INDEX NOVEL

放蕩息子の恋愛 〈 7 〉

 初めて訪問した日から、真はアルベルトの部屋にすっかり入り浸るようになった。
 あの日、酔いに委せて寝こけてしまい、夢のような蔵書の山も見ていなければ、楽しみにしていたスウェーデンのクリスマスの話も聞けないまま、ガックリと肩を落として帰り支度をする真に、アルベルトはまたおいでと誘った。
「気に入ったんならまたおいで。何なら泊まってもいいし。真、寝言で『ここに住む』って言ってたくらいだからね。僕はいつでも歓迎するよ」
 真はその言葉を鵜呑みにして、早速翌日からお泊まり道具持参でアルベルトの部屋を訪れた。さすがにアルベルトも驚いた様子だったが、布団一式きちんと用意してくれていた。
 アルベルトは葉月を両親に預けに行き、真はアルベルトのために鍋の用意をした。15歳で母親が亡くなってから、20歳になるまで真が台所に立つようになっていたから、食事を作るのは御手の物だった。
 アルベルトはとても喜んで、なま麩を使ったボリュームのある精進鍋に舌鼓を打った。その夜は、まるで修学旅行の夜のように、6畳の和室に布団を並べ明け方までスウェーデンの話に花を咲かせた。
 それからほぼ毎日、真は朝家を出ると大学の資料室ではなくアルベルトの部屋へ行き、彼がスウェーデンから持ち帰った神話や宗教や哲学の珍しい本を、コタツに陣取って片っ端から辞書を引き引き読んで過ごした。
 大学院の講義は年内の分は終わっていたし、もうそろそろ本格的に博士論文の完成を目指そうと思っていたところに、思いもかけず滅多に手に入らない北欧神話の古書が読めるのだから、大学の資料室へ隠るより真にとっては有意義だった。
 アルベルトはキッチンの大きなテーブルで自分の仕事をしていた。
 最初は自分がいると邪魔になるのではと気がかりだったが、「全然、気にならないよ。むしろ助かる」と喜んでくれている。
 それは昼ご飯の用意をしたり、買い物など簡単な家事を手伝っているからだが、真にとっては大学の図書館が冬季休みに入ったら、煩いカフェテリアなどで読書しなければならなかったから、それくらいのお手伝いはどうと言う事もない。
 いっそのことアルベルトの言葉に甘えて、彼の部屋に住んでしまいたかったが、それはさすがに口に出来なかった。ここには葉月がいるし、玄も、智円も「帰って来い!」と煩いからだ。
 真は本から顔を上げて、和室の窓際に飾られている4本のロウソクに目をやって、小さくため息を吐いた。
 今年はクリスマスが日曜日だから、昨日の日曜日で4本目のロウソクに火が灯った。その間に、アルベルトと真の間は急速に近づいたが、玄と葉月の仲が急激に悪くなっていた。
 どうやら玄が葉月に焼き餅を焼いて当たるらしいのだが、その原因が真にあると言うのだ。
 先週、葉月を幼稚園に迎えに行ったアルベルトが、牧師館へ寄らず真っ直ぐアパートへ帰って来た。葉月は目を真っ赤に泣き腫らしていて、お祖母ちゃんに顔を見られたくないと言ったからだった。
 アルベルトのためにホットケーキを焼いていた真は驚いて、「どうしたの?」と聞くと、葉月は下を向いて答えない。代わりにアルベルトが説明した。
「幼稚園で、玄くんに仲間外れにされたみたい…」
「玄が? どうして?」
 ショックを受けて葉月を覗き込むようにして優しく訊ねると、「マコちゃんを、帰さないからって…」と言った。
 真は寺に飛んで帰り、美由紀の前で玄を問い詰めた。すると――
「だって、葉月ちゃんが、マコちゃんに絵本読んでもらったとかって、言ったから…」
「そんなので、どうして仲間外れなんて、意地の悪い事するんだよ!?」
