INDEX NOVEL

放蕩息子の恋愛 〈 2 〉

「あの、中で見て行きませんか?」
「わあっ!!」
 突然声をかけられ、真は飛び上がって悲鳴を上げた。慌てて振り返ると大柄な外国人の男性が立っていて、向こうも真が上げた悲鳴に面食らった顔をしていた。
「あっ、ご、ごめん、じゃない! I'm sorry」
 慌てて謝ると、男性は人好きのする柔和な笑顔で「いいえ」と手を振った。
「こちらこそ、突然声をかけたから驚かせてしまいましたね。ごめんなさい。中からあなた方の姿が見えたもので…。クリスマスツリーが見たい…んですよね? どうぞ、中で見てらしてください。今は信者さんもいませんから」
 流暢な日本語に驚いてまじまじと相手の顔を見てみると、日本人っぽくも見える。この人、ハーフなんだと思いながら、その明るい栗毛の髪を持つ日本人離れした美しい容姿に見惚れた。
「あの、どうぞ、中で見ていかれませんか?」
 返事をしない真に、相手は戸惑ったようにもう一度声をかけた。
 真は我に返ると厄介な事になったと思った。外から見るだけで我慢させようと思っていたのに、男性の誘いの言葉に玄が反応して背中から身を乗り出している。知らない大きな外人の出現に、背中に隠れて小さくなっていたくせに。
「あの、有り難い申し出なんですけど…」
「ねえ、マコちゃん。見て行こうよ! この人、良いって言ったじゃない!」
「玄!」
 ほらな〜と内心でため息を吐いて、いい加減怒らないと駄目かもと背中の玄を睨むと、「ええ! 是非どうぞ」と熱心な声が聞こえた。思わず男性の方を見ると、じっと熱のこもった視線で見つめ返されて、真は思わず視線を逸らせた。
 ごめんなさいと立ち去ってしまえばいいのだけれど、わざわざ出て来て誘ってくれた親切を無下にするのは躊躇われた。真は本当の事を言おうか迷ったが、言えばきっとこの人も納得してくれるだろうし、玄だって理由が分からなければ納得出来ないかと、思い切って口を開いた。
「あの、ご親切は有り難いんですけど、僕たち二丁目の円光寺の…、お寺の者なんです。だから…」
「教会の中へは入れない、ですか?」
 男性は首を傾げるようにして、哀しそうに目を細めて笑った。彫像のように整った顔を歪ませてしまった事に、真は妙な罪悪感を覚えてどきどきしながら頷いた。
「いいじゃん。マコちゃん、大丈夫だよ! ないしょにしてたらバレないし、それにお父ちゃんだって良いって言うよ! だってお寺だけど、家ではクリスマス会してるじゃん! だから入ったって大丈夫だよ。それとも、中に入ったらバチが当たったりするの?」
「ちょっと、玄!」
 玄の暴露に真は慌てて黙るように怒ったが、男性はクスクスと笑いながら、「クリスマス会なさってるんですね」と言った。真が真っ赤になって俯くと、男性が真のすぐ傍までやって来た。
「正直な、玄くん…ですね? 伺いましょう。玄くんはクリスマスツリーが見たいですか?」
「はいっ! 見たいです!」
「君のお父さんは、今おんぶしている “ マコちゃん ” じゃなくて、お寺のお坊さんですか?」
「はいっ! えんこーじっていう、大きなお寺のお坊さんです! マコちゃんはお兄ちゃんです!」
 変な質問の内容に真は驚いて顔を上げたが、男性は構わず質問を続けた。
「お父さんは怖いですか?」
「怖いです! でも、本当は優しいです」
「優しいお父さんは、お寺でもクリスマス会をしてくれるんですね?」
「はい!」
 玄が一際大きな声で返事をすると男性は満足そうに頷いて、今度は惚けている真の顔を真っ直ぐに見て言った。
「お父さんは、昔より丸くなられたみたいだね? だったら中に入っても大丈夫じゃない? 真」
 急に砕けた口調になって名前を呼び捨てにされ、真は目を見張った。
「あの、牧師さん…?」
『貴方、何なんですか?』とは、ちょっと怖くて訊けなかった。視線だけで自分より30センチは高い男性の顔を窺うと、「僕は、牧師じゃないよ」と相手は真面目に答えたが、真は益々訳が分からなくなった。
 確かに男性はカーディガンにスラックスと普通の服装をしている。でも、牧師のアルベルトのお父さんだって、普通の格好をしていた記憶がある。
 大体、違うならどうして中でツリーを見て行けなどと誘ったのだろう。それに、呼び捨てにする理由は?
