INDEX NOVEL

一握の砂 〈20〉

※ 性描写があります。18歳未満の方はお読みにならないでください。

 保が部屋へ戻ったのは深夜を回ってからだった。
 今日子と別れて店を出た後も真っ直ぐ帰る気にならず、飲み屋を何軒も梯子して、したたかに酔って漸く足が部屋へと向いたのだった。部屋の電気は既に落とされており、保は廊下の灯りだけ点けるとふらつく足で修二の部屋へ向かった。
 単なるルームメイトとして始めた同居生活だったから当然部屋は別々で、修二は身体を重ねる時しか保の部屋へは来なかった。ノックもせずに静かに扉を開けると、穏やかな寝息が耳に届いた。扉から洩れた廊下の灯りが修二の部屋へ帯になって伸びた。壁際に寄せたベッドの中、修二は壁の方へ向いて眠っていた。
 保は酔いのせいか、疲れのためか、修二が欲しくて仕方がなかった。疑惑は胸に残っていたが、欲情の前では霧散して消えた。修二を起こすべくベッドサイドのスタンドを点けて「修二さん…」と愛しい名前を呼んだが、眠りが深いのか修二は何の反応も返さなかった。
 細く長い首筋が白熱灯の光りを受けて金色に輝いている。保はこのしなやかな首筋が好きで、抱く時は必ず唇で愛撫した。誘われるように顔を近づけて口づけようとした時だった。襟足近くにつけた所有の印が赤黒くなっているのが目に入り、保は一遍に酔いが醒めた。
 自分が出張前につけた痕に間違いないが、綺麗な肌を傷めないよういつも薄く残る程度に止めていたから薄くなるならまだしも、これ程きつく色が残っているなど有り得ない。保の頭に一つの答えが浮かんだ途端、体中の血が滾った。
 保はその赤黒くなった痕に思いっきり噛みついた。修二は痛みのために悲鳴を上げて飛び起きると、無意識に壁際へ膝行りながら逃れた。恐怖に顔を引きつらせながらも修二は目を見開いて恐怖の対象を見詰め、それが保であるのを確認するとぐったりと壁に背を預けて息を吐いた。
「おっ、驚いた…。ごめん。おかえり…。待っていたんだけど、遅いから寝てしまった…」
 噛みつかれた事など忘れ、修二は自分が悪いのでもないのに、驚いた事を取り繕うように言い訳した。
「待っていてくれたんですか? 僕を? 何故ですか?」
 保は慌てた修二の様子を見て逆に冷静になった。心の中が酷く冷淡になって行く自分を感じ嫌味っぽく言葉を返した。
「何故って…。だってメールで日曜の夜に帰る予定になったって…」
「僕の帰りを、ただ待っていてくれたんですか? 嬉しいですね。だったら犯らせてください」
 そう言うと、保は着ていた上着を脱いでネクタイを引き抜きベッドへ上がって行った。修二は言われた意味が分からなかったのか呆然と保を見ていたが、手が顎にかけられて乱暴に引き寄せられると弾かれたようにその手を払い除けた。弾みで保の眼鏡が飛んで床に落ちた。修二の拒絶に、保は先ほどの冷静さを消失し、頭の芯が焼き切れそうな怒りに支配された。
「何故、拒むんです?! 僕を待っていてくれたんでしょう? 労ってくれないんですか」
「だって…、保は今帰って来たばかりで…疲れているだろう? 早く休んだ方がいい…」
 修二は頭を振りながら震える声でやっとやっと答えた。その必死に言い逃れようとする姿を嗤いながら保は言い放った。
「疲れているから犯りたいんですよ。慰めてください、僕を。貴方には僕を拒む権利は無いでしょう?」
 言った途端、修二の顔に朱が走ったのが見て取れた。しまったと心の中で舌打ちしたが、出てしまった言葉は取り戻せない。保は開き直った気分で修二の頭を両手に挟んで口づけようと引き寄せたが、修二は保の胸を手で押し止めて、
「待って! 本当は話がしたくて待っていたんだ。大事な話があるんだ。だから止めてくれ!」
 と意を決したように保の顔を見詰めた。
