INDEX NOVEL

うぶな人  〜 初めての温泉旅行 〜 〈 後 編 〉

※ 性描写があります。未成年の方はお読みにならないでください。

 離れの表戸を出て、すぐ横の細い竹藪が続く道沿いを歩いて行くと、どんどん川の音が大きくなって大通りに出た途端、目の前に幾十もの光のアーチが目に入った。
 橋には丸い提灯ではなく、六角錐の雪洞(ぼんぼり)が端から端まで二十灯ほど吊るされていた。その雪洞の橙黄色(とうおうしょく)の穏やかな光が、闇夜に溶け込んでいる川沿いの楓を、まるで紅葉しているかのように照らし出しているのが、秋の訪れを幻想的に感じさせて美しかった。
 藤井川の欄干から川面を覗けば、割合水量のある速い流れが、雪洞の明かりを光の帯びように長く伸ばして川下へ押し流していた。
「ああ…奇麗だな……」
 正樹の前を行く鬼塚は、幾十も連なる橋の明かりを眺めて呟いた。
 袂に手を入れて腕を組み、裾が割れそうなほどの大股で借り物の高下駄をカラコロ鳴らし、偉そうに闊歩する姿は普段とまるで別人だから、まだそうとう酔いが回っていると見える。
「ねえ、何でそんなに偉そうな態度で歩ってんの?」
 呆れたように訊くと「文豪だから」と答えた。さっきの夫人の言葉に合わせたワケかと、正樹はため息を吐いた。
 宿の中居が言った通り、ほとんどの橋は宿への入り口で、開業している旅館の橋は渡れるが、それ以外は閉鎖され通行止めの柵がつけられていた。その柵の前に焼きそばやお好み焼きなどの屋台が出ていた。食べ物屋の他にも、近隣の土産物屋が仮の店舗を出していて、特産品や温泉地によくある耳かきなどの小間物を並べた店が、思ったよりたくさん並んでいた。
 ひなびた温泉街ゆえか、客は高い年齢層が多かったが、ヨーヨー釣りや射的の店では、小さい子どもを大勢ともなった大家族が遊びに興じる姿も見られた。
 二人は並んで雪洞を見ながら散策していたが、すれ違う温泉宿の客はみな正樹たちを振り返って、それこそ不躾なほど眺めて通り過ぎて行った。
 そりゃあ、如何にも宿の浴衣に半纏(はんてん)という格好の観光客しかいない中に、白大島なぞを粋に着こなしている美形の伊達男が二人もいれば注目されるかもしれないが、好奇の視線と一緒に「……二人で来てるのかな?」とか、「お揃いの着物だ…」、「どういう関係?」などと囁き合う声が聞こえて来て居心地が悪い。悪目立ちしているかと少々後悔したが、もう仕方ないと気にしない振りを決め込んだ。
 橋が途切れた場所で折り返し、帰りは夜店を素見(ひやか)して歩いたが、今度は商魂たくましいオバちゃんに「奇麗なお兄さんには、安くするよ」と声をかけられるのは序の口で、呼び込みなどしないだろう屋台の男たちにすら「そこの粋な兄さんたち、ちょっと食ってかねぇ?」と代わる代わる濁声で誘われると、愛想笑いも引きつって来る。
 中でも不愉快だったのが、友人同士で温泉旅行に来ているらしい妙齢の女性客で、あからまさに鬼塚と正樹の顔を見比べて、どちらにするか相談しながら、逆ナンしようとずっと跡を付けて来ている事だった。
 全くもって残念だった。
 この不遠慮な他人(ひと)の視線さえなければ、川面を渡る涼やかな風とせせらぎの音を背景(バック)に、雪洞に照らし出された昭和の面影を残す橋と旅館の佇まいも、その中を歩く鬼塚の凛とした着物姿も、映画のワンシーンを見ているみたいに美しく、素敵な記憶になっただろうに。