『この人は僕を知ってるのだろうか?』と頭の中じゅう疑問と恐怖で一杯の真に、男性は「まだ分からないの? 僕はすぐに分かったのに」と可笑しそうに笑った。
「じゃあ、ヒント。牧師は僕の父。つい最近、元いたこの教会に戻って来たんだ。だから僕も今この近所に住んでる」
「どう?」と、なぞなぞでも出している子どもみたいな瞳を向けられ、真は急激に胸が高鳴るのを覚えた。
 その顔に全く覚えはないのだけれど、瞳と髪の色には見覚えがある。ついさっきまで思い浮かべていたから尚の事。それに、真が知っている教会に住んでいた男の子は彼しかいない。
「もしかして…アル?」
 本当かしらと半信半疑で怖々聞いた。その途端、「そうだよ!」と嬉しそうに叫んで大きな体が玄ごと真を抱きしめた。
 余りの事に真はアルベルトの大きな胸の中で固まったまま動けなかった。玄も驚いて固まっているらしくぴくりとも動かない。
 花屋のおばさんに教会の事を聞いてから会いたいと思っていたけれど、まさかその直後に会えるなんて。しかも、あの天使みたいに可愛らしかったアルベルトが、こんな身の丈190センチ近い美丈夫になっているなんて、想像の範疇を超えていた。
「ほんとに…アルベルトなの?」
 思わず呟くと、アルベルトは体を少し離し、頭上から見下ろすようにして頷いた。
「そうだよ、真。僕の事なんて忘れてしまった? そりゃ、会ったのはほんの子どもの頃で、もう20年も前の事だからムリないけど、僕は一度も、真を忘れた事はなかったよ?」
「僕だって!」
 忘れた事などないと、首が折れそうなほど顔を上げてアルベルトを見つめると、綺麗な面を哀しげに曇らせたアルベルトはまた嬉しそうな笑顔を浮かべ、真の両頬へ手を添えると更に上から被さるように顔を近づけて来た。
「う、わっ」
 顔が近いと焦った時には、もう鼻が触れ合いそうな距離だった。『キスされる〜!?』と反射的にぎゅっと目をつぶった瞬間、真の内心を代弁するように、「ちゅーっ!?」と背中で玄が奇声を発した。
 アルベルトの動きがピタッと止まり、真が恐る恐る目を開くと、「ごめん。嬉しくて、つい…」とアルベルトの戸惑う顔が目に入った。咄嗟に『ああ、アルベルトはスウェーデン人なんだっけ』と思い出し、外国人特有の挨拶――ハグとキスなんだと気がついた。
 唇にされると勘違いした事が恥ずかしく、赤くなりながら「ううん」と首を振って今度は自ら頬を近づけると、アルベルはチュッと音を立てて真の両頬にキスをした。
 ただの挨拶だというのに、唇に近いところにされたのと、玄にじっと見られているのが恥ずかしくて下を向いた、丁度その時だった。
「パパーッ! 何してるの?」
 突然の甲高い声に反応して、アルベルトがバッと音を立てて真から飛び退いた。
 その驚き方に真も何事が起きたかと目を見張ったが、退いたアルベルトの後ろから玄と同じ歳くらいの男の子が現れて、更に目を見張って固まってしまった。
『この子、アルにそっくりだ…』
 クルクルした柔らかそうな巻き毛とまるい大きな瞳。色が漆黒だという違いはあるが、記憶にあるアルベルトそのものだった。玄と同じ幼稚園の制服を来て首を傾げるその姿は天使のように愛らしく、彼が初めて話しかけてくれた時のように、思わず目を奪われてしまった。
「あれ〜? 葉月ちゃん?」
 呆然としている真の背中で玄が驚いたような声を出した。名前を呼ばれた男の子は玄を見上げ、やはり驚いた顔をしたあと嬉しそうに「玄ちゃん? どうしたの?」と笑いかけた。
 玄が背中から下りると暴れるので慌てて下ろしてやると、一目散に男の子の元へ駆け寄り、二人で楽しそうにお喋りを始めた。こんな事ってあるんだろうかと、真は声もなく二人を見つめた。
