INDEX NOVEL

真冬の幽霊 〈 6 〉

※ 性描写があります。未成年の方はお読みにならないでください。

 亨は都合の良い夢を見ているのではないかと思った。
 大好きなあの人に、思い出の場所で告白される。正秋が生きていた頃、そんな少女染みた場面を何度も想像し、夢にまで見ていた。実際に見た夢は悪夢に近くて、告白するのはいつも亨で、正秋は「ごめんね」と謝りながら、あの背の高い男と遠くへ行ってしまうものだった。
 なのに今、願望通りに進んでいる。亨は自分の両頬を指で摘むと思いっきり抓った。
「それは…『嫌です』って表現方法なの、かな?」
 痛くて直ぐに頬を擦っている亨に、武大は戸惑った声で訊いた。
「ち、違います! ゆめ、じゃないかと思って…」
 武大は亨の答えを聞いた途端、腹を抱えて笑い出した。心底可笑しそうにケラケラと笑い、目には涙まで浮かべていた。
「はははは…ト、トオルくんは、面白いね! か、かわいい…」
 亨は恥ずかしくて擦っていた手で顔を隠した。武大は笑いを収めると亨の手を取って外させ、顔を覗き込みながら「じゃあ、付き合ってもいいって事?」と駄目押しに訊いてくる。亨は赤い顔のまま「は、い…」と消え入るような声で答えた。返事を聞いた武大は「良かった…嬉しいよ」と言いながら亨の身体を抱き寄せた。
 最初に肩を抱かれた時は、泣いていたし自分の鼓動ばかりが気になったが、耳をつけた武大の胸から確かな心臓の音が聞こえ、この人は生きているんだと妙な感慨が浮かんだ。それでも、亨には未だに夢のようで現実感が湧かない。あと数時間したら、窓から刺す弱々しい太陽の光のように、薄くなって消えてしまうのではないかと思えた。どうしたら、今この時を現実のものだと感じられるのか。
「あの…」
「何?」
 亨は武大の顔を見上げた。屈託のない優しい笑顔で返されると躊躇(ちゅうちょ)してしまうが、強い焦燥感が恥じらいを払拭した。
「抱いてください」
「はい?」
「僕を…抱いてください。嫌で…なければ…」
 恥ずかしくて喉が震えたが、何とか声を絞り出した。
「それは、身体の相性が良ければ、付き合うって事、なの?」
 武大が訝しそうに聞くのを、亨は慌てて否定した。
「そうじゃなくて! そうじゃ…なくて、貴方を…もっと…ちゃんと、感じたいんです!」
 目を合わせられず下を向いて一気に告げた。頭上で武大が笑う気配がした。
「いいよ。ちょっと、待ってて」
 亨の頭を軽く撫でてて、武大は起ち上がるとそのまま部屋を出て行った。すぐに戻って来たが、その手にはお菓子の箱とジェルの容器が握られ、脇にはテッシュボックスとウエットティッシュのケースが挟んであった。
「いろいろ用意がいるからね。不用品で何だけど、全部きれいだから安心して」と言いながら枕元に並べ、ベッドに乗り上げると正座して亨に向き直った。
「さて、トオルくん。君の名前、フルネームで教えて。まだ聞いてなかった」
 亨もスリッパを脱いで怖ず怖ずとベッドに乗り上げ、武大と同じように正座して自己紹介した。
「英亨です。はなぶさは、英語の英の字一文字でそう読みます。とおるは、なべぶたに口を書いて、了と言う字を書きます」
「亨って字は、祈りが神に通じるって意味だよね…。君に良く似合う、とても綺麗な名前だ。君と俺にぴったりの…。俺は自己紹介したよね。奥田武大。奥にある田んぼに、武蔵野の武に、広大の大の字ね。作家の名前から付けたみたいだけど、そんだけで特に深い意味はない…嫌な名前だよ」
 そう自嘲気味に呟いたあと明るく笑って、「キスしていい?」と訊いた。唐突すぎて亨はどぎまぎしながら頷くと、武大が躙り寄って来て両手で亨の頬を挟み、軽く啄むようなキスをした。
 目を閉じてキスされるがまま、武大の唇の感触だけを追いかけた。唇を唇で噛むように、時には音を立てて吸うように、触れては離れてを繰り返す。