 正樹は早く宿に戻りたかったが、鬼塚を思って踏みとどまった。鬼塚はきっと、社員旅行でもこんな所へ遊びに来る事はなかったろうから、せめて射的くらいやって二人の思い出にしよう。
 そう思って、先を歩く鬼塚に『寄って行こうよ』と声をかけようとしたら、それより先に後ろから、「あの…」と小さく声がかかった。
 来やがった…。ちっ、と小さく舌打ちし、断りを入れようと振り向こうとした時、前を歩く鬼塚が突然大きな声を上げた。
「なあ!『金色夜叉(こんじきやしゃ)』書いた人って…誰だったけかぁ? 名前が出て来ねぇ」
「えっ?」
 急に聞かれて慌てたが、背後の気配を無視してそのまま答えた。
「あー……確か、尾崎紅葉(おざきこうよう)。夫人が言った、泉鏡花の師匠ですよ」
「あれだよなぁ、『来年の今月今夜のこの月を、僕の涙でくもらせて見せる〜〜』ってヤツだよな。月が曇ったら、俺が泣いてるんだ〜〜とか喚くんだろ?」
 鬼塚はいかにも芝居がかった口調で台詞を吐くと、酔っぱらい丸出しで高下駄と同じようなカラカラと軽快な笑い声を上げた。
 正樹は鬼塚がどうしてこんな話を始めたのか分からなかったが、声をかけようとしていた女性たちの気配が、あっと言う間に遠のいたのを感じた。
「……お前は金剛石(ダイヤモンド)には目が眩まないだろうけど、他のヤツに傾いたりしたらさ、俺も…月を曇らせてると思うぜ」
 鬼塚がそう呟いたので、正樹の全身に熱いものが駆け巡った。
「そんな事ある訳ない。ねぇ、もう戻ろう?」
 背中を向けたままの鬼塚の肩に優しく手を置いて、正樹は宿へと促した。鬼塚は返事をしなかったが俯くように頷いて、肩に置いた手を払う事もなく、大人しく正樹と並んで宿へと戻った。

 宿へ戻るとすぐに着物を脱いで、折じわに合わせて適当に畳んだ。
 鬼塚は「疲れた…」と言って布団の上で横になるなりテレビをつけた。正樹は汗が気になって温泉に行く事にしたが、「幸、行かない?」と誘っても返事がない。覗き込むと既に寝息を立てていて、正樹は諦めて一人で行く事にした。
 テレビを消し、部屋のライトを枕元の行灯(あんどん)だけにして部屋を出た。
 風呂は母屋へ入る小さな橋のような渡り廊下の手前で、廊下を右へ進んだ奥にある。母屋からも離れからも独立した場所にある上に、川淵にあるから話し声も川の音に消されてしまう。そのため、遅い時間でも気兼ねなく入浴できると夫人が話していた。
 正樹は露天風呂に浸かって体を伸ばし、つるりとした質感の岩に凭れて夜空を見上げた。蒼く澄んだ満点の星空に、満月から少し欠けはじめた月が、ぽっかりと呑気に浮かんでいた。
「あ〜あ、どうしてこうなっちゃうんだろ……」
 本来なら今頃は、さらさらと微かに聞こえる川のせせらぎを聞きながら、二人でゆっくり露天に入っているはずだった。しっぽり温泉旅行と言っても、正樹とて、まさか本当に露天でやろうなんて思ってやしない。
 そりゃもちろん、正直に言えば鬼塚との温泉プレイは幾度となく妄想したし、この日のためにシミュレーションもした。けれど、なにせ鬼塚はやたらと人目を気にするから、まだラブホテルにも入っていないのだ。
「やっぱ、いきなり温泉旅行なんて、ハードルが高過ぎたか……」
 諦めるように呟いたが、それにしても、さっきの鬼塚の様子は変だったなと改めて気になった。
 昨夜からぎくしゃくしてたから不安定なのかもしれないが、浮き沈みが激しい気がした。人目に晒されて不愉快な囁きが耳に入ったせいもあるだろうが、なんで『金色夜叉』なんだろう?
