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秘密のピーチパイとチェリーボンボン 〈 21 〉

 惚けたように見つめている僕に、ブロンドの男は唇の端だけ上げて微笑んだ。それからカウンターの向こう側へまわった無精髭のオジサンに向かって、「買い物に行って、この子買ってきたの?」と訊いた。
「バカか。表でぶつかって……時間潰しに、お茶に誘っただけだ」
 オジサンは呆れたような口調ではあったけど、慣れた感じでさらっと答えた。
 男は僕とオジサンを交互に見てから器用に片眉だけ上げて、「ナンパしたってこと?」と、どちらにともなく訊いた。僕は驚いて「いいえ!」と首を振り、オジサンも「ちがう」と不機嫌そうに言った。
「だって、お茶に誘ったって…。そりゃ、立派なナンパだろう?」
 男はカウンターに肩肘ついて、オジサンに向かって揶揄するように言ったけど、オジサンは男を無視して「コーヒーでいいかな?」と僕に聞いた。
「あっ、はい。何でも…結構です」
 カウンターの奥には流し台があって、簡単な調理が出来るようになっていた。オジサンはヤカンを火にかけて、コーヒーをドリップする用意をした。ネルの濾し器を使っているからずいぶん本格的だ。『エーデルワイス』でお客さんにコーヒーを淹れていたから、他の人の淹れ方が気になってオジサンの手元を観察した。
 無視された隣りの男もそれっきり黙り込み、店の中にはオジサンが注ぐお湯の音と、コーヒーの粉が蒸されて漂う良い香りだけで満たされた。
 しげしげと観察した結果、残念ながらオジサンの淹れ方は上手じゃなかった。ちょっと蒸らしが足りないし、注ぎ方も雑だ。思わず顔をしかめたら、オジサンの湯をさす動きが乱れ始めた。あれ、どうしたんだろうと視線を上げると、オジサンの顔が真っ赤だった。
 僕があんまりジロジロ見ていたせいだと慌てて視線を逸らすと、隣りの男がじっと僕を見ている事に気がついた。
 僕と視線が合うと男はとって付けたようにニッコリ微笑みながら「君、どこの子?」と訊いた。
「…え…っと……」
 どこと言われても……。咄嗟に上手い嘘が吐けずに俯いた。
「答えなくてもいいよ」
 オジサンが言いながら白いカップにコーヒーを注ぎ、僕と男の前に差し出した。男の視線が外されてコーヒーに向かう。
「ありがとうございます」
 僕はホッとして礼を言った。
 この感じ……。男の視線は恐い…と言うのじゃないけど、僕の全てを見て取ろうとするような、あからさまな感じがして落ち着かない気分にさせた。前にもこんな風に見られた事がある気がするけど、いつどこでだったろう? いや、そんな事より、この人、一体何者なんだろうか?
 服装や態度からしてお店の人じゃないのは分かったけど、オジサンの態度からするとお客とも思えない。でも、友だちと言うには、オジサンとこの人は全然あわなさそうに見える。
 僕は隣りの男を密かに観察しながら、オジサンが淹れてくれたコーヒーをひと口飲んだ。さっきみたいに顔には出さなかったけど、思った通り美味しくなかった。
「不味いだろう?」
 不意にブロンドの男が笑いながら僕に耳打ちした。わざと掠れさせた声が鼓膜をくすぐり、震えそうになるのを誤摩化すように声を上げた。
「あっ、いえ、そうでもないですよ」
 ここが喫茶店なら落第だけど、普通の人が淹れたんなら及第点をあげてもいい。でも、すごいお世辞に聞こえたかなと、「ここは喫茶店じゃあ、ないんですもんね?」と慌てて付け足したら、隣りの男が失笑して僕は口を噤んだ。
「うん、うちは雀荘(じゃんそう)。コーヒーはサービスだから、味は勘弁して」
 オジサンは気にしてない感じで朗らかに答えたけど、隣りの男が透かさず僕の方へ身を乗り出して、「雀荘って、わかるぅ?」と小学生に訊くような言い方でからかった。
 僕はムッとして「お金を払って、麻雀しに来る所ですよね」と言い返すと、「アラ、中学生のクセによく知ってるね」と大げさに肩を竦めて見せた。
「中学生じゃありません! こう見えても十八歳です! 高校も卒業してます!」
 こいつ、わざと言ってるなとは思ったけど、つい向きになってしまった。
「で? その十八歳が、ナンパされた訳でもなく、なんでわざわざ “ 雀荘 ” に、不味いコーヒーを飲みに来たの?」
 男は澄ました顔のまま、言葉の端々を棘立たせて言った。声も態度も男らしいのに、言葉遣いは丁寧…というよりオネエっぽくて粘着質な感じだ。
 あっ、思い出した! この感じ、泰治絡みで難くせつけて来た女子の態度と同じなんだ。って事は、この男、僕に嫉妬しているのか?
