INDEX NOVEL

一握の砂 〈5〉

※ 性描写があります。18歳未満の方はお読みにならないでください。

 薄暗い、悪趣味なホテルの部屋。天上にまで貼られた鏡に映る自分の身体に、男が覆い被さっている。紛れもなく自分の姿なのに、まるでAVか何かの映像のようだと、聡は人事のように感じた。
「はっ…あ…」
   声が漏れる。男が聡のものを口に含んで転がすと同時に、後孔に指を滑り込ませた。初めてした時に感じた違和感も、今はそれ程酷くない。この男と寝るのは今日で三度目だが、男曰く、聡はスジがいいと言う。二度目の時に後だけで達くことが出来たからだ。
 セックスなど誰としても同じかと思ったが、この男の遣り方は執拗で淫猥だった。飛びそうになる意識の中、修二の愛撫を思い出す。彼も躊躇わず聡のものを銜えてくれた。どちらがより快感が強いかと言えば、経験値の差で男が勝る。それでも、修二が愛おしそうに丁寧に自分に触れる度、嬉しくて体中が幸せに満たされた。なのにどうしてこんな事をしているのだろう。
 男が強く啜り上げ、高みに押し上げられる。頭が真っ白に弾けて意識が朦朧とする。弛緩した聡の身体を人形のように抱えながら男は更に指を増やした。
「あっ、やっ…」
 達したばかりの身体には刺激が強すぎて、思わず手で男を押しのけようとしたが、男は聡の腕を難なく封じてしまう。
「気持ちよくさせてやったんだから、今度は俺の番だろう? セックスってのはそういうもんさ」
 そう言って、喉の奥で笑った。