 そう言えば『金色夜叉』の貫一は、お宮を熱海の海岸で蹴飛ばすんだっけか。でも、ここは熱海の一歩手前なんだけど、と文学青年はお湯の中でつぶつぶ呟きながら鬼塚の胸中を思った。
 男からも女からも視線を集めてしまったけれど、当たり前の話だが女性からの視線の方が多かった。正樹は真性のゲイだから、女性にときめくはずもなく、鬼塚が嫉妬する必要は全くない。
 どちらかと言えば、正樹の方が気が気じゃなかった。鬼塚はゲイでなない…と思うし、さっきだって、チラ見されていたのは鬼塚の方が多かったのだ。しかも、オッサンの視線も多く混じっていた。
「俺こそ、月を涙で曇らせちゃいそうだよ……」
 情けなく呟くと、水面に映った月が波紋でゆらゆら揺らめいた。あれっと思って顔を上げると、湯の中に鬼塚が立っていた。
 膝の辺りに湯煙をまとわせて、輝くような白い裸体が水面を揺らして近づいて来る。残念ながら股間は手ぬぐいで隠されているけれど、その隠し方がボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』を思わせて、神々しくも何やらエロティックに感じてどきどきする。静々と近づいた鬼塚は正樹の側まで来ると、湯船に体を沈めた。
「……起きたんだ」
 まさか入って来るとは思わなかった。諦めていた分驚いてやっとそれだけ言うと、鬼塚は裸眼の瞳を伏せて頷いた。
「川の音で目が覚めた。一度起きたら寝られなくて…。昼間は、こんなに煩いなんて思わなかった」
 言われて川の方へ目をやった。目隠しに竹が植えられているから直接は見えない。側を流れているのは本流ではないらしいが、音からすると水量も川幅もあるように思われた。確かに、一旦耳につくと煩く感じてしまうかもしれない。
「部屋に、いないから……」
「探したの?」
 目を伏せたまま頷く。恥ずかしいのかもしれない。だったら酔いも醒めたのだろうか。確かめるように顔を覗き込むと、鬼塚の方からキスして来た。そんなつもりじゃなかったから慌てたものの、身体は条件反射で鬼塚を抱き寄せた。
「…んっ…ふ……」
 吸い付いて来た鬼塚の唇に、わざと音を立てて吸い付き返し、柔らかい唇を夢中になって貪った。開いた唇に舌を差し込むと、舌先で愛し合うのが苦手な鬼塚はいつも逃げ腰になる。本人もこんな深いキスをするつもりじゃなかったのだろう。正樹の胸を押し返すが、それほど力は入っていない。本気で逃げる気はないらしいと、気を良くして離れないように腕を回して囲うように肩を抱くと、身体がぴったりと密着する分、鬼塚は仰け反るようにして顎を上げた。
 離れる唇をいじましく眺めて、「駄目なの?」とねだるように訊いた。嫌な訳がない。それは、仰け反ったために正樹の腹に密着した鬼塚の “ アレ ” の形で分かっている。
「……ここじゃ、駄目だろ」
 鬼塚は顔を逸らしながら、恥ずかしそうに答えた。
 正樹は目の前の顎のラインにキスしながら、不満そうに言った。
「ん……でもさ、しないって……言ってたから、ゴムは…あるけど、ローション、とか、置いて来たから……」
 くすぐったさと無理な姿勢に耐えられず鬼塚が正面を向くと、待ってましたとばかりに顔を見つめて、「ここで、しよう?」と優しく口づけた。
 柔らかいキスが好きな鬼塚は、自分からも、ちゅっ、ちゅっと音を立てて熱心に応えるくせに、往生際が悪く「でも、」とか、「お湯が、」とかぐずぐず言って逃げようとする。
 ならば実力行使と、背中を抱いていた手を滑らせて尻のあわいに隠された秘処を撫でると、鬼塚は「はぁっ、」と吐息をもらして正樹にしがみついた。
「お湯の事なら心配しなくても、ここはかけ流しの上に、毎日掃除してるってさ。だから十二時までしか入れない。もう時間ないから、大人しくして?」
 言い聞かせるように耳元で囁くと、鬼塚はしがみついていた身体を離して、上目遣いに正樹を見つめて言った。
「お前、また…のぼせるんじゃないか?」
 正樹はうっと唸ったが、『そうかも…』と思っても口には出さなかった。こんなチャンスを棒に振るのは惜し過ぎる。しかし、鬼塚の「ローションないと、痛いよな?」との台詞に、トドメを刺され涙を呑んで立ち上がった。
 それをどう思ったのか、鬼塚はいきなり正樹の腰にしがみつくと、半勃ち状態の正樹のそれをぱくっと口に含んだ。
