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放蕩息子の恋愛 〈 3 〉

 翌日の夕方、真が大学の図書館から戻ると、帰りを待ち侘びていた様子の美由紀に出迎えられた。
「おかえりなさい。真さん、智円さんが本堂で呼んでます」
「あっ、はい…」
 玄関先で挨拶もそこそこに用件を伝えられ、真はただいまを言う間もなく頷いた。
 昨日からきちんと父親に話さなければと思ってはいたが、こんなに早く、しかも向こうから呼ばれるとは思わずにいたので、何事だろうとコートと鞄だけ置いてそのまま本堂へ回ろうとしたら美由紀に呼び止められた。
「今日、幼稚園でアルベルトさんに会ったわ。葉月くんのお迎えに来てらして、いつもはお祖母さんが迎えに来ていたので、初めてご挨拶されてビックリしたわ。彼、真さんと幼稚園の時のお友だちなんですってね。葉月くんはまだお友だちが少ないから、是非遊びに来て欲しいって言われたの。それは構わないと思ったから、こちらこそって約束してしまったのだけど、玄が “ ほんもの ” のクリスマスツリーが見られるって言い出して、何の事が訊いたら…教会の子だって言うじゃない?」
 真はアルベルトがわざわざ自分から挨拶をしに来たというのも驚いたが、「私は別に構わないと思うけど…」という美由紀にも驚いた。
「美由紀さんは、玄が教会へ行ってもいいの?」
「私は、玄には出来る限り何でも経験してもらいたいわ」
「分かった…。許してもらえるように言ってみるよ」
 真が笑って請け負うと、美由紀はほっとしたような顔をして「お願いね」と頭を下げた。真は後ろめたくて美由紀が顔を上げる前に急いで玄関を出た。
 庫裡(くり)と本堂は隣接しているが、別棟なので本堂の正面から座敷に上がらなければならなかった。
 一緒に暮らしているのだから、わざわざ本堂へ呼びつける事もないだろうと思うが、智円は説教をする時、決まって本堂へ呼びつけた。
 今はもう説教などされる年齢ではないから、呼び出しがある時は二人きりで話がしたいという事で、父親が苦手な真には気が重い事だった。呼ばれた理由は分かったが、美由紀にああ言ったものの、上手く話せる自信がなかった。
 本堂へは裏の寺務所からではなく、正面のガラス戸から入った。智円は夕方のお勤めの最中らしく経文を唱える声が聞こえた。真は音を立てないようにして廊下の障子戸を開け、赤い毛氈(もうせん)が敷かれた外陣(げじん)の中央へ進み、父の真後ろに正座した。
 20才の時、勝手に仏教大学を止めて寺も継がないと宣言して以来、数多い行事の中でも花祭りと盆暮れ正月の時にしか手伝わなくなったから、耳に馴染んだ父親のお経もずいぶん久し振りに聞く。真は何となく居たたまれない心地がして、もじもじしながら終わるのを待っていた。
「足が痺れたのか? 情けないやつだ」
 礼を済ませ真と向き合った智円は開口一番、落ち着きのない真を窘(たしな)めた。真はムッとして「痺れる訳ないでしょう」とそっぽを向いた。智円は少し笑ったようだが、それ以上は何も言わなかった。
 父の智円が再婚し真が大学を止めてから、二人は食事の時以外は滅多に顔を合わせなくなっていた。真は時々智円が自分をじっと見ているのを感じるが、知らぬ振りを決めていた。何時の頃からか分からないが、真は智円の事が苦手だった。
 智円は46歳とは思えないほど若々しく、男前の僧侶として近所でも評判だった。それは息子の目から見ても羨ましいほどの男ぶりで、隆々とした体躯とそれに見合った男らしい顔立ちは、剃髪していても何ら見劣りしなかった。
 それに引き替え真は、亡くなった母親に瓜二つな上に、中学三年の時に身長が止まってしまったから、義母の美由紀よりも小さく華奢(きゃしゃ)だった。
