INDEX NOVEL

一握の砂 〈6〉

※ 性描写があります。18歳未満の方はお読みにならないでください。

 軽井沢はもう紅葉の時期を終えていた。それでも金曜日が祝日だったので、道も店も混んでいた。修二は車を運転しながら、「ちょっと残念だね」と言った。聡は夜のことを考えると気も漫ろで、紅葉どころではなかったから曖昧な返事を返した。
 自分から誘ったくせに、ろくに窓の外も見ない聡に修二は首を傾げ、「どこか具合悪い?」と心配した。渋滞した道を運転している修二の方が、余程疲れるであろうに、細やかな気遣いを見せてくれる。そんな修二の優しさに触れると、田辺との関係に嫉妬して肉の交わりで繋ぎ止めようとしている自分が、どうしようもなく愚かに思えた。
 では、止めるかと言われれば、それは出来ないと強く思う。精神的には限界を迎えていた。
 ここに来て心配しているのは、修二に拒否される事だ。どちらが上になるか下になるかという問題もある。想像の中では何度も修二を組み敷いている聡だが、実際には無理だと思っている。何しろ経験が無いのだ。勿論、修二も男は初めてだと言っていたから戸惑わない筈がない。
 嫌だと言われたら自分はどうするのだろう――答えなど持っていないのだ。堂々巡りする埒もない物思いに囚われて、景色など一つも目に入らなかった。
 聡の沈んだ様子に、却って修二は明るく振る舞い、いつも通り二人の時間を楽しんでいるようだった。別荘に来ると必ず行うように二人で食事を作り、風呂に入り、そしてベッドに入った。
 キスをして身体に触れ合う。徐々に高まって息が弾んでくる。修二が聡と自分の昂ぶった雄蘂をまとめて握った時、聡がその手を遮った。
「待って。修二、待って」
 息を弾ませたまま閉じていた目を見開いて、「なに?」と艶を含んだ瞳で問い返す修二を見詰めながら、吐く息とともに呟いた。
「繋がり合いたい。最後までして欲しい…。僕の中に修二を入れて…」
 瞬時にえっ、という驚きを浮かべる修二の顔を見たくなくて、その首に縋り付くようにして修二を押し倒した。聡は、お願い、お願いと繰り返しながら馬乗りになり、尻のあわいで修二のものを擦った。修二は暫く硬直したように動かなかったが、両腕を聡の背中に回して抱きしめると、あやすようにさすった。
「潤滑剤とか無いと…。無理だと思うよ」
 最初のうちこそ用意していたが、今ではコンドームくらいしか持って来ていないと修二が言うと、聡が顔を上げて「有る」と告げた。修二の腕を逃れてベッドの下に用意しておいた袋の中からジェルとコンドームを取り出した。起きあがった修二の手に渡すと、ジェルのボトルを見詰めた修二はごくりと唾を飲み込んだ。
「修二…、お願い…」
 再度縋るように呟くと、修二は目を閉じて深呼吸した。観念したようにまっぐ聡を見詰めた修二は「おいで」と言って手を差し伸べた。

