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放蕩息子の恋愛 〈 1 〉

 玄(げん)は花屋の店先で桃色の頬を膨らませたまま首を横に振った。
「こんなんじゃないもん!」
 鉢植えのモミの木を指さして文句を言う小さな弟に、邑地(むらち)真(まこと)は頭を掻きながらどうしたものかとため息を吐いた。
「でも…これだって生木に飾りがついているんだから、“ 本物 ” のクリスマスツリーだろう?」
「ちがうもん! これは子どもの木だもん! “ ほんもの ” はこんなんじゃない!」
「そんな事言ったって……」
 確かに大きくはないが、天辺が真の目線に届いているから150センチはあるのだ。家に飾るツリーなら大体こんなものだろう。それを『子どもの木』と一蹴(いっしゅう)する弟は、どれだけすごいクリスマスツリーを想像しているのかと再び深いため息をもらした。
「あらぁ! どこの親子連れかと思ったら、円光寺(えんこうじ)さんとこの真ちゃんじゃない。いらっしゃ〜い、久し振りねぇ。今日は二人で仏様の供花(くげ)を買いに来たの?」
「あっ、こ、こんにちは。え〜っと、その…」
 店の中から出て来たおしゃべりな花屋のおばさんに声をかけられ、真は慌てて曖昧な返事をした。
 おばさんはじっとモミの木を見ている玄と、引きつった顔をした真を交互に見て、「ああ、ツリーを買いに来たの?」と可笑しそうに笑った。
 この花屋と実家の寺とはつき合いが古く、おばさんは真の事も父親で住職の智円(ちえん)の事もよく知っている。邑地家の事情通であるおばさんの顔には、『お寺さんでも、最近はクリスマスしてるのねぇ』と言いたげな表情が浮かんでいた。
「いえ、別に買いに来た訳じゃ――」
「あのね、こんなんじゃなくて、“ ほんもの ” のクリスマスツリーを探してるの!」
 真の声を遮るように玄が無邪気に言い放った。“ こんなんじゃなくて ” と言う台詞に素早く反応したおばさんは、きゅっと眉をつり上げて「本物って?」どういう意味かと訝しそうに訊き返した。真は慌てて弁解するように事の次第を説明した。
 師走に入ってすぐ、幼稚園から帰った玄は「“ ほんもの ” のクリスマスツリーが見たい」と言い出した。真は驚いて「えっ?」と弟の顔を眺めた。だって、玄がクリスマスツリーを知らない訳がない。
 二人の家にツリーはなかったが、12月生まれの玄の誕生日プレゼントを買うために、毎年デパートへ出かけているのだから、ディスプレイの煌(きら)びやかなツリーを見ているはずなのだ。
 まあ、そこは将来『プリン』になりたいと言う幼稚園児の言葉だからと思いつつ、「“ 本物 ” ってどんなクリスマスツリーなの?」と訊ねると、『本物の木に飾り付けがしてあるクリスマスツリー』の事だと判明した。
 幼稚園の先生に見せてもらった写真に、サンタクロースとクリスマスツリーが写っていたらしい。その時、玄の心をわしづかみにしたのは、サンタではなくモミの木の方だった。
 それならば、とりあえず木がありそうなところ…と、真は大学の帰りに玄のお迎えを買って出て、少し遠回りしてこの界隈で一番大きな花屋へ来てみたのだ。
 果たしてツリーはあるにはあったが、玄言うところの “ 子どもの木 ” に、これまた小さくて可愛らしいリンゴと金のモール飾りが申し訳程度についたものしかなかった。
「やあねぇ、もう! ちっちゃいけどこれだって本物よ。でも、うちじゃ、これ以上大きなのは仕入れても売れないもの。そうねぇ…もっと大きなモミの木のツリーが見られるところねぇ……」
 真の説明に納得したように頷くと、おばさんはぼやきながらしばらく首を傾げていたが、そうそうと思い出したように手を叩いた。
「確か銀座の宝石屋さんの前に、ニューヨークにあるような大きな生木のツリーが飾られているわよ!」
 大きな生木のツリーという言葉に、玄は期待に目をキラキラさせながら真を見上げた。そんなでっかいのを想像していたのかと合点が行ったが、それはそれで「困ったな」と呟いた。
「銀座じゃ、ちょっと行けないかな……」
