INDEX NOVEL

今日の良き日に 〈8〉

※ 性描写があります。15歳未満の方はお読みにならないでください。

 八月に入り補習が終了した賢造は午前中だけ店の手伝いをし、午後から宿題を抱えて修二の部屋を訪れた。互いの宿題を熟しながらたわいない話に興じるのは、いつもの夏休みの過ごし方だったが、賢造はそこにマスターの助言を取り入れて、今まで無意識に避けて来た自分の学校生活の話、特に悪友たちと交わす下ネタを織り交ぜる事にした。
 本心では不承不承だったが、今までの罪滅ぼしも含めそれが修二のためになるのなら、みっともない恋愛体験や男の性(さが)につてい語るなど造作もない。そう決心はしたものの、実際に話しているのは直接自分に関わりのない事ばかりだった。
 友人の一人が童貞喪失をかけて海でナンパしたものの、喪失どころか純愛のまま見事に玉砕してしまったとか、クラスで盛り上がったグラビアアイドルのランキングとか、巨乳派か貧乳派かで揉めた事など、自分でもくだらないと思う話題に終始した。
『付き合っていた彼女がいた』
 そのひと言がどうしても言い出せなかった。恐らくマスターのアドバイスの中でも一番肝心な部分――自分の目が女の子に向いていた証 ―― であり、手本を示すには一番効果的な話題であるのに、いざ話そうとすると喉が詰まって声が出くなるのだった。
 本当の事でなくても、他の男の子たちの話でもいいと言われた所だけとって、姑息と思いつつ自分の恋愛は棚に上げたまま、それでもしないよりはマシと自分を励まし、外堀を埋めるような地道な努力を続けた。
 初めは、賢造の口から知らない友人の名前や下卑た話が出る事に戸惑い、浮かない顔をして聞き流していた修二も、密かに聞きかじって悶々としていた “ 男同士の話 ” だけに、次第に興味を見せ始めた。最近ではくだらないと言いながらも苦笑して返すまでになり、修二の口からも、ぽつりぽつりと学校生活や恋愛についての話題が上るようになった。
 こうして初めて、修二にも人並みに女の子に対する関心や憧れ、それなりの妄想がある事を知った。賢造の口から出る友人の名前と同じ数だけ、親しくしているクラスの友人の名前―― なんと女子の方が多い ――も知った。心配しなくてもそれなりに学校生活を楽しんでいる修二の姿は新鮮で、それを喜ばしいと受け取りながら虚しくなるのを感じた。賢造はマスターの使った『子離れ』という言葉を意識せずにはいられなかった。
 あの日、自分の気持ちを素直に認めたとはいえ、賢造の生活が変わる訳ではなかった。否、むしろ変えてはいけないと結論づけた。想いを封印して “ 親鳥 ” に徹しよう。そう決めたから、耐えられないと思ったマスターの助言を受け入れて、修二が巣立つための努力を続けている。
 なのに、後から後から修二を想う気持ちが止められない。
 出会ってから十年。修二が初恋の “ 修 ” ではなくなった事で諦めたはずの恋心は、形を変えず、そのまま胸の奥深くに沈んでいただけだった。表面に引っ張り出された想いは、急激な圧力に押し潰されて噴出し、怒濤の勢いで出口を探し求めている。秘める決意は堅くても、気を抜くと簡単に溢れてしまいそうだった。
 今だってこうして二人きりの部屋の中、憂いを秘めて佇む修二の横顔を眺めているだけで、抱きしめたくて堪らない。以前にも増して募る庇護欲が、欲を孕んで別の情へ変質していくのをありありと感じる。
 人を好きになったなら、誰しも経験する苦しみなのだろうか。こうなる事を恐れて、自分は知らない振りを続けていたのだろうか。認めてしまった恋心を後悔する気はなかったが、遣る瀬なさに押し潰されそうだった。
「取っ換え引っ換えのお前には、この苦しさは分からないだろうさ」
 海で失恋した友人にそう八つ当たりされた時、賢造は黙って聞き流してはいたが、心の中で言い返していた。
『じゃあお前には、秘めて果てる苦しみが分かるのか』と。報われなくても思いの丈を吐き出して砕け散るのと、一生秘めて朽ち果てるのとでは、いったいどちらが苦しいのか。
 きっと、どちらもそう変わらない。
 賢造がふっと息を吐いて自嘲の笑みを浮かべると、修二がノートから顔を上げて「何? 思い出し笑い? 何かヤラシイな〜」と軽口を叩いた。以前の修二だったらこんな物言いはしない。驚いて目を見張る賢造を、悪戯っぽい飴色の瞳が見詰めていた。
「ばーか、ほっとけ!」
 言いながら手に持っていたシャーペンで修二の頭を軽く叩くと、修二は声を上げて笑った。久しぶりに屈託無く笑う修二の笑顔に、ほっとすると同時に胸の中に火がついた。賢造は小さく深呼吸して動悸を抑え、「ほら、今日中にここまでやっちゃえよ」と修二の苦手な数学の問題集を押しつけて視線を逸らせた。
 どうせこの想いは無くならない。ならば、どうしたらいい?