「だって! マコちゃんが悪いんだよ! 自分ばっか葉月ちゃんちに行って帰って来ないから! 変だよ! マコちゃんは、おれのお兄ちゃんなのに、何で葉月ちゃんちで葉月ちゃんと一緒に寝たりするの!?」
「何でって…」
 確かに、自分ばかり葉月の家に行っている。それは葉月がほとんどの時間を牧師館で過ごすので、智円の手前連れて行くことが出来なかったからだ。
 勿論、真が一緒に牧師館へ行けば許される。けれど、真はアルベルトと一緒にいたかったから、自分の都合を優先したのだ。
 びゃーっと本堂にも聞こえそうなほどの大声で泣き出した玄を、叱るよりもどうにか泣き止ませようとしたが、美由紀が慰めても叱っても、玄は真の足に抱きついて一向に泣き止もうとしない。
 そこにバンッと襖を開いて智円が入って来た。
「玄!!」
 いきなり落ちて来た一喝(いっかつ)に、玄は「ひくっ!」と息を飲んで号泣は止まったが、真も心臓が止まりそうになった。
「お前たち! 外まで聞こえているぞ! みっともない!!」
「すみません…」
 真と美由紀はほぼ同時に口を揃えて謝った。これはまた本堂で説教だと真は思ったが、雷はその場で落ちた。
「真! 最近のお前の行動は目に余る! いい年をして、フラフラ人の家を泊まり歩いてるんじゃない! いくら友人だからって、こう毎日じゃ相手の家にも迷惑だろう」
「僕は、別に遊びに行ってる訳じゃありません! 貴重な資料を見せてもらっているだけです!」
「だったら、泊まる事はあるまい。夜はきちんと帰って来なさい! そうすれば玄だって、こんな馬鹿な事は言い出すまいよ」
「……」
「返事はっ!!」
「…はい」
 あまりの正論に真は頷くしかなった。
 その後、智円は玄にも「八つ当たりはするな」と厳しく叱り、玄は本堂で正座一時間と、一週間本堂の雑巾がけの罰を与えられた。
 しゃくり上げながら寒い本堂の廊下で正座をする玄を見て、真もさすがに可哀相になり、その夜は玄と一緒にお風呂に入り布団で絵本を読んで聞かせたのだが…。
「葉月くん、元気ないよね…」
 真はコタツテーブルに肘を突いて顎を乗せ、ボソボソと言った。ノートパソコンで原稿書きをしていたアルベルトは顔を上げ、仕事の時だけかけている銀縁の眼鏡を外して言った。
「うん…。でもまあ、仲間外れは無くなったみたいだよ」
「だけど、まだ仲直りしてないんだよね…」
「そうみたいだね」
「う〜…ごめん。僕のせいだよね…」
 真は目を閉じてテーブルに突っ伏した。
「気にしなくてもいいよ」
 アルベルトは言いながら、マグカップを手に真の隣りに来て腰を下ろした。
「みんな、良い事も悪い事も、色々経験して大人になるんだから。それに、葉月が元気ないのはね、ジレンマに陥ってるのさ」
「ジレンマ?」
 不思議に思って顔を上げると、アルベルトは可笑しそうに真を見た。
「真が泊まると添い寝して絵本を読んでもらえるから、本当はまた家に泊まって欲しいみたいなんだよ。でも、そうすると玄くんに嫌われるだろう? それも嫌なんだよ。ああ見えて葉月は結構気が強いから、虐められたやり返すくらい出来るんだけど、玄くんが何で怒ってるかも分かるから、どうしていいか分かんないみたいでね」
 可笑しいねと笑うアルベルトの顔を見ながら、葉月のはにかむ笑顔が思い浮かんだ。
 真が二度目に泊まった夜、眠ったはずの葉月が奥の部屋からソロリと出て来た。夜半を疾うに過ぎていて、アルベルトは自室に引き払い、真も布団の中で本を読んでいた。
 襖に手をかけたままの葉月に、「おトイレ?」と聞いたが首を振る。子どもは敏感だから、他人の気配が気になって眠れないのだろう。寒いのに寝間着のままもじもじと立ち竦む葉月を見て、玄も時々あるんだよなと思いながら、手招きして自分の布団へ誘った。
 怖ず怖ずと近寄る葉月を抱っこしてそのまま布団に寝転がると、真は優しく「どうしたの?」と聞いた。