 保は一瞬で血の気が引いた。別れ話をする気なのだと、どっと冷や汗が溢れ出し頭が冷たくなっていく。指先が震えるのを押さえようと手に力を入れると修二が痛みに顔を歪めた。
「話? 何の話があるんです? いいですよ…。貴方を抱かせてくれたら、幾らでも聞いてあげます!」
 その言葉に修二は息を呑んで目を見開いた。無理矢理身体を押し倒して修二の両腕をシーツに縫いつけると噛みつくように口づけた。僅かに開いた唇を割って舌をねじ込むと怖じけた修二の舌を絡め取って激しく舐る。修二は首を振って逃れようとし、外れた唇から唾液が溢れて糸を引いた。
 保の酒臭い息と上手く呼吸が出来ない息苦しさに朦朧としたのか、修二の身体から次第に力が抜けていった。保は脱力した修二の腕を離すと、力任せに修二の寝間着の合わせを引き裂いた。表れた白い肌には傷一つ付いていなかった。続いて下穿きに手を掛けると下着と共に膝下まで引き下げて、露わになった雄蘂と紅い傷跡を眺めた。
「貴方がここに傷を受けて、露のように消えてしまうかも知れないと思った時、自分の心臓が裂けるように痛かった。その時、貴方を愛している事に気がついた。それまでもずっと敬愛してはいたけれど、本当は貴方の事をこんな風にしたかったんです」
 言いながら保は修二の雄蘂を口に含んて転がした。
「やっ、ああっ…。嫌だ!」
 恐怖のためか放心したように小さく喘ぎなら保をぼうっと眺めていた修二だったが、股間に感じた熱い刺激に我に返ったのか俄に抵抗しはじめた。保は口にしたものを離すと左手で根本をきつく握りしめた。修二は痛みのため外させようと手を伸ばしたが、逆に左腕も捉えられ強く掴まれるとその痛みに耐えられずぴたりと抵抗を止めた。呻く修二を見ながら保は冷たく言葉を続けた。
「望月さんを諦めたと貴方は言った。その言葉を信じて漸く想いを遂げたのに、貴方は意外に淫奔な人だったんですね…。僕だけじゃ満足出来ないんですか? だったら、もっと可愛がってあげないといけませんね。僕だけで満足して貰えるように。僕でなければ達けなくなるように、とことん仕込んであげましょうか」
 保は根本を押さえたままだった修二の雄蘂を激しく扱き上げながら、その先端だけを銜えて舌先で嬲った。
「やああ! 嫌だ! 止めてっ、保!」
 修二は悲鳴を上げて身を捩るが、保の身体はびくともしない。自由が利く右手で保の髪を掴むが、益ます激しくなる愛撫に手に力が入らないのか、まるでその愛撫に応えるように保の髪をかき上げるだけだった。
「貴方の躯は正直ですね。そうです。そうしてただ感じていればいい…」
 修二は「嫌だ!」と繰り返し首を振って否定するけれど、言葉通りしっかり勃ちあがった雄蘂からは先走りが溢れていた。保はその透明な体液を指に掬い取り尻のあわいに指を潜り込ませたが、その途端、修二は「嫌だああぁー!」と絶叫した。
 そのあまりの声の大きさに保はぎょっとして動きを止めた。修二は、はあはあと肩で荒い息を吐いていたが、その喘ぎがやがて嗚咽に変わった。
「ごめん、保、ごめん…。許して…。俺を、ゆる、し、て…」
 修二は右手で目元を覆ってしゃくり上げながら、何度も「許して」と謝罪の言葉を口にした。保は毒気を抜かれて茫然と修二を眺めた。左腕を握る手を離すと、修二は両手で顔を覆い隠し嗚咽を堪えようとした。幼い子どものように震えながら泣く修二がとても哀れに見えて、保はため息をつくと起きあがり、修二の髪をそっと撫でた。
 自分の存在は、修二を困らせるだけなのかも知れない。それでも、優しくも優柔不断なこの人を未だ深く愛しているのだ。
「泣かないで…。修二さん、泣かないで。僕こそ無理強いしてごめんなさい。僕に、少し…時間をください。暫くここへは戻りません。だからその間、修二さんも、もう一度よく考えてください。貴方を幸せに出来るのが誰なのか、もう一度…」