 口にこそ出さないが、真は自分の全てを卑下していた。大学を止めたばかりの頃、『父に似ればもう少し人生が違っただろう』と、そんな事ばかり考える自分が嫌で堪らなかった。今も、出来れば父と顔を合わせたくなかった。
 真は嫌な思いを振り切るように「用件は何ですか?」と切り出した。
「昨日、お前は玄をどこへ連れて行った?」
 そら来たと、真は身構えた。
「…教会です。でも、中には入ってません」
「あの、三丁目の教会か?」
「そうです…」
「美由紀が会ったというアルベルトくんは、あの時の子だろう? あの一家は、あの後すぐに九州へ行ったはずだが、彼が教会を継ぐために戻って来たのか?」
「よく、覚えてますね…」
 真は驚いて目を見張った。美由紀から聞いて思い出したのだろうが、それにしても20年前の事をよく覚えていたものだと思った。
「当たり前だろう。あの時、本堂にいるとばかり思っていたお前がいなくなって、母さんが家出だ、人さらいだと大騒ぎして、近所の人に頼んで探してもらった挙げ句、お前は――」
「アルは牧師じゃありません! 教会にも住んでないみたいですよ!」
 智円の台詞を掻き消すように真は大声を出した。そんな大昔の事で今更お小言を聞きたくなかった。智円は眉を顰(ひそ)めたが、「牧師? 神父じゃないのか?」と妙なところに引っ掛かったようだった。
 真は話を逸らせてほっとしながら説明した。
「神父じゃありません。牧師です。あそこはカトリックじゃなくて、プロテスタントのルーテル派教会です。キリスト教に世襲制はありません。大体、神父さんだったら結婚してませんよ。アルのお父さんが、またあの教会へ牧師として戻ってらしたから、彼ら親子も近所に住んでるんだそうですよ。男手ひとつじゃ大変だから、子育てをお母さんに手伝ってもらってるんじゃないんですか?」
 智円はばつが悪そうに他教の教義はどうでもいいと咳払いした。
「父子家庭なのか? 母親は?」
「離婚したそうです」
 何やら考え込んだ智円の様子に、真が弁護するように「別に問題ないでしょう」と言うと、智円は徐(おもむろ)に顔を上げて、「ない…とは言えんな」と言った。
「お前と同い年で、結婚と離婚を経験している訳だ。それが悪いとは言わんが、彼は少し思慮が浅い人物ではないか? でなければ、寺の息子に教会へ来いなどと言うまいよ。20年経っても同じ事を…」
「アルは悪くない! あれは僕が頼んだんだから!」
 真はカッとなって言い返した。それが事実だったし、自分が大切に想う人を悪く言われるのは我慢出来なかった。
「お父さんだって、二十歳の時にお母さんと駆け落ちまでして僕が生まれたんじゃないですか! それなのに、お母さんが死んでまだ6年しか経ってなかったのに出来ちゃった結婚した人が、人の事とやかく言えるんですか!?」
 怒りにまかせて一気に吐き出してしまったが、黙って聞いていた父親の、済まなそうな、憐れむような複雑な表情を見て、こんな事を言うつもりは無かったのにと後悔が押し寄せた。
 真は一旦唾を飲み込んで、深呼吸すると気持ちを抑えて「ごめんなさい」と謝ったが、きちんと事実を伝えたくて言葉を続けた。
「僕たちが教会へ行ったのは、玄が “ ほんもの ” のクリスマスツリー…大きな生木に飾り付けしてあるクリスマスツリーの事なんですけど、それを見たがってたんです。花屋のおばさんに、教会で飾られているツリーが玄の理想通りだろうって教えてもらって、それで連れてったんですよ。そうしたら偶然アルベルトに出会って、息子の葉月くんと玄が友だちだって事も、その時初めて知ったんです。昨日はもちろん中へは入らなかったけど、アルベルトは、家でクリスマス会をしているなら、クリスマスツリーを見るくらい大丈夫じゃないかって思ったみたいで、誘ってくれたんですよ」