「眠れない…」
「じゃあ、本を読んであげるよ」
「いいの?」
「いいよ。いつも玄にも読んであげてるからね。好きな本、持っておいで」
 葉月はぱっと顔を輝かせると自室へ飛んで行って『100万回生きたねこ』を持って来た。
「僕もこれ、大好きだよ」と言いながら布団の端を上げて葉月を招き入れると、嬉しそうに布団に潜り込んで笑ったのだ。その顔の可愛らしい事と言ったら、昔のアルベルトを思い出して思わずクラクラしそうになった。
 それからアルベルトの家に泊まる時は、必ず葉月と一緒に寝ていた。
 アルベルトは「癖になるから」と困った顔をしていたが、「じゃあ、三人で寝る?」と誘えば、いそいそと布団を並べ川の字で寝る事もあった。葉月はアルベルトと一緒に寝た事が無かったらしく、「初めてだ…」と嬉しそうにしていた。
 玄とはまた違った意味で、真は葉月が可愛くて仕方なかった。その葉月と玄の仲違いの原因になっているのは正直辛い。玄もあれから元気がなかった。
「玄も、あんまり元気ない。自分が悪いっていうのはちゃんと分かってるみたいで、父さんにもちゃんと謝るって約束したんだけど、なかなか謝れないのは、ばつが悪いからかね…。あの年でも、見えを張ったりするんだね」
「三つ子の魂百まで…だよ。言ったろう? 大人も子どもも、本質は変わらないんだよ」
「う〜ん…でも、何とかしないとね。このままは良くないよ…」
 真は頭を抱えた。今朝、美由紀にも責められたのだ。貴方が闇雲に甘やかすからよと。
「でも、私は良い機会だと思っているの。貴方が玄を放り出すなら、早い方がいいと思うの。そうしたら智円さんも――」
「…何の事?」
 そう言い返して立ち去るのが精一杯だった。玄を放り出す気などない。でも、見透かされている。そう思うと遣り切れない気分になった。
 嫌な事を思い出して真が余計に唸り声を上げると、アルベルトが「玄くんも連れて、うちに泊まりに来たら?」と言った。
「えっ?」
「もうすぐクリスマスだから、うちでクリスマス会をするからって誘えば、君のお父さんも駄目とは言わないだろう? 二人で泊まるならケンカにもならないだろうし、葉月も喜ぶと思うから」
「すごくいいアイデアだけど、アルのご両親はいいの? 教会でもクリスマス会あるんだろう?」
「別に、毎年あるんだし。うちに泊まるのはイブの夜にして、クリスマスのミサに行かせれば、向こうは満足すると思うよ」
「そう、じゃあ…」
 サプライズパーティーにしようと、二人には当日までの秘密にする事にした。

 これで最近のすっきりしない周りの状況を打破出来ると、真が浮き浮きしながら家へ帰ると、寺の裏門前に人影が蹲(うずくま)っていた。
 もう辺りは薄暗くて、誰なのかよく分からない。知り合いなら通用口からさっさと中へ入るはずだ。怖いから表門へ回ってもいいが、たまにホームレスの人が来る事もあるので、一応声をかけてみる事にした。
「あの、どうされましたか? 何か、寺に御用でしょうか…」
「マコちゃん…」
「えっ? す、卓ちゃん?」
「うん、そう…。遅かったね」
 帰りが遅いのを咎められた気がして、最近ナーバスになっていた真はムッとして言った。
「そんな所にいないで、中で待っていればいいのに」
「姉さんに、会いたくないから」
「また、そんな事言って…」
 真は毒気を抜かれて卓の傍へ寄ると、卓はもっさりと立ち上がった。
「もう変な気を使わなくていいんだよ。それとも、僕がまだ気にしているように見える?」
「見えないけど…」
「だったら、親戚なんだから堂々と家で待っていればいいのに。こんな所にいたら風邪引いちゃうだろう?」
 さあ、と真は卓の腕を掴んで中へ入るよう促したが、卓は動こうとはせず首を横に振った。