「ええっ? ちょっ、とぉ……」
 驚くと同時に舌で舐め上げる感触にゾクッと痺れて、思わず後ろへ下がった。そのまま転けそうになり、「待って!」と慌てて鬼塚の頭を掴んで止めさせた。
「どうしたの? 急に……」
 今までフェラチオなどさせた事はなかった。一度頼んだら舐めてはくれたが、嫌そうだったのでそれ以来やらせていない。それがどうして自分からする気になったのか。鬼塚のする事はいつも予想を越えている。
「だって、挿れないなら、コレしかないだろ?」
 唇を舐めながら不思議そうに首を傾げる鬼塚に、そりゃまあそうですね…と思ったが、正樹は野望を捨てきれない。頭をフル回転させると「じゃあ、してもらおうかな」と言って、風呂の縁の丸い岩に腰掛けた。
「でも、出そうになったら声かけるから、飲んじゃ駄目だよ?」
 そんな釘を刺すまでもなく鬼塚には飲めないだろうけれど。
 鬼塚は素直に頷いてフェラチオを再開した。正樹は後ろ手をついて浅く腰掛けた身体を支え、薄目を開けて股間に顔を埋めている鬼塚を眺めた。
 露天風呂の縁に設置された石灯籠の明かりが、鬼塚の苦悶の表情を浮かび上がらせる。頬を赤く上気させ額に汗を浮かべながら、唇を窄めて一心不乱に正樹のそれにしゃぶりついている。
 常日ごろ自分がされている順序を思い返しているような、そんなたどたどしい愛撫ではあるけれど、ついぞ見た事がない光景 ―― 自分の一物が、愛して止まない麗しい唇から出たり入ったりする ―― それだけで、正樹の興奮はすぐに頂点を迎えてしまった。
「幸! 離して!」
 言うと同時に鬼塚の頭を掴んで髪を少し引っ張ると、すぐに解放された。それから温泉の縁に片足を引き上げて前屈みになり、自分の両手で素早く扱いたが、絶頂を迎えるのは自分でも驚くぐらい速かった。短く唸って震えながら手の中へ吐精すると、ほうっと快感のため息を漏らして目を開けた。
 そんな正樹を、鬼塚がじっと息を凝らして見つめていた。目が合うと、鬼塚は驚きと恥じらいが混ざった顔で、ごくりと喉を鳴らした。
 さすがの正樹も、そんなに見つめないでと、恥ずかしくなって目を伏せた。
 そう言えば、自慰をしている姿を見せるなんて初めてかもしれない。互いに扱き合うなんてのは数えきれないくらいしているから、射精するのは見慣れているだろうけれど。
 誤摩化すように「幸、こっち来て」と自分の隣りに座るように促した。鬼塚はそろそろと近づいて隣りに腰を下ろしたが、少し緊張した面持ちで正樹を見ているから、照れ隠しにニッコリ微笑んで唇にキスすると、鬼塚の顔がぶわっと赤くなった。
 変なの、と思いながら片手で鬼塚の片足を捕らえ、自分と同じように温泉の縁に片膝を立たせた。
「開いて……」
 言いながら股を開かせて、自分の放った精を窄まりに塗り付けるようにして指を挿入させた。スルリと入ったので眉を寄せると、大人しくされるままにしていた鬼塚が、慌てたように口を開いた。
「ここに来る前、部屋の風呂で洗ったから……」
 尻つぼみになる説明に、正樹は息を呑んで鬼塚を見つめた。恥ずかしそうに俯く鬼塚は、顔だけでなく身体まで赤くなっている。そのつもりで露天風呂に来たのだと、そう思ったら、また股間に熱が集中するのを感じた。
 鬼塚は、挿入しない時も後ろを愛撫されるのを好む。何も知らなかったまっさらな身体を、そう仕込んだのは正樹だ。他のノンケの男は、女性との情交を知っているから、後ろの快感に溺れ切ってしまうのを恐れていたようで、ここまで思うように開発できなかった。その分、鬼塚には負い目を感じるし、無理強いしないように自戒している。
 だから、こんな風に求めてくれると嬉しくて箍が外れそうになる。
「自分で、してくれたの?」
 上擦りそうな声を何とか押さえて囁いた。
 後ろを弄るのが好きでも、鬼塚自身は決して指は使わない。だから、正樹とする気がなければ後ろを清める必要もない。
 淫猥な水音を立てて窄まりを掻き回す。指の動きに逃げを打つ身体を逃がさないように、立たせた足を捕らえて追い討ちをかけるように指の数を増やした。
「はっ…ぁ……ん」
