INDEX NOVEL

紙 吹 雪

 一号校舎の二階ベランダから校門へ続く中庭を見下ろす。
 中庭を挟んで向いの二号校舎が三年生の教室。もうすぐあの人がこの中庭を通るだろう。
 今日は卒業式。
 三年生の見送りをすませた在校生はあらかた帰ってしまったが、親しくしていた先輩の最後の見送りをしようとする生徒はこの一号校舎のベランダに集まっている。お目当ての先輩の名前が書かれたプラカードや紙吹雪が入った袋を手に、どのグループもかしましい。
 ひと際大きな歓声があがり紙吹雪が舞う。
 三年生が教室から出て来た。それぞれ友人と談笑しながら、ときにベランダに目を遣り後輩を見かけては手を振る。

 まだ、あの人は出てこない。

 あの人のことは、ほとんど知らない。
 二年になって押し付けられた図書委員で一緒の当番になった。初めてあの人に会ったとき、その姿勢のよさと優美な所作に思わず見惚れた。
 一年からずっと図書委員だったあの人は丁寧に指導してくれたが、無口な人で必要最低限のことしか話さなかった。別の委員の子にそれとなく聞き出した情報は、弓道部の部長で、成績が良く男女ともに人気がある―そんな表面的なことだけ。
 唯一知り得た個人的なことは本が好きだということ。海外の推理小説と日本の歴史小説、哲学と心理学の新書。週に一冊のペースで借りて行く本の虫。
 本などほとんど読まない俺が、あの人の図書カードを追うように同じ本を読んだ。本が少し好きになった。
 図書委員の当番を終えて帰るあの人に、ありったけの勇気で小さく挨拶をすると、振り返りしな片手を上げて「また(来週)」と言ってくれた。
 部活動はしていないし、校舎も別々で会える機会はほとんどない。それでも少しでも姿が見たくて、休み時間毎にあの人が通るかもしれない中庭を見下ろした。
 一年間の思い出は、それだけ。

 あの人が出て来た。

 いつも一緒にいる弓道部の人たちと笑いさざめきなら歩いてくる。卒業式の余韻はどこにもなくて、皆一様に笑顔で歩いてゆく。ベランダから歓声を上げる弓道部の後輩たちへ手を振っている。
 でも、俺には気づかない。
 ゆっくり、俺の下を通り過ぎる。
 期待なんかしていない。俺のことなど記憶の隅にだってあるかどうか。気づかなくて当たり前。

 最後に見た姿が笑顔でよかった……そう思ったとき、誰かがまいた紙吹雪が、強い風にのってあの人に降り注いだ。
 みな一斉に紙吹雪が舞い上がる空へ視線を投げる。
 あの人は振り向きざまに空を眺め、そのまま俺の姿を捉えた。ほんの一瞬見つめ合って、それから小さく笑って卒業証書を持つ手を上げてみせた。

 『また、来週』

 あの人の唇が、そう動いた気がした。

 『さようなら、先輩。また来週…』

 会える日は二度とこないけれど。
 紙吹雪が、まるで桜吹雪のようにきらきら光って、あの人が見えなくなった。

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