「いいよ、ホントに。マコちゃんの顔見に来ただけだから」
「どうしたの? 何か変だよ…」
 いつになく頑(かたく)なな態度に違和感を感じて卓の顔を覗き込むと、卓は拗ねたように顔を逸らせた。
「だってマコちゃん、全然顔見せに来てくれないし…。最近、家に戻らないんだって? それって、あの外人さんみたいな人と会ってるからなの?」
「それ、誰から訊いたの?」
 卓の問いかけに真は嫌な気分になって訊き返した。
「兄さんが、姉さんに聞いた。マコちゃんが帰って来ないから、玄が癇癪(かんしゃく)起こして困るって…」
「わざわざ、美由紀さんが言いに行ったの?」
「違う。家に貰い物があって、お裾分けに行ったんだよ。そうしたら玄が暴れてて、兄さんが遊んでやったんだけど、ブーたれてて駄目だったみたい。どうしたんだって聞いたら、マコちゃんがあの人の家に泊まったまま帰って来ないって…。ねぇ、あの人、何? どういう人?」
「友だちだよ。秀夫さんにも紹介したよ」
「聞いたけど、それだけじゃないでしょう? だって変じゃない…」
「変って…、何が?」
「友だちって言っても、幼稚園の時だって言うじゃない。しかも20年も会ってなかったなら、そんなの、もう知り合いくらいの浅い関係でしょう? それが何で泊まったり…」
「そんなの関係ないよ!」
 真は卓の言葉を遮ってキッパリと言った。
「会っていた長さとか、そんなの関係ないんだ…。そんなの関係なく、アルは僕を分かってくれる。一緒にいると居心地が良くて、時間を忘れてしまうんだ。友だちってそういうものでしょう?」
 卓の言う通り、ただの知り合い程度にしかアルベルトの事を知らない。それはアルベルトも一緒だろう。なのに、こんなに惹かれてしまうのは、アルベルトが言う直感みたなものだ。本当に言葉で説明なんて出来ない。ただ心が、アルベルトが必要なんだと訴えていた。
「俺じゃ、駄目なの?」
「えっ?」
「前、俺が言った事、覚えてる?」
 卓は挑むような顔で真を見据えた。真は怯んで後ずさろうとしたが、今度は卓に腕を掴まれ動けなかった。
 覚えている。真が寺に戻る戻らないと揉めていた時、卓が叔父の家まで真を訪ねて来て、真が好きだと言ったのだ。
「俺が、マコちゃんの辛い事、全部受け止めるから」
 卓はまだ中学生になったばかりだったから、真はその言葉の深さを受け止める事もなく、「ありがとう。僕は独りでも大丈夫だよ」と答えた。卓は少し哀しそうな顔を見せたが、それほど失望した様子はなく、「今は、まだ駄目かもしれないけど、いつか、マコちゃんの全部を受け止められるようになるから、待ってて」と帰って行った。
「俺は、ずっと傍にいて、ずっとマコちゃんだけ見てたんだ。俺だって、マコちゃんの事、分かるよ。長さなんて関係ないって言うけど、思いの深さは長さに比例してる。誰にも負けやしない。マコちゃんの事が好きだ…。友だちとしてじゃないよ。恋愛感情として言ってる。好きなんだ」
「卓ちゃん…ごめん」
 真は下を向いて即答した。
「卓ちゃんの気持ちには、応えられない」
 ぐっと引き寄せられ、真は恐怖に喘ぎながら卓を見た。
「あいつが、好きなの?」
「違う! アルは、ただの友だちだよ」
「じゃあ、もっと考えてよ。俺の事、考えて…。俺の事、嫌い?」
 真は苦渋の表情を浮かべて首を振った。嫌いじゃない。嫌いだったら悩まない。でも、卓の気持ちには応えられない。
「卓ちゃ…」
「俺は、諦めないから!」
 卓は真の返事を遮るようにそれだけ告げると、目と鼻の先の自分の家へ帰って行った。真はその後ろ姿を見送りながら、自分だけじゃなく、卓の行く末もどんどん捻れて行くように感じで哀しくなった。

BACK [↑] NEXT

Designed by TENKIYA