 今の賢造は、どうしたらこの気持ちを抱え続けたまま、今までと変わらず修二の傍に居られるか、その事だけでいっぱいだった。

 賢造の努力の成果か、修二はお盆近くになると表面的には以前と変わらぬ明るさを取り戻した。普通に食事も取れるようになり、誘えばテニスにもプールにもついてくるようになった。長瀬の家の者は皆安堵して、賢造のお陰だと礼を言った。
 ただ時折、賢造の前でだけ突然鬱ぎ込んだり、癇癪を起こす事があり、そうなると言葉の慰めだけでは効果がなく、昔と同じく抱いてあやしてやらないと治まらなかった。
 自分の気持ちを確かめる前から、修二の身体に気安く触れる事に戸惑いを覚えていた賢造にとっては、嬉しいというよりも責め苦に近いものがあったが、修二の悩みが解消しない限り仕方がないと有りっ丈の自制心で耐えていた。
 その日も、修二は雑談の途中で静かになり、賢造から顔を背け窓の外ばかり眺めていた。賢造がその変化に気づいたのはもっとずっと後だった。
 お盆休み明けから修二は午前中だけ予備校に通う事になり、その間は賢造が美弥子の面倒を見るため、午後から店の手伝いをする事になった。暫く会えないなと、旅行雑誌を眺めながら告げたあと修二の様子がおかしくなった。
「来られないの?」と聞く修二に「うん」と即答すると会話が途切れた。
 本当は来られない訳ではない。夕方の休憩時間で賢造は解放されるが、それから修二を訪ねるのはさすがに億劫だった。賢造にとっても貴重な夏休みだ。それなりの付き合いも、自分の時間も必要だった。
 正直、少し疲れていた。自分の気持ちを整理するためにも離れている時間が欲しかった。
 余りにも静かな空気に気がついて賢造が雑誌から顔を上げると、すっかり背を向けた修二から不機嫌の霊気が流れ出ていた。賢造は音を出さないようにため息を吐いてから努めて明るく声をかけた。
「来られないって言ってもたかだか一週間だろ。都立を受けるならどの教科も満遍なくやっとかないとならないし、予備校は行った方かいい。それより、私立はどこを受けるのか決めたのか?」
 いったい何で機嫌を損ねたのか見当もつかない。それでも賢造は慌てて話題を変えようとした。修二はゆっくり振り返ると賢造をじっと見て「青桐…」と呟いた。
「えっ、うち?」
 驚いて聞き直すと修二は「うん」と頷いた。
「賢造がいるから安心だし、そのまま大学まで行けばいいって…」
 だったら中学から進学した方が楽だったのに、と口にしそうになったのを既の所で呑み込んだ。青桐は学費が高い。修二の両親は本当なら幼稚舎から賢造と一緒に通わせたかったのだ。経済的に安定した今、勿論それだけではないが、修二を青桐に通わせるのは両親の希望なのだろう。では、本人の希望はどうなのか。また両親に遠慮しているのではないのかと訝った。
「修二は、青桐に来たいのか?」
「行っちゃいけないの!?」
 まるで謂われのない非難に食ってかかるような勢いに驚いて息を呑んだ。賢造は問いかけの中に感情を伴ったつもりはなかったが、本のすこし困惑が声音に出ていたかも知れない。それを修二は敏感に感じ取ったのだろうか。暫く茫然と見詰め合ったあと、修二が先に目を逸らした。
「賢造は僕が傍に居ちゃ嫌なんでしょ…」
 先ほどの勢いは消えて、糸のように細い呟きが聞こえた。一瞬躊躇したものの、賢造は慌てて首を振って否定した。
「そんな訳ないだろ。何でそんな事思うんだよ?」