 逃げられない鬼塚は震える身体を後ろ手をついて支え、刺激に耐えるように上体を反らした。曝け出された白い胸に小さく尖った二つの突起が、いつもより赤く濃く見えるのは温泉の効果だろうか。噛み付きたい衝動に駆られるが、如何せん距離がある。代わりに、蠕動(ぜんどう)し始めた体内の柔襞を掻き分けて、感じる場所を擦り上げると悲鳴を上げて小刻みに震えた。
「やっ……」
 涙目で睨みつけるが、声が出てしまう方が恐いのか、片手で口を押さえたまま必死で首を振る。
「でも、自分でして来てくれたんでしょう?」
 指の動きを緩くして、先端からトロトロと蜜をこぼしている雄蕊を見つめると、鬼塚は首を振りながら押さえていた手を外して「やっぱり、俺には無理だ……部屋で、したい」と囁いた。
「ここじゃ、やっぱり駄目? お湯がある方が楽でしょう?」
 宥めるように言ったが、涙目できっぱりと首を振る。
「声が……」
「川の音で消されるよ?」
 まあ、悲鳴に近い喘ぎ声はアウトだろうけれど。見え透いた嘘はもちろん通じないようで、鬼塚は首を振り続けている。
「分かった……」
 正樹は仕方なく折れた。なぜなら、後ろの刺激で既に前ははち切れそうに膨らんでいるのに、鬼塚は一向に触ろうとしないのだ。
 いくら後ろの快感を知っていても、さすがにまだ後ろだけで射精した事はない。だから、正樹の手が塞がっているこの状態では、自分でしないと射精できないのに、だ。こんなに意地を張ってちゃ、ちっとも楽しめないだろう。
 一度イかせて、そのまま勢いで最後までなだれ込む……のは諦めよう。だけど、部屋でも互いのを扱き合うだけじゃ満足できない。
「部屋でしようね。でも、その代わりに、挿れてもいい?」
 鬼塚の肩がピクリと動いた。代わりもクソもないのだけど、譲歩したように見せかけるのは得意だ。鬼塚は複雑な顔をしている。頭が良いから酔いが醒めていると、こんな子ども騙しには引っ掛からないが……
「……いいよ」
 鬼塚は、まだ酔いが残っているように頬を染めて頷いた。

 珍しくその気になっている鬼塚の気が削がれないように、適当に浴衣を羽織らせて軽く帯で縛った状態で連れ帰り、布団に寝かせると性急に裾を割って太ももに手を這わせた。
 鬼塚は、されるがまま大人しくしている。
 文句は、風呂を出るとき下着を付けさせなかった事と、両手を帯で拘束した事についてだけ。下着は「どうせ脱ぐから」、拘束は「男のロマン」と説明すると、呆れたように文句を垂れたが、全力で拒否しなかったから、了承と受け取って断行した。
 今、布団の上で横たわる鬼塚は、乱れた浴衣が帯一本ではだけるのを免れている、という状態だ。
 布を押し上げて張り出した昂りは辛うじて隠れてはいるが、先端が触れたところから愛液が染み出て色が変わっているし、上半身も片肌脱がせてしまったから、両胸の飾りがぷっくりと勃起しているのがよく分かる。
 鬼塚もいつになく興奮しているのだ。行灯の光に浮かび上がる身体から、フェロモンが漂い出るのが見えるくらいに。
 夢みたいだ…。
 目眩がしそうなほど艶(なまめ)かしい眺めに、部屋でする事にして良かった…と、本気で感涙しそうだった。自分でも恥ずかしいくらい興奮している。露天風呂で一度抜いているが、この眺めだけでもすぐにイってしまいそうだ。いやいや、ここはもう少し我慢しよう。こんな美味しいシチュエーションは滅多にない事なんだから!
 正樹は荒くなる息を呑み込んで、肌触りの良い太腿の感触を楽しむようにさわさわと撫で上げた。あそこはわざと触らない。代わりに胸の突起を摘んで転がすと、身体をくねらせて身悶えるから余計に浴衣がはだけていく。
 あられもない姿に股間にぐっと熱が溜まる。我慢比べのように「はぁ…」とため息を吐いて遣り過ごすと、「なあ…」と鬼塚がムッとした様子で口を開いた。
「も…早く、触れって!」
 耐えられないといった声音でねだられた。わざと焦らしているのが分かっているからだろう。腰がずっと揺れているが、自分で触りたくても、両手を手首で縛った上に座卓の足に繋いでいるから、頭の上から下ろせないのだ。
「どこを?」
 ニンマリしてお約束の台詞を囁けば、鬼塚は涙目で睨みながら「前っ!」と小声で怒鳴った。
 ちょっと悪ノリし過ぎたかと、正樹は苦笑いして鬼塚の浴衣の前を剥ぐと、ぷるんと猛りきった肉棒が現れた。下着を着けていないから、腰を揺するたびに浴衣の布で擦られて、鈴口がほんのり赤くなっている。先走りに濡れて守られていたとはいえ、ちょっと痛々しい。