「お前、家でクリスマス会をしているって言ったのか?」
「玄がしゃべっちゃいました」
 智円は渋い顔をしていたが、ため息を吐いたあと「お前が一緒ならいい」と言った。
「えっ?」
「教会へは、お前と一緒に行くならいい。中に入るのに牧師の立ち会いがなくていいなら、その方が有り難いがね。葉月って玄の友だちの家は、教会の外なんだな?」
「はい」
「だったら、その子の家へ行くのは構わない。出来ればそれもお前と一緒なら安心だがね」
「僕は構わないですよ」
 どうせ時間はあるのだし…と心の中で呟いた。
 真は了承を取れた事にほっとして、父親と仏様に深々と一礼して起ち上がった。智円はその様子をじっと見ていたが、真が障子戸を開けると声をかけた。
「お前は、結婚する気はないのか?」
 真は何を言い出すのかと思いながら振り向いた。確かに6年前、坊主にはならないし結婚もしないと言ったけれど、する気も何も相手がいないではないか。それに何より――
「ありませんよ。それに、26歳になっても親のスネを囓って、微塵も世の中の役に立たない学問の研究をしている、箸にも棒にもかからない放蕩息子の所に、嫁に来る女性なんていませんよ」
 そう言って真が後ろ手にぱたりと障子戸を閉めると、智円が長いため息を吐いた音が聞こえた。
 庫裡に戻って台所へ入ると、玄が食卓の椅子に座ってお絵かきをしていた。
「玄! “ ほんもの ” のクリスマスツリー見に行けるよ!」
「ほんとう!?」
 キャーと奇声を上げる玄の後ろから、夕餉の用意をしていた美由紀も振り向いて嬉しそうに言った。
「智円さん、良いって?」
「ええ。僕が一緒ならいいそうですよ。早速、向こうの都合を聞いてみます」
 嬉しくて足をばたばたさせている玄を注意する美由紀に、真はそう告げて自室へ引き上げた。大学から戻ってすぐ智円の元へ行ったので、自分の部屋へ入るとやっと帰って来た気がしてほっとした。
 コートと鞄は美由紀が部屋に運んでくれていた。コートから携帯を取り出してベッドに腰を下ろすと、それを見ていたみたいに携帯が鳴った。
「ビックリした…」
 画面表示を見るとアルベルトからだった。以心伝心かしらと可笑しくなりながら携帯に出ると、「もしもし、真?」と少し緊張したような、昨日聞いたばかりのアルベルトの声が聞こえた。
「はい、そうです。アル? 今ね、僕も電話しようと思ってたんだ」
「本当? じゃあ、丁度良かった。真、何か良いことでもあった? 何だか声が弾んでいる」
 アルには分かるんだと、真は何故だか堪らなく嬉しくなって「うん!」と頷きながら、父親の許しが出た事を告げた。
「そう! それは良かった」
「あっ、でも…出来れば牧師さん、アルのお父さんの立ち会いがない方が良いって言われちゃったんだけど、そんな事って出来る?」
「うん、僕が案内するからと言えば大丈夫だよ。いない時も多いしね」
「そう。いつがいいだろうか? 僕はいつでもアルの都合に合わせられるから」
「僕もいつでも大丈夫だよ。年内の仕事は収めてしまったし、今の仕事は急ぎじゃないから」
「…えっと、アルって何の仕事をしているの?」
 ふと、そう言えば、互いの近況を聞こうとしていたところで別れたんだと思い出した。
「翻訳業だよ。ねぇ、長くなってしまうから会って話をしないかい? 出来れば教会に玄くんを連れて来る前に、二人で会って話がしたいな」
「うん。もちろん…」
 早速、明日の夜会う約束をして携帯を切ったが、真は昨日の「今度飲みに行こう」と婀娜(あだ)っぽい仕草で誘われた事を思い出し、ひとりでに赤くなっていた。

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