INDEX NOVEL

放蕩息子の恋愛 〈 8 〉

「うん、ケーキはもう頼んであるから大丈夫。プレゼントは…そう、じゃあ、アルに委せるね。うん、また連絡するね」
 真は携帯電話を切るとベッドに寝転がってため息を吐いた。
 ここ三日ばかりアルベルトとは携帯で話すだけで直接会っていない。アルベルトが仕事の打ち合わせや、忘年会などの付き合いで忙しくなったせいもあるが、卓に言われてから変に意識してしまったのもある。
 アルベルトの事をそんな風に思っていない。と、真は思っていた。でも、アルベルトを思う時、身に覚えのある感覚に襲われるのも確かで…。
 真はう〜〜っと唸って寝返りを打った。そんな事を考えるのはアルベルトに悪い気がしたし、卓に感化されているだけのようにも思える。こんな風に色々考えてしまうと、24日に会うのが嬉しくもあり、怖くもあった。
「マコちゃ〜ん。本読んで〜」
 玄が真の部屋の扉を叩いた。どうぞ、と返事をすると玄が絵本を抱えて入って来た。
「またいっぱい持って来たな〜」
「うん」
 わざと呆れたような声を出すと、玄はエヘヘと笑いながらベッドに乗っかって、抱えていた絵本を真の前に並べて見せた。
 つい最近買って貰った『たいせつなこと』という本と、お気に入りの『あらしのよるに』、そして『100万回生きたねこ』だった。
「玄、葉月くんも、この本持ってたよ」
 真が『100万回生きたねこ』を手に取って言うと、「ふ〜ん」と言いながら知らん顔をしている。まだ仲直りしていないんだと分かって、「玄、まだ謝ってないのか?」と訊くと、「だって、お休みには入っちゃったんだもん」と嘯(うそぶ)いた。
『こいつ〜』とむかっ腹を立てながらも真は努めて冷静に、「仲直りしないと、クリスマスプレゼント貰えないかもよ」と言った。
 玄は、えっ、と驚いた顔をして真をじっと見た。
「だって、良い子の所にしか、サンタさんは来なからね」
「おれは、いい子だもん…」
「意地悪したのに?」
「……」
 玄が真っ赤な顔をして唇を尖らせるのを見て、この強情っ張りは…と智円の顔を思い浮かべ、苦笑しながら玄の頭を優しく撫でた。
「謝る時は、お兄ちゃんも一緒に謝ってやるよ」
「本当?」
 涙目で上目遣いに真を見る小さな弟に愛しさが込み上げて、真は微笑みながら「ああ…」と頷いた。
 抱き付いて来る小さな体を抱き上げて「どれを読むんだ?」と聞くと、玄は『あらしのよるに』を指さした。真が本を手に取った時、携帯電話が鳴り出した。
「あっ、ごめん。玄、ちょっと待ってて」
 メロディでアルベルトからの着信だと分かった真は、玄を膝から下ろしていそいそと廊下へ出て通話ボタンを押した。
「あっ、アル? どうしたの? えっ? 誕生日プレゼント?」
 玄に聞こえないように声を落としながら部屋を遠ざかる。それでも、アルベルトと話せるのが嬉しくて自然と声が大きくなってしまう。
「…ううん、いいよ。それは、もうこっちで済ましてしまったから、そんなにやっても…いいの? ありがとう。喜ぶと思う。…うん、じゃあ、24日は先に行って準備してればいいんだね。時間はこの前決めた通りで…分かった。じゃあね」
 会わなくなってからアルベルトは一日に何度も連絡をくれる。彼も自分と同じように会いたいと思ってくれているのだろうか、そう思うと自然と頬が緩んでしまう。
 アルベルトの事で頭が一杯になっていた真には、部屋の扉を開けて玄が盗み聞きしていた事など気づくはずもなかった。