 そんな事を思う訳がない。賢造こそずっと一緒にいたいと思っているのだから。躊躇ったのは、嬉しいけれどそれはそれで苦痛だろうと感じたからだ。
「賢造は、僕に知られたくない事がたくさんあるから…」
 心臓が早鐘を打った。夏休み前に「好きな子はいるの?」と訊かれた時の比ではない。背中にどっと冷たい汗が流れ落ちた。まさか気づかれたのだろうか、この胸の内を。
「何、言って…そんな事ある訳ない」
「じゃあ、何で内緒にしてたの? 賢造は好きな子いたんでしょう? その子と付き合ってたんでしょう? 何で僕には話してくれなかったの?」
 言われた瞬間、頭に浮かんだのはマスターの顔だった。カッと体中の血液が沸騰するような怒りを覚えた。
「誰に訊いた!?」
 賢造の噛み付くような勢いに今度は修二が息を呑んだ。修二の大きく開かれた瞳に確信と落胆の色を見て、賢造は墓穴を掘ったのを悟った。
「千賀ちゃんに…」
 か細い修二の答えに、そうだろうなと賢造の身体から力が抜けた。急激に走ったあとのような疲労感を覚えて、ぐったりとベッドの縁に凭れかかった。
 千賀子に彼女の話などした事はない。それでもあの古い家の中で一緒に暮らしているのだ。携帯にしつこくかけてきた女の子たちとの会話を、盗み聞きされていてもおかしくない。
 賢造は目を閉じ、大きく息を吐き出した。吐息と一緒に隠し通す気力も出ていった。
「そうだよ。付き合っていた子がいた…」
 言うに言えなかった言葉は、今までの葛藤が嘘のようにするりと喉を流れた。
「なんで…教えたくれなかったの…」
 耳元で聞こえた声に驚いて目を開けると、修二の身体が隣にあった。顔を覗き込み詰るような視線を向けられ、賢造は後退ろうとしてベッドに阻まれた。逃げられない賢造の身体を更に拘束するように肩に修二の手が掛かる。その手の熱さに賢造は震えた。悪あがきのように身体をずらし、何とか距離を取ろうとした。
 賢造の態度に、修二は傷ついた顔をして見る間に瞳を潤ませたが、賢造への追求は止めなかった。
「なんで、黙ってるの?」
 なんでって…、どうして教えられる? 全部、お前の代わりだった。代わりがいれば忘れられるだろうと、取っ換え引っ換え探していただなんて。
『本当の事でなくても構わない』そう言ったマスターの言葉が頭を掠め、思わず口を開くが咄嗟の嘘が出てこない。口を開けたまま竦んで動けずにいる賢造から手を放し、修二は両手を床について項垂れた。
「分かってる…。友だちだからって、何でも話さなきゃいけない訳じゃない。僕だって言えなかった事がある…。でも、賢造に好きな子ができたら、僕は気がつくと思ってた。賢造の事は誰より分かると思ってた。なのに、僕だけ、分からなかった…」
「修…」
「悔しいんだ…。どんどん…賢造が遠くなる。賢造は僕の憧れだから、本当は最初から同じになれるなんて思ってない。でも、ずっと傍にいて、少しずつでも賢造の跡を追いかけて行ければいいと思ってた。でも、追いつかない…」
 置いて行かれる、と呟いたあと修二の目から雨だれのような涙が零れた。その涙を見た途端、我慢できずに抱きしめていた。
 分からないのは当然だ。修二以外、誰も好きにはなれなかった。俺はずっと傍にいる。だから、そんな事で悩まなくていい。そう伝えられない歯痒さを噛みしめながら、胸に抱えた修二の頭を撫でた。
「置いて行く訳ないだろ。前も言ったろ? 待ってれば身体だってそのうち――」
「賢造は! 賢造はその子と寝たんでしょう!?」
 胸に響く修二の怒声に、心臓が止まりそうになった。今、何と言った?