 三週間前、聡は修二に『繋がり合いたい』と迫った。
 高校を卒業した年に、聡から告白し恋人同士になったが、それから三年も経つのに、一度も挿入込みのセックスをした事がなかった。
 もともと、自宅から大学に通っている二人には、そういった機会も場所も容易には得られなかった。修二の家は商家なので常に人が出入りしているし、聡の家には母がいる。息子に干渉したがる母に修二を紹介する気にはなれなかった。
 そんな具合で、初めて互いの身体に触れ合えたのは、大学一年の夏休みになってからだった。夏休みに入って早々修二が車の免許を取り、兄からボルボのワゴン車を譲ってもらった。人出の多い盆休みを外し、ドライブがてら聡の家が所有する軽井沢の別荘へ泊まった夜、ようよう二人は身体の関係を持った。
 抱き合いたいと切望していた割に、聡には何の知識も経験もなかった。インターネットでゲイサイトなどを覗いてみたり、通販でその手の本を仕入れたりしたものの、見るのとやるのは大違いで、修二に頼る以外どうにもならない。悔しい事に修二は女性との経験がかなりあった。しかも中学生の時だと聞いて、聡は心底驚いたし落胆もした。ノーマルならば、やっぱり女性の方が良いと言い出すのではないかと不安になったからだ。
 初めての夜、童貞なんだと消え入りそうな声で告げると、「そんなの関係ないんじゃない?」と修二は笑いながらキスしてくれた。互いの身体の隅々までキスをして、何の隔てもない皮膚の柔らかさと温かみを感じた時は、天にも昇る心地だった。
 修二は男同士という事になんの躊躇いも持っていないようで、聡の雄蘂をぱくりと銜えた時には吃驚して慌てふためいた。
「ちょっと、待って!」
「どうした?」
「い、いきなり…は、ちょっと…」
「どうして? 気持ち良くない?」
 修二は聡の股間から上目遣いに見上げると、手にした聡の陰茎をまるでアイスキャンディーのように舐め上げた。何度も交わしたキスのせいか、修二の薄い唇は紅く染まって濡れている。そこからチロチロと覗く舌先を見ただけで、聡のものが大きくなった。その様子に修二は「元気だね」と面白そうに笑い、またすっぽりと聡を口内に納めて舌を絡ませた。情けなさなど感じる暇もなく、聡は呆気なく精を放ったが、それを全て嚥下してしまった修二を見て再び慌てた。
「の、飲んじゃったの…」
「ああ、別に。これくらい、どうと言うこともない」
 その慣れた仕草に、聡は不安を感じて恐る恐る問いかけた。
「まさか…、修二は男とも経験あるの?」
 修二は表情こそ変えなかったが、瞳に暗い影が差した気がした。一瞬の沈黙に聡が寒気を感じた時、修二は「初めてだよ」と微笑むと「キスしていい?」と首を傾げた。聡はうっ、と詰まったが意を決したように頷いた。その様子が可笑しかったのか、修二はけらけらと笑い出すと聡の身体を抱えるように転がった。笑いながら聡の顔中にキスを降らせる修二が愛しくて、聡も抱きしめ返すと二人で暫く子犬のようにじゃれ合った。色気とは程遠い睦み合いだったけれど、聡は心の底から幸せを噛みしめた。
 それ以来、修二の車の中や映画館で、身体に触れ合う事やキスなどは日常でも交わしていたけれど、肌と肌を重ねる事は滅多になかった。修二は触れれば応えてくれるものの、行為そのものは淡泊であっさりしたものだった。対して聡の性欲は強く、互いに触れ合って激情を吐き出すだけでは物足りなかった。修二の中に自身を納めて果てる姿を想像しながら何度となく慰めたが、実際には怖くて実行には移せなかった。
 性的な関係以外では、なんの不満も不安も無かった。高校時代と変わらず、小説や映画や将来の事を取留めもなく語り合う。食事をし、手を繋いで映画を見る。修二と一緒なら、どんな些細な事柄も楽しかったし、喧嘩一つしたことは無かった。
 それが一変したのは二年生になってからだ。一年次の教養課程では二人とも同じ新宿校舎だったが、経済学部の聡は二年次から生田校舎へ行くことになり、二人で過ごす時間が格段に減ってしまった。
 高校の時と比べ、お互い交友関係の幅も増えたし、学部の飲み会など断れないつき合いも多くなった。そうでなくとも修二は常に時間に追われていた。課題図書の読破だけでなく常に新刊書に目を通す必要があったし、資料や本を買う金を捻出するのに、週三回古本屋でのバイトを続けていた。なるべく時間を見つけて聡に合わせてくれたが、夜は小説の執筆に当てるため殆ど会う事が出来なくなった。
 聡としては昼間会えなくなった分、夜少しでもと思うが、「一日が二十四時間じゃ足りない」と零す修二が、将来のために捻出した時間を欲しいと強請るのは、我が儘に思えて言い出せなかった。
 聡は修二に会えない暇な時間を映画サークルへ入って潰したが、映画とは名ばかりの合コンサークルだった。つき合いで何度か参加したものの、毎回酔って大胆になる女の子たちにベタベタと触られ、不快で仕方がなかった。こうした事も慣れようと努力はしたが、先輩に紹介したい子がいるんだと、無理矢理見ず知らずの女の子と二人きりにされて以来、殆ど行かなくなってしまった。そうして一人の時間が増えると、気になり出すのは修二との関係だった。
 聡は絶えず不安だった。修二とは恋人同士になった筈だ。互いに好きだと確認し合い、肉体でも愛し合っている。なのに、どうしてこんなに自分は不安になるのか。
 “恋人になる”とはどういう事か――修二とは何でも語り合えると思っていたけれど、そう言った事を面と向かっては訊けなかった。何かヒントにならないかと、修二の小説を時々読ませてもらっているが、恋愛の要素は一つも出てこない。聡は出力した原稿用紙をぱらぱらと捲ってため息をついた。
 修二の書く小説は難しい。面白いと思うのだが、ちょっと屈折した不条理もので、娯楽小説ばかり読んでいた聡にはなかなか理解出来なかった。こんな事を考えるのだと感心するものの、普段の修二からは結びつかない暗い情念を感じて頸を傾げてしまう。修二という人を知れば知るほど、分からない事も同じ分だけ増えていく。
 深くつき合い出してはっきり気づいたのは、修二のぞんざいな喋り方が完全にポーズだということ。初対面の人や知り合い程度の人と話す時など、別人かと思うほど汚い喋り方をする。自分の時もそうだったが容姿とかけ離れた口振りに、最初は皆一様に驚くがその落差が一気に親しみへ変換する。
 どうしてそんな態度を取るのかと訝しく思っていたが、徐々に人見知りの裏返しなのだと気がついた。また、そうした弱い部分を人に知られるのを極端に恐れているようだった。とてもプライドが高いのだ。いつでも凛とした頼り甲斐のある強い男であること。それが修二の“理想の姿”であるらしかった。
 高校生の頃一度だけ見せた泣いている姿など、最も見られたくない姿だったのかも知れない。未だにその事に触れられないままだが、恐らく訊いても語ってはくれないだろう。それが聡には寂しかった。恋人ならどんな姿でも知りたいし、辛い事は支え合うべきだと思うのに。
 会えなくなればなるほど、その寂しさは満たされない性欲と相俟って聡の気持ちを蝕んだ。人間とは欲深い生き物で、最初は触れ合えるだけでも満ち足りていたのに、慣れてしまえば更なる刺激が欲しくなる。
 惜しげもなく優しい抱擁と愛撫をくれる修二だが、最後まで身体を拓いてくれないのは、やはり女がいいからではないか、他に好きな人がいるのではないかと疑い出す自分が怖かった。それでも、聡にも男としての見栄があったから、修二の前ではそんな気持ちをおくびにも出したことは無かった。