 24日当日、真は朝から大忙しだった。
 前日に智円と美由紀に許しを得ていたし、玄にも遠くへ遊びに行かないよう言い含めておいた。そうして、注文していたケーキを取りに行ったり、スーパーへ買い物に行ったり、パーティーの用意をする為にアルベルトのアパートを何度も出たり入ったりしていた。
 アルベルトは教会で『子ども会』があるとの事で、葉月を連れて出かけていた。クリスマス会はサプライズの予定だから都合が良かったが、そのぶん真は一人で用意をせねばならず、てんてこ舞いだった。
 それでも3時には全ての用意が調い、さて、玄を迎えに行こうかと思っていた時に美由紀から電話がかかって来た。どうしたんだろうと思って出てみると、ひどく取り乱した声で「玄がいなくなっちゃったの!」と告げた。
「いなくなったって、どういう事?」
「そろそろ時間だから、支度をさせようと思って探したけど、どこにも姿が見えなくて…。庫裡中探したし、本堂も探したけどいないの。今、智円さんに境内を探してもらってるけど…」
「嘘…。もう、あれだけ遠くに行くなって言っといたのに。でも、いつもは一人で遊びに行ったりしないよね?」
「ええ…。でも、児童公園には一人でも行く事もあったから、これから探しに行って来るけど、約束の時間には間に合わないかも知れないわ」
「いいよ、それは。心配だから僕も心辺りを探してみる。見つかったら携帯に連絡ください」
「分かったわ」
 真の住む地域は比較的犯罪が少ないが、都心の方で最近小さな子の連れ去り事件があったばかりなので、真は青くなってアルベルトに電話をかけた。
 玄がいなくなった事と、これから探しに行くので時間には連れて行けない事を詫びると、アルベルトは「気にしないで」と言って、葉月を牧師館に預けて自分も探すと申し出た。真は礼を言い、幼稚園の付近を探してもらう事にした。
 玄の行動範囲はそれほど広くないと予測して、真も家から幼稚園までの道筋を辿った。時々寄り道するパン屋さんや熱帯魚屋などに顔を出し、玄が通らなかったかと訊ねたが、誰も見ていないと首を振った。
 そうして探し回る事一時間、美由紀からも連絡は来ず、幼稚園で落ち合ったアルベルトも「どこにもいない」と首を振った。
 陽も落ちかけてどんどん足下から寒さが登ってくる。遊びに行ったのならいい加減帰って来てもいい頃だ。どこかで迷子になったのか、それとも…。
 不安が募って交番に届け出ようかと思い始めた時、アルベルトの携帯電話が鳴った。
「はい…。あっ、お母さん? えっ、玄くんが? 分かった、今そっちに行くから」
「玄が、いたの?!」
「今、教会に来てるって…」
「ええっ?!」
 とにかく教会へと二人が慌てて駆けつけると、玄は牧師館の応接間で葉月と仲良くお菓子を頬張っていた。真は脱力し、次の瞬間カッと来て大声を出した。
「玄!! お前、どうして教会に?!」
「なんだ、マコちゃん遅いな」
「遅いな、じゃない! なんでここにいるんだ?!」
 玄のしれっとした態度に、掴みかからんばかりの勢いで怒る真をアルベルトが宥(なだ)め、「どうして教会へ来たの?」と優しく訊いた。
「だって、24日はいつも家でクリスマス会するのに、マコちゃん、朝からいなくなるし! 電話でこそこそ約束してたから、絶対ここだと思ってた」
 下唇を突き出しながら玄が答えると、真とアルベルトは顔を見合わせ、内緒にしたのが裏目に出たのだとため息を吐いた。
「だからって、どうして独りで来たんだよ…」
 ガックリと肩を落として真が呟くと、玄はちらりと後ろを窺いながら「教会、だから…」と答えた。玄に釣られて後ろを見て初めて、応接間の奥のソファーに座っているリンドヴァル牧師に気がついた。
「あっ、す、すいません! 弟が、お邪魔しています!」
 慌てて頭を下げて挨拶すると、リンドヴァル牧師はソファーから腰を上げ、真の方へ近づいて来ると右手を差し出しながら言った。
「いいえ。ようこそいらっしゃいました。お会い出来て嬉しいですよ。貴方が、真さんですね」
「はい、邑地真です。アルベルトくんには、いつも、お世話になっています…突然、お邪魔しまして、すみません…」
 真は牧師の手を取りながら、しどろもどろに挨拶した。
 一度だけ会った事のあるリンドヴァル牧師は、記憶の通り完璧な外国人だった。アルベルトを金髪碧眼にして年を取らせたらこうなるのか、というほどよく似ていたが、牧師の方が縦にも横にも大きくて、笑っているのに妙な迫力があった。
「お噂はかねがね、葉月からも節子さんからも伺ってました。私もよく覚えていますよ。大きくなられましたね」
「はあ…、ありがとうございます」
 昔はあまり日本語が喋れなかった記憶があるが、その流暢な話し振りに呆然として牧師を見上げた。
「さあ、貴方もどうぞご一緒に、お茶とお菓子を召し上がってください。子ども会の残りで恐縮ですが、私も色々と貴方にお話を伺いたいので…」
 牧師がそう言って真に席を勧めた時、アルベルトは顔色を変えて口を開こうとしたが、その前に真があっと大声を上げた。
「あっ! あっ、すいません! 家に連絡するの忘れてて、失礼します!」
 真は急いで牧師館の外へ出ると美由紀の携帯へ電話した。
 美由紀はこれから交番へ行く所だったと、ほっとした様子で「どこにいたの?」と訊いた。
 真は口籠(くちご)もったが言わない訳にはいかない。腹を括って「教会にいた」と言った。
「どうして?!」
「その…、僕が朝から出かけちゃったから、教会に行ったと思って追っかけて来たみたい。パーティーの事、内緒にしてたからね…」
 通話口の向こうで美由紀のため息が聞こえたあと、「代われ」と智円の声がした。
「真、玄を連れて帰って来い」
「えっ? どうして? だって、これから――」
「これだけ人騒がせしておいて、パーティーも何もないだろう。これで二度目だぞ!」
「二度目って…、あっ…! でも、これは別に――」
「どれだけ心配したと思ってる…!」
「…は、い」
 智円は怒鳴っている時よりも、声を殺している時の方が怒りが深い。真の言葉を全部遮って言うだけ言うと、真が渋々「は…」と言いかけた所でさっさと通話を切ってしまった。
 真は携帯に向かって「この、頑固坊主!」と怒鳴ったが、は〜っと大きく息を吐くと諦めて牧師館へ向かった。
 確かに心配をかけたのは事実だし、たぶん、自分の時はもっと心配をかけたのだろう。先ほどそれは身を以て経験したから、智円の怒りが理不尽だとも思えなかった。
 牧師館の応接間へ戻ると、葉月と玄が楽しそうに夫人とおしゃべりしており、牧師は元の奥のソファーで新聞を読んでいた。アルベルトは一人離れた窓際の肘掛け椅子に座って、ぼうっと窓の外を見ていた。
「失礼します。あの、すみません。僕たち、今日はお暇します。玄、帰るよ…」
「あら、でも…」
 夫人が驚いた顔をしたので、「予定を変えてすみません。帰って来るように言われてしまって…。ご迷惑をおかけして、本当にすみません」と頭を下げた。
「それは全然いいのよ。でも、残念ね…」
「でも、当初の目的は叶いましたから」
 真がすっかり仲直りしたらしい葉月と玄の方へ目を向けると、夫人もそうねと頷いて目を細めた。
「また、遊びにいらしてね。素敵なクリスマスを」
「…はい。ありがとうございます」
「真、プレゼントがあるから、ちょっとアパートに寄ってくれる?」
「うん…」
 アルベルトに言われてアパートにあるケーキとプレゼントを思い出し、切なくなって小さく頷いた。
 真が玄にコートを着せ手を引いて外へ出るのを、夫人と牧師は黙って見送った。アルベルトは両親に葉月を預け、「後でまた来ます」とことわって真たちと共にアパートへ向かった。
 アパートへ着くと、玄は興味津々な顔つきで部屋の中を見回していた。テーブルに並べてあるお菓子や飲み物を見て、もの問いたげに真を見たが、真が不機嫌丸出しでそれらを片しているものだから、何も言わずに大人しくしていた。
 真は今夜のクリスマス会を、ナンダカンダ思ってもやっぱり楽しみにしていたから、徐々に落ち込んで来たのだった。
「真、ちょっといい?」
 アルベルトに呼ばれて彼の寝室へ入ると、プレゼントを手渡された。
「こっちは、玄くんに。誕生日用と二つあるから。葉月からだって言って渡してくれる? それと、これは真に…」
「えっ? でも…」
 真は自分たちのプレゼントなど頭になかったから、何の用意もしていなかった。
 手を振って貰えないと固辞したが、「大した物じゃないから、受け取って?」とアルベルトは譲らない。
「でも、僕、全く用意してなくて…」
「お返しなんて気にしないで。僕の気持ちだから」
「あっ、ありがとう…」
 受け取ったものの、自分の気の利かなさに情けなくなって、真は余計に落ち込んで目を伏せた。せめて今夜一緒にいられたら、手料理でお返しが出来たのにと、本当に残念でならなかった。
「そんな顔しないで…」
 アルベルトに顎を取られ顔を上げさせられた。真はアルベルトをまともに見られなくて目を閉じた。
「だって…楽しみにしてたのに、残念…」
「僕もだよ…」
 アルベルトが真をぎゅっと抱きしめたので吃驚して心臓がばくばくしたが、冷静を装ってそのままじっとしていた。不意に、『ああ、子どもの頃も、こうして抱きしめられたな…』と思い出した。
 アルベルトの体が静かに離れて、「また、連絡するね…」と微笑んだ。