「ん〜…ごめんね」
 言いながら、赤くなった先端を舌先でねっとりと舐め回した。
「は…あぁ…ん……」
 思わず…といった色っぽい喘ぎを漏らすが、すぐに口の中で消えてしまう。代わりに腰を揺らすから、フルフルと心許なく一物が震える。
 ああ、もう駄目だ。我慢できない。
 正樹は揺れる雄蕊をぱくりと捕らえて、焦らしに焦らした待望の口淫を開始した。
 棒付きキャンディを舐めるように、鬼頭部だけをちゅぱちゅぱしゃぶると、もっと強い刺激を欲しがって、鬼塚の腰が前に突き出て来る。ご要望に答えるように、すっぽり銜えて肉棒の弾力を楽しむように圧力を加え、舌と唇で挟み込むように下から扱き上げると、鬼塚のそれはぐっと嵩(かさ)を増して芯が通ったように硬くなる。
「ひぃ…ん…ふぅ、んっ、ん……ん……」 
 裏筋を舌先でなぞりながら、根元の双球を転がし、会陰(えいん)も忘れず指先でくすぐってやると、喉の奥でくぐもった喘ぎを漏らす。
 鬼塚の変化は手に取るように分かるから、ひぃひぃ呻き出した時点で竿に手を添えて吸引しながら扱いてやると、あっと言う間に射精した。搾り取るように最後の一滴まで吸い出してから口を放すと、鬼塚は虫の息という感じでぐったりと弛緩する。
 正樹は口の中のものをそのままに、力の入らない鬼塚の両足を抱えて開かせると、バスタオルを撒いた枕を鬼塚の腰の下に当てた。それから腰を屈め、あらわになった窄まりの中へ口の中の精液をローション代わりにと流し込んだ。
 あっ、と鬼塚は声を上げたが、精液と一緒に指を埋め込むと息を詰めて口を閉じた。達したばかりで刺激が強すぎるのは分かっているが、正樹の我慢も限界だった。
「力、入れないでね……」
 露天風呂でも慣らしたから、窄まりはほっこりと口を開いていて、難なく二本の指を受け入れた。広げるように解しながら、いたずらするように感じる場所を擦ってやると、鬼塚はビクッと身体を震わせて泣き声を上げた。
「ま、まさき、もっ…早く、しろぉ……」
「ん…でも、もう少し、」
「もう、いいからッ!」
 子どもみたいに泣きそうな顔で癇癪を起こした。だんだんいつものパターンになりつつある。
「……ハイハイ。分かりましたよ」
「ハイは一回!」
「ハイ……」
 渋々返事をして、それでもいじましく柔襞を掻き回すと、喜んでいるように指に絡んで来たので、その先の法悦を期待して指を引き抜いた。正樹は自分の裾を割って自身のものにスキンを装着すると、鬼塚の膝を抱え直して切っ先を窄まりに宛てがった。 
「入れるよ…」
 優しい声音とは裏腹に、片膝立てて一気に奥へと挿入した。潤みが足りないし入れる時はどうしても痛いのだから、速やかに穿ってしまう方が受け入れる方も楽だ。とは言え、やはり鬼塚は痛そうに悲鳴を上げた。
「痛い?」
 どうしようもないのだが、気遣うように訊ねると、痛いより苦しさが勝るのか、浅く長い呼吸をしながら首を横に振った。
「ま、さき、腕…解いてくれ」
「つらい?」
 目を閉じて頷く鬼塚に、まあ、当たり前だよなと、残念に思いながら両手首を拘束している帯を解いた。それでも、鬼塚はすぐには腕を動かさず、目を閉じたまま眉間に皺を寄せて唸った。
「し〜び〜れ〜た〜〜……」
 うらめしや〜と言うように唸ってから、ようやく腕を動かして両手で二の腕を抱いて擦った。
「あははは……ごめん」
 ああ、これはいつもの……。正樹はガックリと項垂れた。挿入した状態で、色気のない遣り取りを交わすのは、ほとんど日常のパターンだ。
 どんなシチュエーションでセックスしても、やっぱりそんなに変わるワケないか。と思ったら、いきなり浴衣の合わせを掴まれて、ぐいっと前に引っ張られた。
 慌てて抱えていた鬼塚の足を離して、布団に手をついて身体を支えたが、そのぶん腰が前へ出て鬼塚の中へぐっと押し込む形になった。身体が折られるような形になった鬼塚は、正樹の合わせを握り締めたまま苦しそうに呻いたが、はぁ…と大きく息を吐くと身体の力を抜いて、涙で潤んだ瞳で正樹をじっと見つめた。
「どうしたの?」
 驚いて見下ろすと、その目が欲を帯び、熱で潤んでいるのだと気づいて、鼓動が速くなった。
「もう、大丈夫だから、動けよ」