 別に行けない訳じゃない。ただ、連れて行くには義母の美由紀に連絡し、理由を説明しなければならない。きっと駄目とは言われないだろうが、玄を溺愛している真に対して、日頃から甘やかさないようにと釘を刺されている手前、少し言い出しづらかった。
 また日を改めて連れ出せばいいかと考え、真が「今日はもう帰ろう」と言うと、玄は真の足にしがみつき、見たい、見たいとわめき散らして駄々をこねた。
「ちょっ、ちょっと、玄! しーっ! 騒がないの! 今度連れて行くから!」
「ヤダーッ! 今がイイ! イマー!」
 いつもは聞き分けが良い方なのに、我が儘のスイッチが入った時の玄は、どんなに注意しても騒ぐのを止めない。甘く見られているのは分かっているが、叱る方が真にはストレスになる。
 玄の絶叫に狼狽(うろた)える真を見かねたおばさんが、「あのね…」と声をかけた。
「近場にも生木のツリーがあるところ、思い出したんだけど…」
「えっ? どこ? どこですか?」
 藁をも縋る思いで聞き返すと、おばさんは辺りを憚(はばか)るように声を小さくして、「教会」と言った。
「えっ?」
「三丁目の教会、分かる? ここから10分くらい行ったところなんだけど、あそこなら、毎年大きなモミの木のツリーを飾っているわよ、確か」
「教会…」
 ああ、そうだった…と、真が遠い記憶をたどるように惚(ほう)けた顔をしていると、「やっぱり、教会はマズイわよねぇ…」とおばさんが伺うように言った。
 真は我に返ると「う〜ん…」と唸ったが、上目遣いでおばさんを見ながら唇の前に人指し指を立てた。無言で『黙っててくれる?』と訴えると、おばさんも無言で自分の胸をドンと叩いて頷いた。
 花屋を後にした真は、玄の手を引いて教会へ向かいながら、懐かしい思い出に浸っていた。

 邑地の家では、今でこそ家族だけでクリスマスを祝うようになったが、真が玄と同じ歳くらいの頃は、全くその存在を無視されていた。別に他宗教の行事だからと言う訳ではなく、ただ単に忙しかったからだ。
 師走から正月にかけて寺はとても忙しい。ましてその当時、病気で亡くなった祖父の跡を継いで25才で住職になった父親は、若いと誹(そし)りを受けぬよう無我夢中でお勤めに励んでいた。
 母親も手伝いに駆り出されて家事との両立に四苦八苦していたから、二人ともクリスマスどころではなかったのだろう。それに、わざわざしなくても幼稚園でクリスマス会があるのだからと、受け流しているところもあった。
 そんな両親に『クリスマスがしたい』とは言い出せなかったが、手が届かないものを『すっぱいぶどう』と諦め切れなかった真は、「クリスマスって一体どんなものなの?」と、幼稚園の先生にしつこく訊ねては空想に耽るようになった。
 真がお寺の子どもと知っている先生は、当たり障りのない事しか教えてくれなかったが、どうやらクリスマスにはサンタクロースからプレゼントを貰えるだけじゃなく、本当は何か秘密の儀式があるらしい…。そんなわくわくするような事柄を知れば知るほど “ 本物のクリスマス ” に憧れを募らせた。
 ある日、いつものようにクリスマスの話をねだって先生にまとわりついていると、「僕が教えてあげる!」と後ろから元気な声が聞こえた。驚いて振り返ると、そこには亜麻色のクルクルの巻き毛と、同じ色のクリクリした大きな目を持つ男の子が立っていた。
 彼――アルベルト・悠里(ゆうり)・リンドヴァルは、それから毎日隣の組から真の元へやって来て、自分の家から持参した子ども用の絵本を見せて、 “ 本物のクリスマス ” について教えてくれた。
 絵本には美しい天使や聖母子が描かれていて、初めて知るキリスト誕生の物語や、サンタクロースの住む国の話は、驚きと共に真の心をつかんで魅了した。そして、もっともっと知りたいと言う真に、「それなら、25日に僕の家に来たらいいよ。“ 本物のクリスマス ” を見せてあげるから」と誘ってくれたアルベルトの家が、三丁目の教会だった。
 花屋のおばさんに言われるまで、どうして教会のツリーの事を忘れていたのかと、真は自分の記憶力の悪さに呆れたが、あの時は、ローソクの柔らかな光りに照らされた、天使のように美しいアルベルトの横顔に見惚れていたからだと思い出した。
 あれからもう20年も経つ。彼は今どうしているだろうか?