「やっぱり、同じ幼稚園だったんだね」
 アルベルトは呆気に取られている真の横で、「玄くんの被ってるベレー帽を見て、そうじゃないかなと思ってた」と冷静に言った。
「彼は、君の…」
「うん、息子」
 真はショックを受けて心臓が大きく波打った。
「パパ」と呼ぶからにはそうだろうと思ったけれど、玄と同い年と言う事は、あの子はアルベルトが20歳の時に授かった事になる。
「って事は、結婚しているんだ…」
 思わずポロリと呟くと、アルベルトはばつが悪い様子で下を向いた。それを見て、別にいくつで結婚しようと子どもを作ろうと大きなお世話だよなと、慌てて「羨ましいな」と明るい声を出した。
「僕なんて、全然女性と縁がなくて。彼女いない歴26年だよ!」
 あはは〜っと大袈裟に笑って見せたが、アルベルトは困ったように微笑んだだけだった。真は急に恥ずかしくなり、取り繕うように「奥さんは?」と聞くと、「離婚した」と、今度は無表情であっさり答えた。
「ええっ?」
 余計な事を訊いてしまったと後悔するよりも、もう驚き過ぎて目眩がしそうだった。
 何のフォローも出来ずただ口をパクパクさせている真に、「20年は、大きいよね…」と、アルベルトはどこか諦めたようなため息を吐いた。それから思い直したように微笑んで、「積もる話もあるから、牧師館へどうぞ」と誘った。
 気がつけば、玄と葉月と呼ばれたアルベルトの息子は、既に教会の方へ歩いて行っている。
 真はあれほど入れないと固辞していたのも忘れ、アルベルトに誘われるまま二人の後について行こうとしたが、ダッフルコートのポケットに入れてあった携帯が、行くなと呼び止めるようにブルブルと震えた。
 取り出して見ると美由紀からで、慌てて通話ボタンを押すと『どこで道草食ってるのー!』と外にも聞こえる大声で怒鳴られた。
「あっ、ごめんなさい! えっと、すぐ帰ります!」
 帰りの遅い二人を心配し、美由紀は何度も電話していたらしい。平謝りですぐに携帯を切ると、真は情けない顔をしてアルベルトを見ながら首を横に振った。
 暗くなるから早く帰って来いと言う美由紀の声は筒抜けだったから、アルベルトは苦笑しながら頷いた。
 真は教会の入口まで行きかけた玄を大声で呼び止め、「お母さんが帰って来いって!」と言いながら両手で頭から角を突き出す仕草をすると、玄はえ〜っという顔をしたが、母親の怖さを知っているので素直に真の傍へ戻って来た。
 アルベルトは跪いて傍へ来た玄の頭を撫で、また遊びに来るように誘った。
「残念だけど、もう暗いからね。次はちゃんとお母さんの許しをもらっておいで」
「はーい! じゃあまたね、葉月ちゃん!」
 素直に返事をする玄の様子にほっとしながら真が暇を告げると、アルベルトは慌てて携帯を取り出した。
「待って、真。連絡先を教えて。出来れば携帯番号とアドレスを」
 真がもちろんと応じて携帯を差し出すと、「今度飲みに行こう」と、アルベルトはウインクしながら誘った。
 普通の男がやったら恥ずかし過ぎるナンパな仕草を、さり気なくやってのけるアルベルトにクラクラしながら、真は「うん」と頷いてアドレスを交換した。
 黄昏の夕闇に沈む教会の前から、アルベルト親子は手を振って真たちを見送った。
 そんな二人に玄もブンブンを腕を振り返しながら、「これで “ ほんもの ” のクリスマスツリーが見られるね!」と嬉しそうだったが、真は『そんなに簡単に行かないかも…』と智円の渋い顔を思い浮かべ、今日何度目になるか分からない深いため息を吐いて家路を急いだ。

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