ、はい…」
 起き上がって慌ててドアを開こうとすると、その手を武大の腕が制した。
「その制服は目立つから、上着だけ脱ごう」
 申し訳なさそうに言われ、急いで上着を脱いで車を降りた。
 新星学園の制服は上着の丈が短めの詰め襟で、肩のショルダーストラップと袖口のライン飾りが軍服に似ていると有名だった。いくら教師と生徒とは言え、平日の午前中に教師のマンションへ出入りしているのを近所の人に見られたら、きっと武大に迷惑がかかる。改めて、今の亨と武大の立場を考えさせられ気持ちが沈んだ。
 武大は先に立って歩き、こぢんまりとした古いマンションに入ると、亨を促して集合ポストの前にあるエレベーターに乗った。三階で下りると格子の嵌った外廊下を右手に進み、突き当たりの部屋の鍵を開けた。どうぞと武大が扉を開き、亨は「お邪魔します…」と小声で断って緊張しながら中へ入った。
 部屋のカーテンが閉められているのか玄関は薄暗かった。武大が続いて中に入り扉が閉まると更に視界が暗くなった。あまりに暗くて上がるのも躊躇われ、黙ったまま背後に立っている武大へ振り向こうとしたら、背後からきつく抱きしめられた。
「あっ…」
「だいぶ、我慢したんだけど…もう、限界。まだ、具合悪い?」
 耳元で強請るように囁かれ、身体中が猛烈に熱くなった。声だけで恥ずかしほど身体が反応していた。
「もう、平気…」
 平気かどうか、自分でも分からない。でも、そんな事は気にしていられない。
 期待に上擦った声で返事をすると、武大はそのまま亨の身体を抱えるように部屋へ上がった。腕に抱えていた荷物はその場で取り落とし、靴も廊下の途中で脱ぎ捨てた。一番手前の部屋の中へ連れ込まれ、まるで放られるように乗り上げたのは大きなベッドの上だった。
「皺になるといけないから…」
 武大はそう言って亨の制服を剥ぎ取った。裸に剥かれたまま呆然と見上げる先で、武大も淡いグレーの上着を脱ぎ捨て片手でネクタイを引き抜いた。ついでワイシャツのボタンを外すが、途中でイライラしたようにベッドに乗り上げ、亨の身体を跨ぐとベルトを鳴らしながらズボンの前を寛げた。
「ごめん、かなり恰好悪いね…」
 亨の顔を覗き込むようにして苦笑いする武大が愛しかった。荒い息遣いも余裕のない仕草も、求めているのは自分だけではないのだと嬉しかったし、武大はどんな姿だってドキドキするほど恰好良かった。
「武大さん…」
 愛しい名を呼んでその頬に触れると、そのまま噛み付くようにキスされた。武大の舌が口腔を隈無く愛撫していく。触れられただけでも身体の中心が勃ってしまったのに、巧みな舌の動きに益々追い上げられてしまう。このままではキスだけで達ってしまうかもしれない。亨は焦って腹の上にある武大の雄芯に指を絡めた。
「ああ…」と武大が呻いて唇が離れた。濡れて光る武大の唇は笑っていた。その婀娜(あだ)っぽい口元に見惚れていると、腹に着きそうなほど反り返った亨の雄蘂を、武大も握ってやんわりと扱き始めた。
「あっ、…んんっ――」
 震えて仰け反ると、曝した喉元に吸い付かれた。そのまま這うように唇が落ちてきて胸の突起に吸い付く。歓喜の声を上げて武大の頭を抱え込み、柔らかい髪の毛を両手で掻き乱した。それに応えるように敏感な突起を痛いほど舐め回されて、亨の先端からとっぷりと先走りが溢れ出した。
 身体の位置が下がってしまったので、武大の熱い楔に触れられないのが寂しくて、代わりに髪や肩を撫でて愛撫する。熱くてしっとり汗ばむ肌をもっと触りたくて襟を引っ張ると、武大は笑いながら頭からワイシャツを脱ぎ捨て、膝に引っ掛かっていたズボンも下着と一緒に脱ぎ捨てた。
 露わになった引き締まった腹筋と隆々とした一物に、亨は感嘆のため息を漏らした。武大は再び亨の身体に乗り上げて、亨の腹に溜まったトロリとした先走りを指で掬うと、自分と亨の雄蘂に擦りつけ、一握りにして扱き出した。
「…ぁ…ぁ…ぁ…」
 大きな熱い手と波打つ怒張に挟まれ擦れる感触が、堪らなく気持ち良かった。会えずにいた間、何度も想像しながら自分で慰めていたけれど、本物の武大の指は全く違う感覚をもたらす。
 ああ、もっと感じたい。もっと気持ち良くなりたい。
 亨は普段の恥じらいなど忘れ、武大の首筋に縋りながら自ら腰を擦りつけた。
「気持ちいい?」
「は…い…」
 喘ぎながら答えると武大は嬉しそうに「俺も」と笑った。その表情に励まされ「うしろ、いじって…」と懇願した。
「でも、今は…挿れられないよ」
「いい…の、それでも、いい…から…」
 あの絶頂感が忘れられなくて、自ら後孔を弄るようになっていた。もう前だけでは物足りないのだ。お願い、と囁くと武大の喉が鳴って、ちゅっと額にキスされた。
 武大は亨の身体を抱えて起き上がると、胡座をかいた膝の上に跨ぐように亨を座らせ、二人分の先走りでほどよく濡れた掌を亨の尻に這わせた。
「あぁ…ん…」
 尻たぶを開いて窄まりを撫でられると声が零れた。つぷりと指が入ってくる。異物感とともにジワジワと快感が広がり背筋を登っていく。敏感になっているせいか武大の指の節が襞に当たるのさえ感じる。ゆっくりと襞を掻き回すように動かされ、亨は悲鳴を上げて武大の胸に顔を擦りつけた。