 こんな優しいキスは初めてで、もっと感じたくて武大の両肩に手を掛けると、背中からぐっと身体を引き寄せられた。そのまま武大の膝の上に乗るようにして首筋に腕を回すと、キスが深くなって唇が割られ舌が入って来た。
「んっ、ふ…」
 反射的に舌を丸めて逃げてしまうと、優しく宥めるように怖じけた舌を舐められた。亨の身体を抱く腕と同じように、ゆっくりとした動きで武大の舌が絡みついて来る。三原とする時のように嫌ではなかった。それどころか、気持ちが良くて堪らない。だんだん夢中になって武大の舌の動きに応えていたが、ついて行けずに唇を離すと濡れた唇から細い銀糸が引かれて落ちた。
 恍惚とした表情で武大の口元を眺めていた亨に、「脱いでもいい? もう、結構キツイ」と武大が苦笑いした。
 何がキツイのかとぼうっとしている亨の身体を離し、武大はセーターごとシャツを脱ぐとズボンも下着と一緒に脱ぎ落とした。均整の取れた武大の身体が、窓から入る残照で赤銅色に輝いて見えた。
 惚れ惚れと眺めている亨の視線に気づいた武大は困ったように笑い、「亨くんは脱がされたいの?」と言った。はっとして慌ててカーディガンを脱ぐと武大の手が伸びて来て、カッターシャツの裾を掴んで下から剥ぐように脱がされ、そのままベッドへ寝かされた。
 武大は薄っすらと微笑を浮かべて愉しそうに亨の胸から腹へ指を滑らせ、亨のジーンズの前を緩めるとこちらも下着と一緒に引き下ろし、恥じらうように顔を出した亨の雄蘂に唇を寄せた。
「あっ!…はぁ…あぁ…ん」
 薄桃色の先端を武大の舌先が擽るように舐め回した。口でされたのは初めてで、亨は驚きと喜悦の混ざった声を上げた。三原はそこを触るのを躊躇わなかったが、口淫はしなかったし亨にそれを求める事もなかった。
 半勃ちになった亨の雄蘂を武大が根本まで咥えて吸引すると、あっという間に膨張した。熱く滑らかな舌が、すっかり起ち上がった雄蘂に絡みつきながら扱き上げる。あまりの気持ちよさに震えが止まらず、亨は快楽の海の中で藻掻くように身体をくねらせた。
「やぁ…ぁ…んっ、あっ、はぁ…ぁ…んっ…!」
 知らぬ間に武大の髪を掴んで腰を振り立てていた。武大は亨の動きに合わせて指と唇で追い上げる。亨は武大の口内に射精した瞬間、快感のあまり理性の箍(たが)が外れていた事に気がついた。
「はぁ…、あぁ…ご、めんなさ…い…」
 肩で息をしながら、肺から空気を絞り出すようにして詫びた。自分だけ先に達してしまった恥ずかしさと、人の口内に精を放ってしまった罪悪感に打ち震えた。
 武大は満足げに亨の精子を嚥下すると口元を指で拭いながら「何で謝るの?」と聞いた。
「だって、口に…出しちゃって…」
「飲みたかったからいいんだよ」
 笑いながら気持ち良かったかと聞かれ、亨は真っ赤になって頷くと両足を広げ、萎れてしまった部分を震える手で抱え上げ、最奧の秘所を曝して見せた。
「挿れて…ください」
 武大を直視できず、目を伏せたまま囁いた。武大にも早く気持ち良くなって欲しかったが、口淫などした事がないから、真似ても達かせる自信がない。あとは挿入してもらう他に快感を与えられる術を知らなかった。
 亨の大胆なポーズに今度は武大が赤くなって、ちょっと困ったような顔で口元を覆った。
「う、ん…。でも、ね…」
 明らかに戸惑っている様子の武大に、亨は咄嗟に昨日三原とした事を、武大が気にしているではないかと血の気が引いた。
「家で、よく、洗いましたから…。身体、綺麗に、しました…。だから…」
 懇願するように言い募ると武大はブッと吹き出して、「違うよ!」と泣きそうな亨の顔に笑いかけた。
「そうじゃなくて、さっきうしろを触った時、ちょっと熱いなと思ってね。いま見えたけど、やっぱり赤く腫れてて、熱を持ってるみたいだから…」
「平気! 痛くないし、大丈夫です!」