「セックス…したんでしょう? 置いて行かないって言うなら、教えてよ!」
 修二は賢造の手を振りほどき真正面から睨みつけ畳み掛けた。賢造が自分に隠れて女の子と付き合っていたという事実は、余程修二を打ちのめしたようだ。YESかNOかと迫る修二の剣幕に、賢造は今度こそ降参した。
「…した」
 その答えに修二の瞳が大きく揺らぎ、くしゃりと顔が歪んだ。
「好きな子の身体って…どんなだった? 柔らかい? 気持ちいい? 興奮するの?」
 悔しそうに声を絞り出して、矢継ぎ早に刃のような言葉を投げる修二を見ながら、これは何の罰だろうかと考えた。修二をずっと想い続け、男として見てやらなかった事への罰か。
 それでも賢造は、その気持ちが修二に向かわないように努力してきた。無自覚の時も自覚した今も変わらずに。確かに方法を誤ったのだろうが、人の気も知らないで、こんな風に不貞を責められる筋合いはない。それとも、胸の内で想う事すら罪だというのだろうか。そんなの…遣り切れない。
 賢造を支えてきた忍耐が、ぷつりと音を立てて切れた。
 修二の頬を両手に挟んでその身を引き寄せた。バランスを崩した修二は咄嗟に賢造のシャツを掴んだ。賢造は襟元を締めつけられるのも構わずに、驚いて見開いている赤い瞳を覗き込み、鼻先が触れ合う距離で囁いた。
「知りたい?」
「賢造…?」
「女の子とするのが、どんなか、知りたい?」
 修二は音がするほど大きく息を呑んだ。
「修が知りたいなら、俺は、何でも教えるよ…」
 穴が開きそうなほど賢造を見詰めたまま、修二は何も答えない。暫くそうして互いの顔を見詰めていたが、襟元を掴む修二の指が緩むと肩へ移動し、賢造を引き寄せるように力を込めた。
 それが修二の返事だった。賢造は修二の顔を上向かせると、唇に柔らかく触れるだけのキスをした。
「これがキス。子どもの頃した事あったよな。子どものキスだ」
 説明しながら、自分の声がどこか遠くから聞こえるような気がした。身体が分離して、別の自分が何かをしている。そんな感じだった。後方に離れた本体は、動悸を速めてじっと様子を窺っている。
 止めなければ――そう思う。このまま進んだらどうなるか、分かっているのに動けなかった。別の自分は冷静で、まるで野球を教えた時のように、セックスの手解きをしようとしていた。
 啄むように何度か優しいキスを繰り返し、修二がため息を吐いて唇を開いた隙に舌を差し込んだ。びくりと修二の身体が震えたが、逃げたりはしなかった。少しだけ上唇を嘗めて舌を抜くと、「大人のキス」と説明した。
「嫌なら――」
 止められる。修二に止めさせようとする卑劣さを感じながら言いかけた台詞は、途中で修二の口の中に消えた。修二が唇に吸い付いて強請るように賢造の唇を嘗めた。ざっと全身に熱が回って、身体の芯が疼いた。分離した身体が一つに戻ったように感じたが、興奮が抑えられず、もう止められないと思った。
 修二の舌を絡め取って愛撫した。逃げないように必死になっている修二の舌は堅いままだったから、優しく解すように触れた。時間にしたら僅かな間だった。余り激しくならないように気を砕いていたから、次第に熱が冷めて落ち着いてきたが、修二にとっては相当の刺激だったのだろう。肩を掴んでいた指から力が抜けて小さく震え始めていた。
「大丈夫か?」
 上手く呼吸が出来なくて苦しかったのだろう。修二は目を閉じたまま浅く呼吸を繰り返していた。その様が酷く扇情的に感じて強く頭を振った。これ以上は駄目だと思う理性が残っていた事に、賢造は安堵のため息を漏らした。
 漠然と、これでもう修二の気も済んだのではないかと思った。ここは何とか言い逃れて、もう一度冷静になって修二と距離を取ろう。綻び始めた理性はいつまで保つか分からない。この期に乗じて、行く所まで行ってしまうと本気で恐れた。
「ど、しよ…」と修二が小さく呟いた。「何?」と聞き返すと、修二は真っ赤になって声を絞り出した。
「た…、勃っちゃった…みたい…」
 修二にしてみれば、大丈夫かとの問いかけに返答しただけなのだろう。思わず横座りになっている修二の股間に目を遣った。綿のハーフパンツの上からその変化を窺う事は出来なかったが、賢造は激しく動揺した。迂闊な事は言えば、修二の身体の悩みを深くしてしまい兼ねない。
