INDEX NOVEL

放蕩息子の恋愛 〈 5 〉

 アルベルトたちが引っ越してから、真はそれまでした事がなかったお寺の手伝いをさせられるようになった。
 坊ちゃん刈りの頭も坊主にされ生活は一変した。学校に行っている以外、日曜日ですらほとんど寺で過ごす事になり、親しく遊ぶ相手は寺の前の仕出し屋、増田屋の卓くらいのものだった。
 大人しく穏和な性格で成績も良かったから、学校にもそれなりに友だちはいたが、放課後自由に遊ぶ時間がもらえなかったから、今も親友と呼べるような友だちはいないし、体が貧相になってしまったのも、男の子らしい遊びをしてこなかったからだと密かに思っている。
 そんな真が学校で浮かずに済んだのは、たまに秀夫が野球やサッカーを教えてくれたからだ。
 増田家の兄弟がいなければ自分は今頃どうなっていただろうかと、暗黒の子ども時代を思い返すとムカムカして、真は焼き鳥の串をガジガジ齧(かじ)った。
「体が小さかった上に一年中坊主頭。だからあだ名が『一休さん』。アニメの一休さんって覚えてる? あれに似てるからって言われたけど、あんなに眉毛太くないし、単にお寺の小坊主だからつけられたんだと思う。すごく嫌だった」
「真の坊主頭なんて、ちょっと想像出来ないな…」
 言葉とは裏腹に想像しているだろう含み笑いをするアルベルトを横目で睨みながら、目に被さる邪魔っ気な前髪を摘んで見せた。
「高校を卒業するまで坊主だったんだよ。お陰で全然女の子にモテなかった。大学になってから少しずつ伸ばし始めて、今は反動で伸ばし放題」
「昔と同じ…さらさらだね」
 アルベルトは自然な仕草で真の髪に触り、撫でるように指で梳いた。
 地肌に触れる指の感触に、真はゾクッとして思わず体を引いてしまった。アルベルトはすぐに指を離して謝りながら言い訳した。
「あっ、ごめん。子どもの髪を梳かしてやってるから、つい癖で」
「ううん、大丈夫!」
 真は何故か体が熱くなるのを感じ、誤魔化すように急いで話を続けた。
「それで、少しでもイメージ変えたくてさ。悩んでたら、秀夫さんに体鍛えてみればってアドバイスされて、中学から柔道を始めたんだ」
 実際はもっと不純な動機もあった。部活を始めればお寺の手伝いから少しは解放されると思ったからだ。けれど、そんな思惑はすぐに潰(つぶ)れてしまった。柔道を始めて三ヵ月、受け身に失敗して左手首を骨折し、母親に泣かれて退部した。
 こうしてイメージチェンジも、サボる理由も潰(つい)えたが、寺で茶道を教えていた母が「教室の手伝いをさせるから」と言い出し、学校が終わると母にお茶を教わっていたので、夕方のお勤めからは解放された。
「僕が寺の手伝いを嫌がっていたのを母は知っていたんだよ。その時は、お茶を習うのも、僕は男なのにって嫌だったけど、やっておいて良かった。母は僕が15の時に病気で亡くなってしまったから…。もう、お茶は止めてしまったけど、今も時々忘れないように点(た)てているんだ」
「そう…それはお気の毒に…。先日、幼稚園で挨拶した時、真のお母さんにしては、ずいぶん若く見えたから驚いたんだ。何となく感じが違う気もしたし。さっき秀夫さんが下の妹が玄くんのお母さんだって言ってたけど、彼女は後添(のちぞ)えさんなんだね」
「うん。僕が二十歳の時、父は美由紀さんと再婚して玄が生まれたんだ。僕と美由紀さんは五つ違いだから、彼女はまだ31歳だよ…」
 正確には玄が生まれてから二人は結婚したのだが、それについては触れたくなかった。真はふと、誰にだって言いたくない事はあるのだから、アルベルトの離婚の事や葉月くんについては、触れないようにしようと思った。
 考え事をしていたせいで黙り込んだ真に、今度はアルベルトが窺うように聞いた。
「真は大学院に行っているんだよね。何を専攻しているの?」
「あっ、うん。最初はね、都立高校から仏教大学に入って仏教学を専攻していたんだけど、どうしても家を継ぎたくなくって…。玄も生まれたし、僕じゃなくてもいいだろうって、勝手に大学止めて母方の叔父の家に転がり込んだんだ。母の実家は葬儀屋で、跡継ぎの叔父は40歳になるんだけどまだ結婚してなくて…、当時は34歳だったけどね。だから、葬儀屋を手伝うから叔父の養子にしてくれって頼み込んで…。あはは、滅茶苦茶やったんだ」