 いつも正樹を求める時の表情(かお)で言いながら、鬼塚は自分から腰を揺すり始めた。
 この人はやっぱりびっくり箱だなと思いながら、ゆっくり抽送を開始すると、すぐに感極まった声で喘ぎ始めた。
「イイ?」
 返事はしなかったが素直に頷いて、正樹のはだけた合わせに両手を入れて、さわさわと胸を撫でた。恥ずかしがりやなくせに、鬼塚は素肌を密着させるのを好む。腕枕なども、疲れるから嫌がる相手が多いのに、鬼塚は平気で正樹にくっついて眠る。それはベタベタするのが好きな正樹との数少ない好みの一致だった。
 いつも脱げと要求されるから、自然と浴衣を脱ごうとしたら、「いい。着てろ」と止められた。
「お前、浴衣も、着物も…よく似合う。惚れ直した……」
 うっとりしたように囁かれて、アレの嵩が増すのを感じた。少しきつくなったから、もっと馴染ませるように腰をグラインドさせる。
「あっ…ん、でも…散歩してる、間じゅうっ、お前…みんなに、見られてて……あっ、あ…んっ、やっ……嫌だった。お前はぁっ、俺の、なのにっ……」
 喘ぎの間に喋りながら、正樹のものを、きゅっ、きゅっと締め付ける。
 鬼塚は次の射精までインターバルが長いから、いつもは圧倒的な持続力を誇る正樹の楔で攻めながら、キスしたり撫で回したりして鬼塚の身体を楽しむのだが、今は何よりも鬼塚の告白が聞きたくて、邪魔しないよう相づちだけを打ちながら後ろを存分に可愛がった。
「うん…そう?」
「外…なんかぁ…んっ、あっ、……いっ、いかないで、最初から…こうして、たら…よかっ、た……」
「……そう?」
「そしたら…ん、誰にも、見られない、でっ、あぁ……んっ……あ、あぁ……ひ、とり、占め…できたっ……」
 聞いた途端、どこかの血管が切れた気がした。
『あああっ、もう、堪らんっ! それは俺の台詞だよ!!』
 正樹は心の声を雄叫びに変えて、鬼塚の身体を膝の上に抱き上げた。拍子で腹の奥へ突き刺さった正樹の剛直に、鬼塚が悲鳴を上げて仰け反った。反らした頭を抱き寄せて、激しく深いキスをしながら、夢中になって腰を突き上げた。
 鬼塚が、可愛くて愛しくて、堪らなかった。
 雪洞を眺めながら、鬼塚も自分と同じ事を考えて悶々としていたのだ。それは老若男女関係なく、誰にも見せたくないという強い独占欲だ。正樹は嬉しくて堪らなかった。
 自分も同じだ。できる事なら鬼塚を籠の鳥みたいに閉じ込めて、ずっと部屋の中で飼っておきたい。でも、そんな事はできないから、あまり目の届かない所へは行って欲しくないし、本当は女の子ばかりの簿記学校の講師なんて、辞めて欲しくて仕方ない。
「ンッ……ッ、幸、幸ッ、愛してる……」
「ひっ、やっ…あっ、んっ、あぁ…あんっ、あ、あっ……」
 鬼塚は必死で正樹の首にしがみつき、屈伸するように足を使って何とか正樹の動きに合わせた。その方が楽だったからだが、余計に結合が激しくなって、珍しく二度目の射精を迎えてしまった。
 一際高い悲鳴を上げて鬼塚は白濁を吹き上げた。もう出ないだろうとスキンを着けなかったから、正樹の顎まで迸り、浴衣のあちこちに飛沫を飛ばした。
 まさか、後ろだけでイクとは思わなかったから油断した。それに、声も…かなり大きかった。いくら川の音が煩くても、母屋の家元夫人に聞こえたかもしれない。正樹は青くなって天を仰いだが、そんな考えはすぐに中断された。
 吐精した途端に、鬼塚の身体が弛緩してその場に頽(くずお)れたのだ。何とか抱きとめたが、重力に従って後ろへ倒れた鬼塚と一緒に突っ伏してしまった。
「うおぉ……あっぶねー……」
 下手すると鬼塚の中に入ったまま陰茎折症(いんけいせっしょう・注:骨折する)…なんて、恐ろしい事になるところだったと冷や汗が出たが、全くもってピンピンしていたので、気絶してしまった鬼塚の、とっても淫猥な情事の跡を眺めなら、未だ蠢いている熱くて淫らな名器の中で、思う存分扱いて果てた。

 翌朝、もちろん鬼塚は筋肉痛(主に太腿)になり機嫌が悪かったが、しっかり記憶が残っていると見えて、行為そのものについては正樹に文句を言う事はなかった。しかし、布団や浴衣の惨状を目の当たりにして、「どうするんだよっ!?」と慌てふためいた。