「あ…、当たり前だよ。深いキスは、感じるようにするんだから…」
「どう、しよう…」
 赤い顔で目に涙をためて、賢造以上に動揺している修二を見ながら、もし、このまま修二の射精を促せたら、問題が解決するのではないかと思った。
 自分がこのまま導いてやればどうだろう? 自分でしたって他人の手でいったって、乱暴に言えば、出せさえすればいいのだ。まして性交は二人でするものだから、それほど不自然な成り行きではないように思えた。
『そうだ。これは修二のためだから…』
 頭の中でそう唆す声がした。低く囁いたのは分離した賢造ではなく、紛れもない賢造自身だった。
 賢造は修二の腰を掴んで胡座をかいた膝の上に引っ張り上げ、ハーフパンツの中へ手を突っ込んだ。そのまま迷わず下着の中まで潜り混ませる。修二は驚いて賢造の手を押さえ「何?!」と悲鳴を上げた。
「修、しよう」
「なっ、何を?」
「何って、俺たち今何してるところだっけ?」
「それは…。お、女の子とする…」
「そう。だから続きをしよう」
「でっ、でも、こんな所を…」
「触ったら変?」
「だって、女の子には、ついてない…」
「うん。ついてないな…」
 これが障害だと、賢造も思っていた。でも、好きならこんなもの、障害でも何でもない。
 ハーフパンツの上から賢造の行く手を阻む指を外させ、目的のものに触れた。修二は僅かに身を捩ったが、それ以上の抵抗はしなかった。
「女の子にはついてないけど、関係ないよ。セックスは二人でするもんなんだぜ。女の子だけ気持ち良くするんじゃなくて、相手の子にもこうやって触って貰えば、お互いが気持ち良くなれるだろ? 恥ずかしがる事なんて少しもないんだ」
 言いながらハーフパンツごと下着をずらして中身を引っ張り出した。最近では見る事はなくなったが、馴染んだ少年らしい雄蘂が姿を現した。完全に勃起してはいなくて、掌にすっぽり収まる程のそれは、修二に似て見目が良かった。
 修二は露わになったそれを見て、我に返ったように「恥ずかしいよ!」と叫んで賢造の腕を掴んだ。
 賢造は片手で修二の頭を抱き寄せ唇を塞ぎ、すぐに深いものに変えて動きを封じた。背中に手を滑らせて力の抜けた身体を支えながら、修二の雄蘂に自分の知る限り気持ち良いと思う手淫を施した。その間も、うっすら汗を浮かべた額や、快感を耐える頬、忙しなく喘ぎを漏らす唇に好きなだけキスを落とした。
 修二は時折思い出したように身を捩って抵抗していたが、そのうちに大人しく快感だけを追うようになった。先走りで濡れたそれは扱きやすくなり、賢造は緩やかな手の動きを徐々に激しいものへと変えた。喘ぎが大きくなり、縋るように腕を掴んでいた修二の指に力が隠った。
 きっと絶頂が近いのだ。これでもう、修二の悩みは無くなるだろう。
「はっ、あっ、け…賢造っ!」
 修二は賢造の胸に額を押しつけて身を硬くし、賢造の名前を呼んで果てた。濃い、白い飛沫が、修二の水色のシャツと賢造の指を汚した。修二は硬直したまま荒い息を吐いていたが、賢造が手を離すと、弛緩してぐったりと凭れかかった。
 賢造は白濁のついた自分の手をじっと眺めていたが、その手に修二の指が触れて我に返った。修二は自分の精を指先に取って眺めた後、震えながらごめんと小さく呟いた。
「汚して、ごめん…。賢造に、こんな事、させて…」
 泣きそうな顔でごめんと何度も繰り返す修二に、賢造は優しく微笑みかけた。
「謝るなよ。俺は、修の望みなら何でもしてやりたい。それに、男子校だから、こんなの馴れてるよ」
「えっ?」
「水球部だったから、シャワー室でよく触られたしさ。扱きっこなんか初等部で経験済みだよ。黙っててごめん」
 嘘だった。確かに触られた事はある。けれど、いくら男子校でも、馴れるほど頻繁にある事じゃない。ただ、修二の負担にならないよう、この行為に特別な意味はないのだと思わせたかった。