「おい、タケオ……」
 無精髭のオジサンが、止せよと言うように男の名前を呼んだ。でも、男はじっと僕を見たまま視線を逸らさない。たまたまです、なんて返事じゃ、とても納得しそうにない勢いだ。
 このタケオって人、この無精髭のオジサンが好きなんだ。ちょっと…どころかすごい驚きだったけど、男の泰治を好きになった今の僕には変な事とは思えない。何で嫉妬されてるのか分かんないけど、とにかく誤解を解けばいいのだ。
 僕は困った顔をしているオジサンに頷いて、ここに誘われた理由を説明した。
「お店の前で、この人とぶつかったのは本当です。僕、神田駅の前で変な男に『アマンダ』ってキャバクラで働かないかって声かけられて、断ったんですけどしつこくて手を離してくれないし、どこかへ連れて行かれそうになったから、そいつの股間を蹴って走って逃げてたんです。その途中で、ぶつかって……」
「へぇ、そうだったのか」
 僕の説明に無精髭のオジサンが驚くのを見て、「アンタ、知らないで匿(かくま)おうとしたのか?」とタケオが呆れたように言った。
「追っかけられてるってのは、聞いた」
「ったく、相変わらずお人好しだな」
「でも、すごく助かりました。恐かったから」
 オジサンを責めるタケオに取り成すように口を挟むと、タケオは僕を一瞥し「まあ確かに、お嬢ちゃんには救いの神だったわな」と呟いた。
「えっ?」
 今、“ お嬢ちゃん ” とか、言わなかったか?
 僕はタケオに何でだという疑問の視線を送ったが、全然通じてなくて、タケオはしたり顔で喋り続けた。
「店の名前、『アマンダ』だって? あそこのポン引きはタチが悪くて有名なんだよ。何しろ裏にヤクザが付いてるからね。それを、キンタマ蹴り倒して逃げて来たって? そりゃ、かなりヤバいわ」
 その内容に一瞬で肝が冷えた。絡まれた時の恐怖が二倍になってよみがえり震え上がった。
「おい、あんまり脅かすなよ」
 青くなって震える僕を見て、無精髭のオジサンがタケオに釘を刺して「大丈夫だよ」と微笑んだ。慰めてくれるのは嬉しいけど、何が大丈夫なのか全然説得力がなくて元気が出なかった。
「そうねぇ、キンタマ潰してやったんなら、暫く動けないだろうから、今のうちにさっさとお家に帰った方がいいんじゃない?」
 タケオは悄然としている僕を見て、ひどく楽しそうに笑った。
 こいつが僕を嫌いなんだろうって事は、見当違いの嫉妬をしてるって事を抜きにしても、最初からの遣り取りでよ〜く分かった。だけど、何でここまで意地悪されなきゃならないんだ!?