「マコちゃん、おなかすいた…」
 懐かしさに浸っている真の後ろから小さな呟きが聞こえた。はっとして振り返ると、くったりしている玄の姿が目に入った。慌てて腕時計を見ると三時を疾っくに過ぎていた。
 さっきまで「 “ ほんもの ” のクリスマスツリーが見られる!」と目をキラキラさせていたのに、体中から「帰りた〜い」と発していた。
 いつもなら玄の望み通りおやつの待つ家へ戻っただろうが、真はどうしても教会へ行ってみたかった。行ったってアルベルトがいない事は分かっていたけれど。
「玄、あ〜んして」
 真はいつも鞄に入れているチョコレートを取り出して、素直にあ〜んと開けている口の中へ一粒放り込むと、玄をおんぶして駆け出した。
「あともうちょっとで教会に着くから、我慢しような。そしたら、“ ほんもの ” のクリスマスツリーが見られるから」
 振り向きながら背中の玄を慰めると、玄は「うん!」と嬉しそうに頷いて真の背中にしがみついた。そうして、走ったり歩いたりすること5分。漸く昔の記憶にある通りの、赤い切妻屋根に尖った鐘楼(しょうろう)のついた古い教会へ辿り着いた。
 門のない塀のすぐ傍に立つ教会は昔より小さく感じたが、聖書の一節が彫り込まれた木の扉も、その上のステンドグラスも、歳月を経てより威厳を増した気がした。
「ねー、ねー、早く入ろうよー!」
「う、うん…」
 はしゃぐ玄に催促されたが、きっちり閉まった重厚な扉を前に、真は『やっぱり、入れない』と立ち竦んでしまった。
 思い出に導かれて逸(はや)る気持ちで来たものの、息が整うとさっきまでの高揚感はどこへやら、玄を連れて来たのはまずかったのではないかと急に臆病風に吹かれた。
 20年前、アルベルトに手を引かれ中へ入った時は、彼と二人だけだったし、夜で誰もいなかった。今は牧師さんや信者さんがいるかもしれない。もしその中に、自分たちが円光寺の息子だと知っている人がいたら…。学者を目指している自分は何を言われても関係ないと突っ張れるが、父や玄はそうはいかないのだ。
 真は一旦教会の敷地から出ると、煉瓦の塀沿いに教会の横手に回った。塀は真の腰の辺りから上が鉄の柵になっていて、外からでも教会がよく見えた。建物のどん詰まりまで行くと、記憶の通り祭壇近くにアーチ型の縦に細長い窓があって、そこからツリーが見えた。
「ほら、見えるだろう? あれ、本物のモミの木だよ。確か、敷地の中にある一番大きな木を掘り出して、来年の5日頃まで、ああして飾ってあるんだよ」
「ねえ、何で中で見ないの? ここからじゃ、よく見えないよ」
「うん…でも、ここから見るので我慢して?」
「どうして? せっかく見に来たのに!」
「し〜っ! そんな大きな声出さないの!」
 真はここから覗くので満足させようと必死だった。耳元で騒ぐ玄をたしなめながらも、ツリーが見えやすいように何度も背負い直して背伸びした。
 だから、後ろから人が近づいて来ているなんて気づきもしなかった。

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