 保は静かにベッドを降りて眼鏡を拾い深く息を吐き出すと、散らばる上着とネクタイを手に修二の部屋を出て行った。ドアを閉める直前、保を呼ぶ修二の声が聞こえたが、そのまま振り返りもせず玄関を出ると暗い深夜の街へ踏み出した。
 外は湿った重い空気が漂い、死んだような静寂に包まれていた。信号だけが規則正しく色を変えるのを眺めながら保はひたすら歩いて会社へ行き、警備員に身分証を見せて鍵を開けてもらった。鉛のように重い足を引きずって最上階まで階段を登ると、仮眠室のソファへ身を投げて漸くその長い一日を終えた。
 翌朝、出社してきた同僚が保の顔を見て飛び上がったが、保と顔を合わせる社員は皆一様に驚いた顔をして挨拶するとそそくさと側を離れて行った。
「お前、ひっでぇ顔だぞ…。出張の日程、切り上がったんだろう? 帰らなかったのか?」
「ああ、面倒くさいからそのまま出にした」
「いくら何でも…。少しは休めよ」
「人の事だろ、ほっとけよ」
 保は苛々と吐き捨てるとノートパソコンへ向かい、わざわざ出張ってまで書かせた遅筆な作家の原稿データを落とし込み、組み版オペレーターに回した。同僚は諦めたように肩を竦め自席へ戻ったが、時折ちらちらと心配気な視線を寄こした。目の下に濃い隈を作って窶れきっている自分の姿が全く目に入らない保は、どうしてそんなに自分を構うのかと鬱陶しくて仕方がなかった。
 保はその日一日、黙々と不機嫌なオーラを漂わせながら校正作業に明け暮れた。何も考えずに仕事に打ち込むしか、自分を保つ方法が思い浮かばなかったからだ。そんな保の様子を周囲は怖々窺いながらも、遠巻きに眺めているだけだったが、退社時間になっても動かない保へ遂に部長の強制退社命令が出た。
 仕事が終わっていないと渋る保に、
「今、誰かに倒れられる方が困る。総務からも残業超過の事は厳しく言われているし、お前の顔、本当に酷いぞ。そんな顔をされていたら、他の連中の士気も下がる。明日一日ゆっくり休んで、それからまた頑張ってくれよ」
 と部長は厳然とした態度で言い放った。そこまで言われてはさすがに保もごねられず、仕方ない一旦部屋へ戻って荷造りをしてビジネスホテルへ泊まろうと、重い腰を上げて嫌々マンションへ帰った。
 修二に気づかれないように自室へ入ろうと、出来るだけ音を立てずに中へ入った。留守ならいいと勝手な事を思ったが玄関には修二の靴があり、リビングを挟んで反対側の自分の部屋へ向かうために廊下を渡っていると修二の話し声が聞こえた。誰か客でもいるのかと訝しく思った瞬間、望月の顔が思い浮かんで頭にカッと血が上った。
 玄関には修二と保以外の靴など無いというのに、疲れと疑心暗鬼に染まった保の頭はすっかり冷静な判断力が失われていた。無意識の内に台所のドアから中へ入ると包丁を手にし、そのまま繋がっているリビングへふらふらと入っていった。
 修二はコードレスフォンを手にソファに座って誰かと電話で話していた。項垂れたまま話し込む修二は保の気配に全く気づいていないようだった。修二以外誰もいなかった事にほっとしたものの、その会話の内容に、保の胸の中にどす黒い憤怒が霧のように広がって何もかもが見えなくなった。
「うん…、そう…。時間が欲しいって…。うん、でも…。そうだけど…。このまま出てしまっていいのか分からない…」
 修二はため息をついてふと顔を上げた。外は既にとっぷりと暮れており、カーテンを引いていないベランダの窓にくっきりと浮かび上がった自分と背後に立つ保の姿を目にして「ひっ」と短い悲鳴を上げた。修二は慌てて電話を切ると振り向いて保を見上げたが、その手に包丁が握られているのを目にして音を立てて息を吸い込んだ。
「別れ話の相談ですか? 一体、誰に相談してたんです?」
 保はそう言ってにっこりと微笑むと、ゆっくりと修二に近づいて行った。

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