 アルベルトは目を見開いて「葬儀屋さんになりたかったの?」と聞いた。
「ううん。住職以外だったら何でも良かったんだ。とにかくあの家にいたくなかった……」
「それは、お父さんの再婚と関係あるの?」
 鋭い指摘にすぐに返事が出来ず、黙って手元を見つめた。アルベルトは真の肩を優しく擦った。
「再婚して欲しくなかったんだね…」
 アルベルトの慰めるような優しい声に頷いたが、本当は少し違う。真は全て話してしまいたい衝動に駆られたが、友だちと言っても会ったばかりなのに、これ以上重い告白をするのは躊躇われた。
 アルベルトは牧師じゃないんだもんね…。それに、そもそもプロテスタントは懺悔しないんだったっけ、と胸の中で自分を笑った。
 真は「もう、昔の事だから…」と微笑んで、その後の結末を話して聞かせた。
「色んな人が間に入ってくれて、僕は寺を継ぎたくないし、自分の将来は自分で決めたいって父に伝えてくれたんだ。そうしたら、家に戻って来るならそれで良いって…。僕がごね勝ちしたんだよ。それで、大好きな神話の勉強がしたくて、別の大学の史学科に入り直したんだ。で、そのまま就職もせず、研究者になるべく大学院で勉強中。親の臑(すね)を齧りながらね」
「そうなんだ…。だからさっき、『権利』とか『放蕩』とかって話してたんだね」
 アルベルトは納得したように何度も頷いていた。
 真は立派に社会生活を営んでいるアルベルトと比べて、自分はなんて情けない奴だろうとため息が出た。『20年は大きいよね』とアルベルトは言ったけれど、その通りだと思った。
 望めば何にでもなれると思えた人生のスタート地点で出会った二人だけれど、その歩んでいる軌跡は、アルベルトは真っ直ぐなのに対し、自分は行ったり来たりして迷走している上に、どんどん下降線を辿って…駄目な人間になっている。
「幻滅した?」
 ビールをぐっと流し込んだアルベルトを眺めながら、真はぼそりと呟いた。
「どうして?」
 アルベルトがひどく驚いたように訊き返したので、きまり悪く早口に付け足した。
「だって何か…、僕、人間がちっちゃいよね。自分の体みたいに器量がちっちゃいなぁって、自分でも思う。昔は…、アルと出会った頃は、勿論子どもだったから当たり前なんだけど、素直だったし純粋だったと思う。それが成長するにつれ中途半端に擦れちゃってさ。それでいて、いつまで経っても大人になりきれないんだよ。もっとアルみたいな “ 格好いい大人 ” になって会いたかったな…」
 取り繕うように笑うと、アルベルトは慈愛に満ちた瞳を向けて「そんな事ない。真は変わってないと思うよ」と言った。
「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶって…性善説だよね。性悪説もあるけど、僕の考えはね、善も悪もどっちもあるのが人間で、生まれもった性(さが)は変わらないものだと思ってる」
「じゃあ、僕は生まれた時から最悪だ」
 やっぱりこうなるように生まれついているのだと、真が卑屈な笑みを浮かべると、アルベルトは真に向き直って強く首を振った。
「違う。そうじゃないよ。性(さが)って、“ 気質 ” って言い換えた方が良いかな。その人がその人らしく生きて行く為の…簡単に言うと、個性を形成する “ 好みの判断基準 ” だね。人間は常に、人生の分岐点で自分に必要なモノや大切なモノを選別して生きているよね。そして何を選ぶかによって、その人の個性的な生き方が決まる訳だけど、それは人生の一大事だけじゃなく、ほんの些細な事でもそうなんだよ。例えば、今食べている焼き鳥。実は僕、レバー嫌いなんだ」
 真が『えっ』と言う顔でアルベルトを見ると、アルベルトは横目で嫌そうにレバーを眺めていた。
「このぐちゃっとした感触が駄目なんだけど、じゃあ、どうしてその感触が駄目なのかは説明できない。好みに合わないとしか言いようがない。他人が聞いたらただの我が儘だよね。だから、僕の父は好き嫌いは罪だと言って、無理矢理食べさせそうとしたから余計嫌いになった。