 茫然としている修二の身体を膝から降ろし、賢造は立ち上がって机の上にあったティッシュの箱を持ってくると、自分と修二の指と、シャツに飛んだ精液を拭った。それからクローゼットを開けて修二のパジャマを出して着替えさせた。その間、修二は人形のように黙って世話を焼かれていた。
「気持ち良かったろ? でも、疲れるんだよな」
 命の種を絞り出すんだからと笑いかけると、修二も僅かに唇の端を上げた。賢造は修二を抱え上げ、そのままベッドに降ろしてタオルケットを掛けてやった。
「このまま夕飯まで寝るといい。叔母さんにはそう言っとくから」
 修二の目にかかる前髪を指で払ってやると、修二はその手を握って思い詰めたような顔で言った。
「明日も、ちゃんと、来てくれる?」
「…ああ、来るよ。どうした?」
 笑って聞き返すと、修二は何でもないと首を振って目を閉じた。賢造は修二の手をタオルケットの中に入れてやり、精液で汚れたシャツを手に、おやすみと言って部屋を出た。
 部屋の扉を閉めてから初めて、自分達が鍵もかけずにとんでもない事をしていたのだと気がついた。後ろ暗さに冷や汗をかきながら、誰もいない居間の電話で事務所にいる叔母に修二の事を伝え、逃げるように長瀬の家を出た。
 自転車のカゴに、鞄とぐるぐるに丸めたシャツを突っ込んで飛び乗ると、出来る限り早く帰りたくて、照り返す熱で噎せ返る道を立ち漕ぎで走り通した。
 店の裏木戸から自転車ごと突っ込んで乱暴に止めると、厨房に続く土間を挟んで建っている風呂場へ走った。
「賢造っ! 乱暴にしないで頂戴。古いんだから壊れちゃうでしょう!」
 急に後から聞こえた怒声に飛び上がった。慌てて振り返ると母が厨房から顔を出して睨みつけていた。手にしていたシャツを背中に隠しながら「ごめん」と叫んで風呂場へ逃げ込んだ。自転車を漕ぎ続けたために滴る汗だけではない不快感を、一刻も早く拭いたかった。
 汗で張り付くシャツを藻掻くように脱ぎ捨てて浴室に飛び込むと、正面の鏡に映った自分の身体にぎょっとした。賢造のそこは、長瀬の家を出た時よりも、完全に勃起していた。
 自分のものを凝視して、それから手に持った修二のシャツを見た。賢造はブルっと大きく震え、湯船の蓋の上にシャツを投げると、勢いよくシャワーの水を浴びた。幾ら真夏でも流水を一分も浴び続ければ身体は冷える。それなのに、その部分の昂ぶりは一向に治まらなかった。
 寒さに震えて湯船の蓋を一枚開けたが、檜の湯船には水は張られていたが沸いてはいなかった。窓から入る黄昏れの光が水面を通して檜の底板を照らしていた。
 泊まりに来た修二と、よく一緒にこの湯船につかった。油照りの午後、ぬるま湯になった湯船で汗を流し、暑気払いしてから昼寝をするのが子どもの頃の日課だった。明るい日差しが修二の髪に反射して、揺れる水面に輝いていた。まるで金の糸のようだと見惚れていたのは、ほんの五、六年前の話だ。
 あの頃は、ただ好きで、修二の傍にいられれば満足だった。それがどうして、こんな事になるのか。今、賢造の耳について離れないのは、明るく笑う修二の透き通った声ではなくて、快感の熱に喘ぐ艶めいた吐息だった。
 賢造は頭を激しく振って、もう一度シャワーを捻り今度は温水を浴びた。少しずつ水は熱くなっていき、冷えた身体も徐々に温もっていく。
 修二の身体は熱かった。その肌も、零れる吐息も、迸る精液も、触れたら忽ち決意が溶かされてしまいそうなほど熱かった。
 賢造は叫び出しそうになって唇を噛んだ。中心は屹立したまま醒め遣らず、けれどそこには、どうしても触れたくなかった。
 代わりに蓋の上に投げ出した修二のシャツを掴むと顔に当て、賢造は静かに嗚咽を漏らした。修二の白い肌によく似合った淡い水色のシャツは、賢造の涙とシャワーのお湯を吸って見る間に色を変えていった。
 賢造は嗚咽が外に漏れないように、長い間シャワーに打たれていた。そうして水に晒されて、賢造の熱と修二の吐き出した熱の名残は、漸く全て流れて消えた。

NEXTは15禁ページです。15歳未満の方と性描写が苦手な方は、上部よりNOVELでお戻りください。

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