「タケオ、いい加減にしろ。それに、女の子に向かって下品な事を言うんじゃない」
 ムッとしている僕の怒りを汲み取ったオジサンが嗜(たしな)めたけど、その台詞の中の “ 女 ” という聞き捨てならない単語をキャッチして、怒りが全身を駆け巡った。
「えー? じゃあ、タマタマって言えばいーかぁ?」
「僕は女じゃなーーいっっ!! その “ タマタマ ” がついた、立派な男だッ!?」
 タケオがいい年して調子付いたガキみたいな台詞をほざいた瞬間、僕は怒鳴り散らしていた。
「はあぁっ!?」
 二人はギョッとして顔を見合わせた。その反応が余計に怒りを煽った。
「なんで二人とも、僕が女だって思ってんだよッ!?」
 二人を睨みつけて言ってやったが、タケオは嘘だろうと嘲笑うように言った。
「だってアンタ、キャバ嬢のスカウトにあったんだろう? 自分でそう言ったじゃないか。アイツらが男になんか声掛けたりするもんか! それに…胸は貧弱そうだけど、どっからどう見ても、女だろうが!?」
 なあ、とタケオは無精髭のオジサンに同意を求めたけど、オジサンは複雑な顔をして黙っていた。
「そいつも勘違いして声かけたんだよ! 僕は、どっからどう見ても、男だッ!」
 タケオを睨みながら完全否定し、今度はオジサンも威嚇するように凝視すると、オジサンは降参と言ったように両手を挙げて頷いた。
「……うん、間違った。男だ、男」
 オジサンの台詞を聞いたタケオは絶句してオジサンの顔を疑わしげに眺めていたが、わざとらしく片眉を上げるとこの上なく意地の悪そうな笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んだ。
「へええぇ〜〜〜、男? 男! オトコ、ねぇ……?」
 からかうように言いながらそのままぐいぐいと迫ってきた。僕は慌てて後ろへ逃げたけど、オジサンがタケオの肩を押さえて止めてくれなかったら、そのままスツールから落ちていただろう。
「もう、からかうのは止せよ…」
「からかってんのはテメェだろッ! 須賀(すが)ァッ!!」
 いきなりタケオがドスの利いた声で怒鳴ったので、僕は竦み上がってしまった。顔は僕の方へ向けたまま目を眇めてオジサンを睨んでいる。その顔はどう見てもヤクザだった。この人、そっちの人だったのかと、背中にどっと冷や汗が流れた。
 だけど、タケオの怒りが一直線に向けられている須賀と呼ばれたオジサンは全然ビビリもせず、ただ困った顔でタケオを見ながら「ほっとけなかっただけだ…」とタケオの肩をポンポン叩いた。すると、阿修羅の如く怒髪天を衝くって形相だったタケオが、ちっ、と舌打ちしたあと、見る見るうちに元の秀麗な顔へと戻ったのだった。
 何なんだよ、この人たち……。僕は呆気に取られたままこの一部始終を眺めていた。
 まるで猛獣と猛獣使いだ。そう思い浮かんだ瞬間、まだ茫然としている僕に向かってタケオが冷たい声音で声をかけた。
「男だってんなら、自分の身ぐらい自分で守れんだろう?」
 顎をしゃくって出て行けと促した。僕ははっと我に返って咄嗟に頷いてしまった。
「あ……、ご、ごちそうさまでした。あの、おいくらですか?」
 スツールを下りてぎこちなく須賀さんに訊くと、「いらないよ」と首を振りながら言った。僕は恐怖なのか、緊張なのか分からない強張った顔で「ありがとうございました」と頭を下げ扉へ向かって歩き出した。だけど、筋肉の強張りは顔だけじゃなく全身に来てたみたいで、出口に辿り着く前にガクッと膝が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か!?」
 須賀さんがすぐに駆けつけて助け起こしてくれたけど、また後ろからタケオが面白がるように野次を飛ばした。
「おい、どうしたぁ? 外に出たら、ぽん引き野郎に捕まると思ってチビッたか? 情けねぇな、男だろう!?」
「いい加減にしろ! この子は女の子だ、恐いに決まってるだろ!!」
 須賀さんが僕を支えながら怒鳴り返し、僕に向かって「ごめんな」と謝った。
「ぶつかったとき、胸に触っちまった」