「痛い?」
 伺うように訊かれ、首を振りながら「…きもち、いいっ……」と声を絞り出すと、再び前も一緒に扱かれた。
「やっ、ああっ…ぁ…ん…やっ、ああ…あぁぁ〜〜…」
 後を弄くる指を増やされて執拗に攻め立てられ、前も同時に扱かれる。拷問に近いくらいの快感に、何度も痙攣しながら啜り泣いた。
「亨の、声がね…」
 荒い息を吐きながら武大が耳元で囁いた。
「耳にずっと、残ってて…。自業自得だけど、会えない間、かなり…きつ、かった…」
 武大も自分と同じ切ない夜を過ごしていたのかと思うと嬉しくて、亨は武大の唇に吸い付いた。そのまま啄むようなキスを交わし、亨も片手を添えて二人で二本の雄芯を扱き合った。亨が限界を迎えそうになると、武大は「達くよ!」と言って亨の首筋に噛みつき、同時に後に入れた指で前立腺を押さえた。
「ひぃっ! …んんっ――…」
 目の前が真っ白になった瞬間背筋を快感が走り抜け、亨が先端から白濁を吹き上げると、武大は亨の後に入れていた指を引き抜いて両手で激しく自身と亨の前を扱き上げた。亨のものから残滓を絞り出しながら、武大もビクビクと怒張を震わせて亨の顎まで届くほど想いの丈を迸らせた。
 亨は身体を細かく痙攣させて意識を飛ばす一歩手前を漂っていたが、武大に呼びかけられて意識を取り戻した。
「亨、大丈夫?」
 武大に顔中キスされながら尋ねられ、こくこく頷きながら無意識に萎えたそこを武大の腹に擦りつけた。
「まだ、足りない?」
 少し驚いたような声音で訊かれ、亨は我に返って真っ赤になった。
「もっと先までしたかったらね、早く元気になること。たぶん、俺のせい…だよね? 痩せたよね、亨」
 労るように亨の頬を撫でて「だから、もっと子ブタみたいに太ったら、亨のお望み通り、いっぱい抱いてあげる」と囁いた。
「子ブタ…?」
 思わず聞き返すと、武大は「それぐらいのつもりで食べないと、きっと亨は肉がつかないだろう?」と笑った。
「子ブタは、ムリ…」と上目使いで返事をすると、「じゃあ、子ヤギぐらいで手を打とう」と笑って亨の鼻の頭にキスをした。
 暫く抱き合ったまま呼吸が整うのを待ち、二人で一緒にシャワーを浴びた。それから亨は制服に着替え、武大もカジュアルなスーツを着ると、キッチンと繋がったリビングのソファへ落ち着いた。
 海のような深い青色のカーテンを開いた部屋の中には、引き出し付きの本棚とステレオとテレビ、そして亨が座っている二人掛けの白いソファと小さなテーブルがあった。どれも真新しいものらしくて驚いたが、寮の部屋が全て作り付けだったのを思い出した。
 武大はキッチンで亨のためにココアを、自分には珈琲を淹れて戻って来た。武大は亨の隣に腰を下ろし、どうぞと亨にマグカップを差し出した。それは寮の部屋で珈琲を淹れてくれたものと同じで思わず目を細めた。
 武大は亨の方へ向き直ると「さて…」と言って話を切り出した。
「何から話そうか…。一杯あるんだけど、先に謝っておくね。ごめんね、亨。いろいろと嘘を吐いていた…。嘘、というか、隠していた。ごめん」
「嘘? 名前の…事ですか?」
 武大は寮で出会った時、奥田武大と名乗ったが、本当は正秋と同じ嗣永姓だった。こんな珍しい名前はそうないだろう。正秋の縁者に違いないのだが、一体どういう関係なのか。なぜ最初から教えてくれなかったのか。知りたい事は山のようにあった。
「それも、ある…。亨、お願いだから、怒らないで最後まで聞いてね」
 そう言って武大は顔の前で両手を合わせて亨を拝んだ。亨はその仕草に気が抜けて小さく笑った。
「怒りません…。でも、今度は全部、本当の事を教えてください」
「うん…」
 武大はゆっくりと頷いた。それから両腿の上に肘をつき、拝んだ形の両手を組み合わせるようにして強く握ると祈るように目を閉じた。
「俺はね、嗣永正秋の弟なんだ」
「弟!? だから…」
 その後は声にならなかった。だから、こんなにもよく似ているのだと、亨の心の中で欠けていたパズルのピースが見つかったように、何もかもかピッタリと当て嵌った気がした。武大は目を開けると亨を横目で見た。
「…似てる? でもね、両親も俺自身も、あまり似ているとは思ってなかった。だって、兄と別れたのは俺が七つの時で、兄もまだ十五才だった。年が離れていたし、兄弟だからよく見れば似ている…その程度だと思ってた。その後、俺が兄に会ったのは…十年前の通夜の時。確かに似てたかな…。でも、本当の事を言うと、棺桶の中で人形みたいに横たわった兄の顔を、俺は…よく覚えていないんだ。直視できなかったから…」
 穏やかに話してはいるけれど、武大の深い悲しみが伝わってくるようで、亨はすぐ隣で項垂れる武大の腕に手を添えた。武大は微笑して亨の手を握ると、今度はソファへ深く身体を預け、とつとつと悲しい兄弟の物語を語りはじめた。

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