 亨は必死で首を振った。武大に挿れて欲しかった。そうでなければ、いつもの中途半端な夢のまま終わってしまいそうで怖かった。
「し、て…」
 言いながら武大に両腕を伸ばした。武大は目を見張り、今度は愛しそうに目を細めて微笑んだ。
「すぐには無理だから、ちょっと待ってね」と言いながらゴムを箱から出すと、そそり立つ自身のものと右手の指に嵌め、どちらにもジェルをたっぷりと垂らした。それから亨の横に添い寝して亨の小さな睾丸(ふぐり)を揉んで悪戯してから窄まりを優しく撫で回した。
 ジェルの滑りを借りて指が中へと入って来る。異物感に目を閉じると、耳に口づけられて「力抜いて」と囁かれた。
「はぁ…あ…」
 熱を孕んだ吐息を漏らすと唇が塞がれた。絡みつく武大の舌が性器を愛撫するかのように扱き上げ、亨の舌が硬くなる。自然と唇から唾液が喉を伝い、それを追って武大の唇が下へと下り行く。武大の触れた場所は濡れているのに燃えるように熱く感じた。
 その間も武大の骨張った指が絶え間なく後孔の中を蠢いていた。やはり少しヒリヒリしたが、その疼きすら気持ちが良くて腰が揺れた。武大の背中に腕を回してしがみつき、快感の波を遣り過ごすと、音を立てて胸の突起に吸い付かれた。
「あっ、や…あぁ…ん」
 ちゅぷっ、ちゅぷっ、と音を立ててしゃぶりつかれ、ひっきりなしに喘いでしまう。亨にとって乳首は耳と同じくらい感じる場所だった。自分では触る事のない場所だったから、三原に開発された性感帯だと言える。優しく舌先で転がされ心地良いが、いつも荒く扱われているせいか、もっと強い刺激が欲しかった。けれどさすがに「噛んで」とは強請れない。
「痛っ!」
 突然、チリッとした痛みを感じ亨は声を上げた。武大が乳首のすぐ横をきつく吸い上げたのだった。
「ごめんね。跡付いてたから、ちょっとムカついた」
 亨の悲鳴に顔を上げた武大はペロッと舌を出した。
 三原には跡を付けないでと頼んでいたが、何度嫌だと言っても付けられた。別な男との情事の跡を見せてしまった申し訳なさに、亨は震える声で「消してください。全部、消して」と頼んだ。
 チリッとした痛みを伴って、鳩尾の上や臍の横に武大が印を上書きして行く。それが嬉しくて、肌を吸われる感触を一つずつ数えていたが、途中で後孔を解す指を増やされて集中的に前立腺を弄られたから、それどころではなくなった。
「ごめん。これじゃあ、体育出られないね。たいがい俺も、嫉妬深いから…あの彼の事、言えやしない」
 言葉とは裏腹に、武大は満足そうな顔で亨の身体を眺めていた。
 散々感じる場所を弄られて、火がついた身体は熱くて堪らなかった。挿れて欲しくて火照った腕を武大に伸ばすと、武大は答えるように窄まりから指を抜き、亨の両足を肩に担いで顔を近づけた。亨がその首筋に腕を回すと「挿れるよ」と宣言し、ゆっくりと亨の中へと入って来た。
「あうっ、あっ、んっ…」
 三原のより遙かに圧迫感が強い。亨は痺れる頭で先ほど見た武大の一物を思い返した。思ったよりも太くて、たくましかった。その凛々しい武大の巨砲が、粘膜を押し広げ少しずつ自分を貫く感触を、痛みを含めて全て覚えていたいと思った。
「いっ、あああっ…ぁ…」
 そういは思っても痛いものは痛い。亨が仰け反りながら苦しげに呼吸を乱すと、武大は途中途中で動きを止め、間合いを取りながら挿入してくれる。前も同時に優しく扱いてくれて、武大は三原の倍の時間をかけて自身のものを埋め込んだ。入ったよと武大の労る声が聞こえ、嬉しくて、幸せで、涙で滲んで見える武大に笑いかけた。
「夢、見みてるみたい…」
「まだ、俺が幽霊に見えるの?」
 亨の呟きを受けて、武大は亨の涙を指ですくいながら哀しそうに呟いた。亨は慌てて首を振り、「嬉しいから…武大さんに、抱いて貰えて、嬉しいから…」涙が出るのだと武大の頬に手を当てて想いを込めて囁いた。