 その夜、邑地家では真が持ち帰ったケーキと煮魚でクリスマス会が行われたが、ご機嫌だったのはプレゼントを三つも貰えた玄だけで、大人三人はお通夜のように静かだった。
 真はそうそうに自室へ引き籠もり、ガスストーブに当たりながら電気も点けずに窓から空を眺めていた。
 思い浮かぶのは、20年前のクリスマスの出来事だった。さすがに所々抜け落ちている部分もあるが、今でもよく覚えている。
 24日の日、内緒でクリスマスミサに出ようとしていたのが智円にバレて、真は本堂で散々説教された挙げ句、アルベルトに断って来るように言いつけられた。
 母親に付き添われ初めて三丁目の教会へ行き、泣く泣く「行けなくてごめんね。楽しみにしてたのに…」と告げると、アルベルトが今日のように「僕もだよ…」と言って抱きしめてくれた。
 その後、寺に戻っても智円の説教がくどくど続いて…この辺が曖昧なのだが、どうも口答えをしたらしく、晩ご飯抜きで本堂に閉じ込められた。
 何時頃だったかは覚えていない。今から思えばそんなに遅くもなかったようだが、灯明しかついていない暗い本堂の中は、寒くて、怖くて、べそべそ泣きながら、父親に言われた通り読経を繰り返していた。そうしていたら、正面のガラス戸が開いて、アルベルトがそっと現れたのだ。
「迎えに来たよ」と言って。
 怒られるとか、後からどうなるかとか、そんな事は考えなかった。墓場もある、ただでさえ古くて怖い寺の境内に、たった一人で会いに来てくれたのが嬉しくて、二人で手に手を取って教会へ走った。
「クリスマスはね、今日の日没から25日の日没までを言うんだ。だから今夜、二人だけでお祈りしよう」
 アルベルトはそう言って、誰もいない教会の中へ案内してくれた。真には何の事かよく分からなかったが、連れられるまま祭壇に一番近い座席に座った。アルベルトは慣れた手つきで祭壇のロウソクに火を灯し、真の隣りに座ると聖書の一節を読んだ。