 お酒だってビールは好きだけど、ワインは嫌いだ。でもこれは誰にも言ってない。悪智恵がついたから…否、学習したからだよ。ちなみに、日本酒は飲めないけど焼酎は好き。これが僕の個性で、“ 性 ” だから仕方がない。理性でいくらレバーが身体に良いって分かってても、生理的に嫌いなモノは嫌いなんだから、仕方がないだろう?」
 真は、大真面目に食べ物の好き嫌いを性(さが)なんだから仕方ないと主張するアルベルトと、皿に残ったままのレバーを見比べてプッと吹き出してしまった。
「ごめんね。これ、僕が食べるよ」
 笑いを堪えてレバーを自分の取り皿に移すと、「うん。そうして」とアルベルトが子どもみたいにホッとした顔をするので、益々可笑しくなって声を上げて笑った。
 アルベルトも笑いながら真に飲み物のおかわりを訊ね、傍を通りかかった和さんに焼酎とウーロン茶を頼んだ。
「真は、僕が知ってる真のままさ。さっき、大好きな神話の勉強がしたくて大学を入り直したと言っただろう? それを聞いて、そう言えば子どもの頃、僕の持って行った北欧神話の絵本を特に気に入って眺めていたなって、思い出したよ。それに、弟の玄くんを可愛がっているのを見て、昔から面倒見が良かったなって…。
 再会してからまだ日は浅いけど、どんな環境で育っても、どんな経験を経て来ても、真の気質は変わってないと思う。真は真面目で優しい人だよ。だからみんなに愛されて、とても大事にされている。お父さんだって、色々あっても君がとても可愛いんだと思うよ」
「そう、かな…」
「そうだよ」
 アルベルトにきっぱり言い切られ、真は心が軽くなるのを感じた。
「僕は別に真が言うような “ 格好いい大人 ” になれた訳じゃないよ。自分のどうしょもない性も、受け入れようと開き直っただけ。生きて行くって大変だからね…。僕みたいに自分に忠実に生きるって決めた人間でも、色々悩む事も、傷つく事も多い。真面目に社会的な生き方をしている人にとっては尚更さ。誰だって綺麗なままじゃいられない。
 だから、自分を守る為に智恵をつけるのは悪い事じゃないよ。嘘も方便さ。勿論、性だからと言って我欲を通すだけじゃ、ただの子どもの我が儘と一緒だけど、真はそうじゃないだろう? でなければ、自分で『放蕩』してるなんて卑下したりしない。今はまだモラトリアムな状態で、周りと自分と、気持ちに折合いを付けるのは難しいだろうけど、どんな形でも許してもらった事ならば、卓くんが言うように、そんな風に考えなくてもいいんじゃない?」
「…うん。そうだね」
 今まで誰に慰められても素直に受け止められなかったのに、アルベルトの言葉は心に染みた。ほんの一時期の真しか知らないアルベルトなのに、彼に『変わらない』と言ってもらえた事が、誰のどんな言葉よりも嬉しかった。
「また、アルに会えて良かった…」
 真が心からそう告げると、アルベルトも微笑みながら頷いた。
「僕こそ…。こうしてまた会えた事を、久し振りに神に感謝したよ。これからはずっと真の――」
「ハイッ! 焼酎のロックとウーロン茶です! お待ち!!」
 見つめ合ってしみじみしていた空気をぶち壊すように、カウンターから卓のでっかい声がしてグラスがぐいっと突き出された。
 ギョッとして慌ててグラスを受け取った真は、卓がアルベルトを睨(ね)め付けているのに全く気づかなかった。グラスを置いて顔を上げると二人が睨み合っていて、その緊迫した空気に何事かと固唾(かたず)を呑んだ。
「あなたは――」と卓が口を開いた時、「卓!」と背後から秀夫の呼ぶ声がした。卓はチッと小さく舌打ちして、不承不承「失礼しました」と言って立ち去った。
「なに、あれ…」
 真は嵐のような卓の不可解な行動に首を傾げたが、アルベルトは苦笑いするだけだった。
「真、改めて乾杯しよう。葉月共々、これからも宜しくお付き合い願います」
 改まった口調でアルベルトがグラスを掲げたので、狐につままれたような顔をしていた真も姿勢を正してグラスを持った。
「末永く宜しくお願いします」
 まるで結納の時の挨拶みたいだと思いながらも、他に言葉が見つからなくて口の中でモゴモゴ言いながら、チンッとグラスを合わせた。これがまさか、末永い騒動の始まりになるとは思いも寄らずに。

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