 武大は亨を愛しげに眺め、熱の隠ったキスを繰り返した。苦しい姿勢を強いられるが、苦しければ苦しい程、これは現実なのだと感じられて嬉しかった。
 ひとしきり口づけた後、「そう言えば、幽霊と契る怪談話があるね…」と武大は独り言のように呟いて笑った。「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)のこと…?」と亨が聞くと武大は頷いた。
「そう。浪人の新三郎が、毎夜お露と契る度に命を吸われて…ってやつ」
 喋りながら武大はゆるゆると腰を動かしはじめた。先ほど指で確かめた亨の泣き所を、滾(たぎ)る楔(くさび)で掠めたり突いたりして、亨の官能を引き出しながら緩急つけて抜き差しを繰り返す。三原のように初めからただ激しく抽送を繰り返すものとは雲泥の差だった。
「…ぁ…ぁ…ぁ…」
 意識が朦朧とするほど気持ちが良かった。指や唇の前戯も堪らなかったが、じゅぷじゅぷと水音を立てて掻き回す肉塊は、襞が蕩けるほどの快感をもたらした。もっと感じたくて自然と窄まりに力が入る。緩んだ粘膜がぐっと収縮して武大のものにきつく絡みついた。
「あぁ…すごく、締まってる…。亨、気持ちいいの?」
 ぼうっとして武大の声が遠くに聞こえた。呼びつけにされている事も気がつかない。喘ぎながらコクコクと頷くと、「俺が幽霊なら、亨は命を取られちゃうよ…いいの?」と掠れた声で笑った。
「い…い…。た、けひろ、さん、なら、いい…。も、死んでも、いい…」
 本気で、死んでもいいと思った。心も身体も満ち足りて、こんなにも幸せだと思ったのは初めてだった。それこそ、このまま死ねたら本望だ。
「んっ!」
 急に鼻を摘まれて亨は息が詰まった。焦って目を開けると少し困った顔をした武大と目が合った。
「亨は…可愛いね。嬉しいけど、でも…駄目だよ。『嫌だ』って言わなくちゃ。俺は幽霊じゃないし、生きてるからこそ、こんな風に感じられるんだよ」
 そう言うと、武大はぐっと腰を突き込んだ。もろに前立腺を抉られて亨は悲鳴を上げて仰け反った。
「夢じゃないんだよ! ほら、ほら…、分かる? 俺を、感じてる?」
「あっ、やっ、あぁっ…ぁ…あうっ、あんっ、やあああっ…」
 さっきまでの緩やかな行為が嘘のように、武大は襞がめくれるほど激しく突き込みながら亨の身体を揺さぶった。それは生気に溢れた男の欲望を剥き出しにした姿であり、三原と同じ雄の本能を見せつけられた気がしたが、武大ならば嫌ではなかった。
 却ってその激しさに悦びが増し、亨の雄蘂は武大の腹に挟まれているだけなのに、大きく張り詰めてトロトロと愛液を溢れさせ、武大の腹筋から叢(くさむら)までも濡らしていた。
「あっ、あっ、やぁ…どう、しよう…。たけ、ひろ…さ…ん…気持ち、いい…」
 亨は泣きながら悶えて訴えた。どんな姿を見せられも、武大なら受け入れられる。身体もそう訴えるように、孕んでいる武大をぎゅっと締め付けて擦り上げるように痙攣した。
 武大はうっ、と唸り、「あぁ…俺も、すごく、気持ちいいよ」と満足そうに微笑んだ。
「二人で、別の天国へ行こう…。正秋さんたちとは、別の。生きてる者だけが行ける…」
「う…ん。武大さん、武大さん、す、き…」
 時間など関係なかった。武大がどう仕様もなく好きだと思った。
「ああ…俺も。好きだよ、亨…。達くよ!」
 武大もそう答えて、亨の雄蘂を扱きながら一緒に高みへ駆け上がろうと激しく腰を振り立てた。全身をうっすら赤く染め上げて汗ばむ武大の身体にしがみつき、亨は一足先に想いの丈を吹き上げながら天上へ飛び立った。武大は少し遅れて獣のように唸りながら絶頂を迎えると、亨の上に頽れたて荒い息を吐きながら亨の身体を抱きしめた。
 二人は抱き合ったまま互いに頬ずりしたり、キスを交わしながら幸せな余韻に浸っていた。暫くして武大は息が整うと亨から自身を抜こうとしたが、亨はまだ抜かないでと武大の首に縋り付いて哀願した。