 息を呑み瞠目した僕を須賀さんは近くの椅子を引いて座らせ、「外、見て来てやるから、ここで待ってな」と言って外へ出て行ってしまった。
 バレてたなんて…とショックで茫然としている僕の耳に、「最初っから認めてりゃ、虐めなかったのになぁ〜」とこれ見よがしに言う声が聞こえて、何でこんな理不尽に攻撃されなきゃならないのかと堪忍袋の緒がキレた。
「アンタ、一体なんなんだよ!!」
 真っ赤になって怒鳴ったら、タケオはクソ意地悪い顔で言い返した。
「タダの客」
「そんな事訊いてない! 何で僕に絡むんだよッ」
「女が嫌いだから」
「僕は女じゃないっ!」
 小学生の口喧嘩みたいな売り言葉に買い言葉の応酬でヒートアップした。
「まだそんな事を? じゃあ、アンタは胸のある男かよ?」
「そうだよ! 男に胸がついてて悪いかよっ!」
 つい、我を忘れて叫んでしまった。直後に、しまったと気づいて硬直した。
「あははは、そいつはすごいなっ!」
 タケオはバカにしたように大爆笑したけど、僕の方は真実を笑い飛ばされて、ほっとするより居たたまれなくなった。
 僕の秘密を知られたら、きっとこんな風に笑われるだろうと想像していた通りの反応だった。じゃなければ気持ち悪がられるか、興味本位に見られるだけ。
 僕は泣きそうになってタケオに背を向けた。目の前には須賀さんが出て行ったレトロな扉があった。もうこんな所、今すぐ出て行こうと立ち上がった時、扉のすぐ横の大きな窓に、アルバイト募集の貼り紙があるのに初めて気がついた。
 窓の外に向けて貼られているから、マジックで書かれた文字は裏映りしていて反対を向いているけれど、間違いなくアルバイト募集の文字と、住み込み可の文字が書いてあった。
 僕はその貼り紙に釘付けになった。これは神様の啓示じゃないかと震えが走った。
 だけど、問題が一つある。僕は恐る恐る後ろを振り返り、またゲタゲタ下品に笑い転げているタケオに向かって訊いた。
「あんた、ここの従業員じゃ、ないんだよな?」
「ああ、そうだよ……タダの客」
 なんだかイントネーションが変だったけど、従業員でないのは確からしい。常連だったら嫌だなと思ったけど、多分、常連なんだろう。でも、四六時中一緒じゃなければ何とかなる。そう思って少し元気を取り戻したら、須賀さんが戻って来た。
「もう大丈夫そうだよ。お茶の水方面へ回れば、会社員や学生が多いから安全だよ」
 僕の肩を押して外へ連れ出そうとした須賀さんに向き直り、僕は勢い込んで頭を下げた。
「僕を、住み込みのアルバイトとして、雇ってくださいっ!」
「ええぇっ?」
 僕のお願いに須賀さんは素っ頓狂な声を上げた。
「女の子は駄目だよ!?」
 顔の前で両手を振って慌てる須賀さんに、「だから、僕は男なんです!」と言い張った。タケオが「まだ言い張るのか?」と呆れたように肩を竦めてスツールから下りて来た。
 僕はちょっとビビったけど、須賀さんの後ろに隠れるようにして言い返した。
「だから、さっき言っただろう! 胸がある男だって!」
「はああぁっ? このガキャアいい加減にしろよ? そこまで言うなら、ここでスッポンポンにひん剥いてやるぞ!?」
「おい、止めろよ!」
「タダのお客に、命令される筋合いはないね」
「何だとぉ?!」
「須賀さんには見せてもいいけど、あんたは嫌だ!」
「いや、そっ、それよりもだな……」
 須賀さんを挟んでタケオと言い争った。猛獣使いの須賀さんが僕を守るように立ってくれたから、ヤクザの本性丸出しで迫って来るタケオに言い返すのも恐くなかった。須賀さんは何か僕に言いたそうにしながらも、タケオを抑えるので精一杯という感じだった。
「須賀ッ! そこどけゴラァ!」
「ちょっ、イタッ! イタタタ!!」
「なに騒いでるんだいっっ!? 表まで聞こえてるよっ!!」
 タケオに髪の毛を掴まれて悲鳴を上げた時、僕の悲鳴を掻き消すほどの大きな声が飛んで来た。はっとして三人して振り返ると、お団子頭のおバアさんが戸口から仁王立ちで僕らを睨んでいた。

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