 ベッドサイドの淡い光の下で、聡は尻を上げた格好のまま浅い呼吸を繰り返していた。くちゅくちゅと水音を響かせながら修二の指が聡の後孔に出入りしている。聡はまるで自分の病院で触診されているような気分になった。セクシャルな雰囲気などどこにもない。痛いし、圧迫感と排泄感で気持ちが悪かった。
 一度挿入したのだが、ほんの先端を受け入れただけで震え上がった。痛いのだ。でも声に出したら修二が止めてしまうのではと息を殺して耐えていた。痛みのために冷や汗が溢れ出た。涙まで零れると修二が自身を引き抜いてしまった。
「いやっ、あ…」抜かないでと言おうとして慌てて起きあがると、修二が「もう少し慣らさないと…。四つん這いになって」と言ったので聡はほっとしたが、あれからまた随分時間が経ったのに、一向に慣れない。指が三本入ったところで限界を感じた。
「もう…、大丈夫だから」そう言って修二を導こうとしたが、肝心の修二のものは萎えたままだった。胸が痛くなって涙が滲んだ。しがみつくように修二の股間に顔を埋めて舐め上げる。含んで吸い上げて無理矢理勃たせると、修二が鼻から抜けるような息を漏らした。
 再び修二が後から穿つが、今度は痛みを感じる前に修二自身が萎えてしまった。「聡…」と自分を呼ぶ修二の声を遮るように「嫌だ!」と喚いて修二に縋り付いた。
「あと、一度でいいから…」そう懇願して修二のものに触れる。柔らかく口に含んで舌を懸命に動かすが、全く反応しなかった。修二は聡の頭を震える指で撫でると、「ごめん…」と小さく呟いた。
 悲しくて悔しくて涙が溢れて来た。嗚咽が洩れそうになるのを聞かれたくなくて、聡はベッドから飛び降りて、脱いだ服をひっつかむと部屋を飛び出した。修二のいる部屋から一番遠い客間へ飛び込むと、ベッドに潜り込んで泣き続けた。
 どれぐらい経ったのか、鳥の鳴き声が聞こえ始めた。ようよう泣き止んで窓に目を向けると、カーテンの隙間から薄青い光が滲んでいた。
 聡は修二が追いかけて来てくれると思っていたが、扉が開かれることは無かった。それが聡には悲しかったし、悔しかった。出来なかったことで、少なからず修二に対して失望もした。
 秋の軽井沢は寒い。一晩中暖房を入れているとはいえ、朝方は凍えそうだった。素早く服を身につけると、聡はタクシーを呼んだ。
 とにかく修二と顔を合わせたくなかった。色んな思いが混沌と混ざり合い、何かとんでも無く酷い言葉を投げてしまいそうで怖かったのだ。別荘の鍵は後から返してもらえばいい。タクシーが到着し、聡が玄関の扉を閉める音がしても修二は顔を出さなかった。
 この時、自分の気持ちで一杯一杯だった聡には、修二を思いやれる余裕が無かった。一人残された修二がどうなるかなど、欠片も思い至らなかった。