「でも、この態勢だと苦しいだろう?」
 亨は平気と訴えたが、武大は亨をぶら下げたまま、自身をずるりと引き抜いて亨の隣へ寝転んだ。亨が半泣きの表情を浮かべると、唇を包む優しいキスで亨を宥めた。
「少し休もう。自分じゃ分からないかもしれないけど、亨の顔色、とても悪いよ。このまま少し眠るといい」
 それでも亨は聞き分けのない子どものように涙を浮かべ、いやいやと首を振った。
 眠りたくなかった。抱き合って、こんなに武大を感じているのに、好きだと言ってくれているのに、眠って起きたら全てが夢だった…という不安が消えない。武大は亨の手を取るとその甲にキスをして指を絡めた。
「ずっとこうして手を繋いでいてあげる。だから、お休み…亨…」
 優しく髪を梳きながら呪文のように囁かれると、抗いがたい睡魔に包まれた。武大の声が徐々に遠のいていき、亨は泣きながら窓の外と同じ暗い闇の中に意識を手放した。


 気がつくと、目の前に緑が広がっていた。新緑の木立が連なる散歩道。ああ、夢を見ていると亨は思った。これは、十年前の五月の庭の中だ。だったら、もうすぐあの二人の姿が見えるだろう。
 薄日しか差さない湿った黒土の上を歩いて行くと、果たして前方に人の姿が見えたが、それはいつもの二人ではなく、正秋と武大だった。二人は肩を並べて楽しそうに談笑しながら歩いている。顔も背の高さも足の長さも同じで、まるで双子のようだった。違うのは正秋だと思われる方が、見覚えのある細い銀色の眼鏡をかけていた事だけだ。
 ふと、やはり武大は正秋の縁者なのではないかと思った。双子と言っても過言でないほど似ているけれど、今年大学を卒業したという武大と正秋とでは年齢が合わない。従兄弟とか、甥っ子とかだろうか…と思った時、二人が突然振り向いた。驚いて立ち止まると、正秋が困ったような笑顔を向けて「ごめんね」と言った。
 いつもの夢と一緒だと亨が息を呑むと、二人は目の前から忽然と姿を消してしまった。
「待って!!」
 悲鳴に近い声を上げて飛び起きると、部屋の中は夜の帳に包まれていた。荒い息を吐きながら亨は部屋の中を見渡した。ベッドの足下に置かれたストーブの光りで自分がまだ寮の部屋にいるのだと確認したが、隣にいる筈の武大がいなかった。亨はベッドから這い出して裸のまま部屋を飛び出した。
「武大さん!!」
 白熱灯の点いたほの暗い廊下を走りながら武大を呼ぶと、すぐに階下から声が聞こえ階段を駆け上がる音が続いた。武大は亨の姿を見て驚いた顔をした後、亨に駆け寄って自分の肩に掛けていたダウンジャケットで亨の身体を包んだ。
「御免。よく寝ていたから、戸締まりをして来たんだよ。そんな恰好じゃ、風邪をひくよ」
 武大は言いながら亨の肩を抱き部屋へ向かって歩き出した。
「もう七時を回ったからそろそろ帰る支度をしよう。家の人が心配するといけないしね。身体は拭いたんだけど、気持ち悪ければシャワーは出るから使うかい?」
 亨は萎縮して首を振った。武大の態度にどこか余所余所しさを感じて冷たい汗が流れた。思えば、互いに好意を持って身体を繋いだとはいえ、昨日今日会ったばかりの人だ。そんな急に親密になれる筈もない。亨はベタベタと泣きながら寝入った事も、鬱陶しく裸で武大を捜し回った事も、恥ずかしくて居たたまれなくなった。
 部屋へ入ると急いで身支度を整えてコートを掴み、足下でストーブの片付けをしている武大へ「それじゃ…」と頭を下げて部屋を出ようとした。
「ちょっと待って! 駅まで送って行くよ!」
 後から慌てた武大の声がして、亨が立ち止まると手を握られた。
「どうしたの? そんなに慌てて。まさか、門限とかあった?」と心配そうに聞かれ、「違います」と首を振った。
「じゃあ、どうしてそんなに急いで帰るの?」
 自分のうざったさが恥ずかしくなった、と言う事自体が恥ずかしかった。黙っていると心配そうな声で「俺と寝たの、嫌だった?」と訊かれた。