 三年生になり、修二の切望していたゼミが始まると更に会えなくなった。聡も卒論に向けて経済学部の教授のゼミを取り始めたのでお互い様だったが、聡の猜疑心に火を付けたのは、田辺賢造の存在だった。
 田辺が、修二と同じゼミを取ったのだ。ゼミの内容は『小説―その構成と書き方』という文章構成を教えるもので、小説家でもある教授のファンの間では広く人気があったから、法学部の田辺が取っても特におかしくはないのだが、聡は得たいの知れない不安に苛まれた。忌々しい事に、法学部は文学部と同じ新宿校舎のままだったし、自分でも不思議なほど田辺の存在を恐れていた。
 それとなく修二に、田辺と昼や空き時間を過ごしているのか訊いた事があったが、真剣な面持ちできっぱり否定してくれた。だが、今度は確実に修二と田辺が肩を並べて過ごすのだと思うだけで、要らぬ妄想に苦しめられた。いい加減自分でも病気なんじゃないかと思い始めた頃、寝耳に水の会話を耳にした。
 『長瀬と田辺はあやしい』
 それは、修二と久し振りに映画に行こうと、待ち合わせた新宿校舎のゼミの教室へ向かっている時だった。途中、渡り廊下で囲まれた中庭を突っ切るのだが、その楡の木の下のベンチで、修二と同じ文学部の女の子がお喋りに夢中になっていた。
 「絶対あの二人はあやしい」そう言い出した子はあまり面識がなかったが、相手をしている女の子は修二と話しているのをよく見かける子で、挨拶を交わしたこともあった。
「ああ、悔しい。田辺君って、来年の司法試験に最短で受かるだろうって、呼び声高い出世株なのよ〜。なんで男なんかがいいのかしら」
「由美、そんな事、大きな声で言わない方がいいよ。あんたがフラれたからって、長瀬くんにはいい迷惑だよ」
 二人の名前が出たことに驚いて聡は思わず立ち止まった。渡り廊下は土避けのため地面から大人の胸ぐらいの高さまで壁がついていた。その陰に身を隠して息を殺した。
「でもさ、あの二人、この頃本当に似てきたと思わない? 顔の作りは全然違うのに雰囲気とかさ、後ろ姿なんかそっくりなんだよね。夫婦とか、カップルって感じが似てくるじゃん?」
「何言ってんのよ。だいたいあの二人、言うほど一緒にいないじゃない」
「へへへ〜んだ。今日子は知らないからね〜。あの二人、一年の時からたまに見かけたんだよね。人がいないような所で、何かコソコソ内緒話してんの」
「何で内緒話だって分かるの? 聞こえた訳じゃないんでしょう?」
「だって、人が来ると、すぐ離れちゃうんだもの。最初は変だとは思わなかったけど、あれはやっぱりあやしいよ〜。まあさ、田辺君には『誰ともつき合う気がない』って言われちゃったしさ、あんな綺麗な男が相手じゃ負けるよね〜って、諦める事にしたワケ」
「何それ! BL漫画の読み過ぎじゃないの〜」
 そう言うと、二人はカラカラと笑い出したが、聡にとっては笑い事ではなかった。
 嘘だろう? 一年の時から内緒で会っていただって?
 聡は隠れて聞いていた事も忘れて走り出していた。息せき切ってゼミの教室まで来ると扉は開いていて、何人かがグループに分かれてディスカッションをしていたが、修二の姿は見えなかった。扉の前で荒い息をつく聡を認めた田辺が、よう、と呑気に片手を上げた。
「修二は今、教授に呼ばれてったけど、すぐ戻ると思うぜ」
 そう言う田辺の顔を、聡はまじまじと見詰めた。一年の時は何度か目にしていたが、校舎が分かれてからは初めて会う。二年振りに会う田辺は、もともとの野性的な男らしい顔つきに、落ち着いた上品さも加わった美丈夫となっていた。顔こそ修二と似ていないが、確かにどこかしら似た雰囲気がある。金髪に近いほど色を抜いた髪を、修二と同じ栗色の髪に染めているのが聡の怒りを煽った。
「望月?」
 戸口で無言のまま突っ立って睨みつけている聡に、田辺が不審気に声を掛けた。はっと我に返えると、他の学生の怪訝そうな視線が集中していて狼狽えた。
「あっ…。今日は都合が悪くなったからって、修二に伝えて…」
 そう言うと急いで教室を後にした。今は修二に会いたくなかった。
 事の真偽は分からないまでも、許せない気持ちで一杯だった。本当は会って問い詰めるつもりだった。なのに田辺の姿を見て戦意を喪失してしまった。負けている、自分は何もかも。
 それでも修二を渡すつもりは毛頭無かった。絶対に譲れない。だから誰よりも何よりも、修二との深い繋がりが欲しかった。修二は自分のものなのだという証が。
 聡はその月の最後の週末に、紅葉が見たいと口実をつけて、修二を軽井沢の別荘へ誘った。その夜、修二に迫ったのだ、「最後までして欲しい」と。そして――。

