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茉莉花茶狂詩曲 サンプル

 日曜日の夜、友彰は夜半を過ぎてから帰って来た。そして、俺の機嫌は最高に悪かった。
 いつもの帰宅時とは違い、チャイムを鳴らさないのも、音をさせないように鍵を開けているのも、俺の怒りに油を注ぐ。
 午前様だからの気遣い? 否、違う。後ろめたさがそうさせるんだ。俺は行き先も用件も知っているのだから、堂々と帰って来ればいいのに。
「けっ、啓介! おっ、起きてたの?」
 玄関のドアを開けた友彰は、上がり框で仁王立ちしている俺を見て情けなく眉尻を下げた。まるで朝帰りを見つかった亭主みたいに情けない顔だ。これじゃあ余計な勘ぐりもしたくなるってものだろう!?
「ああ、おかえり」
「たっ、だいま……」
 固い声音で迎え入れると、友彰は引きつりながら返事をした。俺は友彰が手にしていた鞄をひったくるように受け取ると、さっさと踵を返して居間へ入った。友彰は少し遅れて怖ず怖ずと入って来たが、俺がソファへ鞄を置いてキッチンへ向かうと、大きなため息を残してバスルームへ入って行った。俺はその項垂れた後ろ姿を一瞥し、水を入れたヤカンを火にかけた。
 胸が痛かった。本当はこんな出迎えの仕方はしたくないのに、心に燻る黒い邪鬼が顔を出すと止まらないのだ。元々が意地っ張りだから自分でもどう仕様もない。
 ここ二週間、ずっとこんな感じで俺の機嫌は悪い。別に友彰が悪い訳じゃない。否、間接的には友彰が悪い。そうだよ。友彰がはっきりしないから!
「啓介……お湯、沸いてるよ?」
 後ろから窺うような友彰の声がした。気がつけばヤカンはシュンシュン湯気を立てていた。慌ててコンロの火を消すと友彰が「お茶、買って来たからそれ淹れて?」と珍しい事を言った。
「お茶?」
 普段は土産など買って来ないのに。振り向いて友彰を見ると、ちょっと自慢げな顔をして小さな紙袋を差し出した。
「ジャスミン茶。お前、好きだろう? ちょっと変わってて、すごく綺麗だったからさ」
 受け取った袋を開けると三センチほどの丸い飴玉のような固まりが三個入っていた。
「これ……千日紅?」
「知ってるのか?」
「うん。昔、誕生日のプレゼントに貰った事がある……」
 一つ取り出して手のひらに載せた。そうだ。二十二歳の誕生日に貰ったんだ。正確には誕生日プレゼントは一緒に行ったディナーショーの方で、ジャスミン茶は中国土産なのだけど、どちらも嬉しかったからよく覚えている。
「プレゼントって、亮介さんから?」
「否、別の人だけど……」
 つい、懐かしくてポロリと答えてしまったけど、「へぇ〜。プレゼントねぇ」と不満げな相づちに顔を上げると、友彰が胡乱な目付きで見下ろしていた。思わず向かっ腹が立って、
「俺が兄貴以外からプレゼント貰ったら悪いのかよ!」と睨み付けて怒鳴った。
「どうせこれだって、お前が自分で選んだもんじゃないんだろ!? どうせ一緒にいた上司の娘さんとやらが、『これがいいわよ』とか言ったヤツをホイホイ買っただけなんだろ? お前がこんなの選ぶとは思えねーもん」
 友彰がぐっと詰まった表情をした。頭の隅でヤバイと警笛が鳴っていたけど、一旦口火を切ったら最後、溜めた鬱屈を全部吐き出すまで止まらない。
「お前はあの頃から女にモテモテで、プレゼントなんか腐るほど貰ってただろうけど、俺はそんな相手、滅多にいなかったからよ〜く覚えてるんだよ! 俺の事をよく分かってて……千日紅は、千日経っても色が褪せないから『永遠の愛情』って花言葉があるって教えてくれた……。俺はあの頃から、ずっとずっと、お前だけなのに――」
「俺に不満があるなら、日本へ帰ればいいだろっ!」
 腹の底から絞り出すような怒声に、俺はビクリと身を縮めた。しまったと心臓が早鐘のように打ちつける。友彰は滅多に怒らない。だから友彰の怒りを前にすると、息が止まりそうなほど怖くなる。
「そんなにお前の事、よく分かってくれる人なら……その人とずっと一緒にいれば良かっただろ……。なんで、こんな所まで付いて来たんだよ! なんでお前は、俺なんかに……」
 怒りを押さえているのか、上擦った声は吐き出す息と一緒に震えていた。友彰は最後のひと言を絞り出すと、俺に背を向けて足早に遠ざかり、居間のソファにあった鞄と背広を掴むと、叩き付けるように扉を閉めて出て行った。

※ こちらはサンプル用に横書きに直したものです。同人誌の紙面とは異なります。

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