「違います!」とはっきり否定すると、「じゃあ、何で?」と顔を覗き込まれ、赤くなりながら「恥ずかしくて…」とだけ答えると、武大は頷きながら「俺も、ちょっと恥ずかしかった」と微笑んだ。
「亨が裸で俺の事探してて、それ見て嬉しくなった自分が恥ずかしくなって、ちょっと慌てた…」
 そう言いながら亨の身体を抱きしめて、チュッと触れるだけのキスをした。亨が真っ赤になると嬉しそうにまた笑い、「手短に、これからの話をしよう」と言ってベッドに座るよう促した。一緒に並んでベッドへ腰をかけると、武大に携帯の番号とアドレスの交換を求められた。
「連絡はこれで取れるけど…あのね、唐突なんだけど、俺、明日から暫くインドネシアに行くんだ」
「卒業旅行ですか?」
「ううん。だったらいいんだけど、ちょっと家の事情でね、一週間ほど向こうに滞在しなくちゃいけないんだよ。それで、携帯の契約を海外仕様にしてなかったから、その間、メールしか出来ないんだ。それと、戻って来てからも暫く名古屋の方で色々手続きしないといけなくて…。もちろん帰って来たらすぐに連絡するけど、用事が終わるまでは会えないと思うんだ。でもね、四月になったら必ず会えるから、俺を信じて待っていて欲しい」
「はい」
 暫く会えないと聞かされてショックではあったが、最後の『待っていて欲しい』との言葉が嬉しくて強く頷いた。
「でね、ここからが肝心な所で、亨にお願いしたい事なんだけど…」
 武大は上目遣いで亨を窺いながら「もう、あの彼…えっと、三原くんか、と一切会わないで欲しい」と言った。
「俺がいない間に別れろって言う訳じゃない。否、別れて欲しいんだ。本当はね。でも、すぐには無理だと思うし、俺も傍にいられないから、取り敢えず、もう会わないでいて欲しいんだ。もし、会わなきゃならない状況が生じたら、人通りのある所とか、喫茶店とか、とにかく二人きりにはならないようにして欲しい。勿論、もう彼と寝るのなんて言語道断だよ。うざったい事を言うようだけど、守って欲しい。できる?」
 三原と会わないのはやぶさかではなかったが、塾の帰りを待ち伏せされた事が何度もあったので、全く会わないでいられる自信はなかった。目を伏せたまま小さく頷くと、とにかく常に誰かと一緒に行動して、三原とは二人きりにならないよう念を押された。
 一人にならないようにすればいいのなら、学校の行き帰りは遠回りになっても誰かを誘って帰ればいいし、もうすぐ春休みだけど外出を控えればいいだろう。それなら出来るかもしれないと、今度は武大の目を見ながら頷いた。
 武大はほっとした表情を浮かべ亨の肩を抱き寄せた。亨はキスして欲しくて堪らなくなったが、何も言えずに武大の顔を見上げた。すると察したように武大の顔が近づいて口づけられた。嬉しくて首筋に抱き付くと、武大も強く抱きしめ返してくれた。
 幸せだった。武大は夢見たとおりの理想の恋人だった。怖いくらいに幸せで、同時に切なくて胸が苦しくなった。正秋のようにいなくなってしまったらどうしようと、手に入れた瞬間から失う不安が付き纏っていた。もしも、武大が消えてしまったら、もう生きてはいられないかもしれない。
 離れていく唇を名残惜しく見つめていると、武大の手が亨の両頬を包んで撫でた。
「そんな顔しないで…。会えないのは少しの間だけだから。四月になったら亨の傍にいるよ。だから、俺を信じて待っててね…」
 亨の不安を払拭するように、武大は何度も自分を信じろと繰り返した。そうして亨を駅まで送って行き、亨の乗った電車が見えなくなるまでホームで見送ってくれたのだが、翌週の木曜日に交わしたメールを最後に、ぷっつりとその消息を絶ったのだった。

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