 鏡に映る四つん這いになった自分の姿を眺めながら、自分は随分遠い所へ来てしまったと思う。あらからまだ三週間しか経っていないのに、聡にはもう何年も前のような気がした。
 男が指を引き抜いて、聡の後孔に自信のものを押し当てた。ぐっと押し広げられる感触に息を詰める。
「力抜けよ。怪我するぞ。深呼吸するんだ。大丈夫。気持ちよくしてやるから」
 聡は言われた通り力を抜く。何度やっても入れる時は痛い。それでも今は、一旦入れてしまえば痺れるような快感が来ることも知っている。身を裂かれるような痛みに全身から汗が滲み出す。深呼吸しながら相手の動きに集中すると男の手が背中を撫でた。ぞくりと震えが走る。「入ったぜ」と男は笑い、大きく腰をグラインドさせて聡の内壁のある一点を集中して擦り上げた。
「あっ、あっ、あ…」
 シーツに顔を押しつけながら、身体の中心を駆け抜ける快感に震えた。男の挿出が激しくなると頭の中まで痺れて来て、だんだん何も考えられなくなる。
 この快感に溺れる事が必要なのだと、聡は自分に言い訳した。あの夜の出来事も、自分の犯した罪の重さも、今こうしている自分自身すら、全て忘れてしまいたかったから。
 涙が後から後から溢れてくる。聡は涙に濡れながら、自ら腰を揺らして唯ひたすら快感に身を委ねた。

NEXTは18禁ページです。18歳未満の方と性描写が苦手な方は、上部よりNOVELでお戻りください。

BACK [↑] NEXT

Designed by TENKIYA