 布団自体はバスタオルを敷いたお陰で事なきを得たが、浴衣はどちらも汚れがガビガビになってしまい、もう洗わないとどうにもならなかったから、朝風呂に入った折に濡らした…と誤摩化す事にして、足腰立たない鬼塚を抱えて朝風呂に入った。
 風呂で鬼塚にマッサージしてやると痛みも楽になったようなので、『災い転じて福となす』とほっとしたものの、朝食を運んで来た中居に嘘の説明をする間、鬼塚があんまり赤くなるから、さすがの正樹も居たたまれない気分になった。
 まあ、その辺は “ お忍びの宿 ” の配慮として、当然、気づかない振りをしてくれるだろうが、
『さすがに、もう来れないよなぁ』と思うと、正樹は少し残念だった。
『場所が変わると良いもんだよ。ミラクルも起きる可能性があるし』
 夫人と離婚ギリギリまで行った磯川が、旅行をきっかけに持ち直し、子どもまで授かった幸運の宿だからと勧めてくれた通り、場所が変わったせいか、鬼塚もいつになく積極的だったし、あんな可愛い告白もしてくれたし、初めて “ 後ろだけ ” でイケたし…と、二人の記念の宿として、また来たいなぁと思うのだけど…。
 鬼塚は嫌がるだろうなぁと、諦めの境地でため息を吐いた。
 朝食の旨い焼き魚とみそ汁という純和風のメニューに、鬼塚の機嫌が更に良くなって、帰りの予定を立てたりして穏やかにチェックアウトの時間を迎えた。
 部屋でタクシーが来るのを待つ間、中居と共に家元夫人が挨拶に来てくれたが、夫人は鬼塚が飲み物など追加の勘定を済ます間に、正樹にこっそりと土産だと言って一枚のカードを手渡した。
「うちの会員カードなの。私の権限で、お二人を年会費なしの特別会員に認定します。25%引きで利用できるから、また気軽に遊びに来てちょうだいね。もちろん、私が滞在している時にね」
 ニッコリ微笑む家元夫人に、『何で、貴方がいる時限定なんですか?』と喉元まで出かかったが、夫人にはセレブのオーラとでも言うか、逆らえない威力があって、正樹は『ヤバイところへ泊まってしまった…』と思いながら、「……ありがとうございます」と濃い抹茶色のプラスチックカードを受け取ってしまった。
「正樹、タクシー来たぞ」
 茫然としている正樹に鬼塚が声をかけた。
「あっ、はい!」
 我に返って返事をしたが、何気に名前を呼ばれて驚いた。今まで二人きりの時にしか下の名前では呼ばれなかったのだ。
 どうしちゃったんだろうと唖然として鬼塚を見つめていると、鬼塚が家元夫人に「……お世話になりました」と礼を言うが早いか、正樹の腕を掴んで引っ張った。
 えっ、まだ怒ってる?
 戦(おのの)きながら引き摺られて宿を出る正樹の後ろで、家元夫人がくすくす笑った。
 鬼塚は無言でずんずん歩いて表通りに止めたタクシーまで来ると、「何、貰ったんだよ」と不機嫌そうに言った。
「あっ、宿の会員カードをくれたんだ。25%引きで泊まれるって」
 鬼塚は「ふ〜ん…」と気のない返事をしながらタクシーに正樹を押し込み、自分も乗り込むと「駅まで」と頼んだ。タクシーが緩やかに発車すると、すぐに「お前、また来る気なのか?」と訊いた。
「ん…できれば」
 怖ず怖ずと答える正樹に、鬼塚はチラリと横目で見たあと、フン、と鼻を鳴らして言った。
「別に、いいけど…」
「えっ、本当?」
 思いがけない返事に鬼塚の顔を覗き込むと、ぷいっと顔を背けてボソッと小さく呟いた。
「あの夫人が、いない時ならな!」
 う〜ん…それは、難しいかな。予約した時点でバレちゃうだろうし、用事があっても来そうだぞ、あの人。
 正樹は、何でもお見通しな家元夫人の顔を思い浮かべて、宿の思い出はプラスマイナス50点だと苦笑いした。それでも……
「うん。そうだね。だから、また来ようね……」
 笑いながらそっと鬼塚の手を握ると、鬼塚は無言で車窓を眺めたままそっと手を握り返して来た。だから、鬼塚に心境の変化があった事にプラス30点を加えた。
 なんだかんだあっても良い旅行だったと、その思い出を刻むように、正樹も車窓を流れる秋の気配の風景に見入ったのだった。

 (了)


最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。今後の励みになりますので、ご感想を是非。

Powered by FormMailer.

BACK [↑] NOVEL

Designed by TENKIYA