 聡は北軽井沢の駅から電車で帰る道すがら、唯ひたすら自分を哀れんだ。田辺に対する嫉妬だけでなく、修二に対して、出来なかった事への恨めしさと、やっぱり自分を欺いているのではないかという疑念が渦巻いて、苦しくて仕方なかった。
 あれから五日が過ぎたが、未だに何一つ連絡を寄こさないのが、全ての疑念を裏打ちしているように思われた。時間が経つにつれ、色いろな感情の枝葉は外れてしまい、最終的に『出来なかった』という事実が、一番聡を苦しめた。
 本当に男同士は繋がれるのだろうか? その疑念に囚われてインターネットで調べまくったが、こればかりは経験して見ないと分からないと思い切ると、聡は目星をつけたゲイバーへ足を踏み入れる決心をした。
 金曜日の夜、聡はゲイバーのカウンターの隅っこで、びくびくしながら水割りを舐めていた。
 新宿二丁目のかなり端にその店はあった。雑居ビルの地下へ続く入り口に電飾看板が出ているだけで、危うく見逃しそうになった。店内は薄暗く、ウナギの寝床のように細長い。特に普通のバーと変わらなく見えたが、違うと言えば椅子が無いのと、お客が全て男というところだろう。壁際のバーテンのいるカウンターと平行して長いカウンターテーブルがあり、皆立って酒を飲んでいる。その奥にエゴン・シーレの『座るヌードの男』という、お世辞にも美しいとは言い難い男の裸体が描かれた巨大な衝立があった。衝立の向こうはゲストルールらしいが、何故かさっきから何組ものお客がその奥へと消えて行った。
 金曜の夜とあって店内は混んでいて、男たちが吐き出す紫雲で聡は噎せ返りそうになった。入って来た時から遠慮のない舐めるような視線に曝されて、どうにも居心地が悪く落ち着かなかった。相手を捜しに来た筈が、視線を合わせられない。最初の勢いが萎んでしまうと途端に恐ろしくなって、帰ろうとカウンターを離れた時に声を掛けられた。
「ねえ、初めて見るね。あんた、すっげぇ俺好みの顔なんだけど。どう?」
 そう言って、背の高いロンゲの男が、親指を立てて衝立の方を指して見せた。聡にはその衝立の向こうを指さす意味は分からなかったが、誘われていることは理解出来た。
 男は細身の割に筋肉のついた身体と、バタ臭いが整った顔をしていた。身なりも清潔そうで嫌悪感は感じなかったから、「まるっきり、初めてなんだけど…。それでも良ければ…」と小さな声で答えた。その返事に男は驚いた顔をしたが、すぐに嫌らしい笑いを浮かべると、「いいぜ。手取足取り教えてやるよ。ホテル行こうぜ」と言って聡の肩に腕を回した。
 男は途中で薬局に寄り何やら買い込むと、近場のホテルへ聡を連れて行った。そして、言葉通り朝までかけて聡の身体を拓いたのだった。
 後孔で『繋がる』という行為は、痛くて苦しくて、最初は拷問のようにも感じたが、そのうちに痛みの感覚が麻痺したのか、小さいながらもじわじわとした快感を得られるようになった。後から、痛くて気持ちいいという、何とも形容し難い感覚と、男の手で前を弄られるダイレクトな快感に聡は何度も翻弄された。
 行為の後、精も根も尽き果てたように横たわった聡は、これが『男同士のセックス』なのかとぼんやり考えていた。ホテルの部屋に入った時、修二の顔が思い浮かんで罪悪感に駆られたが、すぐにあの朝の惨めな気持ちに凌駕され腹を括った。不思議な事に、行為の最中は一度も修二の事を思い出さなかった。
 もっと早くにこうしていれば、あんな惨めな結果にならなかったかもと取留めもなく考えていると、男が思いがけない言葉を口にした。
「あんた、気に入ったよ。なかなか具合が良いしさ。良ければつき合わないか?」
 聡はベッドヘッドに凭れて煙草を吸う男を茫然と眺めた。確かにセックスはしたけれど、合ったばかりの見ず知らずの人間と「つき合おう」と言う男が信じられなかった。
「僕は…、つき合っている人がいるから…」
 即座に拒否すると、男は笑いながら言った。
「ウッソ。あんた、バックバージンだったじゃない。つき合ってるって、もしかしてノンケと?」
 言われている意味が分からず首を傾げると、男は更に笑い出した。
「うっわ! ウブ子ちゃんだと思ったら、ホントに何も知らないんだ? まあ、こんな言葉、知らなくてもいいけどさ。ノンケって、ノーマル嗜好の男の事だよ。あんたの彼氏がそうなら、大方、絆されてつき合ってはいるけど、深い関係は持ちたくないってとこだろ?」
 聡は図星を指さされてカッと頭に血が上った。
「しようとしたけど、出来なかったんだよ!」
「オイオイ、それ、途中で勃たなくなった、ってんじゃないだろうな〜」
 男は益々嘲笑したが、聡の顔色が青ざめると笑いを引っ込めた。
「おい、マジ? はぁー。そりゃ、ちょっと相手の男にも同情するね…。あんた知識なさ過ぎよ。女に入れるのと訳が違うんだぜ。どっちかに男経験がなきゃあ、そりゃ無理でしょう。まあ、所詮ノンケとは縁がなかったと思って、諦めて俺に乗り換えなさいよ」
「何で、諦めなきゃならないのさ!」
 聡は思わず飛び起きて、男を睨むと言い返した。男はひょっと肩を竦めると呆れたような声を出した。
「だって、勃たなくなったなんて、男のプライド粉々じゃん。俺だったら傷つくね。ましてノンケなら、何もそんな苦労しなくったって、すんなり入る穴持った女が幾らでもいるんだぜ? 女の方へ行くんじゃねーの? 自信無くすとさ、インポになるかも知れないし。あれって、入れないと自信つ付かないんだよね。元サヤは無いと思うよ」
 遠慮のない男の言葉が針のように聡に突き刺さる。
 そうだ。修二はプライドが高い。泣いてる顔すら見られたくない程の。なのに僕は何をした? あんな姿にさせて…惨めな思いをさせて…。僕は、修二を傷つけて…置き去りにしたんだ!  未だに修二から何の連絡も無いのも当たり前だ。怒らせたんだ…この上もなく。連絡などくれる筈ないじゃないか。
 聡は自分の犯した罪の重さに気がついて戦慄した。人から指摘されて、初めて考えが及んだ自分の愚かさに、眩暈がしそうだった。いつも、どうしてこう自分の事ばかり考えてしまうのか。何て自分勝手なのかと、こんこんと湧き上がる後悔に、聡は血が出るほど強く唇を咬んだ。
 修二を失うかもしれない。でもそれは自分自身が招いた事なのだと、蒼白になってガタガタと震える聡に、さすがに言い過ぎたと思ったのか、男は労るように声を掛けた。
「まあ、そんなに深刻に考えるなよ。もともと男同士なんて長くは続かないんだから。駄目な時はすっぱり忘れて、違う相手を捜すのさ。俺で良ければ、いつでも慰めてやるから」
 そんな男の囁きは、聡の耳に全く届いていなかった。

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