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、
わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。
ここに愛があります」
(ヨハネの手紙 第一 4:9〜10)

 他にもアルベルトが好きだと言う聖書の一節を朗読してくれたが、真はあまり覚えていない。あんなに見たいと思っていたクリスマスツリーだって、この間、玄と見るまで「こんな飾りだったかな…」というほど曖昧だった。
 なぜならずっと、アルベルトの金色に輝く長い睫毛と、美しい音楽のような言葉を紡ぐ、赤い唇ばかり見ていたからだ。
 真はアルベルトに抱きしめられた感触を思い出し体を震わせた。
 今のアルベルトは、あの時のような小さな天使のクピードー(キューピッド)ではなくて、プシューケーを魅惑した凛々しい神様のようだと思った。本当に、あれから20年も経ってしまったんだなと思うと、何だか不思議でならなかった。
 ぼおっと際限なく物思いに耽っていると携帯が鳴り出した。メロディですぐにアルベルトだと分かった。何をしていたか悟られているようで、赤くなりながら慌てて携帯に出ると、「真?」という小さな声が聞こえた。
「うん。アル? どうしたの?」
「うん…。今ね、真の家の…、お寺の表門の前にいるんだけど」
「えっ? うち? どうしたの?」
 真は吃驚して、見える訳でもないのに窓を開けて外を見た。
「これから、出て来られるかな…」
 何となく震えているようにも聞こえる声に、真は「待ってて」と言うが早いか、窓を閉めてガスストーブを切るとコートを引っ掴んだ。そのまま部屋を飛び出そうとしたが思い止まり、足音を忍ばせて玄関まで行くと靴を持ってまた部屋へ戻った。
 庫裡の中は静まり返っていたが、たぶん智円はまだ起きている。玄関の引き戸の音を聞きつけて出て来られたらまた一悶着起きるだろうと、自分の部屋続きに増築してもらった書庫の出入り口から外へ出た。
 防犯用に敷き詰められた玉砂利の少ない場所を選んで裏木戸まで辿り着くと、音を立てないようそっと寺の境内へ抜け出し、一目散に表門へ走った。息を切らせて通用門を潜ると、アルベルトはこの前の卓のように門の前に蹲っていた。
「ごめんね。遅くなって…」
 慌てて謝るとアルベルトは首を振りながら立ち上がり、「僕こそ、急に呼び出してごめんね…」と謝った。
「ううん。大丈夫。それより、どうしたの?」
「うん…。これから教会へ行かない?」
「教会? うん…。僕は大丈夫だけど…」
「じゃあ、行こう」
 自然な仕草で差し出された手を、真も自然に握って歩き出した。
 クリスマス・イヴの夜道は、まるで水底のように深々(しんしん)として、ただ二人の足音だけが空気を揺らした。
 アルベルトは終始無言で、真はいつもと違うアルベルトの様子に不安を感じながらも、暖かい手を離さずに着いて行く事しか出来なかった。

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